ナッキーです。
友人が「涙サプライズ」のレビューを読ませてくれました。
このブログに載せてもよいと、許可を頂いたので、紹介させていただきます。
AKB48の新曲「涙サプライズ」が大変お気に入りなのでレビューを書いてみます。
AKBのシングル曲はいずれも王道のアイドルソングで佳曲揃いですが、今回の曲は特にその印象が強い。
曲の内容は、高校生の女の子がクラスメイトに目隠しをされ、無理やり体育館に連行され不安一杯な気持ちのまま目隠しを外すと、その眼前に広がる光景は実はその子の誕生日のサプライズパーティーで大感激!というオチ。なかなかベタベタなストーリーです。アイドルじゃなきゃ絶対に歌に出来ない内容なのが高ポイント。
で、曲調は「連行されて不安」な部分がマイナーキー、「サプライズで大感激」の部分がメジャーキーと実にベタにわかりやすいのも高ポイント。
特に、マイナーキーの部分はトニック→サブドミナント→ドミナントセブンスのコード進行をわずか2小節単位で繰り返している。このタイト感・スピード感は歌詞内容と絶妙にマッチしていて素晴らしい。古くは、ほぼ同じコード進行とタイト感を持つ「誘惑アルファベット」(堀ちえみ)でも少女の揺れ動く心情がたたみかけるように描かれていて、数は少ないものの昔からある、割とオーソドックスな作曲手法なのですが、アキバ系最先端アイドルでこれを使っているところが何とも心地よい。
マイナーキーからメジャーキーへ移行する部分の無理矢理感はご愛嬌として、一転して曲調がパアァァァ!と明るくなって、みんなで「おめでとう!」を連呼する後半部分はアレンジのベタさも相俟って、もうこれは究極の学園アイドルソングという趣きに溢れています。
以上は曲作りについての印象ですが、この曲でいちばんぶっ飛んだのは実はPVなのです。
まさに歌詞通りのドラマ仕立てのPVなのですが、目隠しをされてサプライズを受けるのは前田敦子です。これでもかというほど前田敦子が全面に出てきます。これがスゴイ!。これまでのAKBのPVでも特定メンバーが強調されているものはありましたが、ここまで思い切ったものはありませんでした。
これは私の持論なのですが、アイドルソングとそうでない一般の曲との最大の違いは、「その曲の主人公は誰なのか」ということです。
例えばZARDの「負けないで」のような応援ソングは、主人公は「曲を聴いている私」です。例えば阿久悠が自ら最高傑作と言った「ジョニィへの伝言」の主人公は、阿久悠が描いた映画のような歌詞世界の中の女性です。歌っている高橋真梨子は歌詞世界の表現者ではあっても主人公ではありません。さだまさしの「関白宣言」を聴いて、「ああ、こういう亭主像を表現しているのだな」とは思っても、さだまさし本人から「オレより先に寝てはいけない」と言われた気になる女性は(たとえファンであっても)なかなかいないでしょう。つまり、一般の曲では歌手は歌詞世界を表現する語り部かメッセンジャーなのです。
ところが、これがアイドルとなると様相は一変します。「伊代はまだ16だから」は歌詞の主人公が松本伊代自身であることが明快ですが、「風が吹くたび気分も揺れる」のは歌詞世界に描かれた架空の少女ではなく、早見優自身です。「私、少女A」と言っているのは10代のつっぱり少女一般ではなく中森明菜自身だし、「ママの選ぶドレスは似合わない年頃」になったのはティーンの女の子一般ではなく岡田有希子自身です。つまり、「アイドルソングの主人公はアイドル自身」なのです。もちろん、アイドルソングであっても聴き手の生活や状況に即して聴き手の人生を彩るBGMになるのは当然ですが、根っこには「アイドルソングの主人公はアイドル自身」という不動の原則があります。
そういう、アイドルソングの歌い手と聴き手の暗黙の了解事項を、ある種際立った形で明らかにしたのが「アイドルはやめられない」と言い切った小泉今日子でしょう。
で「涙サプライズ」ですが、この曲のPVを見てしまうと、もはやこの曲は「AKB48の仲間達が前田敦子の誕生日をお祝いする曲」以外の何物でもなくなってしまいます。先に書いた小泉今日子とは違った形、即ちPV映像という形で、「アイドル自身が主人公」を強烈に示して見せた究極の作品だと言えるでしょう。同じAKBの曲でも「大声ダイヤモンド」はアイドル自身を主人公としながらも聴き手自身のBGMとしての一般的な告白ソングになり得る余地がある。「桜の花びらたち2008」や「10年桜」も同様に一般的な卒業式ソングになり得る余地がある。「涙サプライズ」もPVさえ見なければ一般的な誕生日ソングとなり得る余地があるかもしれない。でもPVを見たら最後、もうこれは前田敦子の誕生日ソングにしか見えないです。聴き手のBGMになり得る余地を全て掻き消すように前田敦子がガンガン全面に出てきます。こんなに強烈なアイドルソングに出会ったのは久々です。
完全にやられました。負けを認めます。感服しました。個人的にはこの曲が現時点でのAKB48の最高傑作です。
「涙サプライズ」のレビューに補足です。
この曲、PVを見てしまうと前田敦子を主人公にした曲にしか見えなくなると書きましたが、もちろんこれはAKB好きな人間としての目線です。PVなど見ない層にとっては十分に一般的な誕生日ソングだし、PVを観た人であっても「AKBは知ってるけどメンバー個々人までは識別してないよ」という層にとってはやはり十分に一般的な誕生日ソングであり続けるでしょう。言ってみればマニア向けにピンポイントで狙ってきてるわけで、「アイドル自身が主人公」を強烈に示して見せた究極の作品であることと、一般向けには普通の誕生日ソングであることの両立が図れていて、そこは見事な匙加減だと思いますね。
以上
友人が「涙サプライズ」のレビューを読ませてくれました。
このブログに載せてもよいと、許可を頂いたので、紹介させていただきます。
AKB48の新曲「涙サプライズ」が大変お気に入りなのでレビューを書いてみます。
AKBのシングル曲はいずれも王道のアイドルソングで佳曲揃いですが、今回の曲は特にその印象が強い。
曲の内容は、高校生の女の子がクラスメイトに目隠しをされ、無理やり体育館に連行され不安一杯な気持ちのまま目隠しを外すと、その眼前に広がる光景は実はその子の誕生日のサプライズパーティーで大感激!というオチ。なかなかベタベタなストーリーです。アイドルじゃなきゃ絶対に歌に出来ない内容なのが高ポイント。
で、曲調は「連行されて不安」な部分がマイナーキー、「サプライズで大感激」の部分がメジャーキーと実にベタにわかりやすいのも高ポイント。
特に、マイナーキーの部分はトニック→サブドミナント→ドミナントセブンスのコード進行をわずか2小節単位で繰り返している。このタイト感・スピード感は歌詞内容と絶妙にマッチしていて素晴らしい。古くは、ほぼ同じコード進行とタイト感を持つ「誘惑アルファベット」(堀ちえみ)でも少女の揺れ動く心情がたたみかけるように描かれていて、数は少ないものの昔からある、割とオーソドックスな作曲手法なのですが、アキバ系最先端アイドルでこれを使っているところが何とも心地よい。
マイナーキーからメジャーキーへ移行する部分の無理矢理感はご愛嬌として、一転して曲調がパアァァァ!と明るくなって、みんなで「おめでとう!」を連呼する後半部分はアレンジのベタさも相俟って、もうこれは究極の学園アイドルソングという趣きに溢れています。
以上は曲作りについての印象ですが、この曲でいちばんぶっ飛んだのは実はPVなのです。
まさに歌詞通りのドラマ仕立てのPVなのですが、目隠しをされてサプライズを受けるのは前田敦子です。これでもかというほど前田敦子が全面に出てきます。これがスゴイ!。これまでのAKBのPVでも特定メンバーが強調されているものはありましたが、ここまで思い切ったものはありませんでした。
これは私の持論なのですが、アイドルソングとそうでない一般の曲との最大の違いは、「その曲の主人公は誰なのか」ということです。
例えばZARDの「負けないで」のような応援ソングは、主人公は「曲を聴いている私」です。例えば阿久悠が自ら最高傑作と言った「ジョニィへの伝言」の主人公は、阿久悠が描いた映画のような歌詞世界の中の女性です。歌っている高橋真梨子は歌詞世界の表現者ではあっても主人公ではありません。さだまさしの「関白宣言」を聴いて、「ああ、こういう亭主像を表現しているのだな」とは思っても、さだまさし本人から「オレより先に寝てはいけない」と言われた気になる女性は(たとえファンであっても)なかなかいないでしょう。つまり、一般の曲では歌手は歌詞世界を表現する語り部かメッセンジャーなのです。
ところが、これがアイドルとなると様相は一変します。「伊代はまだ16だから」は歌詞の主人公が松本伊代自身であることが明快ですが、「風が吹くたび気分も揺れる」のは歌詞世界に描かれた架空の少女ではなく、早見優自身です。「私、少女A」と言っているのは10代のつっぱり少女一般ではなく中森明菜自身だし、「ママの選ぶドレスは似合わない年頃」になったのはティーンの女の子一般ではなく岡田有希子自身です。つまり、「アイドルソングの主人公はアイドル自身」なのです。もちろん、アイドルソングであっても聴き手の生活や状況に即して聴き手の人生を彩るBGMになるのは当然ですが、根っこには「アイドルソングの主人公はアイドル自身」という不動の原則があります。
そういう、アイドルソングの歌い手と聴き手の暗黙の了解事項を、ある種際立った形で明らかにしたのが「アイドルはやめられない」と言い切った小泉今日子でしょう。
で「涙サプライズ」ですが、この曲のPVを見てしまうと、もはやこの曲は「AKB48の仲間達が前田敦子の誕生日をお祝いする曲」以外の何物でもなくなってしまいます。先に書いた小泉今日子とは違った形、即ちPV映像という形で、「アイドル自身が主人公」を強烈に示して見せた究極の作品だと言えるでしょう。同じAKBの曲でも「大声ダイヤモンド」はアイドル自身を主人公としながらも聴き手自身のBGMとしての一般的な告白ソングになり得る余地がある。「桜の花びらたち2008」や「10年桜」も同様に一般的な卒業式ソングになり得る余地がある。「涙サプライズ」もPVさえ見なければ一般的な誕生日ソングとなり得る余地があるかもしれない。でもPVを見たら最後、もうこれは前田敦子の誕生日ソングにしか見えないです。聴き手のBGMになり得る余地を全て掻き消すように前田敦子がガンガン全面に出てきます。こんなに強烈なアイドルソングに出会ったのは久々です。
完全にやられました。負けを認めます。感服しました。個人的にはこの曲が現時点でのAKB48の最高傑作です。
「涙サプライズ」のレビューに補足です。
この曲、PVを見てしまうと前田敦子を主人公にした曲にしか見えなくなると書きましたが、もちろんこれはAKB好きな人間としての目線です。PVなど見ない層にとっては十分に一般的な誕生日ソングだし、PVを観た人であっても「AKBは知ってるけどメンバー個々人までは識別してないよ」という層にとってはやはり十分に一般的な誕生日ソングであり続けるでしょう。言ってみればマニア向けにピンポイントで狙ってきてるわけで、「アイドル自身が主人公」を強烈に示して見せた究極の作品であることと、一般向けには普通の誕生日ソングであることの両立が図れていて、そこは見事な匙加減だと思いますね。
以上