対日講和と日米特別協定、満州の去就、アメリカの世界戦略

2020年07月27日 | 歴史を尋ねる

 8月21日、南京の駐中国米大使スチュアートは、外交部長王世杰に招かれ意外な提案を受けた。手渡されたのは国務長官マーシャル宛の親書で、①対日講和の目的は極東のより強固な安定である。ソ連の講和会議参加は不可欠である。②ゆえにソ連提案を受け入れ、国連総会の際に四大国外相で対日講和会議条約を協議してはどうか、という内容だった。従来十一か国講和に賛成していた中国が、何故変心したのか、真意を訪ねると、「わが政府は、大連の解放問題があるのでソ連を刺激したくない」と。中国とソ連は、1945年8月14日、中ソ友好同盟条約を締結した。条約の中に大連、旅順両港を全ての国に開放する条項、また対日戦の場合は海軍基地として両国が共同使用する条項が含まれていた。そして、ソ連は条約締結の翌日に日本が降伏しても、日本との講和が成立していない、日本とは戦争中だという理由で、大連、旅順を軍政下に置き続けていた。王外交部長は、両港の返還を円滑にするために、対日講和に関するソ連の主張を尊重したい、と。大使はことは重大だと判断して、ワシントンに急報した。

 国務次官ロベットは沈思した。外交部長の提言は、対日講和に関する連合国陣営からの中国の離脱を意味する。次官ロベットは国務省条約案に対するマッカーサー元帥の意見聴取を依頼すると共に、中国外交部長に対する返書と訓令を伝えた。部長が提案する四大国講和案は十一か国方式を崩壊させる可能性がある。大連問題はソ連が対日講和に参加しても急速な変化はない、と。他方、マッカーサー元帥からの電報を受理した。対日講和条約に対する修正意見は、①琉球諸島の日本への返還が規定されているが、同諸島は米国の西太平洋防衛の第一線として保持すべし。②占領軍を米大使の指揮下に置くのは不適当。③占領軍撤退後に新たな連合国軍を日本に導入するには、ソ連その他危険な勢力に軍事的足場を与え、米国の地位を危険にさらす。④大使会議による日本管理は、日本を自立させる講和の目的に反する。⑤対日二十五年間非武装協定を結ぼうとするのは、再武装の能力を持ちえない以上、非現実的である、等々。特に元帥は、講和の成立のため全対日戦参加国の批准が必要であり、不参加が見込まれる場合は再検討すべき、と。間接的に講和は急がぬ方が良いと、具申している。

 第八軍司令官アイケルバーガー中将は、参謀総長アイゼンハワー元帥から将官昇進審査委員会のメンバーに選任されたので一時帰国するよう指示された。中将はかねて気にしている講和後の日本の治安問題について、マッカーサー元帥並びに日本側の意見を聞きたかった。マッカーサーとの面談はその機会が得られなかったが、日本側は横浜終戦連絡事務局長鈴木九萬から芦田外相の決裁を受けた覚書を受け取った。その内容は、米ソ関係を基礎に、米ソ関係が良好な場合、日本の独立保全は国連によって守られ、国内の治安も十分な警察力があれば維持できる。しかし米ソ関係が改善されず不安定な場合、(A)対外的安全保障 : 米ソ対立による世界不安状態では、国連による日本の保全は見込めず。①講和条約の実行の監視をかねて米軍が日本に駐留する。②日米間に特別の協定を結んで日本の防衛を米国に委任する。(1)日本の独立が脅威される時、米国はいつでも軍隊を進駐させ、日本に設けた軍事基地を利用する。(2)日本側はその軍事基地の建設、維持について極力米国側の要求を満足させる。この日米安全保障協定の存在は、日本に対する攻撃は米国への敵対行為にもなるので、日本の独立保全にとって特に有効と見做される。 (B)対内的安全保障 : 米ソ関係が悪化すれば、2・1ゼネストのような共産主義的の騒擾が繰り返され、その力が強まることが予想される。その対策は日本側のものである。日本政府は国内の共産化の防止のためあらゆる措置を講ずるが、やはり警察力の強化が必須である、と。 講和後の日本の安全保障は、第三国の侵略に備える日米特別協定と陸上及び海上の警察力の増強であると結論付けた。中将は局長の右手を握りしめて、言った。「自分は結局国連に大きな期待は掛けられぬと思う。書き物は飛行機の中でよく読み、米国に於ては各方面とも意見をよく交換して来たいと思う」と。

 国務長官マーシャルは国務省顧問ボーレンに、ソ連の四大国拒否権方式に同調する中国の真意を確かめるよう指示した。王世杰部長は、①対日講和に関して、国民の手前、中国の国益の特権的地位を認められない条約作成を指示できない。②中国政府はソ連抜きの対日講和に不安を感じている。1945年の中ソ友好条約は対日単独不講和を約定しているので、中国が日本とのソ連抜き講和に参加すれば、ソ連は条約違反を理由に中国共産党を支持して、満州または中国北部に共産政権の樹立を図るかもしれない、と懸念を示し、ソ連との地理的関係上、危険をおかすのは賢明でない、と。結局、ボーレンは意向を国務長官に伝えるとしたが、王部長は記者会見で、中国はソ連と提携して、早急の予備会談に反対、自国の利益が認められるとの何らの保証なしに講和会議に臨めない、と。同じ日中国の人民評議会が政府に献策したと報道(UP電)、①対日講和は四大国会議で。②琉球諸島は中国に返還されねばならない。③対日講和会議は柳条湖事件の記念日に、奉天で開くのが至当。④講和後、日本は四大国による30年間の管理下に置かれる必要がある。⑤日本の君主国家としての存続を認めるが、天皇制は廃止されねばならない、と。 中国は共産陣営に入った、との国務省の反応が現れた。

 9月27日、マッカーサー元帥、片山首相その他要人たちと会談した陸軍次官ドレイパーは記者会見で声明を発表、①敗戦国日本の破壊された経済と戦勝国米国の莫大な援助支出は、いまや長期には耐えられない問題になっている、②日本は速やかに経済を復興し、自分で費用を支払うべき、③講和条約調印は、太平洋全域の貿易と商業を促す最も重要な一歩となる、と。ここで日本人記者から一斉に質問があり、朝日新聞によれば、「日本は新憲法で戦備を放棄しているが、条約締結後日本への侵略があった場合どうなるか」と質問、次官は「講和条約の中に、日本を守るための適当な条項が盛り込まれると思う」 「どんな条項が入るのか」「諸国が研究し決定する問題だ」 「軍隊のない国としていかに治安を維持するか」「警察力が、占領軍引揚げ後の治安の維持に当ろう」 翌日の朝日新聞は「米陸軍次官対日講和方針を表明」と記事に見出しを付けた。ふーむ、当時をよみがえらせると、色々なことがみえてくる。当時の日本人はアメリカの当事者も含めて、新憲法9条に対する真剣な議論が浮かび上がる。当時の議論は専守防衛などという現在の甘い議論ではなく、日本の独立をどう維持するかという観点だ。なぜ独立維持という観点が抜け落ちたのか。多くの犠牲を払った大戦による厭戦心理が大きく働いていると思うが、そこに付け込んだイデオロギーが大きく影響しているのだろう。

 10月14日、政策企画部長ケナンの対日講和についての覚書がマーシャル国務長官とロベット次官あてに届けられた。今回は、1943年に解消されたコミンテルンの後を継ぐコミンフォルム設置に見られるソ連の米国との対決政策による世界情勢を基礎にしている。さらに極東局長、次長、陸海軍省主務者、さらに元駐日大使グルーの意見も参照、対日講和に関する十項目の問題点と意見、韓国を述べたものであった。①講和時期:実質討議は先に延ばす、②議決方式:本問題の討議を来春に延ばす、③会議戦術:講和条約なしに日本に平和を与える手段を持っている。これは講和討議における主要な取り引き武器である、④領土:勧告(1)千島列島の最南部諸島は日本の保有とする、(2)小笠原諸島、火山列島、鳥島は米国の戦略的信託下に置く、(3)北緯29度以南の琉球列島について、米国の戦略的信託下に置く、或いは日本の名目的主権を認め、基地として長期貸与を受ける、⑤米国の安全保障:日本本土に基地を求めるかどうかの問題は、国際的な長期的政治考慮が必要、⑥日本の軍事的防衛:講和条約には非武装化を規定すべき、日本の安全保障は適切な米軍部隊に委ねられる、⑦日本の政治的経済的防衛:米占領軍の撤退と共に日本は政治的に独立すべき、日本の政治的独立が共産主義勢力の侵略に対する自己防衛要素になるが、それを支える不可分の要素が、安定した経済状態と繁栄への希望、⑧賠償:日本の現在の生産力の範囲内にとどめるべき、⑨産業の非武装化:飛行機の生産と海軍の復活は禁止されるが、民間航空と商船隊の活動は許されるべき、⑩講和条約の修正:将来の修正は認めるべき。 部長ケナンは早急にマッカーサー元帥と協議する高官を東京に派遣し、一方でソ連が世界戦略を確立した以上、米国も世界戦略を確定するのが先決だ、対日講和はその一部である。講和は遅らせても米国と世界の将来に後れを取ってはならない、という。ケナンが千島南部諸島に触れているのは興味深い。

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「ボートン(国務省東北アジア課長)条約案」を廃し、G・ケナンの世界戦略を

2020年07月23日 | 歴史を尋ねる

 7月16日、米国務省は十一か国による対日講和予備会議を招集する旨を発表した。首相片山哲は、通信社のインタビューに答えて「それは良かった。政府としては論評の用意がないが、このニュースは日本国民と政府を平和確立を目指す統一戦線に結集するであろう」と。朝日新聞の社説は、待望すること久しかった講和会議がいよいよ軌道に乗りつつあることを物語る。とくに十一か国参加と三分の二多数決方式の二点は民主的講和会議を期待させる。ただ日本を全ての制約から解放することを意味しない。日本の将来の行き方の枠と方向を示すことにすぎない。いかに生きて行くかは日本人自身の問題だ、と。

 7月23日、ソ連外相モロトフは、対日戦についても日本の戦後処理についても、四大国が協力一致して方針を定めてきた。対日平和条約起草会議が事前協議なしに米国に一方的に決定されることには同意できない、まずは四国外相会議が必要、と。翌24日、外相芦田均は首相片山哲に、至急米国側に講和に関する日本側の希望を伝えておくべきだと説き、首相も同意した。26日、芦田外相は総司令部外交局長アチソンを往訪した。「日本政府は希望する諸点につき簡単な要領書を作成し持参した。これをご覧の上国務省へお伝え願いたい」と。外交局長アチソンは略読したのち、有難う、左様取り扱いましょう、と。28日、芦田外相は民政局長ホイットニー准将を訪問、要領書を手渡したが、これらの内容ははマッカーサーの念頭にある、日本としては現在が最も慎重を要する時期であると准将。外相は日本に立場を訴えて、最終的には受理された。外相は安心したが、すぐにアチソン、ホイットニーから相次いで電話、訪問すると、アチソンは文書は受け取れない、日本は討議による平和会議を期待しているようだが、それはアメリカとして困る、希望の表明と雖も今日このような文書を提出されるとそれ自体が日本人の態度が尊大であると解釈される恐れがある、日本の為にならない、と。一方アチソンを訪問すると、この書類をマッカーサー元帥に見せた、元帥の意見では日本は平和会議に於て条約を課される立場にある、今日の場合、たとえ非公式とはいえこのような書類を受け取ることは、他の列国とくに日本に反対の国を刺激して日本の為に不利を招く、と。芦田は、日本は沈黙して平和会議の幕が開かれるまで待つことが賢明であるとのご意見であると了解した。いずれ一度は日本の意見も開陳する機会があろうから、その時まで慎重な態度をとることにしよう。アメリカの公正な精神に期待して、差し当たり沈黙を続けようと思う、と。准将はそれが最も賢明なやり口だ、と。

 8月11日、芦田外相は対日理事会英国代表ボールを訪ねた。ボールはオーストラリア人で、近くオーストラリアでの英連邦会議に出席するため、帰国する。対日講和会議の十一か国のうち、英連邦諸国は五か国、ボールを味方に出来れば英連邦諸国への影響力も強く、米国に対する説得効果も期待できる、外相はこう考えて代表ボールと向き合った。「来るべき講和会議について日本人も多大の関心を持っている。わが国の一般感情とも言うべきものを要約した書類を用意したがこれは政府の覚書でもなく、また公文書でもない、興味があれば読んで欲しい」と外相。アメリカ総司令部に提示した要領書とほぼ同じ内容、代表ボールは警察力と領土ついて意見を求めた。外相は東京、大阪などの都市の治安のために軽機関銃程度の装備を持つ警察が必要、領土については色丹、奄美大島等に関心がある旨応えた。 すでに7月31日、片山首相と芦田外相は日本訪問中のオーストラリア外相エバットと会談、オーストラリアへのアピールを行っていた。8月12日、エバット外相がオーストラリアに帰着すると、「今や対日講和への道が開かれた。これは太平洋の安全保障にとって重要な基礎となるであろう」と声明を発表。ワシントンの国務省を喜ばせた。

 9月8日予備会議に向けて北東アジア課が用意した講和条約第二次案に対する関係部局の意見の提出期限が迫っていた。課長ボートンは条約案に異議はないものと推理していたが、予想外の意見書が政策企画部長G・ケナンから国務次官R・ロベットに届き、課長ボートンは瞠目した。ケナンの意見書には、同部員デイビスの所見が添付され、対日講和に関する米国に基本方針につき、「日本を太平洋経済圏の中で安定した親米国、必要があれば頼り甲斐のある同盟国にすること、それを中心目的にすべきである」 この目的に照合すると、ボートン条約案は、ソ連を含む国際監視の継続による日本の非軍事化、民主化にとらわれ過ぎている、日本が将来第一級軍事国として復活することは不可能、軍事的には、日本はいずれかの大国の衛星軌道に引き込まれる。ソ連は監視の負担を米国に押し付け、日本をソ連型全体主義化する陰謀を企図することが考えられる。ボートン条約案が、講和条約後に占領軍は撤兵し、その後の日本の治安は小火器しか持たぬ警察に委ねられると定めている以上、ソ連によるクーデターの発生は容易であろう、ゆえにボートン条約案は米国の日本及び太平洋政策に照合して再検討されるべきだ、と。部長ケナンは、われわれがなにを成就すべきか正確に理解しないで平和条約の討議に入るのは、極めて危険である、この問題が組織的に熟議され、高級レベルで米国の目的が合意され、平和条約案がそれらの目的に厳格に合致されるまで、予備会談の開始を延期するようこころみるべきである、と。ふーん、大胆な提言だ、これがアメリカの戦略決定の凄さだ。児島は解説する、世界は米ソ対立の冷戦時代に入っている、旧敵国との戦争状態を終結するためだけではなく、米国と平和の将来を基礎にした世界戦略の立場から対日講和条約を考えねばならぬ、ソ連専門家として知られる部長ケナンらしい進言で、国務次官ロベットはうなずいた、と。ボートン条約案を北東アジア課長ボートンに返却し、メモを部長ケナンに送った、「私は現在の形では不適当だという理由で条約案をボートンに返却した。貴下の意見は推進される。ロベット」

 

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萩原条約局長の建言に沿った芦田外相の記者会見

2020年07月16日 | 歴史を尋ねる

 6月4日、芦田外相は総司令部のマッカーサー元帥に対面した。マッカーサー詣でと称される就任挨拶だった。会談は通訳抜きで行われた。外相は日本が困窮と混乱から救われたのは元帥の寛容と政治的手腕によるものであると、萩原徹の講和建白趣旨を念頭にいれながら、感謝の言葉を述べると、元帥は過分の言葉を謝すといって、戦争による被害と困難は戦勝国も同じといいながら、日本の危機は闇市とインフレである、闇市を取り締まるのが急務だと指摘。外相は食料さえ十分ならヤミは解消すると応えると、元帥は150万トンの食料輸入を認める、それで大丈夫かという。それで切り抜け得る、しかし日本が自活することは貿易再開が最も近道、と応え、話題を講和に誘導しようとした。だが元帥は、貿易再開も日本の食生活問題の解決も一方法だが、正しき配給が重要であると元帥。そして、自分の父が観戦した日露戦争当時の日本人が身につけていた規律と服従の美徳が損なわれていると指摘、幣原内閣、吉田内閣も悪い内閣とは思わないが、大衆に受け入れられなかった。片山君は人民の中から出た人だから、恐らく大衆の支持を受けるとおもう、と。話題を変えて元帥は、日本人の中には総司令部の真意を理解しない者がいる、自分の方針は天皇の地位を擁護し、日本の健全な発達を念願する以外に何もない、と。外相は、判断力のある日本人は総司令部の真意を誤解していない、元帥のドイツの惨状説明に応じて、日本人も米軍占領下にあることが遥かに仕合せであることを承知していると応えて会談は終了した。この日の芦田外相の日記には、45分ばかりの長広舌に見舞われた、と。結局講和の話題に及ばなかった。

 翌日、芦田外相は、官邸で外人記者団と会見した。テーマは講和問題だった。講和条約の内容については日本側が重要とみなす諸問題とそれに対する所見がある、と外相は切り出した。「領土」: 日本としては、本土付近の小島とくに沖縄と千島南部諸島を返還して貰いたい。沖縄は日本国民の感情から保有を願い、千島はソ連の参戦の代償として占有を許したのだから平和後は返還されるべきである。 「国内治安」: 講和条約締結後は国内の治安は日本の手で保たねばならない。連合国が必要な警察力を認め機関銃と自動小銃といった武装を許してくれれば治安は維持できる。 「安保保障」: 日本は再軍備を考えない。この問題は戦争と軍備の放棄を定めた憲法で解決済みである。ゆえに、日本は外敵に対する安全の保障を国連に求め、講和条約で加盟を約束して貰いたい。 「漁業権」: 日本が講和条約の交渉中に近海の漁業権を要求することはない。 「移民」: 日本は人口問題の解決のために外国に移民したいと考えるが、これは講和条約締結後の問題である。 「講和後の日本管理」: 講和とその後の管理は矛盾した概念である。マッカーサー元帥は講和後の駐兵や銃剣による管理に反対する旨を言明している。日本はこの言葉に信頼する。 「賠償」:  連合国は、第一次大戦後のドイツに金マルクによる賠償を課したが、そのような現金賠償は日本に要求されていない。この問題は日本の復興と組み合わせた現実的解決が図られるものと期待している。     こうして、前日のマッカーサー元帥との会見で果たせなかった日本側の講和条約に対する最初の希望意見を表明した。

 早速、連合国側の反響が伝わって来た。ソヴィエトはプラウダ紙で、帝国主義者芦田と痛罵した。英外務省スポークスマンは、千島のソ連への割譲はヤルタ秘密協定に基づくもので、英政府はこれを最後的決定と見做しており、講和条約で再確認する必要はない、と。米政府当局者は、講和会議で旧日本領土の処分が論議の対象になる可能性は少ない、沖縄千島についてもそれぞれ米国とソ連に所属することの反対は出ない、と語った。講和条約が一方的なものであり、現実に希望がかなえられないにせよ、日本に国家として意思があることの表示であり、連合国側になにがしかの影響を与える筈である、外相と外務省は第一矢を放ったことに満足した、と児島襄。たしかに沖縄はその後返還された、萩原は、どの国と一体化するかを決めて平和会議に臨むべし、と言い切ったが、それが沖縄と千島の運命を分けたか。萩原の言葉の亡霊がまだ生きているということだ。

 6月8日、シンガポール放送は、マーシャル国務長官は対日講和について交渉開始の時期を決めていないが、近く連合諸国に提示されると報道。6月10日、国務省極東局長J・ヴィンセントは対日講和に関する予備会議についての協議を英、ソ連に申入れるつもり、外交委員会で述べた。同じ日、総司令部は特別発表を行った。①マッカーサー元帥は8月15日から対日民間貿易の再開を許可する。②今回の措置は対日経済封鎖の緩和に留まり、正常な貿易は平和回復を待って実現する。③訪日する各国の民間貿易代表は四百人以内とする。④外国為替レートは設定せず、価格は総司令部の商品専門家が決定する。価格はドル建てにするが、他の受け取り得る通貨も使用可能とする。⑤政府間取引も民間貿易と並行して行われる。⑥すでに契約済みの生糸、綿織物、お茶は対象にしない。⑦取引履行後の全責任は日本政府が負う。 マッカーサー元帥の談話も発表された。「この制限された措置は単に緩和的なものにすぎないが、平和条約締結の日までになし得る最善の手段だろう。完全な経済的解決は平和条約によってのみ達成されるものであり、その実現が早ければ早いほど日本のみならず世界にとって好ましいことである」 講和と経済的自立は不可分だというのが、マッカーサー元帥の持論であった。

 6月16日、モスクワ外相会議の失敗により西欧民主主義と全体主義ソ連との戦争が不可避だと説が広まっていたが、海軍長官J・フォレスタルは対日独講和の促進の必要を声明し、自分はこの説に同調しない、ドイツと日本との講和が実現すれば、世界の平和の基礎が確立される、と。 同日、英政府は、対日講和会議の開催時期は不明、今秋の対独講和を討議する四国外相会議が終わらぬうちに、大国が対日講和問題に主力を注ぐのは事実上困難である、と。 6月22日、総司令部が第二次南氷洋捕鯨を許可する、と。前年、日本人のために約一万一千トンのたんぱく質食料をもたらし、世界市場に一万二千トン以上の鯨油、ビタミンA及びDを含む食用油を供給したから。マーシャル国務長官も声明し、「この措置は米国の対日食料供給の負担、すなわち納税者の負担を軽減させるためのものである」と。日本にとって食料不足が少しでも解消し、国家の収入を確保できるのは結構なことである。片山首相は「最高司令官の御厚意に対し深く感謝する」 芦田外相も「日本人に非常な安心を与える発布である」と。

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講和条約は日本の運命を決定する。日本の主張を可能な限り反映させなければ

2020年07月15日 | 歴史を尋ねる

 マッカーサー声明は、批判の対象になった。アイケルバーガー中将が言うには、マッカーサーが好むのは、ワシントンの意向を予め知っておき、自分が最初の発案者の地位を先取りすることが、彼の特技だ、と。しかしマッカーサー元帥は国務省と連絡をとっていなかった。委員長のボートン日本課長が説明にため訪日中だった。声明はその草案の一部を引用していた。国務省幹部に取材すると、いずれも講和はドイツの後に日本、対ドイツ講和条約は一年以内に締結される見込みはない、従って対日講和はその時期に成就する見通しもない、ときっぱり言明された。突然に日本管理の責任を押し付けられた国連の反応も冷たかった。旧敵国を管理できる機関を国連内に求めるとすれば、信託領理事会か安保理事会、だが信託領理事会の対象は政府をもたぬ旧植民地だった。安保理事会が適役だが、常任理事国は拒否権を持つ、五大国の協調がなければ対日管理は遂行できない、現状は連合国最高司令官の独占の下にあり、日本の将来について、その役割を考える立場にない、と。

 酷評を受けた形の元帥は、国務省を鞭撻すべきと考え、外交局長アチソンと協議し、ボートン案の第五章、第六章に反駁する覚書を作成、日本は講和を迎える準備が整っているとの持説をくり返し、①日本の民主化は講和による平和と独立がなければ、完成されない。②日本が現在の経済危機を切り抜けて経済的に自立し、米国の負担を軽減するためには、占領による経済封鎖状態から脱却せねばならぬ。それを可能にするのは、講和条約の締結以外にはない、と。国務省は即応しなかった。長官G・マーシャルはモスクワの四国外相会議に出席中で、当面覚書検討の機会がなかった。日本はそのころちょうど総選挙を行っていた。選挙結果は社会党143、自民党131、民主党126、国民協同党31、共産党4、ほか31。社会党書記長西尾末広は新聞記者から社会党が第一党になったという開票結果を告げられ、「本当かい、君。そいつぁ、えらいこっちゃあ」。この時期、モスクワ四国外相会議の決裂が報道された。ドイツ問題の処理で行き詰り、11月にロンドンで再開することを決めて、閉幕した。AP電はすかさず、これで対日講和が早まる可能性は少ない、と。

 米国務省は、講和条約締結国の範囲で苦慮していた。日本との交戦国は十一か国、米、英、仏、ソ連、中国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、オランダ、インド、フィリピン、対日戦勝連合国と呼ばれている。しかし、これら諸国の日本との戦いの規模、流血の程度、国土と国民が受けた被害などはそれぞれに相違する。対日戦は連合国の勝利だという建前で十一か国を平等に扱うのは、却って一部の不満をまねき、連合国の結束を乱す、戦争中から大国中心の世界運営の合意が成立している点から、対日講和がその後の日本管理に連結している以上、大国講和が適切ではないか、対日理事会を構成する米、英、ソ連、中国または国連安保理事会の常任理事国五か国による講和である。大国講和になればオーストラリアはじめ太平洋諸国の反発は必至であろう。極東局長ヴィンセントは国務省次官D・アチソンに準備会議を提案した。参加国は十一か国。三分の二多数決方式で会議を運営する。ソ連の不参加が予想されるが、準備会議なのでソ連抜きでも進められる。ソ連も条約案作成の段階で参加する可能性がある、と。

 昭和22年5月8日、国務次官アチソンが演説、内容は全体主義国家との対決姿勢を明らかにしたトルーマン・ドクトリンの実施に関するもので、米国は五方針を実行すると述べた。①反全体主義国の債務支払い能力の向上のための輸出拡大。②反全体主義国家への借款の増加。③対外復興援助の自由諸国への優先。④米国単独の日独両国の復興の推進。⑤特定の外国に対する禁輸または輸出入の統制。ソ連圏との通商断絶を示唆する強硬声明であるが、注目を集めたのは④。国務長官マーシャルの報告演説を引用、欧州は四大国が論じ疲れて妥協が出来るまで待っていることは出来ない、可能な行動は直ちに実行に移さねばならないという長官の言葉は、日本とドイツを対象にしている。四大国の完全な合意がなくても、両国の復興を推進しなければならない、復興は講和によって推進される。次官アチソンの発言は、米国の日独に対する単独講和の決意の表明と見做し得る、と児島襄。次官は四日後に辞任する。置き土産の形の重要声明であるが、五日前に極東局長ヴィンセントが提出した十一か国講和準備会議案を基礎にして、それを発展させたものでもあった、と。 

 6月1日、片山内閣が発足した。詳細は後項で。新内閣を迎えたのは困難な国内問題もさることがながら相次ぐ講和関係のニュースであった。これらの情報を総合すると、①講和は十一か国方式、②年内に予備会議、③講和条約調印は翌年末期、④ソ連は不参加、という構図が浮かび上がった。この動きに対応するのが新外相芦田均の責務であるが、外務省は平和条約問題研究幹事会を設置したのは既述済だが、この時点では第二次作業に入っており、5月28日各省連絡幹事会を発足させていた。6月4日芦田外相ははじめて外務省の講和準備の概要を知ったが、特に強い印象を受けたのは条約局長萩原徹が提出した策案文書だった。4項目に分けて論述した。①対日平和条約の時期、②平和条約起草手続きおよび所要期間、③日本は意見陳述の機会があるか、④日本の意見はどの程度まで容れられるか。④こそが講和に臨むための最重要テーマである、と児島襄。講和条約は今後数十年数百年の日本の運命を決定するものである。日本の主張を可能な限り反映させなければならない。初期に巧みに意見を述べれば効果が期待できるが、イタリアの講和条約のように、連合国内の日本の味方が不可欠である。敗戦国が主たる連合国中いずれかがある程度指示してくれる見込みなしに平和会議に臨むことは、自殺行為に等しい。平和会議でなくて戦犯裁判になってしまう。具体的には、日本がどの陣営に属し、どの国と一体化するかをきめて平和会議に臨むべきであり、それを明確にせずに事務的準備も不可能かつ無意義である。仮に日本の利害がソ連と一致するならば、日本を先ず完全に共産化した上で平和会議に臨む位の決意を要する、と。ふーむ、厳しい意見を言える人だ、こんな人たちに支えられ、日本はしたたかに前進できたのだ。甘い考えは持てないと萩原局長は説述するのであり、芦田外相はうなずいた。

 荻原はさらに「萩原私案」なる添付書類をつけていた。連合国側に述べるべき希望意見五項を列挙してあった。①「平和条約の起草ないし締結に当たっては、日本国民を納得させるため、日本政府に意見を開陳する機会を十分に与えられ且つ日本国民の合理的な希望は最大限度に容認されるよう取計われたい」(理由)このようにすれば、日本国民は自己内心の確信から講和条約を忠実に履行することになる。不履行を防止するための凡百の保障条項や制裁条項に勝り、当事国の利益だけでなく世界平和の目的にもかなう。 ②「平和条約は国際法の諸原則に合致し、大西洋憲章の精神を基調とし、且つポツダム宣言の趣旨に沿って締結されるべきである」(理由)・・・  ③「日本政府及び国民は一たび納得して引き受けた平和条約は、最大の誠実をもって履行する確信と能力を有するものである。だから、連合国側において、日本政府および国民をして自らの責任において条約を履行せしむる方針をとり、日本がその信用を回復する機会を与えられたい」(理由)現在の対日占領と管理の継続は、講和条約の締結と同時に終止すべきである。廃止出来ない場合、目的を条約履行の監督に限定し、軍隊は最小限度にして最短期間に撤兵することを約束してほしい。 ④「平和条約において日本の安全保障について考慮して貰いたい」(理由)日本としては、国際間の平和と秩序を国連が担当し日本もその一員になることを希望する。すぐに国連加盟が実現されない場合、それまでの過渡的安全保障が講和条約で配慮されることを希望する。 ⑤「日本人に一定の生活水準を認め且つ日本が経済的に自立し得る条件を与えるという原則を、講和条約の根本とせられたい」(理由)日本が国際社会で平和的に生存し世界平和の維持に寄与するためには、他国の負担にならずに経済的に自立することが不可欠である。日本はもともと自給自足が出来ない環境にあるが、敗戦によって在外企業の喪失、戦禍による損害、さらには在外日本人の帰還、賠償の負担その他の悪条件が付加されて、ますます経済状態は悪化している。講和条件において日本が国際経済社会で、過当なる制限なしに活動できる素地を与えられることを、切望する。

 現在の日本の事情に照合すれば、そんなことまで心配していたのか、と思われる。だが、将来の明暗、吉兇の予測もつかぬ当時としては、ただただ国家としての生存を願わねばならず、その必死の想いを表示したのがこの希望意見にほかならない、児島襄はこうつぶやく。芦田外相は、共感をこめて再び荻原局長の主張にうなずき、第一文書と共にと見返した、児島は綴る。

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戦闘は終わっても、講和条約が締結されるまでは戦争は終結しない

2020年07月08日 | 歴史を尋ねる

 大分回り道したが、児島襄著「講和条約」に戻り、戦後の歴史を辿ってみたい。「戦闘は休戦条約で停止し、戦闘状態は講和条約で終止する」と言われている。そして日本の外務省は、昭和20年11月21日、平和条約問題研究幹事会を立ち上げたことは、外務省の講和研究のタイトルで記述済みである。これまでの通念では、講和条約で戦争が終わり戦争処理のための条約が定まり、それを実行する戦後が始まることとなる。第一次世界大戦がそうであった。しかし、日本の現状は、すでにその戦後そのものである。それでも戦後を決める講和条約が必要なのか。それは、戦争が国際関係である以上、終結もまた実体的なものだけでなく、法的処置が必要。日本は敗戦によって他国に併合、分割されたのではないので、いずれは交戦国との間にも平和関係が設定されることとなる。すなわち講和条約の締結によらねばならない。連合国側は、すでに枢軸国に対する講和条約の起草を公約している。折から連合国側の冷戦は明確な姿を見せ始めているが、それだけに勝利の果実をどの国がどれだけ入手するかを調整し、アジアの安定をはかって各国が果実を享受するためには、対日講和条約での規定による以外に、方法はない。さらに、日本は占領の終結とともに主権を回復し(独立国家として)国際社会に復帰する。その場合、ポツダム宣言も降伏文書もはじめて無効となる。ふーむ、この時の日本は国際社会では、主権の制限された、不思議な組織体だったのだ。国際法上では、国旗が意味をなさない訳で、外務省が早々に講和研究を始めたことは、十分意味があった。しかしまさしく早々であった。

 昭和21年7月23日、対日理事長議長・総司令部外交局長G・アチソンがマッカーサー元帥を往訪すると、元帥は衆議院が憲法逐条審議を終えたこと、占領政策も順調に実行されていることに触れ、「ジョージ、われわれの仕事も間もなく終わるよ」と。これを聞いた第八軍司令官R・アイケルバーガー中将は「同意する。日本人については、われわれが引き揚げても心配ないだろう」と。8月6日、占領地視察から帰国した米議員団の記者会見がワシントンで行われ、団長のA・エレンダーは、日本占領の成功ぶりに感銘を受けた、といい、元帥は米占領軍を近く減員し、ホンの少数の兵力で占領業務を実施することができるようになるだろうと語った、と。UP通信は次のように打電した。「消息通筋によれば、米国務省および英外務省の専門家たちは、最近に至り対日講和条約大綱に関する米国側草案の検討を終わったと言われる・・・」 以上の議員団の発言およびUP電はすぐに日本の新聞に掲載された。衆議院予算総会にも取り上げられ、吉田首相が「講和会議の見透しについては従来色々の見方があって、明年の五・六月頃という説であったが、存外早く開かれるのではないか。当初の予想よりも余程早くなることを熱望する声が、各国に起こっている」と。議員たちは一様に喜色を表し、非常に朗報と新聞も首相発言を歓迎した。「桜講和」「梅講和」などの観測が広まった。

 ワシントンでも、対日講和が取り上げられた。国務、陸、海三省調整委員会の席上、陸軍省から国務相日本課長ボートンに、対日講和条約を近い将来締結するか、それとも二十五年間延期するかについて討議したい、と。国務長官J・バーンズは、日本と米、英、ソ、中国との間に日本の非武装を二十五年間監視する条約を結び、それによって日本の「牙」と「毒」を抜いて占領軍を撤退させる計画を立てており、現に英、ソ、中国に働きかけている。陸軍省は国務省のプランを否定して対日早期講和を実現したいのか、日本課長は不審に感じた。しかし、国務省極東局長ヴィンセントは、国務省・陸軍省の会議の席上、対日講和に関する特別委員会を組織して米政府の考えをまとめてから、極東委員会の報告するのが有益である、と。こうして米国も対日講和取り組みのスタートを切った。

 陸軍次官補(占領地担当)ピーターセンはマッカーサー元帥の意見を求め、極東委員会が対日講和の交渉を取り仕切るのは反対、四大国レベルで処理すべき、講和条約委員会の来日を歓迎という反応を三省首脳会議に報告、国務省内にボートンを委員長とする委員会が設けられた。10月3日、対日講和条約の起草に関する基本項目をまとめたが、その内容は、「日本非武装化の強化、日本による非武装化監視機関の設置、戦略物資輸入および軍需産業の禁止、商船隊活動の制限、国際条約・ポツダム宣言・降伏条件の遵守、右翼活動家の排除、農業経済労働面の改革等々」。国務長官バーンズの二十五年間非武装化条約案を想起させられる、と児島襄。1月14日、国務省でボートン委員会が開かれた。占領軍引揚げ迄の日本監視規定が対象になり、国務長官顧問コーヘンが提案に反対し、日本の将来については、ポツダム宣言の精神の遵守を意味する条項を講和条約の条文に含ませれば十分で、日本管理委員会・連合国日本管理官・連合国日本査察軍などは不要。顧問はそう述べ、対日講和は早い方が良い、三月に予定される米英仏ソ四か国外相会議で新国務長官G・マーシャルが対日講和を提議することになろうと付言した。それによって対日講和は促進され、1948年半ばに条約調印の運びになると期待される、と。

 外交局長アチソンは、国務省日本課長ボートンに会った後、マッカーサー元帥にボートン案を提示したが、これはベルサイユ条約の再現だ、われわれは過去28年間の体験からなにも学ばなかったと告白するに等しい、いう論評が伝えられている。3月17日、本来的に新聞記者嫌いのマッカーサー元帥が共同記者会見場に現れた。対日講和の気運の醸成を感得し、四か国外相会議での米国の提案を日本から促進すべく、雄叫びを上げる機会が到来したと判断した。元帥は、一同を見渡し、場内が静まり返るのを見定めて発声した。「日本の軍事占領を早く終らせ、正式の対日講和条約を結んで総司令部を解散すべきである。講和条約交渉は出来る限り早く始めるべきであり、余の確信では、遅くとも一年とたたないうちに始めるべきだと思う」 そして、対日講和の機は熟しているとして、日本が講和を受け入れるために具備している資格要件を数え上げた。①ドイツは講和に応じる政府をもたないが、日本は対応できる責任ある民主政府を保有している。②日本は満州、朝鮮、台湾その他の植民地を失い、軍隊は解体され、新憲法で軍備を放棄している。もはや、日本が世界の平和の脅威になることはない。③講和による経済自立の機会を日本に与えず、占領軍による貿易封鎖状態を続けるのは、連合国の対日支出の増大を招くだけである、と。 記者が手を上げ、日本は真に民主化されたのか、日本を講和で野放しにしてよいか、と質問。元帥は答えた。日本は世界最大の精神革命を行った。ただし、デモクラシーが完成されたわけではない、その完成にはあと数年かかるだろう。基礎は出来ているので、今後は監視・統制・指導で助長すればよいが、無防備になった日本を保護する必要がある。それは国連によって行われるべきである、と。①は元帥の持説、②は新提言、③はボートン案にしたがったものであった。 東京の反応は、新聞は何れも論評なしに声明を報道し、日本国民は大歓迎している、とAP通信は伝えた。英国、英連邦も賛意を表明した。ワシントンの官邸筋は、講和はドイツが先になる筈だ、まだ米ソ両国とも対日講和促進の動きは見当たらない、しかしトルーマン大統領とマーシャル国務長官にこの問題を提議する意思があるならば、米政府としては対日講和条約の交渉を今秋までに開始する用意がある、と付け加えた。しかし内外の反応は、手放しの賛成より、不安と疑惑を込めた消極的、批判的さらには不評のものの方が圧倒的に多かった。 ニューヨークタイムズによると、東京で取材した六人の市民は、日本政府には、国内の複雑で微妙な問題を処理して法と秩序を維持する力がない、一、二年以内に米軍が引き揚げたら、日本は非常な混乱と危機に直面するだろう、米軍はあと数十年間駐留するという報道があるが、ぜひそう願いたい、米軍が撤退すればかえって経済、政治の両面での米国の対日負担が増大するだろう。 首相吉田茂も、危惧を表明した。早期講和と占領終結に関するマッカーサー元帥の提案を喜ぶ。しかし、講和条約後の日本に関しては国連より米国の保護を選びたい。日本は共産主義と戦っている、北には極めて危険な敵がいる。国連がどれほどの力を備えているかは知らないが、かっての国際連盟の無力は良く知られている。米国が世界平和を維持しようと思い、日本の民主化を完成しようと考えているのであれば、講和後も米軍は日本に駐留すべきである。首相はAP支局長に力説した。「米国の諸君は一日も早く帰国したいだろうが、滞在を続けてほしい。貴国のために、日本のために」

 

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