奈良文化財研究所の発掘調査で、藤原京(694~710)の宮跡・大極殿院の南門付近で、運河跡(深さ1・7m以上、幅7~8m)が2か所確認され、南隣の朝堂院に続いていたことが確認された。
過去の調査で、約150m北の同院北側でも溝跡が見つかっており、運河が大極殿院内を貫通する形でつながり木材や石などの資材を運ぶのに使われていたらしい。
藤原京の造営の模様を歌った万葉集巻第一50に「藤原宮の役民(えのたみ)の作れる歌」には、大津市の田上(たなかみ)山から切り出した木材を筏(いかだ)に組み、氏河(宇治川)、泉の河(木津川)を通って運んだとある。
[参考:読売新聞]
過去の調査で、約150m北の同院北側でも溝跡が見つかっており、運河が大極殿院内を貫通する形でつながり木材や石などの資材を運ぶのに使われていたらしい。
藤原京の造営の模様を歌った万葉集巻第一50に「藤原宮の役民(えのたみ)の作れる歌」には、大津市の田上(たなかみ)山から切り出した木材を筏(いかだ)に組み、氏河(宇治川)、泉の河(木津川)を通って運んだとある。
[参考:読売新聞]