歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

糸島市・三雲・井原遺跡 倭人伝を裏付ける? 最古級すずり片の2例目が出土

2016年09月29日 | Weblog
 福岡県糸島市教委は28日、昨年12月に弥生時代後期(1〜2世紀)とみられる硯の破片(*1)が見つかった三雲・井原(いわら)遺跡(糸島市)で、新たに別の硯の破片が発見されたと発表した。
 硯が複数発見されたことで、市教委は「伊都国で文書が作成されていた可能性がより強まった」とした。
 破片は板石状で5.4cm×3.9cm、厚さ5mm。*1と材質は同じ。2個の出土場所は15mほど離れていた。
 2個の硯は10月8日〜11月27日、伊都国歴史博物館(糸島市)で展示される。
[参考:毎日新聞、読売新聞]

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キーワード: 弥生硯
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扶余・陵山里古墳群 百済王陵級墓2基を確認

2016年09月22日 | 韓国の遺跡・古墳など
 韓国・文化財庁は20日、今年6月から扶余・陵山里古墳群(부여 능산리 고분군、史跡第14号) 4次発掘調査をした結果、2基の古墳が王陵級と確認したと発表した。百済の王陵級墓が発掘されたことは、武寧王陵(무령왕릉)以後、今回が初めてだ。
 陵山里古墳群には古墳17基があるが、追加発掘調査で、8号墳と10号墳が王陵級とみられることが新たにわかった。 2基の古墳は直径が15~20mであり、横穴式石室構造で造成されていた。王陵級とみられるのは、百済王陵級墓で確認される護石(호석・둘레돌)が囲まれているためである。 古墳入口から死体を安置する部屋まで通じる羨道から、漆とともに金で覆われた木棺片、金銅釘等も発見された。木棺は武寧王陵などで主に発見された高級木材であるコウヤマキ(금송、金松)で製作されたことが確認された。
 これまで存在が確認されていなかった古墳3基も今回の発掘調査で発見され、陵山里古墳群の古墳は合計20基に達した。
[参考:聯合ニュース、大田新聞、CAMニュースほか]

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 陵山里古墳群
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北本市・デーノタメ遺跡 関東最大級の縄文時代中期の環濠集落と判明

2016年09月21日 | Weblog
 北本市は8月22日、「デーノタメ遺跡」(同市下石戸下、約6万㎡(注1))で、縄文時代中期の集落が長さ210mを超す関東地方最大級の環状集落であると発表した。縄文後期の大規模集落が東側に隣接していた(一部が重なっていた)ことも新たに分かった。
 中期集落(約5000年前)の調査は2、3月に行われた。長さ210m、幅120mのドーナツ形で、中央に広場がある環状集落が明らかになった。
後期集落(約4000年前)の調査は6、7月に行われた。谷の形に沿うように丘の上に集落が広がっていた。長さ約170m、幅70mの半円形集落とわかった。
(注1)2009年2月の段階では、約4ヘクタール(=4万㎡)とみられていた。
[参考:2016.8.23埼玉新聞、2016.9.3産経新聞]

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 デーノタメ遺跡
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八尾市・東弓削遺跡 道鏡ゆかりの「由義寺」跡か

2016年09月16日 | Weblog
 「八尾市文化財調査研究会」は15日、東弓削(ひがしゆげ)遺跡(八尾市八尾木、東弓削ほか)の東弓削・都塚地区で、奈良時代後半に作られたとみられる大量の瓦が見つかったと発表した。 遺跡がある地区は、道鏡ゆかりの弓削氏がいた地で、一族の氏寺「弓削寺」があったと伝えられる。
周辺には道鏡が関わった「由義(ゆげ)寺」や、西京と位置づけられた「由義宮」が所在したと伝えられる。
 続日本紀には
  天平神護元年(765)十月三十日 幸弓削寺礼佛。奏唐高麗樂於庭。刑部卿從三位百濟王敬福等亦奏本國舞。
  天平神護元年(765)閏十月朔日 捨弓削寺食封二百戸。
  天平神護元年(765)閏十月二日 幸弓削寺礼佛。奏唐高麗樂。及黒山企師部舞。
  神護景雲三年(769)十月十七日 進幸由義宮。
  神護景雲三年(769)十月三十日 詔以由義宮爲西京。
  宝亀元年(770)四月朔日 造由義大宮司次官。
  宝亀元年(770)四月五日 詔造由義寺塔諸司人及雜工等九十五人。
などが記されている。
 奈良文化財研究所が確認したところ、興福寺式軒丸瓦や軒平瓦と同じ木型で作られたものや、東大寺式軒平瓦と文様が似た瓦もあった。由義寺の瓦と推定しており、寺の位置や規模の解明が期待される。
 現地説明会が18日午後1時~3時に開かれる。公益財団法人八尾市文化財調査研究会東弓削遺跡調査事務所にて
 出土遺物の速報展示が、9月19日~9月25日(日) 八尾市立歴史民俗資料館(八尾市千塚3丁目180-1)にて行われる。
 9月28日からは八尾市立埋蔵文化財センターで展示される。
[参考:毎日新聞、NHK関西ニュース、読売新聞、朝日新聞、八尾市文化財調査研究会HP]

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 由義寺(弓削寺)
 道鏡




キーワード:東弓削遺跡
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羅州市・丁村古墳 石室造成・盛土を同時進行など築造技法を確認

2016年09月09日 | 韓国の遺跡・古墳など
 国立羅州文化財研究所は5日、5世紀後半から7世紀初期までに作られた羅州市・丁村古墳の築造技術と構造を確認するための発掘調査を実施して、丁村古墳は1号石室造成と盛土作業を同時に進めて作った墓とわかったと発表した。
 このような築造技法は栄山江流域の古代墓では初めて確認された。
栄山江流域古墳は普通平地や低い丘陵にあるのに対して、丁村古墳は海抜112mの山斜面に単独で造成された。上部の土を削平し1,600㎡の広さの平坦な土地を固め、安定的に古墳を築く(積み重ねる)ために石室造成と盛土を一緒に行った。土の墓が流れないように外側の土は水平に固めて積み、築台を設置して古墳下部を補強した。
 今回の調査では1号石室と甕棺2基、木棺1基は同時代に造成され、以後に石室2基と石槨4基、甕棺4基が古墳中に追加されたことも分かった。
 1号石室(4.9x3.8x3m)の3Dデジタル写真が添付されており、石積みの壁と天井を構成した姿がよく確認される。また、そのドーム状は。思ったより天井の幅が狭く傾斜が強かった。
[参考:聯合ニュース他]

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 羅州市・丁村古墳


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天安市銅城山城、忠南地域最初の漢城百済土城を確認

2016年09月08日 | 韓国の遺跡・古墳など
忠南天安市銅城山城の発掘が山城の北側と西側城壁、城内地域一部で行われ、調査の結果、忠南地域最初の漢城首都期百済土築山城と確認された。
銅城山城は忠南、天安市と忠北、鎮川郡を結ぶ交通路に隣接したところにあり、동성산(銅城山、海抜高度237.8m)の頂上部を囲む鉢卷式山城である。全体周囲が約930mに達する。
城内頂上部では多数の家跡とくぼみなどが確認され、内部では、脚皿と硬質土器破片など4~5世紀の百済土器が集中出土した。
今回の発掘で、銅城山城の存在は漢城首都期百済勢力が馬韓の古土(過去の地域)に軍事的な進出があった直接的で明確な証拠である。
[参考:聯合ニュースほか]

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 忠南天安市山城





キーワード: 忠南天安市
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