8月21日、南京の駐中国米大使スチュアートは、外交部長王世杰に招かれ意外な提案を受けた。手渡されたのは国務長官マーシャル宛の親書で、①対日講和の目的は極東のより強固な安定である。ソ連の講和会議参加は不可欠である。②ゆえにソ連提案を受け入れ、国連総会の際に四大国外相で対日講和会議条約を協議してはどうか、という内容だった。従来十一か国講和に賛成していた中国が、何故変心したのか、真意を訪ねると、「わが政府は、大連の解放問題があるのでソ連を刺激したくない」と。中国とソ連は、1945年8月14日、中ソ友好同盟条約を締結した。条約の中に大連、旅順両港を全ての国に開放する条項、また対日戦の場合は海軍基地として両国が共同使用する条項が含まれていた。そして、ソ連は条約締結の翌日に日本が降伏しても、日本との講和が成立していない、日本とは戦争中だという理由で、大連、旅順を軍政下に置き続けていた。王外交部長は、両港の返還を円滑にするために、対日講和に関するソ連の主張を尊重したい、と。大使はことは重大だと判断して、ワシントンに急報した。
国務次官ロベットは沈思した。外交部長の提言は、対日講和に関する連合国陣営からの中国の離脱を意味する。次官ロベットは国務省条約案に対するマッカーサー元帥の意見聴取を依頼すると共に、中国外交部長に対する返書と訓令を伝えた。部長が提案する四大国講和案は十一か国方式を崩壊させる可能性がある。大連問題はソ連が対日講和に参加しても急速な変化はない、と。他方、マッカーサー元帥からの電報を受理した。対日講和条約に対する修正意見は、①琉球諸島の日本への返還が規定されているが、同諸島は米国の西太平洋防衛の第一線として保持すべし。②占領軍を米大使の指揮下に置くのは不適当。③占領軍撤退後に新たな連合国軍を日本に導入するには、ソ連その他危険な勢力に軍事的足場を与え、米国の地位を危険にさらす。④大使会議による日本管理は、日本を自立させる講和の目的に反する。⑤対日二十五年間非武装協定を結ぼうとするのは、再武装の能力を持ちえない以上、非現実的である、等々。特に元帥は、講和の成立のため全対日戦参加国の批准が必要であり、不参加が見込まれる場合は再検討すべき、と。間接的に講和は急がぬ方が良いと、具申している。
第八軍司令官アイケルバーガー中将は、参謀総長アイゼンハワー元帥から将官昇進審査委員会のメンバーに選任されたので一時帰国するよう指示された。中将はかねて気にしている講和後の日本の治安問題について、マッカーサー元帥並びに日本側の意見を聞きたかった。マッカーサーとの面談はその機会が得られなかったが、日本側は横浜終戦連絡事務局長鈴木九萬から芦田外相の決裁を受けた覚書を受け取った。その内容は、米ソ関係を基礎に、米ソ関係が良好な場合、日本の独立保全は国連によって守られ、国内の治安も十分な警察力があれば維持できる。しかし米ソ関係が改善されず不安定な場合、(A)対外的安全保障 : 米ソ対立による世界不安状態では、国連による日本の保全は見込めず。①講和条約の実行の監視をかねて米軍が日本に駐留する。②日米間に特別の協定を結んで日本の防衛を米国に委任する。(1)日本の独立が脅威される時、米国はいつでも軍隊を進駐させ、日本に設けた軍事基地を利用する。(2)日本側はその軍事基地の建設、維持について極力米国側の要求を満足させる。この日米安全保障協定の存在は、日本に対する攻撃は米国への敵対行為にもなるので、日本の独立保全にとって特に有効と見做される。 (B)対内的安全保障 : 米ソ関係が悪化すれば、2・1ゼネストのような共産主義的の騒擾が繰り返され、その力が強まることが予想される。その対策は日本側のものである。日本政府は国内の共産化の防止のためあらゆる措置を講ずるが、やはり警察力の強化が必須である、と。 講和後の日本の安全保障は、第三国の侵略に備える日米特別協定と陸上及び海上の警察力の増強であると結論付けた。中将は局長の右手を握りしめて、言った。「自分は結局国連に大きな期待は掛けられぬと思う。書き物は飛行機の中でよく読み、米国に於ては各方面とも意見をよく交換して来たいと思う」と。
国務長官マーシャルは国務省顧問ボーレンに、ソ連の四大国拒否権方式に同調する中国の真意を確かめるよう指示した。王世杰部長は、①対日講和に関して、国民の手前、中国の国益の特権的地位を認められない条約作成を指示できない。②中国政府はソ連抜きの対日講和に不安を感じている。1945年の中ソ友好条約は対日単独不講和を約定しているので、中国が日本とのソ連抜き講和に参加すれば、ソ連は条約違反を理由に中国共産党を支持して、満州または中国北部に共産政権の樹立を図るかもしれない、と懸念を示し、ソ連との地理的関係上、危険をおかすのは賢明でない、と。結局、ボーレンは意向を国務長官に伝えるとしたが、王部長は記者会見で、中国はソ連と提携して、早急の予備会談に反対、自国の利益が認められるとの何らの保証なしに講和会議に臨めない、と。同じ日中国の人民評議会が政府に献策したと報道(UP電)、①対日講和は四大国会議で。②琉球諸島は中国に返還されねばならない。③対日講和会議は柳条湖事件の記念日に、奉天で開くのが至当。④講和後、日本は四大国による30年間の管理下に置かれる必要がある。⑤日本の君主国家としての存続を認めるが、天皇制は廃止されねばならない、と。 中国は共産陣営に入った、との国務省の反応が現れた。
9月27日、マッカーサー元帥、片山首相その他要人たちと会談した陸軍次官ドレイパーは記者会見で声明を発表、①敗戦国日本の破壊された経済と戦勝国米国の莫大な援助支出は、いまや長期には耐えられない問題になっている、②日本は速やかに経済を復興し、自分で費用を支払うべき、③講和条約調印は、太平洋全域の貿易と商業を促す最も重要な一歩となる、と。ここで日本人記者から一斉に質問があり、朝日新聞によれば、「日本は新憲法で戦備を放棄しているが、条約締結後日本への侵略があった場合どうなるか」と質問、次官は「講和条約の中に、日本を守るための適当な条項が盛り込まれると思う」 「どんな条項が入るのか」「諸国が研究し決定する問題だ」 「軍隊のない国としていかに治安を維持するか」「警察力が、占領軍引揚げ後の治安の維持に当ろう」 翌日の朝日新聞は「米陸軍次官対日講和方針を表明」と記事に見出しを付けた。ふーむ、当時をよみがえらせると、色々なことがみえてくる。当時の日本人はアメリカの当事者も含めて、新憲法9条に対する真剣な議論が浮かび上がる。当時の議論は専守防衛などという現在の甘い議論ではなく、日本の独立をどう維持するかという観点だ。なぜ独立維持という観点が抜け落ちたのか。多くの犠牲を払った大戦による厭戦心理が大きく働いていると思うが、そこに付け込んだイデオロギーが大きく影響しているのだろう。
10月14日、政策企画部長ケナンの対日講和についての覚書がマーシャル国務長官とロベット次官あてに届けられた。今回は、1943年に解消されたコミンテルンの後を継ぐコミンフォルム設置に見られるソ連の米国との対決政策による世界情勢を基礎にしている。さらに極東局長、次長、陸海軍省主務者、さらに元駐日大使グルーの意見も参照、対日講和に関する十項目の問題点と意見、韓国を述べたものであった。①講和時期:実質討議は先に延ばす、②議決方式:本問題の討議を来春に延ばす、③会議戦術:講和条約なしに日本に平和を与える手段を持っている。これは講和討議における主要な取り引き武器である、④領土:勧告(1)千島列島の最南部諸島は日本の保有とする、(2)小笠原諸島、火山列島、鳥島は米国の戦略的信託下に置く、(3)北緯29度以南の琉球列島について、米国の戦略的信託下に置く、或いは日本の名目的主権を認め、基地として長期貸与を受ける、⑤米国の安全保障:日本本土に基地を求めるかどうかの問題は、国際的な長期的政治考慮が必要、⑥日本の軍事的防衛:講和条約には非武装化を規定すべき、日本の安全保障は適切な米軍部隊に委ねられる、⑦日本の政治的経済的防衛:米占領軍の撤退と共に日本は政治的に独立すべき、日本の政治的独立が共産主義勢力の侵略に対する自己防衛要素になるが、それを支える不可分の要素が、安定した経済状態と繁栄への希望、⑧賠償:日本の現在の生産力の範囲内にとどめるべき、⑨産業の非武装化:飛行機の生産と海軍の復活は禁止されるが、民間航空と商船隊の活動は許されるべき、⑩講和条約の修正:将来の修正は認めるべき。 部長ケナンは早急にマッカーサー元帥と協議する高官を東京に派遣し、一方でソ連が世界戦略を確立した以上、米国も世界戦略を確定するのが先決だ、対日講和はその一部である。講和は遅らせても米国と世界の将来に後れを取ってはならない、という。ケナンが千島南部諸島に触れているのは興味深い。