歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

高岡市・高岡城 石を二段に積んだ遺構を発掘 本丸御殿と関連のある建物跡の可能性

2012年07月28日 | Weblog
 高岡市教委は27日、高岡古城公園(同市古城)内にある射水神社の境内から、石を二段に積んだ遺構を発掘したと発表した。 本丸御殿と関連のある建物跡の可能性があるとしている。
[参考:中日新聞]

過去の関連ニュース・情報
2011.8.6 高岡市・高岡城 礎石を使った建物跡を発掘 本丸御殿の可能性も
 高岡古城公園の本丸広場から、礎石を使った建物跡を発掘 
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松江市・魚見塚古墳 6世紀後半築造か 出雲型子持壺の破片が出土

2012年07月27日 | Weblog
 島根県教委は26日、松江市橋北地区(注1)にある魚見塚古墳(同市朝酌町矢田、全長約62mの前方後円墳)について、初めての発掘調査で出土した須恵器の形などから、古墳時代後期(6世紀後半、550~575年)に築造された可能性が高いと発表した。
 橋北地区には同時期の古墳がなく、橋北地区一帯を統括する有力首長の墓の可能性があるとみている。
 6月5日から後円部周辺で長さ約10m、幅2mのトレンチを2カ所設定し調査した。その結果、出雲型子持壺と呼ばれる須恵器の破片、大甕、高杯など約200点が見つかった。出雲型子持壺は墳丘に立てられていた可能性があるという。
 古墳の周囲を廻る周溝、葺石や埴輪は存在しなかった。 後円部内部に未盗掘の横穴式石室がある可能性が高いという。
 現地説明会が28日午前11時~12時に開かれる。
[参考:中国新聞、毎日新聞、朝日新聞、日本海新聞、島根県HP]

(注1) 松江市中心市街地は、大橋川を挟み、松江橋北地区と松江橋南地区に区分される。

過去の関連ニュース・情報
 2010.8.27 松江市朝酌町・キコロジ遺跡 平安初期の「賀太」と書かれた墨書土器が多数出土

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橿原市・藤原宮跡 東方官衙地区で格式の高い礎石建物跡

2012年07月26日 | Weblog
 奈良文化財研究所が25日、藤原宮跡大極殿東側約300mの東方官衙地区で礎石を据えた東西6m以上、南北8m以上の建物跡が出土したと発表した。
 直径約1〜1.5mの礎石を据える穴がコの字形に7個並んでいた。 穴の内部には直径10~30cm程度の石が敷き詰められていた。
 調査地は、過去の調査では檜皮(ひわだ)や板葺とみられる掘っ立て柱建物跡が出土していたが、瓦屋根の可能性がある格式が高い礎石建物跡の出土は今回が初めてで、皇族が利用する建物があったのかもしれないとしている。
 調査地は近く埋め戻される予定で、現地説明会は開かれない。
[参考:毎日新聞、産経新聞、日経新聞]
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韓国寧越郡・正陽山城 統一新羅時代集水井発見

2012年07月25日 | 韓国の遺跡・古墳など
 寧越郡は、寧越邑正陽里鷄足山(계족산)南側裾にある5~6世紀三国時代の山城・正陽山城(정양산성、史跡 第446号)の第3次発掘調査で集水井(집수정)を確認したと24日発表した。
 これまで、韓国の山城で確認された統一新羅時代水門施設の中で最も完ぺきな形態の入水口施設という。
 集水井は平面形形状が正方形で北側を除いた残りの石垣は崩れたりしているが、排水路の役割をする水門施設は入水口、導水路、門座、水門石、上部水門枠まで完ぺきな形態で発掘された。
[参考:聨合ニュース]
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韓国・済州市・高山里先史遺跡 試掘調査で1万年前の遺構や遺物が多量出土 けつ状耳飾も

2012年07月25日 | 韓国の遺跡・古墳など
 済州文化遺産研究院は24日、韓半島で旧石器時代を終え新石器時代に入った1万年前頃の済州市高山里先史遺跡(고산리 선사유적、史跡412号)のうち約2万7千㎡で23ヶ所のトレンチ調査を実施した結果、3ヶ所のトレンチ以外の残り全てで住居跡などの遺構と各種土器・石器類遺物を多量に収集したと発表した。
<主な出土状況>
■円形住居跡10数基、竪穴遺構80数基、集石遺構10数基
■高山里式土器(고산리식 토기)、隆起文土器と無文様土器
■鏃、尖頭器、削器などの整形石器(完成品)
■けつ状耳飾(결상이식)1点
 ケツ状耳飾は、同じ済州では三陽洞遺跡(삼양동 유적)で出土したことがあり、江原文岩里遺跡(강원 문암리 유적)でも2点が収集されている。
[参考:聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報 <けつ状耳飾>
2011.5.4 釜山広域市加徳島新港予定地から、新石器前期代の人骨14体と玉製品4点が出土
 玉玦(옥결、けつ状耳飾)が4点出土
2011.2.17 釜山広域市加徳島新港予定地から、8千年前の新石器時代共同墓地を確認し、人骨26体が出土
 出土した玉玦は江原・文岩里遺跡で出土した玉玦と同じように、これまで韓半島で発見された最も早い時期の玉製品
2010.10.5 大田原市・片府田富士山遺跡 縄文時代草創期(約1万3千年前~1万年前)のけつ状耳飾が出土

(キーワード) 玦状耳飾、けつ状耳飾:결상이식、玉玦:옥결
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真岡市・市ノ塚遺跡 親鸞ゆかりの高田門徒の集落跡か

2012年07月21日 | Weblog
 とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センターが調査している真岡市高田の市ノ塚遺跡で、旧石器時代から室町時代の遺構がみつかった。 親鸞聖人ゆかりの「本寺 専修寺(せんじゅじ)」の門徒が居住したと思われる集落跡が出土して注目されている。
 調査地点は、現・専修寺(せんじゅじ)(注1)の約300m東側にあたり、室町時代の掘立柱建物跡9棟、井戸跡8基が確認された。井戸跡からは常滑焼の破片が見つかった。昨年は近くで、現在の区画に合う形で溝が見つかっており、今回の建物跡は専修寺の勢力下にあった高田門徒たちの集落とみられるという。
 このほか、旧石器時代の石器や、縄文時代早期(約1万500年前)の落とし穴4基、古墳時代の竪穴住居約30棟、奈良時代の倉庫と思われる掘立柱建物跡2棟も出土した。
 現地説明会は21日(土)の午前10時半と午後1時半に開かれる。
[読売新聞、下野新聞、CRT栃木放送]

(注1)本寺 高田山 専修寺 (栃木県真岡市高田1482)
 親鸞聖人は嘉禄元年(1225),この高田の地に草庵を建て、翌年(1226)如来堂を完工し、専修念仏の根本道場としたことが起源とされる。
 本尊は、一光三尊仏(中央に阿弥陀如来、左に勢至菩薩、右に観世音菩薩)で秘仏として如来堂の奥に安置される。
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沼津市・高尾山古墳 シンポジウムが22日(日)に開催

2012年07月18日 | Weblog
 沼津市東熊堂の高尾山古墳(旧辻畑古墳)の歴史的価値を考えるシンポジウムが22日(日)午後1時から、沼津市民又化センター小ホール(同市御幸町15-1)で開かれる。 主催は沼津市教育委員会文化財センター。
 入場料は無料、申し込みは不要としている。また、先着500人ともしている。
 7月14~23日は、同市民文化センター吹き抜けホールで「高尾山古墳パネル展」も開催される。
 市の学芸員と同古墳発掘調査報告書を執筆した専門家らが出土品などを元に、古墳の成立年代や当時の勢力図などを解説する。 また、調査の成果を写真やイラストで紹介する「高尾山古墳ガイドブック~スルガの王、大いに塚を造る~」を1部100円で販売する。・・・と静岡新聞では報じているが、肝心の沼津市からは詳細な情報が発信されていない。

 そんな折、今朝、今回の講演者の一人である愛知県埋蔵文化財センター副センター長・赤塚次郎さんのブログに、スケジュールが記載されていたので下記に転記させていただく。

13時05分~13時30分:「シンポジウムの主旨と発掘調査の成果」池谷信之
13時30分~14時05分:「弥生土器から古墳時代の土器へ−大廓式の成立を中心として−」渡井秀誉
14時10分~14時45分:「東駿河における初期古墳の成立」滝沢 誠
14時45分~15時00分 休憩
15時00分~15時35分:「高尾山古墳から見えてくる東海系文化」赤塚次郎
15時40分~16時15分:「高尾山古墳の評価と前方後方墳出現背景を考える」寺沢 薫
16時15分~16時35分:「質疑」
16時35分~16時45分:「総括」

[参考:2012.7.14静岡新聞、赤塚次郎さんのブログ]

過去の関連ニュース・情報
 2012.4.11 高尾山古墳(旧・辻畑古墳) 調査報告書に古墳築造230年説、250年説を併記
 高尾山古墳(旧辻畑古墳)
 三嶋大社

キーワード:高尾山(たかおさん)古墳
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トルコ・ビュクリュカレ遺跡 ヒッタイト時代の都市壁の跡を確認

2012年07月18日 | Weblog
  トルコ中部ビュクリュカレ遺跡で発掘中の中近東文化センター(東京都三鷹市)付属アナトリア考古学研究所(トルコ・カマン)は、同遺跡地下の磁気探査を行い、ヒッタイト時代(紀元前17~同13世紀ごろ)とみられる石造りの都市壁の跡を確認し、事前調査で南北約650m、東西約500mの都市の跡と推定していた遺跡の大きさがほぼ裏付けられたことを明らかにした。
[参考:共同通信、中近東文化センター付属アナトリア考古学研究所HP]

過去の関連ニュース・情報
 2010.12.25ビュクリュカレ遺跡 ヒッタイト時代のガラス容器が出土
  紀元前14世紀の宮殿とみられる建物の床の上で、当時ガラス製作の先端地域だったメソポタミアに匹敵する技術で作られたガラス容器の壺を発見
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岡山市・大森遺跡 縄文晩期、県内最大の石棒が出土

2012年07月14日 | Weblog
 岡山市教委は大森遺跡(同市北区大井・旧足守中学校地内)で縄文時代晩期の集落跡が見つかり、祭祀に使われた石棒(復元長さ70cm以上)が出土したと発表した。 長さ38cmで中心部で折れているが、県内最大の出土例という。
 石棒は川岸跡で出土し、同遺跡北側の丘陵裾野では縄文晩期の集落遺構が見つかった。 水の恵を守る祭祀に使用したとみられるとしている。
 現地説明会が15日(日)午後1時半から開かれる。
[参考:産経新聞、岡山市HP]

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長浜市・塩津港遺跡 平安後期12世紀中頃の石敷きの護岸跡を発見

2012年07月13日 | Weblog
 滋賀県文化財保護協会が12日、長浜市西浅井町塩津浜の塩津港遺跡(しおつこういせき)から、湖岸を埋め立てた平安時代後期(12世紀中頃)の石敷きの護岸跡と建物跡とみられる遺構が見つかったと発表した。 塩津港は、奈良時代から明治に琵琶湖の水運と北陸への陸路を結ぶ要衝だったことが、万葉集をはじめ多くの文献に記される。 当時は、平安京と北陸を結ぶ重要なルートであった。 中世の遺構の発見は初めてという。
 国道8号バイパス建設工事に伴う調査で、遺構は、湖に突き出た南北18m、東西14m(約250㎡)の埋め立て部。 護岸跡は、西側と南側で確認された。いずれも、幅約2・5m、長さ約7mで、直径30~10cmの石を敷き詰め、水際にあたる部分は、木杭と横矢板で土留めし、土砂、礫が何層にも重ねてあり、最大の高さは、湖面より1.5mにもなる。 同様の工法は、同じ時代に造られた京都市南区の鳥羽離宮でしか見つかっていないといい、塩津港の重要性がうかがわれる。
 陸側には1m四方の井戸跡のほか、地面に口を露出させて埋められた甕が見つかった。 甕は灯明用の油を入れていた可能性があるという。中国製の青白磁片や、船を建造するためのクギも出土した。 また、周辺には加工した石材も見つかっており、何らかの建物があった可能性がある。
 出土した土師器皿や甕から、12世紀中ごろの平安時代後期に造られたと判断した。
 平安後期の神社跡からは、木製の神像5体や、船形木製品、神への誓詞「起請文(きしょうもん)」が書かれた大量の木簡が出土している。 また、昨年末に見つかった柱の多くが湖面とは逆の北側に傾いていたことが分かり、1185年の大地震で損壊したとみられているとしていた。
 現地説明会が14日午後1時半から開かれる。
 7月21日から9月2日まで、県埋蔵文化財センター(大津市瀬田南大萱町)で調査成果を紹介する写真パネル展が開かれる。
[参考:中日新聞、読売新聞、京都新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2011.12.30 塩津港遺跡 平安時代末期の津波による痕跡か、一様に北側に傾いた柱跡が見つかる
 塩津港遺跡
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国立市・緑川東遺跡 縄文時代の敷石住居跡からほぼ完全な石棒4本が出土

2012年07月11日 | Weblog
 国立市教育委員会が10日、国立市の緑川東遺跡(国立市青柳3-7-6)で縄文時代の祭祀に使われたとされる石棒四本(長さ1.1m)が並んで、ほぼ完全な形で出土したと発表した。
 縄文時代中期末-後期初頭(4000年前)とみられる敷石住居跡(縦2m、横3mの楕円形)から発掘した。 石棒はその中に2本ずつ横に並べられた状態だった。
 石棒は通常、祭祀で使用され被熱や破損の状態で見つかるのがほとんどで、遺構の中で立ててある例が多い。今回のように寝ているものは例が少ないという。
[参考: 国立市HP、東京新聞]



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奈良市・西大寺旧境内出土の平安後期の腰刀2本を公開 

2012年07月10日 | Weblog
 奈良市教委は9日、07年度に実施した西大寺旧境内(同市西大寺南町)の発掘調査で発見された平安時代後期(12世紀後半)とみられる腰刀2本を公開した。
 腰刀は、全長49cmと27・2cmの2本で、黒漆塗りの鞘(さや)に収まった状態で発見された。 中国製の磁器とともに埋葬されていた。
 うち1本は、国内で出土した同時期の腰刀としては最も大きく、上級武士のものと推測できるという。 腰刀の柄(つか)や鞘の装飾の特徴が、伊勢平氏の関連人物の墓といわれている雲出島貫遺跡(くもづしまぬいせき、三重県明和町)で出土した腰刀と類似しており、今回見つかった腰刀についても、伊勢平氏に関わりのある身分の高い人物ではないかとみている。
 腰刀は、あわせて出土した磁器や轡(くつわ)などとともに8月31日まで市埋蔵文化財調査センター(同市大安寺西二丁目281番地)で公開している。

腰刀(こしがたな): 武家政治が始まった平安後期から、合戦用の長い刀とは違い、成人男性が生活や護身用に日常的に腰に差していた短い刀。
[参考:2012.7.10産経新聞、7.9NHKニュース、7.6毎日新聞]
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宮崎市・中須遺跡 約2000年前の木製の柄が付いた石斧が出土

2012年07月06日 | Weblog
 宮崎市教委は5日、同市阿波岐ヶ原町の中須遺跡で、木製の柄がついた弥生時代中期後半(約2000年前)の石斧が県内では初めて出土したと発表した。 これまで、全体が残った石斧が出土したのは、福岡県久留米市の正福寺遺跡(縄文時代後期、4千~3千年前)だけであった。
 木製の柄はアカガシの仲間で長さ70cm、最大幅9cm。 石斧の石の部分は砂岩とみられ、重さ1・1kg、長さ20・4cm、最大幅6・9cm。 柄に開けた穴に石を差し込み装着した。 形状から木の伐採に使用したとみられるという。 溝跡から見つかり、水分の多い湿った土壌のため木が腐らずに残ったとみられる。 遺跡は出土した土器の形状などから約2千年前と特定した。
 ほかに、鍬や杭など木製品が84点、土器が数百点出土した。
 出土した石斧は7月7日から8月5日まで宮崎市の生目の杜 遊古館(同市大字跡江)で一般公開される。
[参考:西日本新聞、読売新聞]
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姫路市・豊沢遺跡 弥生時代中~後期の集落跡が見つかる

2012年07月06日 | Weblog
 姫路市埋蔵文化財センターは5日、今年5月下旬から発掘調査中の私立・兵庫県播磨高校(女子高)の敷地(同市豊沢町)で、竪穴住居の遺構が見つかったと発表した。 住居は4棟以上あったとみられ、住居跡が見つかったのは初めてで、同遺跡が弥生時代中期から後期の集落跡であることが、裏付けられたとしている。
 見つかった遺構は、約5m四方の方形や直径約6mの円形など4棟以上の竪穴住居跡や柱穴約60基、土坑約10基。
 このほか、壺や高坏(たかつき)などの土器の破片や、石包丁の破片など農耕の器具も多数見つかった。
 現地説明会は開かれないが、今月15日~9月9日、同センター(同市四郷町)で今回の調査概要や出土品を紹介する。
[参考:読売新聞、NHK神戸]

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遼寧省瀋陽市 清朝初代皇帝ヌルハチ(弩爾哈赤)の王宮を発見か

2012年07月05日 | Weblog
 中国遼寧省瀋陽市は、清朝の開祖ヌルハチ(弩爾哈赤=努尔哈赤、1559-1626)が瀋陽故宮(清朝初代の皇居)を建立した場所。
 7月2日、同市北中街にある、清の予親王多鐸王府遺跡の北側約50mの地点で、清代の遺跡が見つかり、出土した緑釉瓦(绿釉瓦当)が親王宮で使われる建材と確認された。 この遺跡は300年以上前の清の「汗王宮」で、初代皇帝ヌルハチの早期の寝宮である可能性があるという。
【参考:新華社、毎日中国経済】

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