歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

ウズベキスタンのサマルカンド州・カフィルカラ遺跡 王族の装身具が出土

2019年02月28日 | Weblog
 国立民族学博物館(大阪府吹田市)と帝塚山大(奈良市)の調査チームが28日、ウズベキスタンにあるシルクロード都市サマルカンド州のカフィルカラ遺跡でゾロアスター(拝火教)を信仰したソグド人のものとみられる、ハート形の金製品や指輪飾りの装身具など約20点が城の玉座付近の祭壇から見つかったと発表した。
 出土品が藤ノ木古墳(奈良県斑鳩町)の金銅冠の部品に類似していることも指摘。ソグド人の宝飾文化がシルクロードを経て日本に及ぼした影響を考える上でも重要としている。
[参考:共同通信、毎日新聞]

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 カフィルカラ遺跡


ゾロアスター教の金製品など出土 日本の調査団が発表、ウズベク
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四條畷市・大上7号墳 奇妙な文様が刻まれた盾形埴輪片が出土

2019年02月27日 | Weblog
 四條畷市教育委員会の調査で、馬飼集団の古墳とみられる大上(おおがみ)古墳群(四條畷市清滝中町)の7号墳(6世紀)から、奇妙な文様が刻まれた珍しい盾形埴輪片(高さ約43cm、幅約17cm)が見つかり、現在、府立近つ飛鳥博物館(大阪府河南町)で展示している。3月17日まで。
 古代中国の呪術師「方相氏(ほうそうし)」を描いた可能性も指摘されているという。
[参考:朝日新聞]

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 方相氏
 盾持人埴輪
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熊谷市・東善寺 快慶作の阿弥陀如来立像か

2019年02月26日 | Weblog
 熊谷市教育委員会は25日、曹洞宗・東善寺(熊谷市代町944)が所蔵する木造阿弥陀如来立像が、鎌倉時代の仏師・快慶が製作した可能性が高いことが分かったと発表した。
 平成29年11月、市史編纂のため市内の全仏像の調査中、東善寺で複数の仏像と一緒に箱に入っていた当像が、像の表情や衣文表現などが快慶に共通していたため、東京国立博物館に調査を依頼したところ、X線コンピューター断層撮影(CT)の結果、仏像の内部に古文書らしい折りたたまれた紙(高さ36cm、幅6・6cm、厚さ4cm)や髪の毛の束などがあることなどが分かった。
 像は高さ69cmで、材質は針葉樹系(ヒノキか?)。1本の木に全身を彫り出した後、分割し、内部を刳り貫いて接ぎ合わせる割矧造(わりはぎづくり)の技法が用いられていた。小さく秀麗な顔や腰高ですらりとした体形が快慶の作風に通じているという。
 当像は埼玉県立歴史と民俗の博物館(さいたま市大宮区)で開かれる特別展「東国の地獄極楽」(3月16日~5月6日)で展示される。
[参考:埼玉新聞、毎日新聞、産経新聞、読売新聞]

東善寺についての詳しいことは、なかなか調べきれなかったが、日本姓氏語源辞典、埼玉苗字辞典、新編武蔵風土記稿より、下記が推察される。
曹洞宗 代島山 東善寺 (旧、大里郡代村)
創建 慶長13年(1608)
開基 原島三郎義治(法名東善寺殿義応義治居士)・・・原島氏の祖先は丹治比姓にて、熊谷次郎直実が末流?
開山 叱洞長牛



県内初の快慶作の仏像か…熊谷・東善寺の阿弥陀如来立像、市が背景解明へ 年代や大きさなど謎多く

快慶の阿弥陀如来立像か 埼玉・熊谷の東善寺で発見


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 快慶



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天理市・ヒエ塚古墳 後円部直径を69mと推定

2019年02月22日 | Weblog
 天理市教育委員会は20日、同市萱生町の前方後円墳「ヒエ塚古墳」(全長130m、3世紀後半~4世紀初め築造)の後円部直径が、地中レーダー探査の結果とこれまでの発掘調査から約69mと推定されると発表した。
 現地説明会が23日(土)午後1時半から3時半に開かれる。
[参考:毎日新聞、奈良新聞]

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 ヒエ塚古墳
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淡路市・舟木遺跡 弥生時代後期の鉄器工房の可能性がある建物跡1棟や絵画土器などが見つかる

2019年02月22日 | Weblog
 淡路市教育委員会は20日、同市舟木にある弥生時代後期(1世紀~3世紀初頭)の山間地集落遺跡「舟木遺跡」(標高約160m)の調査成果を発表した。
 鉄器工房の可能性がある直径5・6mの建物跡1棟を発見した。炉は見つかっていないが、床面から鉄器や砥石が見つかったことから鉄器工房の可能性があるとみている。
 17年度までの出土品を整理した結果、島内3例目となる絵画土器片が見つかった。約3~4cm四方で、高床の建物の一部が描かれているとみられる。
 また、他の遺跡には見られない形の器台形土器などが確認された。通常よりも短い脚部と大きく広がる台部が特徴で、舟木で作られた舟木特有の形状とみられる。いずれも祭祀に用いられたらしい。
 他の地域から舟木に持ち込まれたとみられる河内地方や北近畿の特徴を示す「搬入土器」も数種類を確認した。
 現地説明会が23日(土)午後1時半から開かれる。
[参考:神戸新聞、朝日新聞]

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 舟木遺跡
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大津市・三井寺法明院 源信「二十五三昧私記」の最古の写本やフェノロサ受戒表白文など大量の資料発見

2019年02月21日 | Weblog
 大津市が20日、三井寺の法明院からフェノロサに関する文書など2000点近くもの新たな資料が見つかったと発表した。 大津市は、来月、開催される企画展に向けて一昨年11月から調査を進めていた。

◆明治初期に日本美術の保護に尽力したアメリカ人のフェノロサが仏教の戒律を授けられた際の文書には「施與諦信■菩薩金剛寶戒」(=たいしんにぼさつこんごうほうかいをあたえる)と記されている。(■は草冠に寺?)
フェノロサは、日本美術を通じて仏教に出会い「諦信」の名で仏教に帰依したことが知られていた。文書は桜井敬徳法明院住職(1834~89)の筆跡で、フェノロサは1885年に親交の深かった桜井住職から「菩薩戒」の戒律と「諦信」の法号を授かったという。 フェノロサが戒律を授けられた際の資料が見つかったのは初めて。

◆「二十五三昧私記(式)」の写本は金箔銀箔で装飾しており、仏に供えるなど儀礼的な目的で作られたらしい。
恵心僧都源信(942-1017)を指導者として結成した念仏者集団二十五三昧会のために念仏を唱える方法などを記し、極楽往生を願った。文書に登場する僧の名前などから、平安時代後期に書かれた原本を基に、14世紀に書き写したとみられる。真言宗の醍醐寺(京都市)の僧の求めに応じて天台座主が贈ったという内容が書かれている。

大津市歴史博物館(大津市御陵町)に於いて、「企画展 フェノロサの愛した寺 法明院 -三井寺北院の名刹」(平成31年3月2日(土)~4月14日(日))に開催される。

律宗 唐土山 法明院
享保八年(1723)に義瑞律師性慶によって開かれた。天台寺門宗総本山三井寺(園城寺)の北院にある律宗の寺院。
[参考:共同通信、京都新聞、毎日新聞、読売新聞、BBC琵琶湖放送、NHK、大津市歴史博物館HP]


大津にフェノロサ受戒の文書 園城寺、手紙の記述裏付け

日本美術のフェノロサ「受戒」の証し、三井寺で発見
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糸島市・潤地頭給遺跡、唐津市・中原遺跡、筑前町・東小田峯遺跡 国内最古の弥生硯

2019年02月20日 | Weblog
 弥生時代中期中頃から後半(紀元前2世紀末~前1世紀)に石製の硯(すずり)を製作していたことを示す遺物が、北部九州の複数の遺跡にあったことが、柳田康雄・国学院大客員教授(考古学)の調査で明らかになった。
 これまでの確認例を100年以上さかのぼり、国内最古という。 また、従来は3世紀頃とされてきた国内での文字使用開始が300~400年さかのぼる可能性を示す貴重な資料となるという。
 硯の遺物が見つかったのは下記3遺跡。
◆潤地頭給(うるうじとうきゅう)遺跡(福岡県糸島市)=前2世紀末 
◆中原(なかばる)遺跡(佐賀県唐津市)=前2世紀末
◆東小田峯(ひがしおだみね)遺跡(福岡県筑前町)=前1世紀後半
潤地頭給遺跡と中原遺跡では硯(すずり)の未製品や石鋸(いしのこ)と呼ばれる工具を確認。東小田峯遺跡では、墨をすりつぶす研石(けんせき)の未製品を見つけた。
[参考:共同通信、毎日新聞、朝日新聞]

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 弥生硯

国内最古のすずり、福岡・佐賀の遺跡で 倭人が製作か


キーワード: 弥生硯、潤地頭給遺跡、中原遺跡、東小田峯遺跡



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阿南市・加茂宮ノ前遺跡 縄文後期の「水銀朱」関連遺物が大量に出土

2019年02月19日 | Weblog
 徳島県教育委員会が18日、阿南市加茂町宮ノ前の加茂宮ノ前遺跡で、「水銀朱」(赤色顔料)を生産したとみられる縄文時代後期(約4千~3千年前)の大量の水銀朱関連遺物が出土したと発表した。水銀朱の生産の始まりが縄文時代にまでさかのぼることが明らかになったとしている。
 縄文時代後期の集落が確認され、円形配石遺構(ストーンサークル)のほか、石臼や石杵(きね)300点以上のほか、朱が塗られた耳飾、土器や原料となる辰砂原石など大量の水銀朱関連遺物が出土した。
 円形配石遺構も16基見つかった。 直径約1~3mで、石が敷き詰められており、祭祀用とみられる。
 三重県度会町の森添遺跡などでも縄文後期の朱の原石や朱が付着した土器が見つかっているが、水銀朱に関連した遺物の出土量としては国内最多とする。
 現地説明会が、23日(土) 10:00からと13:00からの2回(各1時間半)開催される。
[参考:共同通信、産経新聞、読売新聞、徳島県立埋蔵文化財総合センターHP]

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加茂宮ノ前遺跡
水銀朱


徳島、縄文の「朱」生産遺跡 石臼や赤い耳飾りも
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館林市・陣谷遺跡 古代の木製馬鍬がほぼ完全な形で出土

2019年02月18日 | Weblog
 群馬県埋蔵文化財調査事業団が発掘調査している陣谷遺跡(館林市楠町)で、古代の木製「馬鍬(まぐわ)」がほぼ完全な形で出土したことが分かった。 陣谷遺跡は邑楽・館林台地の北端部の湿地帯にあり、一月下旬、地表から約2mの粘土層・砂層から出土した。 馬鍬は田植え前の水田で牛馬に引かせて代かき作業をするための農具。古代の馬鍬が全体で出土したのは県内で初めてという。
 幅は約1.5m。台木には、長さ45㎝前後の木製の歯が13本装着され(1本は欠損し、近くにあった)、馬鍬を操作する2本の柄も50cmずつ残っていた。また、台木の両端には馬鍬と牛馬を連結するための引き棒を差し込む穴が残っていた。
 馬鍬は古墳時代の四世紀末ごろに大陸から伝来し、当時は幅が大きく、歯も長いのが特徴。 耕作時は牛馬が引く馬鍬の後ろに人が立ち、本体に付く二本の柄を両手で持ったが、柄の付き方も出土した物は古墳時代当時に近いという。
出土層の約1m上に1108年の浅間山噴火による火山灰層があり、古墳時代までさかのぼる可能性がある。
[参考:東京新聞、群馬県埋蔵文化財調査事業団HP]

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 馬鍬
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八幡市・美濃山遺跡 建物跡群や多数の焼土坑が出土 工人集落跡か

2019年02月10日 | Weblog
 京都府埋蔵文化財調査研究センター(向日市)は6日、八幡市美濃山出島の美濃山遺跡で、飛鳥時代から奈良時代にかけての多数の掘立柱建物や焼土坑が見つかったと発表した。
 弥生~飛鳥時代の竪穴建物12基、飛鳥~奈良時代の掘立柱建物27棟が確認された。
 焼土坑15基も確認され、木炭や鉄片が残っているものもあった。焼土坑は木炭窯や鍛冶炉跡らしい。
 窯跡や鉄片などが出土したことから、近くの古代寺院「美濃山廃寺」の造営に携わった工人の集落ではないかとみている。
 調査区域からは、祭祀に使われる土馬の破片約70点や、瓢(ひさご)形土製品が出土した。瓢形土製品は、約400m離れた美濃山廃寺(奈良時代ごろ)でしか出土が確認されていない。
 現地説明会が9日午前10時に開かれる。
[参考:京都新聞、朝日新聞、八幡市HP]

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八幡市・美濃山
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明日香村・小山田古墳 南辺東西幅が80mを超える飛鳥時代最大の方墳と判明

2019年02月02日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が31日、明日香村川原の小山田(こやまだ)古墳(7世紀中ごろ)で墳丘西裾の盛り土が見つかったと発表した。
 昨年12月から古墳の南西側を調査し、これまで1辺約70mの正方形の方墳と推測されていたが、墳丘裾の平面形は南に開いた台形状を呈し、南辺付近の東西幅は80mを超えることがわかった。北辺は約72mと推定している。 これまで飛鳥時代最大の方墳とされていた千葉県栄町の龍角寺岩屋古墳(1辺約78m)を上回る最大の方墳になる。
 墳丘から流れた後世の堆積土からは、室生安山岩(榛原石)や結晶片岩の板石の破片が大量に出土した。平成26年度調査で確認された墳丘北辺の板石積みと同じ石材で、西辺も板石を積んで装飾していたと考えられる。
2015年1月15日の発表では、『北側斜面は40cm大の石英閃緑岩(せんりょくがん)を張り、底面は15~30cmの石材を敷き詰めていた。南側斜面は2段目まで緑色の緑泥片岩の板石を積み、その上に奈良県東部産の「榛原石(はいばらいし)」の板石を階段状に積み上げ・・・』としていた。
 現地説明会は3日(日)午前10時から午後3時まで開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、朝日新聞、読売新聞、FNN関西テレビ、ABC関西ニュース]

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明日香村・小山田古墳


最高権力者の墓か 小山田古墳は飛鳥時代最大の方墳

小山田古墳、飛鳥時代最大と判明 蘇我蝦夷も被葬者候補に

小山田古墳 方墳としては国内最大規模か 奈良 明日香村

小山田古墳、最大級方墳と判明 被葬者は天皇か蘇我氏か

奈良の小山田古墳、飛鳥期で最大 南辺80m超、墳丘裾を確認

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