歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

宮城県山元町・合戦原遺跡 横穴墓群から7~8世紀に人や鳥を描いたとみられる線刻画が見つかる

2015年07月26日 | Weblog
 宮城県山元町教委は23日、同町高瀬の合戦原(かっせんはら)遺跡の横穴墓群から、7世紀の古墳時代末期から奈良時代に、人や鳥を描いたとみられる線刻画が見つかったと発表した。
 今回確認された横穴墓は計54基で、古墳時代終末期の7~8世紀に作られたとみられる。金箔で装飾されていたとみられる金銅製装飾付大刀(約1m)、銅製壺鐙、帯金具、鉄地金銅張杏葉などの埋葬品が出土した。
 線刻画が見つかったのは、このうち最大規模となる1基で、「玄室」(高さ1・7m、幅3・3m、奥行き3・0m)の壁に、線を刻んで絵が描かれていた。人や鳥などが複数確認された。太さの違う線が混在しており、追葬する際に描き足されたとみられる。7~8世紀に描かれた可能性が高いという。多彩な図柄が描かれた線刻画が見つかるのは東北地方で初めてとみられる。
 遺跡は25日午後1時から一般向けに公開される。
[参考:河北新報、読売新聞、山元町HP]


壁一面に人や鳥…集団移転先遺跡で線刻画発掘



キーワード:合戦原遺跡
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鹿児島県大崎町・永吉天神段遺跡 弥生中期の鉄鏃が南九州初出土

2015年07月19日 | Weblog
 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センターは16日、大崎町永吉の永吉天神段遺跡の二つの土坑墓から、弥生時代中期(約2100年前)の鉄鏃5点が見つかったと発表した。
 昨年7~8月に「土坑墓」から発見され、CTスキャンなどで解析した上で、吉ケ浦遺跡(福岡県太宰府市)と安永田遺跡(佐賀県鳥栖市)で見つかった9点と同時期で同型だと判断したという。南九州では初めてで、鉄製品としても県内最古級という。
 出土した鉄鏃4点は、二等辺三角形(全長約48mm、幅約24mm、厚さ2・4mm)で、もう1点は正三角形(全長32mm、幅17mm、厚さ7・5mm)で、「根鋏(ねばさみ)」が付いている。
 副葬品の場合、墓からまとまって出土する例が多いが、今回は墓の中にまとまって置かれていなかったことから、副葬品でなく被葬者に刺さっていた鉄鏃とみられる。
これまでに、弥生時代中期の集団墓や祭祀を行ったとみられる掘立柱建物跡などが認されている。
 センターは「当時の九州北部との交流や鉄の普及を解明する上で貴重な発見だ」としている。
 同センターは、今回見つかった鉄鏃を、霧島市の県上野原縄文の森展示館で17日から始まる企画展で公開する。8月14日まで(月曜休み)。
[参考:南日本新聞、西日本新聞、読売新聞、朝日新聞]

国内最古級の矢じり出土 被葬者に刺さった? 鹿児島
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明日香村・キトラ古墳 天文図は紀元前後中国で観測された星

2015年07月16日 | Weblog
 文化庁など(注1)は15日、奈良県明日香村の国特別史跡・キトラ古墳の石室天井に描かれていた天文図(西暦700年頃)(注2)について、星の位置関係を調べた結果、紀元前1世紀半ばと、紀元後4世紀に中国で観測された星が共に描かれている可能性があると発表した。 
(注1) 文化庁、奈良文化財研究所、中村士(つこう)・元帝京平成大教授(天文学史)、相馬充・国立天文台助教(位置天文学)らの共同研究。
(注2) キトラ古墳の天文図には68星座約350個の星とともに天の赤道、黄道、内規(常時観測できる天空)、外規(観測可能な天空)の4つの円が描かれ、世界最古の天文図とされる。


世界最古天文図によみがえる古代ロマン キトラ古墳壁画解析、秋に特別展
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高霊郡・主山城 百済技術で作った木槨庫を確認

2015年07月15日 | 韓国の遺跡・古墳など
 大同文化財研究院は14日、大伽耶の石垣山城である慶北高霊郡主山城(고령 주산성)内城(6世紀初期に築城)で、百済の技術で作られた食材を保管するために作ったと推定される大型地下保存施設・木槨庫(縦横各5m、深さ2m、 6世紀中頃)を確認したと発表した。
 このような木槨庫は公州 公山城、大田 鷄足山城、利川 雪城山城、錦山 栢嶺城、大田 月坪洞遺跡などの百済圏域で主に発掘され、伽耶圏域から出たことは初めてという。
 当時、大伽耶と百済が密接な交流をしており、木槨庫に使われた度量衡が百済で使われた南朝尺(1尺=25㎝)である点からみて、百済技術で作られた可能性が大きいと話した。
 木槨庫では、新羅が大伽耶を併合した後、火を付けたとみられる焼土と木炭とともに、6世紀後半新羅で製作された短脚高杯、短脚皿片も出土した。
 研究院関係者は木槨庫の確認は大伽耶が554年管山城戰鬪(注1)で敗れた後、親百済勢力によって支配されたという学説を後押しすると話している。
[参考:聯合ニュース]

(注1)管山城戦闘は554年百済と新羅が管山城、今の忠北、沃川で戦って新羅軍が百済軍を打ち破って百済聖王を殺した戦い。 その後、両国は百済が滅亡するまで敵対関係が続いた。

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京都市上京区・上京遺跡 出雲氏の屋敷とみられる建物跡が複数見つかる

2015年07月11日 | Weblog
 京都市の上京遺跡、上御霊(かみごりょう)神社北西隣のマンション建設予定地から、一辺約60~70cmの方形の柱穴が計5カ所出土した。出土した土器などから、出雲氏が全盛を誇った7世紀後半に建てられたとみている。
[参考:産経新聞]

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 出雲郷

一大勢力、出雲氏の建物跡か 京都・上京遺跡から出土



キーワード: 出雲郷、出雲氏
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長浜市・塩津港遺跡 12世紀の本格的港湾遺構が出土 日本最古の埋め立て港

2015年07月10日 | Weblog
 滋賀県文化財保護協会は9日、長浜市西浅井町塩津浜の塩津港遺跡から、平安時代後期(12世紀)の本格的な港湾施設の遺構(杭を打ち込んだ「垂直護岸」や石を敷き詰めた「傾斜護岸」など)が出土したと発表した。
[参考:京都新聞、産経新聞、中日新聞、読売新聞]

日本最古の埋め立て港確認 平安後期、琵琶湖の塩津港遺跡

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 塩津港遺跡
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大和郡山市・八条北遺跡 縄文人が身につけた耳栓が2個出土

2015年07月07日 | Weblog
 橿原考古学研究所が6日、大和郡山市八条町の八条北遺跡で集落のそばを流れる当時の川の中からで縄文人が身につけた土製の耳栓(じせん、耳飾り)が2個出土したと発表した。
 耳栓は鼓形で中央に穴があいたリング状。 大きさは、直径4cm、高さ1・5cm、重さ21gと直径3・7cm、高さ1・5cm、重さ19g。粘土を成形して焼き固め、表面に水銀朱を混ぜた朱漆(しゅうるし)を塗って仕上げていた。
 一緒に出土した土器から縄文時代後期後半(紀元前1500-1000)に使われたとみられる。
 耳栓は縄文時代中期(紀元前3000年)ごろから使われるようになり、東日本の遺跡を中心に数多く出土しているが、近畿ではこれまでに約100個ほどしか見つかっていない。県内では橿原遺跡(橿原市)など8遺跡で18個出土しており、今回分を含めると計20個になった。
 年齢とともに徐々に大きなものを装着し、魔よけや、集落でのステータスを表したものとみている。
18日から橿考研付属博物館(橿原市)で始まる発掘調査速報展「大和を掘る」で展示される。
[参考:読売新聞、産経新聞、毎日新聞、朝日新聞、奈良新聞、橿原考古学研究所HP]

<コメント>
 石の切目に耳たぶを挿し入れ、回転させて耳たぶにあけた穴にひっかける「けつ状耳飾」(玦状耳飾)というものもある。
<参考>
 けつ状耳飾
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香川県まんのう町・安造田東三号墳 モザイクガラス玉は西アジアササン朝ペルシャ産と判明

2015年07月02日 | Weblog
 まんのう町教委は30日、同町羽間の「安造田(あそだ)東三号墳」(注1)から1990年に出土したモザイク模様のガラス玉(直径1.45cm)が奈良文化財研究所(奈文研)の調査で、西アジアのササン朝ペルシャ(226-651)産と判明したと発表した。
 西アジア産のガラス玉は国内では他に宮城県で出土例(注2)があるのみで珍しいという。
(注1)安造田東三号墳:7世紀初頭築造、直径約12m、高さ約3.5mの円墳。1990年に発掘調査を実施し、約8mの横穴式石室のほぼ中央に堆積した土の中からモザイク玉、勾玉、子持ち高坏、鉄製馬具などが出土した。
(注2)宮城県涌谷町の追戸横穴墓群(7世紀後半~8世紀前半)出土のトンボ玉のことか?

 モザイク玉の分析は、奈文研が昨年8〜9月に実施。金太郎飴のように棒状の赤や白、青色のガラスを複数重ね合わせ、束ねたものを切断して丸める高度な技術が使われていたことが判明。さらにガラスの主成分のケイ素の溶融温度を下げるための融剤に植物の灰を使っていることも判明。ガラスの種類や着色方法の分析からササン朝ペルシャが生産地とみられるという。
 同古墳は南北と東西方向の2本の交流ルートが交差する位置にあり、交通の要衝を治めていた豪族が、自らも交流に関わることで高級品を所持できたと考えられるとしている。
[参考:共同通信、四国新聞、毎日新聞、RNC西日本、NHK高松]

備考:
 宮城県涌谷町の追戸横穴墓群出土のガラス玉はトンボ玉、まんのう町の安造田東三号墳出土のガラス玉はモザイク玉、モザイクガラス玉、モザイク模様ガラス玉などと読んでおり、名称がばらばらである。


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