歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

横須賀市・八幡神社遺跡 古墳時代の土坑墓から女性の全身の人骨

2011年10月28日 | Weblog
 横須賀市久里浜2の八幡神社遺跡で、古墳時代中~後期(5~6世紀)の土坑墓に埋葬された全身の人骨(推定身長140cmの女性)が見つかった。 比較的若い成人女性で屈葬されていた。棺に木製の舟のような物を使ったのかもしれないとする。
 9月にも同じ遺跡の約7m離れた場所で、同時代のものとみられる舟形石棺に埋葬された(推定身長162cmの男性)が発見されたばかり。
 ともに、頭を南に向けて埋葬されており、二体は関連のある可能性が高い。
 現地説明会が、29日午後0時30分から開かれる
[参考:東京新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2011.10.5八幡神社遺跡 古墳時代の石棺墓より人骨が出土
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恭仁宮跡 大極殿の回廊南西角の柱穴?が見つかる

2011年10月28日 | Weblog
 京都府教委は27日、恭仁京の中心部「恭仁宮跡」で「大極殿院」の回廊南西角と考えられる位置から柱穴が見つかったと発表した。回廊とすれば宮の中枢の区画が確定するが、ほかに柱穴が見つからず、今後の調査で明らかにしたいとしている。
 現地説明会は30日(日)午前10時半と正午の2回開かれる。
[参考:京都新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.10.23 恭仁宮跡 大極殿の南面回廊跡の遺構を確認 続日本紀の記述に符号
 恭仁宮跡
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江原道平昌郡・鐘阜里遺跡 青銅器時代前期BC 10世紀の木槨墓が出土 通説より1千年遡る

2011年10月27日 | 韓国の遺跡・古墳など
 江原考古文化研究院は27日、江原平昌郡の鐘阜里遺跡(강원 종부리 유적)で青銅器時代前期に作った周溝墓1基を確認したと発表した。
 東西方向を軸に東西15.5m、南北6.3m、幅1.2m~0.55mの平面長方形の周溝の中央地点から、土地を耕して作った穴に木棺と一緒に木槨を安置した長さ2.0m、幅1.0m、残存深さ0.18m規模の土壙木槨墓を確認した。
 土壙墓内部は、断面「∪」字形に補強され堆積した土跡が確認され、本来この墓に木槨を使った跡とみている。 さらに木槨内部で一定の範囲内に人骨が分布する跡が見つかり、今はまったく腐ってなくなってしまった木棺があったということが推定できるという。
 木棺と木槨の間とみられる空間では、青銅器時代前期の土器である無文土器壺1点と赤色磨研土器2点が並んで置かれた状態で発見された
 木棺をまた木で覆った木槨墓が使われた時期が、従来の通説より1千年以上遡る青銅器時代前期(紀元前10世紀頃)であることを示す考古学的発見としている。
 韓国考古学会の通説によれば、韓半島で通常、木棺は粘土帯土器と細形銅剣を主な副葬品とする紀元前4世紀頃以後に登場して、木槨はこれよりはるかに遅れて紀元2世紀以後の墓に使われ始めたと見なされるという。
[参考:聨合ニュース、韓国文化財庁報道資料]

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大和郡山市・平城京跡 羅城の柱跡を確認 瓦葺の築地塀

2011年10月26日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が26日、平城京(710-748)の正門・羅城門跡のすぐ西側(右京)にある大和郡山市観音寺町などの発掘現場で、8世紀の羅城(城壁)跡とみられる柱列跡が見つかったと発表した。 周辺で大量の瓦が見つかり、京の南辺に位置し外国使節を迎えた羅城門の両脇付近が寄柱(よせばしら)を持つ瓦葺の築地塀だったとみられる。
 羅城跡が確認されたのは、平成17年に羅城門跡から東約500mの下三橋遺跡((しもみつはしいせき)で発見されて以来2例目。 柱列は計6個の柱穴(一辺50~60cm、柱径は10~15cm)で、穴の底には礎板が入っており、2・7m間隔で東西に並んでいた。
 この柱列の南側で2個の柱穴らしき跡も見つかったが、用途は不明。
 17年の調査で見つかった羅城跡の柱穴は一辺約1m(柱径約30cm)で、今回出土した羅城とは異なる構造という。
 近くから、土馬(どば、高さ約15cm、幅約11cm)や和同開珎、饒益神宝(じょうえきしんぽう)(注1)など5種6点の銭貨、銅製鈴など祭祀遺物が出土した。
 現場は既に埋められ、現地説明会はない。 出土した土馬や軒瓦などは、27日から橿原市の橿考研付属博物館で展示される。
 (注1) 饒益神宝の初鋳は貞観元(859)年
[参考:産経新聞、共同通信、読売新聞、毎日新聞、奈良新聞]

「羅城」の遺構の柱列か…平城京羅城門跡近く(読売新聞) - goo ニュース
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唐津市・唐津城跡 城内から金箔瓦と最古の石垣が出土 築城以前の遺構

2011年10月26日 | Weblog
 唐津市教委は25日、唐津城跡の本丸文化財調査で、天守台石垣南側に広がる二の曲輪(中段広場)の天守台下から、築城以前のものとみられる石垣と、石垣の裏の盛り土から金箔が付いた瓦の破片が見つかったと発表した。築城以前の状態を示す遺構が発見されたのは初めて。
 市教委によると、石垣は地下1・5mで8月下旬に見つかった。残っていた石垣は高さ3・5m、南北に延長5・7mで、50cm~1mの石20個を確認した。
 金箔瓦の破片4点は、地表から0・5~2mの盛り土の中から出土した。こぶし大で、黄褐色。鯱瓦(しゃちがわら)とみられ、鰭の形や目、口が描かれている。
 唐津城は伝承や江戸後期の文書から1602~08年に築かれたというのが定説であり、これまでに見つかった最古の石垣は唐津城築城(1602)時期のものだった。しかし、旧石垣は自然石を積み上げた工法から、名護屋城(唐津市鎮西町)築城が始まる天正19年(1591)から、慶長年間前半(1605頃まで)のものとみられる。
 また、城郭で金箔瓦が使用され始めたのは安土桃山時代から。 文禄・慶長(1592-98)の役の拠点・名護屋城(唐津市鎮西町)を築いた秀吉は、軍事的拠点などに限って金箔瓦の使用を認めており、市教委は同城に近い唐津城のある満島山に後方支援の拠点を築かせたと推測する。 櫓や御殿など、唐津城より以前に金箔瓦を用いた重要建築物があった可能性があるとみている。
 唐津城では2009年4月~10年12月の調査でも4点の金箔瓦の破片が発見されているが、表土や後世の土層で発見されており、年代などは特定できていなかった。
 文禄・慶長の役では、周辺を120に及ぶ大名の陣屋が囲んだ名護屋城を本営として、壱岐や対馬を前衛拠点、筑前の名島城などを後衛の拠点としていたことが知られており、唐津にも重要拠点が築かれていたと考えられる。
 現地説明会が30日(日)午前10時に開かれる。集合は同城跡中段広場。
[参考:佐賀新聞、読売新聞、毎日新聞、唐津市HP]

過去の関連ニュース・情報
 2010.9.29 唐津城 本丸西側から築城期の石垣を発見
 2009.6.24唐津城 名護屋城と同じ文様の瓦が大量に出土
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大邱広域市・国内最多の磨崖岩刻群を確認

2011年10月25日 | 韓国の遺跡・古墳など
 威徳大博物館は25日、大邱北区邑内洞で慶州南山塔谷磨崖彫像群(宝物201号)を凌ぐ磨崖岩刻群を確認したと発表した。
慶州南山塔谷では29体の仏像が彫られたが、大邱邑内洞(대구 읍내동)は32体の仏像と線刻9層塔が彫られていた。さらに、半跏三尊像が韓国国内初めて見つかった。
 年代は、像の特徴からみて6~7世紀三国時代のものと推定される。
[参考:聨合ニュース]

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済州・西帰浦市・江汀洞遺跡 初期鉄器時代の松菊里型住居跡などが出土

2011年10月25日 | 韓国の遺跡・古墳など
 韓国文化財庁は24日、西帰浦市江汀村済州海軍基地建設現場(江汀洞遺跡・강정동유적)で文化財発掘調査専門家検討会議を開催した。
 済州文化遺産研究院が発掘調査を行っている6つの発掘調査区域のうち、1つから耽羅成立期(初期鉄器時代)に当たる松菊里型住居跡26棟などが確認された。別の1つからは同じ時期の掘立柱住居建物跡1棟など。
 これまで発掘された住居跡が、三陽洞集落から和順里集落へ変化する過渡期的形態を見せるとしている。
 土器類は、赤褐色硬質土器、外反口緣壺(외반구연호)が主流で、把手付土器などが出土している。 土器類大部分も三陽洞式土器から外都洞式土器(외도동식토기)に転換される過程としている。
 検討会議に参加した一人からは、密集度が落ちるという意見もあるが、まだ早計との反対意見もある。
[参考:聨合ニュース]

 他の新聞社のニュースを見てみると、基地建設優先で事が進んでおり、文化財保護が2の次になっているとの報道もある。

過去の関連ニュース・情報
 2011.5.10 済州龍潭洞 耽羅国時代の中心遺跡を発掘し多量の遺物が出土
 松菊里型住居跡

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香南市・東野土居遺跡 香宗我部氏家臣の城館跡?出土

2011年10月24日 | Weblog
 高知県埋蔵文化財センターは、東野土居遺跡(香南市野市町土居)で、室町~戦国初頭にかけての県内最大規模の城館跡(一辺50m)が出土したと発表し、23日(日)に現地説明会を開いた。
 城館跡は、幅5m、深さ1.5~2m、南北50m長さの薬研堀で囲まれ、北東約700mに居城(香宗城跡)を構えこの地を治めていた豪族・香宗我部氏の家臣の城館とみられる。 その西約50mにも同じ幅の堀の一部が見つかった。
 堀の内側からは、掘立柱建物跡2棟のほか、井戸や馬屋とみられる建物跡があり、墓の跡からは、皿や中国の貨幣・宋銭などが出土した。
[参考:読売新聞、高知県埋蔵文化財センターHP]

過去の関連ニュース・情報
 2011.2.19東野土居遺跡 子供の壺棺に魔除けの鋸歯文
 2010.10.23東野土居遺跡 古墳時代初期からの大規模集落跡やほぼ完形の庄内式土器が出土
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江原寧越郡・正陽山城 滑車を利用して水門を開閉した新羅時代水利施設を初めて確認

2011年10月23日 | Weblog
 江原考古文化研究院は江原寧越郡寧越邑正陽里(영월군 정양리)の鷄足山 (海抜889m)西南側峰にある正陽山城(정양산성、史跡446号)内部を発掘調査した結果、滑車を利用して水門を開閉した新羅時代水利施設が初めて確認されたと発表した。また、一定の温度と湿度を調節するために作られた同じ時代の保存倉庫施設も姿を表わした。
[参考:聨合ニュース]

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太宰府市・大宰府跡 弓金具の「両頭金具」が出土

2011年10月23日 | Weblog
 県教委の大宰府史跡調査研究指導委員会(委員長・小田富士雄福岡大名誉教授)と九州歴史資料館(小郡市)は21日、太宰府市の大宰府政庁跡西側の蔵司(くらつかさ)地区から、弓の両端に付ける弓金具「両頭金具」(鉄製で長さ2・4~2・9cm、直径3mm)が7点出土したと発表した。 8世紀の製造とみられる。 大宰府での弓の管理を示す初の発見。
 両頭金具は両端に突起物をつけた芯棒を筒状金具に入れ、弓の両端に穴を開け装着する。CTスキャナーのX線撮影で中に心棒が入っている様子が確認された。 古墳から出土した両頭金具と比べると一回り小さく、矢を放つと音が鳴るため儀礼用の可能性もある。
 昨年までの調査で、大量の鉄鏃の破片や鉄塊などが確認されている。今回、鉄鏃や甲に用いた鉄板なども一緒に出土しており、いずれも熱で溶けかかった跡があり、溶融して再利用するものだったとみられるとし、鉄製品の工房があった可能性があるとしている。
 九州歴史資料館は22日~11月3日まで、今回発掘した遺物20点を展示する。その後、大宰府展示館(太宰府市観世音寺4)で11月12日~12月18日、展示する
[参考:共同通信、西日本新聞、朝日新聞、毎日新聞]
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宇陀市・室生寺 旧塔頭・地蔵院本尊の木造地蔵菩薩立像の制作年代が平安前期に遡る可能性

2011年10月23日 | Weblog
 宇陀市の室生寺の旧塔頭・地蔵院の老朽化のため改築を機に、本尊・木造地蔵菩薩立像(像高約1m)の修復と調査を東京芸術大教授藪内左斗司教授(彫刻家)に依頼し、同大学で調査を進めたところ、像はカヤ材を使用した9~10世紀に流行した一木造りだったことがわかった。 平安時代前期の室生寺金堂の本尊・釈迦如来立像や十一面観音菩薩立像(いずれも国宝)と技法、材質が同じで、また、像の特徴などからも、平安前期に造られた可能性が大きいとして、これまで室町時代とされてきた制作年代が遡る可能性があらわれた。
[参考:読売新聞]
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平泉町・無量光院跡 2011年度発掘調査の成果、29日に現地説明会

2011年10月22日 | Weblog
 平泉文化遺産センターは21日、ユネスコの世界遺産に登録された無量光院跡(平泉町平泉字花立地内)で7月4日から進めている2011年度発掘調査の成果を報道陣に公開した。
 本堂前の素焼きのれんが状のものを敷き詰めた塼敷(せんじき)の範囲が少なくとも東西方向に約2m、南北方向に約24m延びていることが分かった。 また、基壇の外周を巡る板石が、正面の見栄えを重視し、背面より大ぶりの板石を配置していることがわかった。
 一般を対象とした現地説明会が、29日午前11時から開かれる。
[参考:岩手日日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 平泉町・無量光院跡
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高野山金剛峯寺 執金剛神立像の中から「快慶」作示す墨書

2011年10月22日 | Weblog
 和歌山県高野町の高野山霊宝館は21日、高野山真言宗・総本山金剛峯寺所蔵の「執金剛神立像(しゅこんごうしんりゅうぞう)」の中から銘文が見つかり、鎌倉時代の仏師・快慶の作と確認したと発表した。
 執金剛神立像はヒノキの寄せ木造りで高さ149cm。 首の内側に快慶が用いた墨書の銘文「アン(梵字)阿弥陀佛」を発見した。
 一対の「深沙大将立像(じんじゃたいしょうりゅうぞう)」(高さ142cm)も快慶作とみられるという。
[参考:読売新聞、共同通信、毎日新聞、産経新聞]

過去の関連ニュースおよび情報
 2009.6.11 京都市・泉涌寺・悲田院 宝冠阿弥陀如来座像が快慶作の可能性
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鳥取県大山町・石井垣上河原遺跡 四隅突出型墳丘墓から石棺が見つかる

2011年10月22日 | Weblog
 県埋蔵文化財センターが21日、大山町石井垣の「石井垣上河原遺跡(いわいがきかみがはらいせき)」で、弥生時代から古墳時代への移行期(約1750年前)の石棺(長さ2m、幅0・7m)がほぼ完全な形で出土したと発表した。
 石棺は方形墳丘墓4基のうちの2つの四隅突出型墳丘墓の1つに残っていた。
 現地説明会は午前10時30分と午後1時30分の2回開かれる。(雨天の場合についての開催については不明)
[参考:読売新聞、鳥取県文化財センターHP]

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韓国・仁川広域市 アジア競技大会主競技場敷地から百済共同墓地が出土

2011年10月21日 | 韓国の遺跡・古墳など
 第17回仁川アジア競技大会(2014年9月19日~10月4日)が開催される主競技場敷地から、百済時代の古墳数十基が発見された。
 西京文化財研究院は仁川西区連喜洞(인천 연희동)460番地一円の主競技場敷地約40万㎡のうち、昨年3月試掘調査を通して遺構の跡が確認された範囲、約6万㎡に対して詳細な発掘調査を行った。その結果、原三国時代から百済時代の方形周溝墓など古墳39基を見つけたと発表した。百済時代周溝墓の大部分に埋葬主体部はなく、周溝だけが残った状態であらわれた。
 このほか、竪穴遺構、溝状遺構、そして朝鮮時代の竪穴住居跡など1000基を超える各種遺構が確認された。
 市関係者は「現在の文化財発掘調査がほとんど最終段階で、近い将来土木工事などに着手できる。」とし、「主競技場を建設するには支障がないだろう」と話している。
[参考:聨合ニュース、京畿日報、仁川日報]

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