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大津市・近江国府跡 国庁北側から建物跡が出土、役所跡か

2009年06月26日 | Weblog
 市教委は25日、近江国府跡(同市大江3丁目)の発掘現場から、奈良時代後期から平安時代初期の掘立柱建物跡が見つかったと発表した。約100年間で3回建て替えられており、古代の役所関連の建物とみられる。
 市教委は、近江国庁跡の北側からの発掘成果は少ないため、国府の全容を知るうえで貴重な資料としている。
 調査地は、国庁跡(同市大江6丁目)の中心から北約370mの宅地造成地で、100㎡の調査範囲から、直径10~20cmほどの約150個の柱穴が見つかった。
 柱穴の大きさや形状、配置などから、柱と柱の間隔がそれぞれ3mから2・2mの4棟の建物跡が確認され、同じ場所に重なっているため、8世紀後半から9世紀後半にかけ繰り返し建て替えられたとみられる。
 同時に瓦が出土していることや柱穴の間隔から、近江国庁関連の役所跡とみている。ただ、いずれも調査地の外側にまたがっており、建物全体の規模は確定できていない。
 調査地内からは大量の土器(灯明皿?)や硯、瓦も見つかっており、北東端の井戸からは、墨で「曽麻呂」と人名とみられる文字が書かれた須恵器もみつかった。
 現地説明会は27日午前10時半から行われる。(雨天決行)
[参考:京都新聞、中日新聞]

過去のニュース・情報
■2008.12.11 中路遺跡/近江国府跡、勢多(瀬田)唐橋につながる東西一直線の道路跡を確認

■2007.3.17 政庁の「中門」発見 築地塀も確認 大津・史跡近江国庁跡
 滋賀県教委は14日、史跡近江国庁跡から、政庁の正面玄関にあたる「中門」や門を囲う築地塀とみられる遺構が見つかったと発表した。
 近江国庁は奈良時代(8世紀)から平安中期(10世紀)まで政治、経済の中心的な機能を果たした。
 遺構が発見されたのは、政庁前殿から南へ約40mの地点。門の基礎部分にあたる基壇(東西約13・5m、南北約8・4m)の一部と門前方の礎石の据え付け柱跡4カ所があった。基礎部分は雨水で崩れないように瓦を敷き詰め、強度を高めた「瓦積み基壇」。柱跡は東西に並び、中心の2本の間隔は約3・9m、左右両側の間隔は約3mあった。
門の東側で確認された築地塀の幅は約3mあった。2度改修されており、当初の幅は約1・8mで、60cmずつ拡張した跡が確認された。
中門の南約100mのところには当時の主要街道「東山道」があったとされる。
[参考:京都新聞]


キーワード:近江国府跡・国庁跡

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