戦前の経済指標(経済成長)

2016年05月13日 | 歴史を尋ねる
 GDP(国内総生産)という統計はいつ、どこで、誰が発明したか、双日研究所の吉崎達彦氏が新聞のコラムでクイズを出している。正解は1942年の米商務省。第二次世界大戦中の米国は戦時遂行のための道具として国民所得推計を必要としていた。そこで生み出されたのが「国民総生産GNP」の概念であった。この作業の功労者となったのは、ノーベル経済学賞を受賞したサイモン・クズネッツ教授だと吉崎氏(コラムの趣旨はGDPという経済統計は時代遅れになっている)。ウキペディアで「国内総生産は『フロー』をあらわす指標であり、経済を総合的に把握する統計データで、GDPの伸び率が経済成長率に値する」とある。確かに、吉崎氏の指摘のように時代遅れになりつつあるのかもしれないが、戦後日本では経済活動を示す有力な経済指標であった。昭和27年、経済安定本部、財政金融局長の坂田泰二は序言で「国民所得統計は経済の総合的な現況の分析手段、あるいは経済政策樹立のために、きわめて有効なものとして最近とみに世人に注目を浴びるにいたった。この要請に応えて、我が国では終戦後、経済安定本部財政金融局に国民所得調査室を設けて、国民所得の推計に努力している」と記している。

 国民所得推計(その一種としてのGDP)は戦後作成されてきたのはわかったが、では戦前の日本経済の経済指標は何だったのか。佐藤朋彦氏によると、政府統計は大きく、一次統計と二次統計に二つに分かれる。そして一次統計がさらに「調査統計」(統計調査を実施して得られる統計)と「業務統計」(役所への届け出などから作成される統計:例えば貿易統計)に分かれる。次に二次統計は「加工統計」とも言われ、GDPとか景気動向指数とか。国づくりに必要な統計が整備されるようになったのは、明治政府になってからで、現在の総務省統計局の歴史は古く、明治4年太政官正院に政表課が置かれたことが始まりらしい。さらに大隈重信は参議大蔵卿として財政整理に当たっているうちに正確な統計の必要性を感じ、明治14年統計院設置を唱え、院長に自身が就任した。設立趣意書の冒頭に「現在の国勢を詳明せざれば、政府すなわち施政の便を失う。過去施政の結果を鑑照せざれば、政府その政策の利弊を知るに由なし」と記述されている。そして、この統計院はその後内閣統計局になった。
 統計院が設置されると統計年鑑の編纂事業が大きな課題となった。明治14年の政変などもあったが14年11月統計年鑑は完成し、翌年6月刊行された。内容は、1土地、2人口、3農業、4山林、5漁業、6鉱山、7工業、8通運、9銀行、10外国貿易、等々21項目。年鑑の名称はその後変遷が見られるが、昭和15年には統計の秘密保持が厳重になり、太平洋戦争勃発で年間も停止された。戦後統計年鑑の復刊が強く要望され昭和24年10月第一回日本統計年鑑が刊行された。その分野は27分野610表、本文1000頁に及ぶもので19国民所得が追加されている。経済の総合的現況分析手段である国民所得統計は終戦後ということになる(大戦前にも幾つかの推計は行われたと統計局の弁)。

 それでは戦前の経済指標(経済成長)を知る手がかりは、総務省統計局「日本長期統計総覧」に拠るようであるが、本川裕氏作成の「社会実情データ図録」経済成長率の推移(1886~2014)を覗いてみると、面白いことが分かる。(注)に~1930:粗国民支出(大川・高松・山本推計)実施値、1931~:実質国民総支出、1956~2014:内閣府SNAサイトとある。世界恐慌発生までは3氏の推計値、以降は国民総支出を算出、戦後は政府発表データ。http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4430.html http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4400.html

 この作表をした本川氏のコメント:戦前日本の(実質)経済成長率の推移で最も目立っているのは、変動が激しかった、1886~1944年までの59年間でマイナス成長は15回、1956年以降の戦後のグラフ(58年間)と比較すると6回で対照的である、と。尚、目を見張るのは、戦前期一番大きいマイナス成長は関東大震災年度と日露戦争終結年でマイナス4.6%、4.4%。昭和金融恐慌の年はプラス3.4%、昭和恐慌の昭和5,6年はそれぞれプラス1.1%、3.3%。あの日本経済史を揺るがした年がプラス成長とは驚きである。この事実は中村隆英氏の「昭和史」でも解説している。不況期の経済状況という作表で、昭和恐慌期の実質GNP指数は上昇している。一方で農産物価格指数、工業製品価格指数、輸出額とも1930~1931は大きく落ち込んでいる。そして中村氏は「この時期の不況を一言で特徴づければ、価格恐慌であった」と言っている。すべての価格がそれぞれ大幅に下落して、平均すれば約三割落ち込んだ。しかし、生産量は減少せず、むしろ若干強含みの感じであった。そのために、後年のGNPの推計は、名目GNPの大幅な下落と実質GNPの若干の下落、以後の急上昇という、特徴ある動きを示している、と。ふーむ、人為的要素が大きかったということか、次回その辺を掘り下げてみたい。