歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

愛媛県鬼北町・興野々寺山遺跡 県内最大級の弥生集落跡

2010年08月28日 | Weblog
 愛媛県北宇和郡鬼北(きほく)町興野々(おきのの)の興野々寺山遺跡で、2世紀前半頃とみられる県内最大級の弥生集落跡が見つかったことが27日、町教委員への取材で分かった。
 同遺跡は広見川近くの丘陵地にあり、町教委が町内の遺跡分布を調べるため7月1日から調査していた。3.4~4.4m四方の方形住居跡が少なくとも6棟見つかり、住居跡などからは土器片も多数出土した。
 非田園地帯から大型集落跡が見つかったのは予想外という。
[参考:愛媛新聞]



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坂井市・豊原寺跡 無届工事で土器を多数破壊 発掘調査へ

2010年08月28日 | Weblog
 坂井市教委は9月下旬から、泰澄大師が大宝二年(702)に開いたとされる同市丸岡町豊原の豊原寺(とよはらじ)跡で発掘調査を行う。
 今月初旬に地元の森林組合が森林伐採の作業道を造成した際、寺跡内の白山神社跡近くで、土師器の皿など千枚以上の土器片が見つかった。大きさは7cmから10cmを超えるものまであった。調査期間はおよそ2週間。

 豊原寺は、勝山市の白山平泉寺とともに、白山信仰の拠点として栄え、中世には「豊原三千坊」と呼ばれるほど、多くの寺院が立ち並んでいたと伝えられる。だが、天正三年(1575)に織田信長に焼き払われた。
[参考:中日新聞]

過去の関連ニュース・情報
■2010.8.5朝日新聞より
豊原寺跡の一角で無届け工事、土器を多数破壊 坂井森林組合
 飛鳥時代から白山信仰の拠点として栄えた豊原寺跡の一角に今春、地元の坂井森林組合(あわら市)が文化財保護法に基づく届け出をしないで作業道を造成し、中世の土師器多数を破壊していたことが4日、分かった。
 4月21日に市文化課の職員が作業道を見つけ、県文化課と実態を調査。山肌を約5m削った場所もあり、現場には中世のものとみられる土師器片が多数散らばっている。

勝山市白山平泉寺
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浜松市・木船廃寺 白鳳時代の幻の寺の位置が確定

2010年08月28日 | Weblog
 浜松市は27日、「幻の寺」とも呼ばれていた木船(きぶね)廃寺の位置が確定されたと発表した。
 8月16日からの、保育園ルミーナ・プレスクール(同市東区和田町315)の建て替え工事に伴う発掘調査で、数千点の古代瓦が出土し、その形状や型式の特徴から、木船廃寺が同所にあったことが分かった。また、7世紀後半から8世紀後半まで100年近くの間、存続していたことも明らかになった。
 瓦はこれまで知られていたものとは異なる形の「軒丸瓦」や「軒平瓦」が発見された。奈良の有力寺院や平城京に使われていた瓦と似た、当時としては最新のデザインと技術を使っていることから、木船廃寺を建立し、維持した当地の有力者は中央政権と密接な関係を持っていたことがうかがえるという。
 現地説明会が29日(土)午前10時からと午後1時30分からの2回に分けて開かれる。
[参考:中日新聞]

過去のニュース・情報
 2010.2.21 楠木遺跡 市内で2番目の廃寺跡 多量の瓦片が出土

2011.10.4追記
 浜松市HPにて、現地説明会資料(PDF)が公開されている。
 主なポイントは、
□過去に、礎石が確認されている。
□古代の長田郡(長上郡)の役所に付随する施設とみられる。
□これまでに出土した瓦は飛鳥時代後期の特徴を備えていたが、今回出土した瓦には、奈良時代後半(8世紀後半)に下るものが含まれる。
 山田寺式、川原寺式、石川寺式、平城宮式、遠江国文寺に似た特徴の軒丸瓦が出土して、中央政権と密接な関係をもっていたことがうかがえるとしている。



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