昨年の政治の世界でまだ記憶が新しいのは、自民党総裁選で、任期満了に伴う総裁選が9月27日に行われ、石破茂氏が第28代総裁に選出された。総裁選には現行の総裁公選規程では過去最多となる9人が立候補。党所属国会議員による368票と、全国の党員・党友等による投票に基づく総党員算定票368票の合計736票で行われた。開票結果は一位高市早苗氏181票、二位石破茂氏154票、小泉進次郎氏136票等々と、過半数を超える候補者はいなかったため決選投票を実施。決選投票は国会議員票と都道府県票(47票)の合計で行われ、石破氏が過半数を超える215票を獲得。続いて開かれた党大会に代わる両院議員総会において正式に新総裁として選出した。最初の開票結果で、高市早苗氏が議員票72票、石破茂氏が議員票46票だったので、決選投票は高市氏が過半を超えるだろうと筆者は予想したが、結果は石破氏が過半を越えて、新総裁に選ばれた。その逆転劇は、岸田前総理が自派の議員に高石氏を避けて石破氏に投票するよう働きかけた、という。麻生太郎氏の説得にも岸田氏は応じなかった、と言われている。総裁候補よろしく次々と国政政策を披露した高市氏ではなく、地方創生、安全安心を訴えた石破氏を岸田氏はなぜか押した。仄聞するところによると、高市氏が総裁になっても靖国参拝を続けるという主張に、岸田氏が懸念を持ったからだと云われている。岸田さんが懸念を持つのはいいが、多くの自民党議員がそれに同調したことの意味をずっと考えて居た。
靖国神社参拝問題は、1985年の朝日新聞による靖国批判報道をキッカケに靖国神社自体を知り、以降、中国・韓国政府は日本の政治家による参拝が行われる度に反発し、外交問題に発展している。それまでの事実関係では、1979年4月にA級戦犯の合祀が公になってから1985年7月までの6年4月間、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘が首相在任中に計21回参拝をしているが、1985年8月に中曽根が参拝時の朝日新聞の報道までは、中韓からも非難はされていなかった。具体的に1985年の参拝に対して、それに先立つ同年8月7日の朝日新聞が『靖国問題』を報道すると、一週間後の8月14日、中国共産党政府が史上初めて靖国神社の参拝への非難を表明した。一方で、1979年にA級戦犯合祀公表以降も靖国神社へ戦没者を慰霊追悼・顕彰するため、外国の要人も訪れている。なお、戦没者を慰霊追悼・顕彰するための施設及びシンボルとする解釈が現在だけでなく戦前からも一般的だが、神社側としては「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝える」場所、および「日本の独立を誓う場所」との認識が正しいとのことである(ウキペディア)。
靖国を参拝 現職で小泉氏以来7年ぶり
安倍晋三首相は就任から1年にあたる26日午前、東京・九段北の靖国神社を参拝した。安倍氏の首相在任時の参拝は第1次政権も含めて初めて。現職首相の参拝は2006年8月15日の終戦記念日の小泉純一郎氏以来となる。首相は第1次政権時に参拝しなかったことを「痛恨の極み」として在任中の参拝に強い意欲を示していた。中国、韓国は反発している。
安倍首相は午前11時半すぎ、公用車で靖国神社に到着。モーニング姿で本殿に昇殿した。合わせて「内閣総理大臣 安倍晋三」名で献花した。
首相は談話を発表し「国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊に対して、哀悼の誠をささげるとともに、尊崇の念を表し、み霊安らかなれとご冥福をお祈りした」と説明。「安倍政権の発足したこの日に参拝したのは、ご英霊に政権1年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことのない時代をつくるとの決意をお伝えするためだ」と訴えた。
首相は参拝後、記者団に「中国、韓国の人々の気持ちを傷つける考えは毛頭ない」としたうえで「ぜひこの気持ちを直接説明したい」と強調した。「我々は過去の反省の上に立って戦後しっかりと基本的人権を守り、民主主義、自由な日本をつくってきた。その中で世界の平和に貢献している。その歩みにはいささかも変わりがない」と話した。
安倍首相靖国参拝で談話 秦剛中国外交部報道官
2013年12月26日、日本の安倍晋三首相は中国の断固とした反対を顧みず、第二次世界大戦のA級戦犯が祀られている靖国神社を横暴にも参拝した。中国政府は中国と他のアジアの戦争被害国人民の感情を乱暴に踏みにじり、歴史の正義と人類の良識に公然と挑戦する日本の指導者の行為に強い憤りを表明し、日本に強く抗議し、厳しく非難する。
日本軍国主義が発動した侵略戦争は中国などアジアの被害国人民に深く重い災難をもたらし、また日本人民もその害を深く受けた。靖国神社は第二次世界大戦中、日本軍国主義の対外侵略戦争発動の精神面の道具、象徴となり、アジアの被害国人民に対してこの上ない罪を犯した14人のA級戦犯を今も祀っている。日本の指導者が靖国神社を参拝することの実質は、日本軍国主義による対外侵略と植民地支配の歴史を美化し、日本軍国主義に対する国際社会の正義の審判を覆し、第二次大戦の結果と戦後の国際秩序に挑戦しようとするものである。日本の指導者の道理に逆らう行為は日本の今後の進む方向に対するアジアの近隣国と国際社会の高度の警戒と強い懸念を引き起こさないわけにはいかない。
釣魚島問題で日本による「島購入」の茶番劇によって中日関係は昨年から重大な困難に直面し続けている。最近も日本は軍事・安全保障面で下心をもって、いわゆる「中国の脅威」をあおり、中国の安全面の利益を損なっている。こうした状況の中で日本の指導者は、ことを収めるどころか、以前よりひどくなり、再び歴史問題で重大なもめごとを起こし、両国関係の改善・発展に新たな重大な政治的障害をもたらした。日本は今回のことによるあらゆる結果に責任を負わなければならない。
侵略の歴史を確実に直視し深く反省し、真に「歴史を鑑として」はじめて、日本はアジアの隣国と「未来志向」の関係を発展させることができるということを私は改めて強調したい。われわれは日本が侵略の歴史を反省するという約束を守り、措置を取って誤りを正し、悪影響を排除し、実際の行動でアジアの隣国と国際社会の信頼を得るよう厳粛に促す。
米政府は異例の表現で参拝を非難する声明
2013年12月26日、首相の安倍晋三の靖国参拝を受け、米政府は異例の表現で参拝を非難する声明を出す。「日本は大切な同盟国であり、友人です。しかしながら、日本の指導者が隣国との緊張を悪化させる行動をとったことに、米国は失望している」「米国は、首相が過去への反省と平和に対する責任の再確認を表明するか注視している」首相官邸を揺さぶったこの声明について、多くの日本政府関係者は「バイデン副大統領が主導した」と証言する。日米同盟重視を日本外交の基軸に掲げる安倍にとって、思いがけない米国の強い反発だった。
ザ・ニューエイジ紙「安倍首相の靖国参拝はナチス崇拝と関連づけられるものではない」(吉澤 裕駐南アフリカ日本大使寄稿)2014年1月10日付
2014年1月6日に掲載された中国大使の寄稿「東洋のナチスを崇拝(Worshipping Nazis of the East)」に関して,まず安倍首相の靖国神社参拝とナチスを崇拝する行為との関連づけが非常に屈辱的であると指摘せずにはいられない。靖国神社には,1853年以降,国のために尊い命を捧げた約250万人の英霊が,性別や地位に関係なく奉られており,明治時代における国家の危機,19世紀の日中,日露戦争,及び第一次,第二次世界大戦における犠牲者も含まれる。同中国大使の主張は,靖国参拝が行われた2013年12月26日付け総理大臣談話「恒久平和の誓い」において詳述されている安倍首相の趣旨と完全に異なっている。この談話において,安倍首相は「靖国参拝については,戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが・・私が今日この日に参拝したのは,御英霊に,・・二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を,お伝えするためです。」と述べている。また,「中国,韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは,全くありません。人格を尊重し,自由と民主主義を守り,中国,韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたいと願っています。」とも述べている。田学軍中国大使は,日本は過去の侵略への認識に欠いており,対処し損ねているとも主張している。しかし,実際には日本は過去と真正面から向き合ってきたのである。歴代の日本政府は,多くの機会において痛切な反省の意を表し,心からのお詫びの気持ちを表明してきた。この見解は安倍首相によって,しっかりと引き継がれている。第二次世界大戦終了から68年以上にわたり,日本は人権を尊重する自由かつ民主的な国家として,世界平和とアフリカ大陸諸国を含む他国の福祉及び発展の支援にたゆまず努力してきた。このような努力は,真の日本の姿を判断する上で,正当に評価されるべきである。興味深いことに,2008年の日中共同声明において,中国の国家主席が,世界の平和と安定に対する戦後の日本の貢献を積極的に評価したと表明している。戦後のドイツを例に挙げる人がいるかもしれないが,ヨーロッパと東アジアでは戦後の状況が異なることを認識しなくてはならない。また,欧州諸国の融和は,戦争を起こした国及び被害国双方の努力によって成し遂げられたのである。他国の弁護はしないが,日本が戦後最大限の努力を払い,私が先に述べた通りの国家となったことを誇りをもって述べたい。一方で中国は,防空識別区に関する最近の一方的な主張にもあるように,隣国に対してますます攻撃的な立場をとるようになってきている。日本政府は,既述の問題等について率直に議論するために,中国とのハイレベルの対話を呼びかけているが,今のところ中国側の腰は重いようである。上述したとおり日本の戦後の貢献を積極的に評価したことを中国が想起し,アジア太平洋地域や世界各地の平和及び繁栄の促進のために,日本をはじめとする各国と共に歩むことを真摯に望んでいる。
安倍前首相が靖国神社参拝 13年12月以来
自民党の安倍晋三前首相は(2020年9月)19日、東京・九段北の靖国神社を参拝した。同日、自身のツイッターで明らかにした。首相在任中は対外関係への影響を考慮して控えてきたが、退任に伴って約7年ぶりに参拝した。安倍氏の靖国参拝は、首相在任中の2013年12月以来となる。ツイッターには黒色のモーニング姿で参拝した写真を添え、「内閣総理大臣を退任したことをご英霊にご報告いたしました」と書き込んだ。党内の保守派は首相退任から3日での参拝を歓迎している。安倍氏に近い衛藤晟一・前少子化相は同日、記者団に「非常に重たく、素晴らしい判断をされた」と強調した。岸田文雄・前政調会長も、千葉市で記者団に「(参拝は)心の問題であり、外交問題化する話ではない」と述べた。(20)13年の参拝時には中国や韓国が反発し、当時の米政府も「失望」を表明。それ以降、安倍氏は春と秋の例大祭などに合わせ、私費で玉串料や真榊を奉納するだけにとどめていた。 韓国外務省は19日に「深い憂慮と遺憾」を表明するとの報道官論評を発表した。中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報(電子版)は安倍氏の参拝を速報で伝えた。
安倍前首相が靖国参拝 自民総裁選目指す高市氏も
終戦の日の15日、安倍晋三前首相が東京・九段北の靖国神社を参拝した。参拝後、安倍氏は記者団の取材に対し、「衆院議員、安倍晋三」と記帳したと説明。「先の大戦において、祖国のために母や父、友や子、愛する人を残し祖国の行く末を案じながら、散華された尊い命を犠牲にされたご英霊に尊崇の念を表し、御霊安かれとお祈りいたしました」と述べた。
安倍氏は首相在任中の2013年12月26日に靖国を参拝し、中国や韓国が反発し、米国も「失望している」との声明を出した。安倍氏はその後、20年9月までの在任中に参拝は行わなかった。首相退任後は参拝している。
またこの日、自民党の下村博文政調会長も参拝した。下村氏は記者団の取材に「自民党政調会長、下村博文」と記帳したとし、「英霊に対する尊崇の思いと、改めて76年間日本が平和で今日まできているわけで、不戦の思いを誓って参りました」と話した。
一方、9月末の任期満了に伴う自民党総裁選に立候補の意向を表明している高市早苗前総務相もこの日に参拝した。同党の一部保守系議員でつくる「保守団結の会」として参拝したといい、高市氏は記者団の取材に「国家存続のために、大切な方々を守るために国策に殉じられた方々の御霊に尊崇の念を持って感謝の誠を捧げてまいりました」と述べた。
超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長=尾辻秀久・元厚生労働相)は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大のため昨年に続き、会としての一斉参拝を取りやめた。尾辻氏ら一部議員が15日に参拝した。
政治評論家の後藤謙次氏、政治学者の中北浩爾氏、元防衛相の森本敏氏が23日、BSフジの報道番組「プライムニュース」に出演。27日に投開票が行われる自民党総裁選に立候補している高市早苗経済安保相が、総理就任の際にも公的に靖国神社参拝を続けることを宣言していることに触れ、3人ともに猛批判を展開した。投開票がせまる総裁選について特集。その中で、高市氏総理に就任した場合の靖国神社への参拝に関して「国策に殉じられた方に尊崇の念を持って感謝の思いを捧げる。これは変わらないと」し、「内閣総理大臣・高市早苗と記帳する」という考えも示したことを紹介した。
これに後藤氏は「本当にこれは、理解に苦しむんですね」と不快感をあらわに。「今、日中関係がこれだけ複雑になってます。あの少年(殺害)の事件があって、さらに厳しくなってる。間違いないんですけども、安全保障も含めて、やっぱり大きな外交を語った時に果たしてこのことが日本にとってプラスかどうか」と持論を展開した。
今回のテーマは、自民党総裁選の際、自民党議員の多くが、岸田前総理の懸念を受けて、なぜあのように石破茂議員に票を入れたか、その理由を探っている。岸田前総理は外務大臣時代から日中親善回復に尽力してきた。ここで高市早苗が総裁になると、靖国神社参拝を続けることを宣言していることもあり、日中関係がまた崩れる。それはどうしても避けたい、石破なら大丈夫だ、と考えたかもしれない。しかし、岸田さんにも考えて貰いたいことがある。安倍さんは総理を退いた後、すぐに靖国神社に参拝している。更に終戦の日にも参拝している。逆に総理を退いた後の岸田さんはなぜ参拝していないのか。みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会に入っていない。でも総理大臣の時は玉串を奉納している。岸田文雄氏は安倍第二次内閣、第三次内閣の外務大臣を担当し、在任日数は歴代第2位、連続日数・専属日数は第1位である。外務の岸田と云われるぐらい在任期間が長い。その外務省の働きはどうであったか。山上信吾氏が「日本外交の劣化 再生への道」を出版した。本人は、「外交官としての私の遺言」であると記してある。今後の日本外交のために、歯に衣着せずに、語った、それは日本外交の劣化が深刻で、待ったなしだから、という。しばらく、山上氏の言説に耳を傾けたい。
「2023年3月、アジア大洋州地域の大使が本省に集められて意見交換を行った時だった。出席者の一人から、台湾有事は必ず起きるとの前提に立ち、その際の態勢を議論すべきとの問題提起がなされた。アフガンからの撤退の経験・反省を生かして、日本にとってより身近で切実な台湾海峡での事態への対応に遺漏無きよう期すべきとの極めてまっとうな問題意識からの指摘だった。しかしながら、この問題提起に対して本省幹部からは何の回答もなかった。それだけでなく、この指摘を受けて何らかの対応がなされたとは、ついぞ聞いた事がない。その際、私からも敢えて発言を求め、カブール撤退の轍を踏まない様、台北、高雄からのあり得るべき日台交流協会事務所撤退、邦人退避を念頭に置いて本省においてシミュレーション、関係省庁との調整を行っておく必要性を強調しておいた。何のことはない、深刻な問題を孕んだ大きなオペレーションが終わると、無反省に「お疲れさまでした」などと述べていたわり合う組織文化に馴れ切ってしまっている。そのため、教訓を汲み取って次の仕事に繋げていくという、組織として当然の機能が働いていないのだ。本来なすべき「カイゼン」とは程遠いのである」と。
「第一部に記してきた「劣化」の具体的事例を幾つも目に当たりにし、今の外務省を覆う問題の在り処が見えてくる。第二部では、こうした問題をそれらの内容、性格に応じて掘り下げてみることにしたい。というのも、こうした虚心坦懐な自己反省こそが、目の前の事務に追われてそれをこなすことだけが仕事だと思っているような近視眼的な外務官僚に対して、自画像を提示して改善を促すことになると考えるからだ。」として、山上氏は劣化したアイテムを10個取り上げている。① ロビイング(働きかけ)力の決定的不足(G20外相会合欠席という大失態、G7,安保理入りを生かせない実態、自民党大幹部の不満、淵田海軍中佐の指摘、絶滅の危機に瀕した内話電、大使公邸宴の激減)、 ② 惨憺たる対外発信力(対外発信の現状、腰の引けた対応、口舌の徒の消滅、日本の教育の最大の弱点、長い・くどい・うざいの三拍子、自信過剰と一般常識の欠如)、 ③ 歴史問題での事なかれ主義(歴史戦に弱い外務省、村山談話への安易な逃げ込み、安倍七十年談話の効果、敗戦国は歴史を語る立場にない⁉、忘れられない先輩の発言、本当に負の歴史ばかりなのか?、東京裁判を受け入れて戦後の日本は始まった)、 ④ 日の丸を背負う気概の弱さ(朝鮮人は人種差別か、愛国心への衒い、軍隊・軍人への不信、湾岸戦争の教訓、チャーチルを神に感謝したい⁉、視閲式の錨を上げて) ⑤ 永田町・霞が関での外務省の地盤沈下(政策官庁からの転落、国家安全保障会議の設立、経済外交における外務大臣のプレゼンス低下、保秘ができない役所)、 ⑥ プロフェッショナリズムの軽視(外交官の本当の語学力、あの人あれで外交官?、専門性を軽視した人事、ケネディ大使とのツーショット) ⑦ 内向き志向(本省と在外との乖離、部下の指導などしなくて良い、認証官軽視の人事政策、内交官の横行、 ⑧ 規律の弛緩・士気の低下(ゴルフやワイン三昧の大使、警察組織との大きな落差、次官メールの愚、問題提起にも無反応、下からの評価の弊害、諫言と讒言、リーダーシップの欠如、大量離職への右往左往、現職次官との一対一の議論) ⑨ 無責任体質(公電文化の弊害、経済局長時代の敗訴という痛恨、敗訴からの巻き返し、幹部会の議事録は自画自賛ばかり) ⑩ いびつな人事(秘書官経験者の優遇、次官が後任を自分で決められない、秘書官的次官、政治家へのすり寄り、生かされない東郷事件の教訓)
山上氏の指摘する劣化のアイテムについて具体的内容を理解し易いように記述したため、ちょっと見出しの引用が長くなったが、このブログで取り上げたいのは、山上氏が挙げる ③ 歴史問題での事なかれ主義 を取り上げて考えたい。
著書の中で「外務省に対する根強い批判のひとつに、「歴史戦」に弱い、さらには、そもそも戦おうとしないとの指摘がある。その通りだと思う。四十年間組織の中にいて、私は嫌というほど思い知らされてきた。慰安婦問題は、その象徴だ。「言論テレビ」に出演した安倍晋三元首相は、『安倍政権においては、歴史戦を挑まれている以上は、各国の大使館、大使は日本を代表しているのですから、責任を持って反論しなさい、と。反論するための知識をしっかりと身に付けて、いろんな場面で、言うべきことを言ってもらいたいと、私は大使が赴任する際には指示するのです。どちらかと言うと、今まで外務省はそれをスルーしてしまうんですよ』と。
歴史問題が紛糾して二国間関係を損なう、さらには日本外交の制約要件になるようなことを極力防いでいく、というのが多くの外務官僚の問題意識であったことは間違いないだろう。これに対して、日本国内の保守派からは、日本の外交官は相手国との友好、国際世論の風当たりを言い訳にして謝罪に走り回るだけで、日本の立場やものの見方を毅然と説明してこなかったのではないか、との不満や憤りが今なお後を絶たない」
「歴史問題への対応の大きな節目となったのは、1995年、戦後50年という節目に発出された内閣総理大臣談話、いわゆる「村山談話」だ。同談話では、社会党出身の首相であることを最大限に活用し、それまでの日本政府の対応より大きく踏み込んで、日本国総理大臣の立場で、往時の日本の植民地支配と侵略を明示的に認めた上で、それにより被害を受けた人たちに対して、『痛切な反省と心からのお詫び』を表明することとなった。同談話の起案・発出には、社会党の村山富市首相を首班とする特異な内閣であったにせよ、チャイナスクール幹部の外務官僚が中心的役割を果したと伝えられている。こうした経緯も相まって、外務省は歴史問題について謝罪主義者の牙城と見られてきた」
「如何なる国が相手であれ、何らかの歴史問題が議論になった際に日本政府の立場を問われると村山談話に言及し『日本は謝罪しています、反省しています」とだけ述べ、ひたすら辞を低くしてその場を丸く収め、嵐が過ぎ去るのを待とうとする風潮である。
南京事件にせよ、慰安婦問題にせよ、徴用工問題にせよ、元戦争捕虜問題にせよ、歴史問題と言われる個別具体的な問題すべてに色々な経緯、立場と主張がある。本来、黒白で割り切ることなどできないし、すべきでない点が多々ある。にもかかわらず、条件反射的に村山談話に依拠することによって、すべての陰影が捨象され、事案が単純化され、『痛切な反省と心からのお詫び』によって、『当時の日本が悪いことをしました」の一言で括られてしまうという問題なのである。
こんなことでは、厳しい国際情勢の下で国益の維持、国策の実現に腐心し、心ならずも戦争に踏み切らざるを得なかった当時の為政者、さらには、南洋やジャングル、中国大陸やシベリアで力尽きて散華した英霊は浮かばれないだろう」
「振り返ってみて、戦後五十年の村山談話で『植民地支配と侵略』を認め、それによる被害者に対して『痛切な反省と心からのお詫び』を表明したことによって、歴史問題は終結したのだろうか。否。むしろ『不十分だから再度謝れ』、『謝罪した以上、補償をしろ』といった要求が繰り返され、歴史問題は却って息を吹き返して悪化した面があることは否定できない。『謝れば済む』といった日本社会の常識は、国際社会では通用しない。
だからこそ、安倍政権では、村山談話の負の効用を手当てすべく、これをオーバーライドする内容の談話にしようとの問題意識で、戦後七十年の機会に内閣総理大臣談話を改めて発出した。しかしその内容はどっちつかずの玉虫色のものになった。『私たちの子や孫、そしてその先の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません』が一番の決め台詞であった。他方『我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります』との記述も盛り込まれた。この結果はどうなったか。以降も歴史問題が起こるたびに、村山談話に回帰してしまう、ないしは、安倍談話を引用するものの、『歴代内閣の立場は今後も揺るぎない』とした部分に力点が置かれてしまう。問題が起こるたびに、安易に村山、さらには安倍談話に依拠する外務官僚の性癖は変わっていない。これが歴史戦に臨まなければならないはずの多くの外務官僚の出発点なのである」と。
「歴史問題の根深さは、一外務省に特有の問題として片付けられないことだ。外務省は日本社会全体の縮図でもあるからだ。国際法局審議官時代(2013~14)、外務大臣、次官の両人と中堅幹部が一堂に会して飲食を共にしつつ、じっくり懇談する機会があった。席上、歴史問題が議論となった。私を含めて若手からは、『受け身に回るだけでなく、積極的に反論することも必要ではないか』『東京裁判について言えば、サンフランシスコ平和条約第十一条に規定されている条約上の義務(種々の関連軍事裁判を有効なものとして受け入れ、そこで下された刑を執行する)は既に実施済みであって、裁判で示された事実認識や考え方を逐一受け入れなければならない訳ではない」といった議論が提起された。それに対する次官、大臣の反応は、
次官「そういう議論をすること自体が無駄なんだ。歴史問題を議論して日本の得になる事など、何もない」
大臣「戦後の日本は、東京裁判を受け入れて始まったんだと思う」
外務省だけではないのだ。日本の政界、財界、官界を含む社会全体が戦後七十年以上を経た今なお敗戦の桎梏にとらわれており、歴史問題について反論を提起する環境にはない実態を改めて目の当たりにし、暗然とした」
山上信吾氏の著書から、この時の次官は齋木昭隆氏、大臣は岸田文雄氏だと分かる。この著書のこの個所を読んで初めて、岸田前首相が先の自民党総裁選で、旧派閥の議員に、高市氏でなく石破氏を選ぶよう働きかけた心の内が理解できた。岸田氏は東京裁判が提示した歴史観を守らなければいかないと考えて居るようだ、いろいろ議論があっても、日本は受けいらざるを得ない、との立場にいることが分かる。中国、韓国が主張しているA級戦犯の合祀された靖国神社に、日本の首相が参拝するのは避けるべきだ、と。また、長年外務大臣も担当した。山上氏が指摘する『日本外交の劣化』の時の3年8か月間、最高責任者でもあった。その責めの一旦は背負っていることになるが、本人にその自覚はないかもしれない。だから、歴史問題について、外務大臣として、斯く発言して憚らないのだ。山上氏は触れていないが、サンフランシスコ講和条約で戦闘国間の問題は解決したことになっている。残念ながら、中国での日本との戦闘国、中華民国政府は講和条約時点で、台湾に避難し、吉田総理は一地方政権との見解を示しているが、講和条約締結後まもなく日華平和条約も締結している。中華人民共和国とは1972年9月、日中平和友好条約が締結され、第一条に「両締約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする」としている。内政に対する相互不干渉とはどんなことを指すのか。しかも、その時の条約署名者は外務大臣、園田直 となっている。外務省はなぜこの点を、指摘しないのか。靖国参拝問題は、すこぶる日本国内の問題である。中華人民共和国が日本国の首相についてあれこれ指図することは、この平和友好条約の条文に違反している。
そんな日中関係の中で、安倍総理は敢然と靖国参拝を敢行した。戦後の歴史を知らないバイデン副大統領がその行為をあげつらう。オバマ大統領も極東の歴史に疎かった。こんな時、外務省はその力を発揮すべきだった。その時の外務大臣は岸田文雄氏であったが、目に見えるサポートはしなかった。東京裁判を受け入れて始まった日本、村山談話を拠り所に歴史問題を議論しても無駄という外務省、を指揮している岸田外務大臣だったから、安倍首相は当時孤立した戦いになった。しかし、安倍元首相の挑戦は続く。退任後すぐに靖国を参拝、暗殺される直前の8月15日にも参拝している。この安倍前総理の思いを岸田氏は理解できないし、理解しようともしなかっただろう。その結果は、山上氏にとっては、外務省の劣化のひとつに映っているだろう。
岸田文雄氏は総裁選決選投票で、高市氏を避けて、石破氏への投票を旧派閥議員に呼び掛けた。靖国神社参拝がもたらす日中・日韓関係の悪化を恐れた結果だろう。でも、山上氏の指摘する外務省の劣化、ひいては日本の劣化に繋がりはしないか。しかし岸田文雄氏の頭の中は、東京裁判を受け入れて始まった日本の姿が、現在の変化する国際情勢の中にあっても、変わらずデンと居座っているのだろう。
高市早苗の総裁選に臨む所見(基本理念)は
高市早苗は、国の究極の使命は、「国民の皆様の生命と財産」「領土・領海・領空・資源」「国家の主権と名誉」を守り抜くことだと考えます。
激甚化している自然災害の被害を軽減するための防災対策の促進、サイバー防御体制の樹立、領土・領海・領空・資源を守り抜ける国防体制の構築、経済安全保障の強化、紛争勃発時における在外邦人の迅速な救出を可能とする体制整備、北朝鮮による拉致被害者の帰国実現、国内外におけるテロリズムや凶悪犯罪・新技術を悪用した犯罪への対策強化など、取り組むべき多くの課題が存在します。
高市早苗は、引き続き、「リスクの最小化」に資する制度設計に取り組んでまいります。
まことに、時宜を得た問題意識だと感じていたが、岸田氏には、その課題解決よりも、靖国神社参拝がもたらす日中、日韓間の関係悪化の方が重大だと考えたこととなるし、石破氏に投票した自民党議員も同様な判断だったと考えざるを得ない。ということは、『東京裁判を受け入れて始まった日本、村山談話を拠り所にし、歴史問題を議論しても無駄』という自民党議員が過半数いるということになる、本人たちは否定すると思うが。世界の時代の変化についていけない、古い体質の自民党員がかくも大勢いることに驚いた。少なくとも安倍晋三はこれらに挑戦していた。高市氏もこれに挑戦しようとしていた。「国家の主権と名誉」を守り抜くと言っている。これをドン・キホーテと思っている議員が沢山いるということだ。筆者は、高市氏も政治家だ、宰相になれば適宜適切に対応すると考えて居るし、中国も韓国も今ほど日本と親交を結びたいと考えて居る時代はなかった。安倍総理時代にクアッドも出来たし、TPPも完成した。トランプも再登場した。国民民主党の玉木雄一郎氏は記者会見時、政党は常にアップデートする必要がある、昨日の国民民主党はもう古いかもしれないと語っていた。筆者には今回の自民党の姿を皮肉っているように聞こえた。更に筆者が付け加えるとすれば、中国と言っても、現在はたまたま中国共産党政権の中華人民共和国であり、韓国も反日政権だったりする現在たまたまの韓国だ、と、捕らえておく必要があると思う。そのようにドライに考えてもいいのではないか。未来永劫の中国でも韓国でもない。また、BSフジのプライムニュースに出ていた政治評論家の後藤謙次氏、政治学者の中北浩爾氏、元防衛相の森本敏氏も揃って靖国参拝に反対したという。極めて一般的反応だ。政治家はチャレンジしてはいけないのか、日本のあり様を正すのに。むしろ、そのチャレンジにサポートする気概、乃至、先読みが出来る眼力があって、初めて政治評論家、政治学者と言えるのではないか、と残念であった。山上氏が外務省に抱いた思いと同じ思いが対自民党にも当てはまるのではないか。