歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

青森県西目屋村・大川添(3)遺跡 キノコ型土製品を蓋に用いた赤色顔料入り土器が出土

2012年09月28日 | Weblog
 青森県埋蔵文化財調査センターは27日、縄文時代中期から後期(4000~3000年前)の大川添(3)遺跡(中津軽郡西目屋村川原平)で、8月末にキノコ型土製品を蓋に用いた「赤色顔料入り土器」が出土したと発表した。
 楕円形の土器(長さ16cm、高さ7cm、口径4cm)と、蓋に利用したキノコ型土製品(直径最大6cm、長さ4cm)がセットで見つかった。無地で容器上部には取っ手がとれたような跡がある。
 キノコ型土製品は東北北部を中心に多く出土しており、土器の近くで見つかっていることなどから、用途は蓋ではないかと考えられていたが、今回の出土でその可能性が高まったとしている。
 同センターは今後、中に入っている赤色顔料(注1)の粒を分析し、詳細に調査する予定。
 現地説明会が、29日(土)午後1時から開かれる。
[参考:読売新聞、朝日新聞、RAB青森放送]

(注1) 1社が、ベンガラと報じている。
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土浦市・武者塚古墳 出土品に絹織物「経錦」を確認

2012年09月27日 | Weblog
 土浦市教委は26日、同市上坂田の市指定文化財「武者塚古墳」(直径23mの円墳、7世紀後半)の出土品から「経錦(たてにしき)」と呼ばれる絹織物が見つかったと発表した。
 県内で経錦が確認されたのは、かすみがうら市の風返稲荷山古墳(前方後円墳、全長約78m、6世紀後半)に次いで2例目という。
 今回確認された布片(経錦)は、29年前の昭和58年(1983)に筑波大が発掘し、国内で初めての古墳時代の人が結った髪「みずら」や銀装の大刀と一緒に出土したが、これまで調査されていなかった。 筑波大学から市が出土品の返還を受け、今年2月に絹織物の断片があるのに気づいた。 3月末に調べて東京国立博物館の専門家が経錦と確認した。
 絹織物は、武者塚古墳に葬られていた6人の遺体の上半身に掛けられていた。 0.5~2cm弱四方の18の断片になっている。模様は劣化が激しく元の色は確認できないという。
 今回見つかった経錦は10月20日~11月13日、同広場の考古資料館で展示される(有料)。
[参考:茨城新聞、朝日新聞、読売新聞]
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桜井市・脇本遺跡 5世紀後半の石積遺構と堀状遺構が出土 泊瀬朝倉宮の周濠跡か?

2012年09月25日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所は24日、桜井市の脇本遺跡で古墳時代中期(5世紀後半)に築かれた大規模な堀状の遺構(南北60m、東西30m)と、その南端に石積みの護岸を発見したと発表した。
 見つかった遺構の底面は、南北の高さがほぼ水平で、水が溜まった形跡がないため、防御を兼ねた空堀の可能性があるという。
 石積みは、幅約2~2.5mで、約20〜30cm大の石がほぼ東西方向に約30mにわたって緩やかな傾斜状かつ直線状に並び、遺構の底からの高さは約1.2mだった。
 すぐ北東の台地では、雄略天皇の泊瀬朝倉宮に関連するとみられる大型掘っ立て柱建物が見つかっており、遺構が宮の周濠や池だった可能性があるとしている。
 出土した器などの土器から、5世紀後半に造られ、6世紀後半の古墳時代後期にはなくなったとみられる。
 現地説明会は29日(土)午前10時から午後3時まで開かれる。
[参考:産経新聞、日経新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 脇本遺跡

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ソウル市松坡区・風納土城 出土した多数の中国製施釉陶器は初め酒を入れていた

2012年09月22日 | 韓国の遺跡・古墳など
 ソウル市松坡区風納洞の風納土城から多数出土した中国製施釉陶器は、これまで王室用の塩辛を保管するのに使われたものと推定されていたが、中国南京師範大・王志高教授は百済学会国際学術会議で発表する研究論文で、当初中国から輸出される時には酒が入っていたと分析した。 さらに、王教授は、風納土城でこれまで出土した大型施釉陶器の製作時期は東晋中後期から南朝初期、すなわち4世紀後半から5世紀中後期のようだとし、浙江省徳清窯で製作されたとみている。
[参考:聯合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
2008.713 風納土城・木塔址は深さ4mの井戸だった
 この井戸に隣接する196号遺構から、大型施釉陶器が約20点出土した。
2008.7.1 風納土城・木塔址 井戸のようだ
 この井戸に隣接する196号遺構から、8年前の調査で中国製施釉陶器시유도기が多数出土した
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向日市・元稲荷古墳 全長94mの前方後方墳と確定

2012年09月21日 | Weblog
 京都市埋蔵文化財研究所と向日市埋蔵文化財センターは20日、元稲荷古墳(3世紀後半)と寺戸大塚古墳(4世紀初め)の発掘調査の成果を発表した。
 元稲荷古墳(向日市向日町)は前方部の端が見つかったため全長94mの前方後方墳と確定した。 築造時期が元稲荷古墳の後とみられていた近くの五塚原(いつかはら)古墳(同市寺戸町)が、向日丘陵の古墳群で最古になるとわかった。 したがって、五塚原古墳、元稲荷古墳、寺戸大塚古墳の順で築造されたことになる。
 現地説明会は22日に開かれる。 寺戸大塚は午前10時半、元稲荷は午後1時半から。
[参考:京都新聞]

五塚原古墳
 発掘調査などを行っていないので詳細は不明としている。したがって、同じ向日市のHPでも、市側と教育委員会がまとめた資料では、築造時期と全長など細かい違いがある。
 向日市は4世紀、全長約94mの前方後円墳とし、向日市教育委員会は3世紀後半、全長91.2mの前方後円墳としている。
 さらに、向日市教委の資料では、前方部の形はバチ形で、前方後円墳出現期の古墳であることを表していると記している。
 後円部は3段築成で、頂上には埋葬施設として竪穴式石槨が残っているという。
[参考:向日市HP、向日市教育委員会HP]

過去の関連ニュース・情報
 元稲荷古墳
  全長約92mの前方後方墳、3世紀後半
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堺市・上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵) 球状の高まりをあらたあめて確認

2012年09月19日 | Weblog
 大阪府などが18日、大阪平野南部に広がる「百舌鳥・古市古墳群」のほぼ全ての古墳82基について、航空機からレーザー測量した精密測量図が完成したと発表した。
 測量の結果、履中天皇陵とされる全長360mの前方後円墳・上石津ミサンザイ古墳(堺市西区石津ヶ丘、4世紀末)では前方部上に円形で2段の土壇(直径30m、高さ5m)があることをあらためて確認した。
[参考:共同通信、読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 上石津ミサンザイ古墳
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羽曳野市・誉田御廟山古墳 前方部頂上に方形土壇を確認

2012年09月19日 | Weblog
 大阪府などが18日、大阪平野南部に広がる「百舌鳥・古市古墳群」のほぼ全ての古墳82基について、航空機からレーザー測量した精密測量図が完成したと発表した。
 測量の結果、全長425mの前方後円墳の応神天皇陵(誉田御廟山古墳、羽曳野市)で、前方部先端に近い頂上に方形の土壇(長さ22m、幅16m、高さ3m)を確認した。 土壇は埋葬施設の目印となっていることが多く、府などは後円部に加えて二つ目の埋葬施設がある可能性が高いとしている。
[参考:毎日新聞、読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
2011.2.19 応神陵・前方部に巨大方形壇
 宮内庁が応神天皇陵に指定している前方後円墳・誉田御廟山古墳(大阪府羽曳野市、5世紀前半)の前方部頂上に巨大な方形の土壇があることが19日、2008年秋に墳丘を立ち入り調査した研究者らの証言で分かった。
 内容は非公表だが、前方部の先端寄りに土を盛って築いた壇があったという。
[参考:共同通信]

応神天皇陵

キーワード:誉田御廟山古墳、応神天皇陵、応神陵
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金海大成洞古墳群88号墳と91号墳のその後

2012年09月16日 | 韓国の遺跡・古墳など
 金海市大成洞古墳博物館による金海大成洞古墳群7次発掘調査が2012.6.4から始められ、現在も進行中?である。
 日本の歴史を探る上でも関連のあるとても重要かつ大きな発掘成果であるが、残念ながら日本では新聞に取り上げられていないし、日本の考古学者・歴史学者などからの発信もされていない。 ところが、日本の考古学者・歴史学者も多数訪れているという。 いかに「歴史」といえども、大事なニュース性があるのであれば、早い対応(発表など)を望むところである。
 韓国の「新聞」「ニュース記事」より、6月4日以降、現在までの簡単な発掘調査経緯を追ってみた。

6月4日 発掘調査を開始
8月8日 現場説明会を開催
 今回の発掘調査結果、竪穴式石槨墓5基、木槨墓2基が発見された。 この中、88号および91号木槨墓は規模からみて支配者階層の墓と推定され、特に特に91号墳は墓の規模と出土遺物からみて王級墓に該当する。
 91号墳墓は4世紀第2四半期築造と見られ、龍文金銅辻金具、金銅鈴など慕容鮮卑系の遺物が出土した。
 88号墳は4世紀第3四半期築造とみられ、巴形銅器2点、銅鏃など倭系の遺物が出土した。
8月16、17日 2日間で約10人の日本の考古学者が大成洞古墳群を見学した。
8月20日 大成洞古墳博物館に嶺南・九州考古学共同研究会所属の日本考古学者約40人のほかに、日本から来た研究者を併せて70名余りが訪問して第7次学術発掘調査結果を確認した。
 この日までに、88号墳では巴形銅器が計8個見つかった。 巴形銅器が6個相次いで出土した場所では木製盾と箭筒の痕跡も確認されている。
 91号墳で発見した馬具、馬鈴、銅鋺(青銅器)等の三燕時代の遺物に関する関心が高い。 日本では5世紀後半古墳時代に三燕の影響を受けた遺物が発見された。 この遺物を基に、倭と三燕が直接交流したという説と伽耶か新羅を経由した間接交流がなされたという二種類説があるが、ともに根拠が充分でなかった。 しかし91号墳で4世紀前半三燕遺物が発掘されて伽耶を通じた交流が確認されたわけだ。…としている。

9月10日までに91号墳で龍文様が透彫された金銅製腰帯金具が出土した。 一方、88号墳墓では巴形銅器の出土が合計12個に達したという。

今回、韓国のメディアが、出土した遺物の漢字表記で違和感を覚えたものが2つあったので挙げておくことにする。
① 金銅辻金具(금동십금구)→ 金銅十金具と表記している。
② 巴形銅器(파형동기) → 波形銅器と表記している。

過去の関連ユース・情報
 2012.8.9大成洞古墳群 4世紀の木槨墓2基を発見 うち1基は鮮卑族との交流を示す遺物が出土

2020.11.19追記
2013.08.30から大成洞古墳博物館で大成洞古墳群の重要遺物が初公開された。
一年前に4世紀大王級墓である88号墳と91号墳から、龍模様が彫られた立派な金銅製遺物など合計150点余りの重要遺物が出土したが、この遺物がたくさんの写真資料とともに展示された。
龍模様のある金銅製遺物は韓国で発掘された遺物中最も古いことが確認され、大成洞の4世紀代古墳で発掘されたという事実は、その当時この地域が先進地域であり、中国・倭との交易中心地だったことを語っているとしている。
最初に91号墳から出土されたという龍文金銅製腰帯装飾は88号墳からの出土に変わっている?

コメント (2)
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足利市・機神山24号墳 「胴張形石室」と判明

2012年09月16日 | Weblog
 足利市西宮町の長林寺境内にある機神(はたがみ)山24号墳の石室が、同市山川町にある口明塚(くちあけづか)古墳の石室とよく似た「胴張形石室」であることが分かった。
 同古墳は、1913年に舟形の石室から金銅製の大刀飾りなどが出土した。
 立正大考古学研究室が、2010年度からあらためて発掘調査を行った。
 説明会が15日午後1時から開かれた。
[参考:東京新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2008.8.19 足利市 機神山山頂古墳 葺石施した2段墳丘

キーワード: 機神山24号墳、口明塚古墳、胴張形石室
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奈良市・平城京 朱雀門そばの鍛冶工房跡の炉跡79基を確認

2012年09月14日 | Weblog
 奈良文化財研究所が13日、平城宮の朱雀門近くで見つかった鍛冶工房跡(奈良時代前半)の全容が分かり発表した。
 調査地は昨年秋に見つかった鍛冶工房跡の北側で、新たに23基の鍛冶炉跡や鞴(ふいご)、金床を据えた跡を多数発見した。 朱雀門まで約60mのところに、東西約34m、南北約36mの範囲に平城宮の造営や修理のために設けられた、79基の炉跡が集中する大規模工房である可能性が強まった。
 現地説明会は15日(土)午後1時半から開かれる。
[参考:奈良新聞、日経新聞、毎日新聞、産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
2011.11.17 奈良市・平城京 朱雀門そばに鉄鍛冶工房跡が見つかる
 奈良時代前半(8世紀前半)の鉄鍛冶工房跡とみられる3つの建物跡と炉跡が約52基出土。
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今治市・古谷尾ノ端遺跡 約2100年前の中細形銅剣が出土

2012年09月14日 | Weblog
 愛媛県埋蔵文化財センターは13日、今治市古谷の「古谷尾ノ端(こやおのはな)遺跡」から、祭祀に使われた弥生時代中期中葉(約2100年前)の「中細形銅剣」が出土したと発表した。県内ではこれまで、開墾中などに中細形銅剣が見つかっているが、発掘調査で出土したのは初めて。
 見つかった中細形銅剣は手元側の半分が欠けて残った切先部で、長さ約18cm、最大幅約2・5cm、同厚さ約1cm。 地表から30~40cmの古い地層に水平に埋まった状態で見つかった。 県外で出土した同時代の北部九州産の中細形銅剣と共通する形態特徴があることから、元の長さは全長約40cmとみている。
 同遺跡の南東約1kmの経田(きょうでん)遺跡(今治市朝倉下)では2006年に弥生時代中期末の平形銅剣が出土している。 また、旧朝倉村北部に位置する同遺跡の半径約2km以内では、銅剣や銅矛などの「武器形青銅器」が約10点見つかっている。 今治ではこの一帯でしか見つかっておらず、弥生時代に今治平野の中心地だったと考えられるという。
 現地説明会が16日(日)午後1~3時に開催される。 銅剣は松山市考古館(同市南斎院町)で開催中の「いにしえのえひめ2012」で22~30日の間、展示される。
[参考:愛媛新聞、朝日新聞、読売新聞]

キーワード:古谷尾ノ端遺跡、経田遺跡、中細形銅剣
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つくば市・面野井古墳群 方形周溝墓から舟形木棺の痕跡と水晶製勾玉

2012年09月14日 | Weblog
 茨城県教育財団は13日、つくば市面野井(おものい)の面野井古墳群の調査結果を発表した。
 調査は今年7~9月に実施。古墳時代前期(4世紀前半)とみられる方形周溝墓4基、円墳1基などを確認した。
 このうち、このうち約12m四方と最大の11号周溝墓からは、舟形木棺とみられる痕跡を発見した。棺は長さ約1・7m、最大幅約0・5mとみられる。 墓に埋葬された人物の頭部があったとみられる場所から水晶製の勾玉1点(長さ約1・6cm、幅約1cm、山梨産)、ガラス小玉8点、管玉7点が出土。右手付近や左手付近、足元からも複数の管玉を確認した。 舟形木棺、水晶製勾玉ともに県内初出土。
 祭祀に使ったとみられる底に穴を開けた土器が溝で発見されている。
 現地説明会が15日(土)午前10時半から開かれる。(つくば市面野井789-6ほか)

[参考:産経新聞、読売新聞、茨城県教育財団HP]

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さいたま市・南鴻沼遺跡 縄文後期の丸木舟が出土

2012年09月14日 | Weblog
 約4千年前の水場遺構が出土したさいたま市中央区の「南鴻沼(みなみこうぬま)遺跡」で、新たに縄文後期の「丸木舟」が良好な保存状態で出土した。
 南鴻沼遺跡は、台地際に沿った低湿地の遺跡で、縄文時代に小川の水を貯めて利用した木組状の水場遺構や加工途中のオール、漆製品、食用の木の実などが多数出土している。
 今回発見された丸木舟は太い木を刳り貫いて作られたもので長さ約4m、幅約50cm、船床の深さ約20cmで、舟の全形がほぼわかる形で出土した。
 また、ひものようなもので立体的な装飾を施された漆塗りの櫛(残存横幅約7cm)も出土した。
[参考:2012.8.22埼玉新聞、2012.9.12産経新聞、さいたま市HP]

過去の関連ニュース・情報
 2012.5.10 さいたま市・南鴻沼遺跡 4000年前の水場遺構が見つかる

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秋田県五城目町・中山遺跡 縄文晩期の捨て場遺構や赤漆塗り土器を発見

2012年09月14日 | Weblog
 弘前大亀ケ岡文化研究センター(青森県)は12日、南秋田郡五城目町高崎の「中山(なやかま)遺跡」(縄文後期~晩期、約3500〜2800年前)の発掘調査で、縄文晩期の地層からトチやクルミの殻がまとめて捨てられた跡の「捨て場遺構」や、保存状態が良好な赤漆塗り土器(高さ約14cm、直径10cmの壺)などが見つかったと発表した。
 ほかに、櫛(くし)などの漆器、匙(さじ)や皿などの石製品が見つかった。
 一般向けの現地説明会が15日(土)午後1時に開催される。
[参考:秋田魁新報、毎日新聞、朝日新聞、読売新聞、NHK秋田]

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 漆塗り土器
 
キーワード:中山遺跡、漆塗り土器、捨て場遺構
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浜松市・松東遺跡 銅鐸破片が出土

2012年09月13日 | Weblog
 浜松市は12日、同市東区天竜川町の松東(まつひがし)遺跡から、弥生時代後期(約1900年前)の近畿式銅鐸の破片が出土したと発表した。 破片では国内最大級という。
 破片は銅鐸の鈕(ちゅう、つり手の一部)で幅25cm、高さ20cm。 折れ曲がっており、意図的に破壊されて穴に埋められたと考えられるという。 銅鐸の破砕行為を探る上で重要な発見としている。
 松東遺跡は天竜川駅北側にあり東西約200m、南北約100m。これまでに約1900年前の集落跡や銅鐸の破片が出土した。
 15日の午前10時と午後1時30に現地説明会が開かれる。
[参考・静岡新聞、中日新聞、毎日新聞]

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