浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

フィリップ・ヒルシュホルンの思ひ出

2008年01月14日 | 提琴弾き
フィリップ・ヒルシュホルンといふ提琴家をご存知の方は少ないだらう。1967年、エリザベート王妃国際音楽コンクールで提琴部門優勝を勝ち取り、1996年にこれからといふ50歳の若さで癌に倒れ、帰らぬ人となった。ちなみに技ドン・くれめるはこの時の第3位だった。僕は、今から30年ほど前に、大阪国際フェスティバルで彼の演奏を聴いたことがある。

ヒルシュホルンは、客席からはやや音量不足に聴こえたが、奥ゆかしさを感じさせる響きと丹精で緊張感を持った音楽は正しく紳士の音楽だった。当日は、ブラームスとチャイコフスキーの大曲を2つ演奏するといふサービス精神旺盛なプログラムであり、伴奏は協奏曲では定評のあった森正指揮する大阪フィルハーモニーだった。

この演奏會は1976年5月13日に行われたものなので、ヒルシュホルンは丁度30歳になったところだ。若々しい演奏といふよりも少々神経質そうで線の細い演奏家に思へたが、今聴いてもやはり管絃樂がトゥッティで演奏するチャイコフスキーの終楽章での掛け合い場面などでは、提琴の存在がもう少し前に出てほしいもどかしさを感じる。スタジオ録音なら修正できるのだろうが、コンサート会場では物足りない。

当日のプログラムはもう手元に無い。ブラームスの方が先に演奏されたと記憶してゐるが、コンサートにつき物のハプニングは第1楽章で起こった。それは、半音階的にゼクエンツを繰り返すうちに半音か全音か分からなくなり、一瞬独奏提琴が消えるといふものである。演奏會とは面白いもので、演奏者と同じ場所でブレスし、間違えれば一緒にひやっとする、このライブ感覚がなんとも刺激的だ。32年前の記憶が蘇ってくる。

ブラームスの第3楽章はいろいろな意味で変わってゐたのを憶えてゐる。ティンパニーが異常な音量で存在感を示したり、提琴独奏のフレーズの最後の音を引っ張って強調してみせたり、ラプソディックな表現が印象的だった。

ヒルシュホルンも森正も、既にこの世には居ない。ヒルシュホルンのレコヲドは少なく、ベートーヴェン、ベルク、パガニーニの第1番、ルクーの奏鳴曲、ラヴェルのツィガーヌ、バッハの無伴奏ソナタ第2番など、CD数枚分しかカタログでは見当たらないやうだ。個人的な思ひ出として、大切にしまっておこうと思ふ。

コメント   この記事についてブログを書く
« ウィリー・ブルメスター 日... | トップ | ミッシャ・レヴィツキ リス... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

提琴弾き」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事