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宮城県利府町・硯沢窯跡 8世紀前半の須恵器に、最古の「宮城郡」と書かれた文字を確認

2010年08月01日 | Weblog
 硯沢窯跡(同町春日)から出土した須恵器に、最古とみられる「宮城郡」の文字が確認された。
 これまでは、「続日本紀」の766(天平神護2)年の項目に記載されている字が初見とされていたが、今回の須恵器は8世紀前半の遺物とみられ、さらに数十年遡る。
 2008年秋の現地説明会があった時点では、「宮城」「宮木」の字が刻まれた破片だけが発見されていたが、その後、同じ場所にあった数万点の破片を整理した結果、宮城郡の字が見られる須恵器が3点発掘された。直径約14cm、約16cmの坏(つき)2点の破片と、直径約18cmの坏のふたの破片で、須恵器の形、作る技法から多賀城創建(724年)の時期に近いものとみられるという。
[参考:河北新報]

過去のニュース・情報
 2008.10.3 硯沢窯跡発掘調査現地説明会の予定
 利府町教委は2日、奈良・平安時代の遺跡である同町春日の硯沢窯跡から、国内最北での発見となる「横口式木炭窯」2基と、「宮城」と刻まれた遺物では県内最古とみられる須恵器が見つかったことを発表した。
 横口式木炭窯の北西に位置する窯跡の失敗作を捨てる「灰原(はいばら)」から、8世紀前半の須恵器を発掘。中には宮城郡を示すと考えられる「宮城」「宮木」の字が刻まれた須恵器の破片2つ(いずれも縦、横とも約8cm)が見つかった。
 多賀城市では既に「宮郡」と墨書された8世紀中後半の須恵器や、「宮木」と墨書された同時期の土師器が出土しているが、宮城の字が見られる遺物としては最古とみられ、刻書で確認された例は初めてという。「宮城」と書かれた考古資料は、多賀城市内で出土した平安時代(9世紀前半)の墨書土器が最古だった。地名の起源が、724年の多賀城(多賀城市)創建までさかのぼる発見で、宮城郡が多賀城とともに中央政府によって新たに付けられた政治的な名前だったことを裏付ける発見とする。
 「みやぎ」の地名の確認は、これまで、8世紀の史書「続日本紀」の天平神護2年(766)の条文が最古とされてきた。「宮城郡」の歴史がよりさかのぼることを裏付ける史料になる可能性がある。
[参考:利府町HP、河北新報、毎日新聞、読売新聞]
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