歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

岩手県金ケ崎町・鳥海柵遺跡 2棟の庇付き掘立柱建物跡が一体であった可能性

2011年09月30日 | Weblog
 金ケ崎町教委は29日、安倍氏の12柵(城郭)の一つである金ケ崎町西根の鳥海柵(とのみのさく)遺跡で、2009年に発見された四面庇付き掘立柱建物跡(東西3間×南北2間、16.3m×12.5m)と、隣接する二面庇建物跡(1×2間)が一体化したものである可能性が高いとする今年度の発掘調査結果を発表した。
 稲わらなどの植物を混ぜたと思われる焼土も出土し、平安時代では珍しい土壁の建物だったとみられる。
 現地説明会が10月1日午後1時半から開かれる。
[参考:岩手日日新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2009.11.27 鳥海柵遺跡は安倍氏が前九年合戦で築いた柵
 鳥海柵遺跡
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今治市・今若遺跡 弥生中期から古墳中期の竪穴建物跡18棟が見つかる

2011年09月29日 | Weblog
 愛媛県埋蔵文化財調査センターは28日、今治市朝倉北の今若遺跡(いまわかいせき)の発掘調査で弥生中期6棟、弥生後期4棟、古墳中期8棟の竪穴建物跡を確認したと発表した。
 中には、祭祀目的で燃やされたとみられる弥生中期末の建物跡では、扉とみられる炭化した木材が見つかった。 入口が西側にあったとみられ、また供え物とみられる桃の種1個も見つかった。
 他の建物からは、甕、高杯など多数の土器が出土した。
 現地説明会が10月1日(土)午後1~3時に開かれる。
[参考:毎日新聞、愛媛県埋蔵文化財調査センターHP]

過去の関連ニュース・情報
 2010.1.5 今治市・鳥越1号墳 古墳時代後期の円墳からほぼ完全な形の横穴式石室を確認
 2010.9.17 桜井市・纒向遺跡 大型建物跡の南側から桃の種2000個以上と祭祀関連遺物が出土

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三重県・「斎宮跡」下園東地区 19棟の掘立柱建物跡が見つかる

2011年09月29日 | Weblog
 明和町は28日、国史跡・斎宮跡の下園東地区で平安期に幾度も建て替えられた掘立柱跡19棟などを発見したと発表した。
 古墳時代後期の直径12mの円墳を壊し、その上に建てたことが確認され、東隣の西加座北区画と同様、役人の米や衣類を納めた倉庫「寮庫」の可能性が強いとみている。
 緑釉陶器、墨書土器、土師器の杯、円面硯、土馬の足部などが出土した。
 現地説明会が10月1日(土)午後1時半から開かれる。
[参考:毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2011.7.29 「斎宮跡」御館地区 11棟の掘立柱建物跡と一辺が1mの柱穴を確認
 2010.7.22 「斎宮跡」柳原地区 10棟の建物跡が出土
 2009.2.8 「斎宮跡」柳原地区 「中院」の可能性より高まる 

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伊勢原市・西富岡・向畑遺跡 大豆の出納に関する古代木簡が出土

2011年09月28日 | Weblog
 伊勢原市の西富岡・向畑(むこうばた)遺跡から、大豆の出納に関する奈良から平安時代の木簡が新たに出土した。県内での古代木簡の出土例は6例目となる。
 木簡は縦8・5cm、横2cm、厚さ2・5mm。表には墨書で「風山大豆五」と記載されている。(裏は判読不能) 大豆の出納に関する記録や帳簿の一部と考えられ、周辺で大豆が生産されていたことを示す手がかりという。
 当時、大豆が5斗単位で扱われることが多く、後ろに『斗』が続くのではと推測している。
 今回の木簡の発見は、統括する役人的な人物の存在を示すものとし注目される。
 10月8日午前9時~午後17時、かながわ考古学財団発掘調査成果展示会[神奈川県埋蔵文化財センター(横浜市南区中村町)]で公開される。 11月12日に第2回が開催される。 なお、同日同場所で成果発表会も開催されるが、こちらは往復はがきあるいはメールによる申し込みが必要。(先着順) 河原口坊中遺跡(弥生・海老名市)・下馬周辺遺跡(中世・鎌倉市)・石橋石丁場群(近世・小田原市)、ほか全19遺跡の発掘調査成果発表が行われる。
[参考:産経新聞、(公財)かながわ考古学財団HP]

過去の関連ニュース・情報
 2010.2.19 西富岡・向畑遺跡 4000年前の漆塗り土器が出土 2/20現場見学会
 2008.8.10西富岡・向畑遺跡 粘土の塊や板を帯状に並べた特殊な遺構発見
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金海市・大成洞古墳群 5世紀後半の竪穴式石槨墓から山字形金銅冠が出土

2011年09月27日 | 韓国の遺跡・古墳など
 大成洞古墳博物館は26日、金海市大成洞の大成洞古墳群(김해 대성동고분군)6次発掘調査で、11基を調査して73号大型竪穴式石槨墓から山字形の金銅冠(금동관)の一部が見つかったほか、大量の遺物が出土したと発表した。

主な出土品
73号竪穴式石槨墓
 大成洞古墳群南側に位置する竪穴式石槨墓(全長8.2m)で、5世紀後半の王陵と推定。
 山字形の金銅板で作った台輪と立飾の一部、耳環、甲冑と小さい小札を縫って作った鎧の札甲、鉄鏃群、轡、多数の土器類が出土した。

84号石蓋木棺墓
 紀元前4~5世紀の支石墓で、韓半島で最も古いガラス製の小型環玉(환옥)と首飾を初めとし、直径1.5~3.0㎜の藍色と淡い青緑色ガラス製環玉約600点が出土した。
 これまで、無文土器時代遺構で環玉が発掘された事例がなく、韓半島で最も早い時期の環玉という。
[参考:聨合ニュース、中央日報]

過去の関連ニュース・情報
 2011.8.25 大成洞古墳群 第6次発掘現場を一般市民に公開
 2011.4.14 大成洞68号墳 100年を遡る4世紀中葉の銀製品(鞍金具用銀製環2点)が出土
 2009.11.12 大成洞古墳群 4世紀後半の伽耶時代箭筒が出土
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鹿児島県大崎町・横瀬古墳 県内初の二重周溝を確認

2011年09月24日 | Weblog
 大崎町教委は23日、曽於郡大崎町横瀬の「横瀬古墳」(全長140mの前方後円墳、5世紀半ば)で、内溝外側に外溝を確認したと発表した。 二重周溝の確認は県内で初めて。 古墳の地層が砂地であることなどから水は張っていなかった可能性が高い。 二重周溝の確認によって、近畿の中央政権との深い関係がより確実になったとする。
 横瀬古墳は古墳時代中期の5世紀半ばの建造とみられている。 県内では東串良町の唐仁古墳群大塚古墳(全長140m、5世紀後半)に次ぐ大きさという。
 一般向け説明会が、10月1日(土)午前10時と午後2時に開かれる。
[参考:南日本新聞、朝日新聞]

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宝塚市・長尾山古墳 大和政権の技術を取り入れた?排水溝を確認

2011年09月23日 | Weblog
 大阪大学考古学研究室は22日、国内最古級の粘土槨(長さ6・7m、幅2・7m、高さ1m)が見つかった宝塚市山手台東1の「長尾山古墳」(全長42mの前方後円墳、4世紀初め)で今月1日から続けていた調査の結果を発表した。
 墓坑付近に、古墳と同じ4世紀初めの排水溝を確認。大和政権の技術を取り入れたとみられ、古墳の被埋葬者と政権との強い結びつきが改めて確認できたという。
 発見された排水溝は、墓坑の東南部分から東方向に約6m分を確認した。 断面がV字形で、最大幅1・4m、深さ1・5m以上の規模。 底に15~30cm大の石を敷き詰め、水はけのよい土や砂で埋めた「暗渠構造」と呼ばれるものだった。 雨水で埋葬した遺体が腐敗するのを防ぐための構造とみられる。
 猪名川流域で大和政権とかなり密接な関係を持った、最初の豪族であることが改めて確認できたという。
 今回の調査では今まで不明確だった後円部の形がややいびつな円形であったことなども確認した、 また、後円部北側斜面の発掘で、墳丘に置かれた葺き石の裾野も判明し、墳丘の全長を42mと前回の調査時の40mを42mに修正した。
 現地説明会が25日午前10時半から開かれる。
[参考:神戸新聞、共同通信、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.10.12 宝塚市・長尾山古墳 国内最古級、ほぼ完全な状態の未盗掘「粘土槨」が見つかる
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福岡市・元岡古墳群G6号墳 「庚寅」年(570)と日付の銘が入った象嵌大刀出土

2011年09月21日 | Weblog
 福岡市教育委員会は21日、同市西区の「元岡古墳群G6号墳」(直径約18mの円墳、7世紀中頃)の横穴式石室から8月末に、19文字の銘文が入った鉄製の象眼大刀(長さ75cm)が出土したと発表した。 銘文入りの刀剣出土は全国7例目となる。 大刀には日付も刻まれており、わが国での暦使用を示す最古の文字資料としている。 朝鮮半島の百済から暦を導入したとする日本書紀の記述を裏付けるもの。
 大刀は表面が錆びているが、X線撮影で背の部分に19文字が、1文字5~6mm四方の大きさで約12cmにわたって刻まれていることが分かった。 表面を細い溝で刻み、中に金か銀を埋め込む象嵌技法により文字を作っていた。 日本製の可能性が高いとみられる。
 刻まれた文字は、「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果■」(■は「練」の可能性)。
 年号の干支を示す最初の「庚寅」年のうち、「正月六日」が庚寅の日なのは、古墳時代では570年のみ。
 意味は、「570年1月6日に刀を作った。およそ12回鍛錬した」と読める。
 日本書紀には、
□ 欽明天皇十四年(553)六月 遣内臣〈闕名。〉使於百濟。仍賜良馬二疋。同船二隻。弓五十張。箭五十具。勅云。所請軍者。隨王所須。別勅醫博士。易博士。暦博士等。宜依番上下。今上件色人正當相代年月。宜付還使相代。又卜書。暦本種種藥物可付送。
□ 欽明天皇十五年(554)二月 百濟遣下部杆率將軍三貴。上部奈率物部烏等乞救兵。仍貢徳率東城子莫古。代前番奈率東城子言。五經博士王柳貴代固徳馬丁安。僧曇惠等九人代僧道深等七人。別奉勅貢易博士施徳王道良。暦博士固徳王保孫。醫博士奈率王有悛陀。採藥師施徳潘量豊。固徳丁有陀。樂人施徳三斤。季徳己麻次。季徳進奴。對徳進陀。皆依請代之。
 と、記されている。
 すなわち、553年に百済に暦博士の派遣を要請、翌554年に、暦博士・固徳王保孫が来日する。 この時にもたらされた暦は、中国・南北朝時代の宋で作られた元嘉暦(げんかれき)」とみられる。
 元嘉暦は、5世紀の雄略天皇の時代から既に使われていた可能性も指摘されている。 今回の大刀に書かれた「庚寅正月六日庚寅」のうち、570年と1月6日の干支が「庚寅」というのは、いずれも元嘉暦と一致する。
 暦博士の来日後、十数年にして元嘉暦が普及したことを確実に示す極めて貴重な資料という。
 横穴式石室から大刀のほかに、水晶やガラスの玉類、金銅製の耳環なども見つかった。
 ほかに6号墳では、古墳時代では国内最大級の銅鈴(全長12cm)や鉄矛も見つかった。
 市民向け現地説明会が23日(金)午前10時~午後1時に開かれる。
 大刀は9月28日~10月9日、福岡市博多区の市埋蔵文化財センターでも展示される。
[参考:共同通信、時事通信、産経新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、聨合ニュース、福岡市HP]

備考
 この大刀が作られた570年前後の百済・金石文として、2点を参考に記す。
① 韓国・陵山里寺址から出土した「百済昌王銘石造舎利龕」には、「百済昌王十三季太歳在丁亥妹兄公主供養舎利」と刻まれている。 百済昌王(威徳王)13年(567年)の時に作られたことがわかる。 改元は立年称元でなく、踰年称元をとっている。
② 韓国・王興寺址から出土した、青銅舍利箱本体には、「丁酉年二月十五日百済王昌為亡王子立刹本舍利二枚葬時神化為三」と銘が刻まれていた。 丁酉年は577年に当たる。

過去の関連ニュース・情報
 2010.7.3 元岡古墳群で7世紀初頭の装飾付圭頭大刀など出土
  この時は、G1号墳(方墳)から7世紀初頭の製作とみられる装飾付きの大刀が出土した。

追記
2011.10.6 聨合ニュースが指摘、「三寅(さんいん)剣(삼인검)」
 (注) 「三寅剣」は、中国では、古代思想に言う人間に害をする三寅(虎・豹・狸(猫))、を収める力を持つ剣、という意味があり、すなわち魔よけの剣のことである。
 韓国では、年・月・日あるいは月・日・刻の3つがすべて寅の時に作られる大刀を意味する。 また、年・月・日・刻すべてが寅の時に作られる大刀は「四寅剣」という。 特に新年最初の寅の日に効果が最も効果が高いらしい。 ただし、「三寅剣」「四寅剣」とも朝鮮時代に盛んに作られたものであり、570年頃に当てはまるかどうかはわからない。

2011.12.9 X線CTスキャナーで立体化した画像を公開
 象嵌大刀をX線CTスキャナーで立体化した画像が公開された。
 文字を立体的に見ることで、彫った字にどの順番で金属を流し込んだかが分かる。 刃と柄の形も分かった。
 画像データを基に、石膏製の復元レプリカ(全長73cm、幅2・5cm、厚さ7mm)を作製した。
 CT画像とレプリカは、同市埋蔵文化財センター(同市博多区)で12月10日~来年4月1日まで公開する。
[参考:産経新聞、毎日新聞、朝日新聞]



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全北全州・完州新豊遺跡 初期鉄器時代の青銅竿頭鈴出土

2011年09月21日 | 韓国の遺跡・古墳など
 湖南文化財研究院は20日、完州革新都市開発地に含まれる完州新豊遺跡(완주신풍유적、全州市徳津区半月洞)2次発掘調査で、昨年発掘した同じ丘陵の南側で初期鉄器時代土壙墓6基を発掘し、青銅製竿頭鈴(간두령)2点をはじめとし、細形銅剣、銅戈、銅鉈(동사、새기개)(注1)などの青銅器遺物を収集したと発表した。
 竿頭鈴はこれまで、国内約10ヶ所で報告されたに過ぎない上、遺物自体が発見されることは1987年咸平草浦里遺跡(초포리 유적)出土以来初めてという。
 竿頭鈴の正確な機能は不明だが祭司長がある種の儀式に使った器物と考えられる。
 新豊遺跡は初期鉄器時代最大の土壙共同墓地で、この一帯が韓半島青銅器と初期鉄器文化の中心地だったことを示す重要な史跡になると期待される。
 青銅遺物の他に、刀子・斧・鏃などの鉄器類や、黒陶長頚壺、粘土帯土器などの土器類が出土している。
[参考:聨合ニュース、大邱博物館]

(注1)동사: 銅・鉈あるいは鉇。 ともに音読みでは「シ」あるいは「シャ」、訓読みでは「ほこ」と読める。

過去の関連ニュース・情報
 2011.9.7 全北全州・ウォンジャン洞遺跡 紀元前3~2世紀頃の初期鉄器時代土壙墓5基を確認
 2010.8.10 全北全州・完州新豊遺跡 初期鉄器時代の土壙墓70基以上と青銅鏡が出土



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釜山機張郡・南山狼煙台 高麗時代に築造と判明

2011年09月19日 | 韓国の遺跡・古墳など
 蔚山文化財研究院は19日、晴れた日には対馬が見え、海抜229mに位置する釜山市機張郡機張邑竹城里の南山狼煙台(남산 봉수대)(注1)を発掘調査し、現在まで韓国で確認された狼煙台遺跡中では、築造時期が最も古く、規模もまた最大であったと発表した。
 調査では、煙を作る燃焼室や煙台、3
3間×1間の規模の関連付属建物跡(基壇部、壁体、オンドル施設など)が見つかった。 また、この建物跡では高麗時代の代表的遺物の魚骨文瓦と高麗青磁が発見された。
[参考:聨合ニュース]

(注1) 往時は、南山は木覓山と云い、南山狼煙台も木覓山狼煙台(목멱산 봉수대)と呼ばれた。

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多治見市・大針起4号窯 仏画?が刻まれた10世紀前半の灰釉陶器碗出土

2011年09月18日 | Weblog
 多治見市教委文化財保護センターは、同市大針町の大針起(おおはりおこし)4号窯から、内側に仏画と思われる線刻のある平安時代の灰釉陶器の碗が発掘されたと発表した。仏画が刻まれた平安時代の灰釉陶器とすれば、全国初という。
 昨年8~10月の発掘調査で、平安時代10世紀前半から中期にかけて築かれた全長5・9m、最大幅1・2mの小型の灰釉陶器窯(穴窯)で、灰釉を施した碗、皿、鉢、広口瓶などが大量に出土した。線刻のある碗は、約1万7000点の遺物を整理していて見つかった。
 碗は5点の破片で、接合すると口径13・5cm、高さ4・3cm。 細い竹串のような物で文様が内側いっぱいに刻まれており、頭に宝冠を載せ、蓮の台座に足を組んで座る人物が簡略化して描かれているように見える。 碗の中央部分などが欠けており、仏画とは断定できない。 碗の形から10世紀前半の作とみられるという。
[参考:読売新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.10.13 多治見市・古窯跡「北丘30号窯・大針起4号窯」 山茶碗窯と灰釉陶器窯を確認
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佐賀市・築地反射炉 日新小敷地北側で溝状遺構が出土、十間堀川の可能性

2011年09月18日 | Weblog
 佐賀藩が日本で初めて反射炉を築いて鉄製大砲を鋳造した「築地反射炉」があったとされる日新小学校(佐賀市長瀬町)の校舎北側で、「十間堀川」の可能性がある溝状の遺構(長さ13m、幅1・3m、深さ1・1m)が見つかった。
 十間堀川は、江戸時代の絵図などによると、反射炉北側に流れていた。反射炉が小学校敷地のどこにあったかは未確定だが、この遺構が川の跡と確認できれば、反射炉の位置特定につながる資料になるという。
[参考:佐賀新聞、毎日新聞]

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 築地反射炉
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豊岡市・市場神無遺跡 7世紀初めの須恵器窯跡から、縄蓆文のある須恵器片50点が見つかる

2011年09月17日 | Weblog
 豊岡市出土文化財管理センター(豊岡市神美台)は16日、飛鳥時代(7~8世紀)の陶芸村跡とされる豊岡市市場の市場神無遺跡(いちばかんなしいせき)の7世紀初めのひとつの須恵器窯跡から、朝鮮半島南部特有の文様・縄蓆文(じょうせきもん)のある須恵器片50点が見つかったと発表した。
 縄蓆文の須恵器は長さ約11mと最も大きい窯の周辺と内部で約50片が見つかった。 高さと直径の最大が約60cmの須恵器の甕約2個分に相当する。出来が悪いため壊されたものとみられる。
 縄蓆文は、板に縄を巻き付けて叩いた際の縄目の模様で、朝鮮半島南部の土器と4、5世紀の古い須恵器によくみられる。 須恵器生産はヤマト王権によって全国に広がり、縄蓆文のある須恵器は作られなくなっていく。 但馬地域でも3カ所で5世紀頃の縄蓆文の土器片が見つかっているが、生産地は分かっていない。 縄蓆文様が7世紀代の窯で生産が確認されたのは国内で初めてという。 朝鮮半島から渡来した陶工が飛鳥時代に但馬で活躍した貴重な証拠とみている。
 朝鮮半島から渡来して但馬を開拓したと伝わる天日槍(アメノヒボコ)の従者に、須恵器の工人がいたと日本書紀・垂仁天皇3年3月の条に記述がある。
『日本書紀』巻六 垂仁天皇三年春三月。新羅王子天日槍來歸焉。(略)天日槍自菟道河泝之。北入近江國吾名邑而暫住。復更自近江。經若狹國西到但馬國則定住處也。是以近江國鏡谷陶人。則天日槍之從人也。(略)

 市場神無遺跡群では、これまで7~8世紀の須恵器の窯跡9基、陶工のものとみられる墓14基、300箱以上の須恵器片が見つかっている。
 現地説明会が19日午後1時半~3時頃に開かれる。
[参考:神戸新聞、毎日新聞、朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.3.19 市場神無遺跡群 7世紀初め~8世紀初めにかけての窯跡と陶工の墓が出土
 2009.7.10 豊岡市・八坂神社古墳、中谷貝塚遺跡 縄蓆文土器出土を確認、天日槍伝説の重要資料
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石川県志賀町・福井ナカミチ遺跡 銅製の帯飾りが出土

2011年09月17日 | Weblog
 石川県埋蔵文化財センターは16日、旧福野潟南縁の丘陵裾平地に立地する平安時代の集落跡である福井ナカミチ遺跡(志賀町福井)から銅製の帯飾り(縦2.5cm、横2.7cmの長方形)が出土したと発表した。
 形状や材質から奈良・平安時代の役人が用いたとみられ、周辺で当時の役所跡は見つかっていないが、ここに役人が住んでいた可能性があるとみている。
 現地説明会が、9月18日(日)午前11時から開かれる。
[参考:中日新聞、石川県文化財センターHP]

過去の関連ニュース・情報
 志賀町



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浜松市・郷ケ平古墳群 3号墳の一部が残存、10月2日に現地説明会

2011年09月16日 | Weblog
 浜松市北区都田町にある郷ケ平古墳群(ごうがひらこふんぐん、6世紀初め頃)には、8基の古墳があるといわれる。 現在、墳丘が残っているのは4号墳(全長26.5mの前方後円墳)だけ。
 2011年1月の調査では3基(注1)の古墳が確認され、内1基(注2)の周溝からは、埴輪や石器、須恵器が出土した。
 今回の発掘は8月23日から実施しており、3号墳の一部が残存していることがわかったとしている。
 現地説明会が、10月2日(日)午前10時、午後1時30分の2回行われる。
[参考:浜松市HP]

(注1) おそらく、1~3号墳 
(注2) おそらく、3号墳

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