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平壌市楽浪区域・東山洞壁画古墳 AD400年頃の高句麗壁画古墳を発見し日朝で本格的な合同調査

2010年08月15日 | Weblog
 昨年10月、平壌中心街から南東側4.5kmの地点にある平壌市楽浪区域東山洞(평양동산동)で、4世紀末から5世紀始め頃に築造された大規模な高句麗壁画古墳が発見された。日本からは共同通信社、東大大学院・早乙女雅博教授(考古学)、サイバー大学・青木繁夫教授(遺跡保存学)が参加し北朝鮮の社会科学院考古学研究所と合同学術調査にあたった。
 東山洞壁画古墳は、直径約35m、高さ8mの墳丘で、石室があり、約16mの墓道の先に古墳の入口と羨道があり、長方形の前室(2.4m×2.1m、高さ3.3m)と遺体を安置する後室(3.36m×3.28m、高さ3.4m)と別室で構成されている。
 前室のアーチ形天井は、三角支柱が層をなしていて、石室は石灰と炭、赤色粘土を交互に固めながら覆われている。
 壁画には、角形の帽子を被って馬に乗る男性と武装した馬に乗って旗を掲げた行列、刀を持った武人などが姿を現わした。
 古墳からは、男女人骨と金.銀装飾品、虎形磁器、青磁燭台、青銅貨幣、棺に使われた釘などが出土した。
 特に高句麗以前楽浪時代(注1)の古墳と遺物が主に発掘された「楽浪区域」で高句麗壁画が発見された点、青磁燭台がある点、青銅貨幣が発見された点などに注目を集めている。
 (注1) 高句麗は、長寿王の時代427年に平城に遷都した。
 古墳の時代から見て「幽州刺使 鎭」の墓誌が発見された南浦市の徳興里古墳(408年)と似ているため、今回の古墳も同様に当時平壌地域にいた貴族の墓である可能性が高いとしている。
[参考:共同通信、聨合ニュース、毎日新聞]

平壌に大規模高句麗古墳 ほぼ全面に壁画や痕跡(共同通信) - goo ニュース

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