歴歩

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京都市中京区・右京三条三坊五町跡 新たに大型建物跡 「斎王」の邸宅?

2018年03月24日 | Weblog
 京都市埋蔵文化財研究所が23日、平安京で最大級の貴族邸宅とみられる平安時代前期(9世紀前半)の大型建物跡がみつかっていた同市中京区の島津製作所三条工場内で、さらに1棟の大型建物跡が出土したと発表した。
 「齋(斎)」と記された墨書土器もみつかり、伊勢神宮や賀茂神社に仕えた未婚の皇女「斎王(さいおう、斎宮〈さいくう〉、斎院〈さいいん〉)」の住まいだった可能性があるという。
 昨夏までの調査で東西21m、南北9mの大型建物跡を確認。その後の調査で、約12m北側から新たに東西⒕m、南北8.5mの大型建物跡が出土した。南北方向に大型建物2棟が並ぶ平安京で最大規模の邸宅だった可能性が強まっている。
 これまでの調査で、敷地面積が1町(約120m四方)規模だったとみられ、「三位(さんみ)」以上の高級貴族の邸宅だったと推定する。調査地内の南東でも過去の調査で大型建物跡が2棟みつかり、1町内に二つの大型建物の区画を持つ邸宅は平安京内では初めて。
 一方、調査地東側の溝から貴族や寺院の家政機関を示す「政所(まんどころ)」と書かれた須恵器の鉢や、「齋」と墨書された灰釉(かいゆう)陶器の皿が出土した。敷地内で住まいと事務棟が使い分けられていたとみられる。
 今回の調査地は、平安時代の宅地を記録した中世の「拾芥抄(しゅうがいしょう)」の古地図に、嵯峨天皇の皇子源融(とおる)(822~895)の別荘跡に建てられた棲霞(せいか)寺領と記されている。 調査地の400m北東の西京高(平安京右京三条二坊十六町跡)で2000年、9世紀後半~10世紀前半の「斎宮」と書かれた墨書土器が見つかり、伊勢神宮に奉仕した皇女「斎王(斎宮)」に関連するとみられている。
 現地説明会はないが、24日~5月27日、発掘成果の速報展が京都市考古資料館(同市上京区)である。
[参考: 京都新聞、朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 右京三条三坊五町跡


平安期の墨書土器に「斎」 京都で出土、斎王に関係か

平安京、新たに大型建物跡 未婚の皇女「斎王」の邸宅?
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茨木市・中河原遺跡 5棟の建物群を描いた弥生絵画を発見

2018年03月23日 | Weblog
 茨木市教育委員会が23日、同市の弥生時代の集落遺跡・中河原(なかがわら)遺跡で、弥生時代中期(約2千年前)とみられる切り妻屋根の高床建物5棟が描かれた土器片が見つかったと発表した。
 2016年⒒月から約1年間にわたる調査で、円形の穴から壺といっしょに建物が表現された土器片9点が出土した。破片を接合すると縦21.5cm、横25.5cm。この土器片も壺とみられる。
 大小5棟の高床建物はいずれも切り妻屋根で、神社の屋根の上に突き出た「千木(ちぎ)」のような棟飾りを持ち、数本の長い柱が屋根を支える構造だ。中央の建物は一回り小さく、その周りに両端が張り出した屋根を支える棟持(むなもち)柱を持つ建物や、はしごの架かった建物が並んでいる。
 切り妻屋根の建物だけが描かれており、豊作を祈る祭りが行われた稲倉だった可能性があるという。
 同じ構造と明瞭にわかる建物群が表現されている弥生絵画の発見は全国で初めて。
 5棟以上の建物が描かれた弥生絵画の土器は、奈良県橿原市の中曽司(なかぞし)遺跡と福岡県筑前町の大木(おおき)遺跡からの出土例があるが、建物の構造がはっきりとはわからない。一方、今回のように切り妻屋根の高床建物と鮮明にわかる弥生絵画は他にないという。
 絵画土器は、市立文化財資料館で28日から6月25日まで公開される。
[参考: 共同通信、:朝日新聞]


弥生土器に建物5棟の絵、大阪 豊作願う稲倉か

同構造の建物群描いた弥生絵画 初の発見、土器片に鮮明
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淡路市・舟木遺跡 弥生期の鉄製ヤスが近畿で初出土

2018年03月23日 | Weblog
 淡路市教委が22日、同市舟木にある弥生時代後期(1世紀~3世紀初頭)の山間地集落遺跡「舟木遺跡」(標高約150m)の発掘調査で鉄製のヤスが見つかったと発表した。
 弥生期の鉄製ヤスの出土は山陰地方や九州北部で例があるが、近畿地方や瀬戸内海沿岸地域では初めてという。
 「海の民」のネットワークがあったことを示す貴重な資料としている。
 出土した鉄製ヤスは長さ16.5cm、幅は最大1.4cmで全体が錆で覆われていた。エックス線写真で分析した結果、先端部が鋭くとがっており、「かえし」が見られた。「かえし」をつくるには高度な技術が必要で、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性があるという。
 また、釣り針など鉄製品104点や鍛冶工房とみられる竪穴建物跡などが見つかった。
 2016年度調査の出土品から確認された鉄製の釣り針は、弥生期としては、県内では会下山遺跡(芦屋市)に次いで2例目という。釣り針も、他から流通してきた可能性があるという。
 今回の調査で、3次元レーザーを使って上空から同遺跡の測量も実施し、地表面の起伏を詳細に分析した結果、遺跡の範囲が従来より北に約300mほど広がる可能性があることも分かった。
 調査成果の報告や出土遺物の展示が、25日午後1時半から同市小倉の北淡震災記念公園セミナーハウスで行われる。
[参考:神戸新聞、産経新聞、毎日新聞、NHK]

過去の関連ニュース・情報
 舟木遺跡


弥生期の鉄製ヤス出土 近畿初、「海の民」が流通担う?

<舟木遺跡>鉄製ヤスなど104点出土 弥生後期、海民集団との関係示す 淡路 /兵庫
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益田市・スクモ塚古墳 埴輪の形から5世紀前半築造と特定

2018年03月21日 | Weblog
 益田市教委はスクモ塚古墳(同市久城町)で、埴輪4体が出土したと発表した。また、出土した埴輪の形や製造法などから、古墳の築造時期が推定と同じ5世紀前半と裏付けられたとする。
 円筒形3体と朝顔形1体の埴輪の底部(直径30cm前後)が約80cm間隔で4体並んだ状態で出土した。古墳(高さ7m)の斜面の中ほどに巡るように設けられた平坦な段に並べて置かれていたという。円墳の墳頂部にも 埴輪のかけらが複数落ちており、埴輪が設置されていたという。 墳丘全体で葺石も確認された。
 1941年に造り出し付きの円墳(全長57m)として史跡指定されたが、史跡範囲内の発掘は初めて。 盛り土をしながら古墳が築造されていたことも判明した。 盛り土による築造は、地山の地形を生かして削る工法と比べて多くの人手を必要とする。 埴輪や葺石もあり、被葬者は中央とつながり持っていた可能性が高いという。
 同古墳は隣接した方墳と一体で、前方後円墳とする説もある。
 24日午前9時~10時半、現地説明会が開かれる。
[参考:毎日新聞、朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 スクモ塚古墳


<スクモ塚古墳>築造、5世紀前半と特定 史跡内を益田市教委発掘、埴輪の形から /島根
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鳥取市・青谷横木遺跡 木札に如来像の墨絵

2018年03月18日 | Weblog
 鳥取市の青谷横木(あおやよこぎ)遺跡で、仏の顔とみられる墨絵の描かれた木札が出土していたことが分かった。厄払いなどの祭祀に使われた木製人形(ひとがた)とみられる。
 県埋文センターによれば、木札(長さ18cm、幅3・1cm、厚さ6mm)は女子群像の板絵がみつかったときと同じ2015年度の調査で出土した。 木札の上部に表情が描かれていた。絵に描かれた顔の特報や衣装の表現などから、仏教の如来像が描かれた可能性が高いとする。木札の年代や木の種類は不詳だが、出土状況から7世紀末から10世紀後半とみられる。
[参考:朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 青谷横木遺跡"


ふくよか仏の顔、木札に墨絵 7〜10世紀の如来像か
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岡山市・津倉古墳 国産青銅鏡・鼉龍鏡(4世紀)が出土

2018年03月15日 | Weblog
 岡山大は14日、岡山市北区にある古墳時代前期の津倉古墳(全長39mの前方後方墳、4世紀)の竪穴式石室から青銅鏡が見つかったと発表した。
 津倉古墳は。後方部に竪穴式石室が二つあり、西側の石室(長さ約4m、幅約0・9m)を発掘した。
 鏡は直径約14cmで、日本で製作された「鼉龍鏡(だりゅうきょう)」と考えられ、割れて重なった状態で発見された。被葬者の頭部付近に置かれていたと推定できるという。
[参考:産経新聞]
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蓮田市・新井堀の内遺跡 甕に入った大量の埋蔵銭を発見

2018年03月11日 | Weblog
 埼玉県埋蔵文化財調査事業団は9日、昨年12月25日に「新井堀の内遺跡(あらいほりのうちいせき)」(蓮田市黒浜蓮田市大字黒浜1177番地他)で、常滑焼の大甕(口径60m、胴部最大径94m、高さ74m)に入った埋蔵銭を発見したと発表した。1つの甕の中から出土した古銭の量としては、過去に神奈川県鎌倉市で出土した約18万枚を抜き、国内最大の量となる可能性があるという。
 甕の上面から中国の唐時代の「開元通宝」(初鋳年621年)や明時代の「永楽通宝」(初鋳年1408年)など19種類の古銭を確認。埋設時期は永楽通宝が多く入っていることから15世紀以降としている。
 また、甕の中に「木簡」を発見。「二百六十」、「貫」などと書かれた可能性がある文字があることから、古銭が約26万枚入っている可能性もある。
 新井堀の内遺跡は別名「野口氏館」とも呼ばれ、中世の武家館跡として知られる。戦国時代の主は岩付(いわつき)城主・太田資正(すけまさ)の家臣・野口多門という伝承がある。
 今回の発見に伴い、14~18日に熊谷市の県文化財収蔵施設で特別公開する。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞]

 神奈川県鎌倉市で出土した事例とは、北鎌倉の臨済宗円覚寺派浄智寺の門前で常滑の甕とともに発見された「永楽通宝」18万枚のことか。 [参考:「都市鎌倉における渥美・常滑焼の使われ方」(鶴見大学 河野眞知郎 2013-10)]
 常滑焼の甕は今回出土の甕も同様で、大きさ、年代ともにほぼ似ている。


10万〜20万枚の埋蔵銭発見 埼玉・蓮田、1つのかめからは国内最大級
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奈良県上牧町・久渡7号墳 凝灰岩製の石棺の一部や土器が出土

2018年03月04日 | Weblog
 奈良県内市町村の埋蔵文化財担当者による2017年度の調査成果報告会が3日、宇陀市の市中央公民館で開かれ、上牧町の上牧久渡古墳群などついて発表された。
 同古墳群(3~7世紀)については、昨年6~10月に未調査だった7号墳や古墳時代前期の前方後円墳とされる1号墳などを発掘した。
 7号墳からは凝灰岩製の石棺の一部や土器が出土し、古墳時代後期の古墳であることが判明した。
 同古墳群ではこれまで7基が確認されていたが、新たに古墳時代後期の円墳とみられる8基目の古墳を確認した。
 また、1号墳の下層でも、1号墳より古いとみられる木棺を安置した石積みの埋葬施設を発見した。
[参考:読売新聞]

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 久渡古墳群
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