昭和24年、日本の経済自立の年

2021年04月29日 | 歴史を尋ねる

 また、児島襄著「講和条約 戦後日米関係の起点」に戻って、戦後の歩みを辿ってみたい。
 第二次吉田内閣が誕生後の昭和23年12月18日、総司令部が特別発表を行い、米国務省および陸軍省がマッカーサー元帥に対して、九原則に基づく経済安定計画を立案することを日本政府に指令するよう指示があった、という。この指示内容を受けて吉田内閣は直ちに、12月も押し詰まって、閣議で九原則に対する政府としての具体的方針を決めた。単一為替レート設定による国際経済との結びつき、価格差補助金の削減、財政の均衡確保と赤字融資の厳禁、企業や政府事業の独立採算制の堅持、統制の簡素化などである。こうして、それから後に引き続く経済安定政策への布石が出来上がり、24年を迎え、総選挙となった。この厳しい経済政策を推進するため、吉田は安定した政権を望んだ。その結果が、昭和24年1月23日、総選挙の結果は民主自由党の予想以上の大勝で、戦後初めて絶対多数党が出現、社会、民主両党はその退勢を示し、大物議員が次々落選した。ここまでが、前回までの歩みであった。
 

 吉田は予て、国家の再建、財政経済の復興の実行に強く踏み出すには、強力で長期の政権が必要ということを考えていた。保守合同はすでに政界の底流として存在していたが、総選挙後に顕在化し、特に民自党総裁吉田茂が熱心で、党内の反対論を抑えて実現に邁進した。信念として、今後経済九原則による経済復興を達成するため、共産主義勢力の進出を抑えるためには、血の雨を降らす覚悟が必要、それには保守勢力は団結して、一日も長く政権を維持して政策を実行しなければならない。強固な政権による政局の安定が講和の受け皿である。それがなければ、日本の自立も独立も招来することが出来ない。この吉田構想に対して民主党側は二つのグループに分かれて意見が対立した。総裁犬養健を中心とする勢力は日本の将来のためには保守勢力の結集が不可欠とし、元総裁芦田均を中核とする勢力は、保守連携は左翼の人民戦線結成を促進させる、民主党は独自性を保持しなければならない、という意見であった。一時単独内閣組閣に動き出したが、その後犬養総裁と保利幹事長は民自党と保守連携内閣の樹立に合意した。そして民主党は分裂した。

 2月23日、その構想の下で第三次吉田内閣は誕生した。大蔵大臣の選定には、従来になく慎重を期し、大蔵省出身の池田勇人を選任した。組閣直後の初閣議後、直ちに新聞記者会見を行い、首相談話を発表した。「総選挙の結果、健全な保守主義を基調とする政党が最多数を占めた事実は、国民諸君が主義政見を異にする政党間の妥協による不明朗な政局にあきたらず、真に志を同じくする政党による政局の長期にわたる強力な安定を切望していると同時に、着実穏健な民主主義を擁護していることを現わしている。敗戦により、わが国は困苦と欠乏のドン底に落ち込んだが、連合国、特に米国の援助を得て、わが国経済が復興の徴候を見せつつある。この際政府は、均衡財政の堅持、行政機構の刷新整理並びに綱紀の粛正を断行して、時局の要請にこたえるとともに、一切の浪費を除き、国民諸君は最大限度に勤勉の成果を発揮されたい。政府は国民と一体となって、経済九原則を強力かつ忠実に実行する」と。

 3月7日、総司令部経済顧問のデトロイト銀行頭取J・ドッジは、内外記者団と会見し、今後の日本経済の指針を発表した。①通貨改革は将来の課題として、現在は行われるべきではない。 ②単一為替レートの速やかな設定が望ましい。ただし、織の中の猿のように激しく上下するレートでは意味がない。 ③インフレ対策および経済安定に関する決定事項は、すべて政府の予算に関連しなければならない。インフレは形式的な通貨の操作ではなく、増産と国内の消費節約がなければ収束できない。 ④米国の対日援助は米勤労者の税金で賄われている。日本が自力でやるべきことを、一時米国市民が肩代わりしているのである。必要なものを外国からの援助だけに頼っていては、永久的な解決は見いだせない。 そしてドッジは補足説明した。 ・現在とられている日本政府の国内経済に関する方針、政策は、合理的でもなく現実的でもない。 ・日本の経済は両足を地につけておらず竹馬に乗っているようなものだ。竹馬の片足は米国の援助、もう一つの足は国内の補助金制度である。 ・今直ちに足の寸法をちじめる必要がある。外国の援助をあおぎ、補助金を増大し、物価を引き揚げるならば、インフレを激化させるだけでなく、国家を自滅に導く恐れがある。
 日銀の一万田総裁は声明の趣旨に全面的に賛意を表すると言明したが、金融緩和による景気浮揚を公約した吉田民自党内閣にあって、蔵相池田勇人は渋い表情で談話を発表した。「今後の金融政策としては、金融の常道を守り、過度の引締めは出来るだけやりたくない・・・自分としては金利も現行水準を維持し、将来はむしろ低くしたい」 景気後退を懸念しての発言であるが、顧問ドッジの指摘が適切であることについて、識者に異論も異議もなかった。

 3月18日、北大西洋条約の締結が発表された。加盟国は米、英、仏、カナダ、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグの七か国。北大西洋地域の集団防衛条約であり、アルジェリアを含む加盟国・西ドイツにおける占領軍・北回帰線以北の北大西洋領域に対する攻撃に対して発動される。条約にはノルウェー・デンマーク・アイスランド・ポルトガル・イタリアが加入を表明していた。この条約はソ連の各個撃破戦略に対して西欧諸国の団結を強化するものであると、米国務長官Ⅾ・アチソンが声明した。反共同盟だった。条約は不安感と危機感を中国政府に与えた、ソ連をアジアに向かわせる、と。中共放送も声明した。・米帝国主義者は北大西洋条約によって新たな世界戦争を起そうとしている。 ・ソ連は成長しつつある世界の平和愛好勢力の団結の中心である。 ・同時に、中国に対するソ連の友情は戦争における貴重かつ重要な要素である、と。一方、李総統代理は中共側との和平交渉を模索中で、ソ連訪問も計画中であった。
 その頃日本では、吉田内閣が苦境に陥っていた。民自党の総選挙での公約は公共事業の拡大と減税で、それが支持され絶対多数をとれたのだったが、総司令部に内示した7千億円の均衡予算案に手を加えることを認めない。3月19日国会開院式が行われたが、政府は公約実現の予算案を準備できず、このままでは予算のない新会見年度を迎え、モラトリアムも余儀なくされる形勢だった。政府は暫定予算を組み、それまでに総司令部の諒解を求める方針をきめ、蔵相池田勇人は連日のように総司令部を訪ね、ドッジと交渉を重ねた。だがドッジは、耐乏予算を主張して政府の景気刺激予算案をはねつけて譲らない。蔵相はここまで来たら暫定予算を組むしかない、と肩を落としているところ、総司令部当局者談話が発表された。「民自党が公約を活かそうと工作するのは分かるが、占領下では選挙の公約を犠牲にすることも止むを得ない。占領軍の意向が至上だからである」
 29日、吉田首相はマッカーサー元帥を訪問した。政府は何とか公約予算を願ったが、総司令部の姿勢は固かった。 ・対日政策の目標は、政府の援助のない自立経済体制の確立である。故に出来るだけ補助金のない均衡予算が必要になる。 ・陸軍省は、対日援助費の一億ドル増額を考慮し、7月からの新会計年度に占領地費用の増額を要求するつもりである。 ・それには日本の耐乏計画が陸軍省が考える広範囲なものであり、その成功のための協力が不可欠である。 日本が努力しなければ、われわれは対日援助資金を獲得できない、耐乏予算を実行すれば一億ドルを提供する、というのであった。 政府はそこで暫定予算を組むとともに総司令部案に基づく本予算を編成して、5月に来日するシャウプ税制調査使節団との折衝に望みをつなぐこととした。
 4月15日、総司令部顧問J・ドッジが最後通告的声明を発表した。政府は予定通り4日に本予算案を国会に提出したが、なお成立のメドがたたないので、たまりかねてドッジ顧問の声明発出となった。「均衡予算の確立と実施は経済安定九原則の第一要件である。それは各政党や各個人の無条件の義務である。だから均衡予算の成立は国家的な問題であり、政党の問題ではない。米国の対日援助資金を有効に使用するためにも不可欠の要件である。更に次の点を強調した。日本国民が自分の国の状態をまるで気にかけていないと思える点である。それは政府が経費支出の要求に応じ続けたからである。今こそ日本人が自分自身のギリギリの事実に直面し、自分自身の問題に立ち向かい、自分自身の努力によって独立を取り戻すべき時である。米国の援助は、日本人自身が自立経済を発展させようとする努力に対する一つの刺激剤として役立つに過ぎない。日本人は何よりも先ず政府に均衡予算を要求すべきである、と。
 折から、ワシントンで英米仏三国外相が対ドイツ賠償の緩和に合意したとのニュースに続いて、マーシャル・プランの有効活用、急速な貿易拡大など、西ドイツの自給自足を促進させた要因は、日本には欠けている。日本がその経済を維持するうえで対米依存を必要としなくなった時初めて、西ドイツと同様の内政自主権回復も可能にする条件が生まれる、と米高官筋の談話を伝えた。 日本政府は声明を発表した、「政府としてはドッジ声明の主旨をを直ちに実現し、わが国経済を一刻も早く安定せしめるため、全幅の努力を傾注するつもりである。予算案が速やかに議会の議決を経て実施されるよう、熱望してやまない」。翌日ドッジ声明は魔法の杖並みの威力を発揮した。予算案はあっさり衆議院を通過し、回付された参議院でも、20日成立のスケジュールが決まった。

 4月23日、大蔵省渉外部長渡辺武は、ワシントン発のUP電の瞠目した。日本の単一為替レートが一ドル360円に決まり、4月25日から実施される、と。予ての懸案であった。高く売って安く買うのが商売の常道だと言われる。戦争で経済基盤に傷害を受けた日本では、生存と復興のための対外貿易にこの原則は不可欠だとみなされ、これまで輸出には円安、輸入には円高、更に製品別の複数レートが採用されてきた。たとえば昭和23年末の平均レートは輸出が一ドル340円、輸入が一ドル160円である。そして品目により差異があった。 輸出品:陶磁器600円、鋼船500円、生糸420円、綿糸250円。 輸入品:鉄鉱石125円、小麦165円、綿花国内用80円、輸出用250円。 輸出入品は貿易資金特別会計(円勘定)により輸出品は割高に買上げ、輸入品は割安に払下げられた。当然に差額の調整が必要になるが、それは米国からの援助物資を公定価格で払い下げた収入と日銀からの借入金で賄った。しかし当然に赤字勘定になり、前年末の貿易資金特別会計は累損欠損は3735億円に達した。インフレ助長の一因ともみなされ、経済九原則に基づく耐乏自立への障害とも判定され、単一レートの必要が叫ばれたが、では一ドル何円にすればいいか意見が分かれた。当時の日本の経済は孤立経済なので実勢測定が難しい。日本の購買力、生計費、賃金などの比較を算定基準にしても、277円~393円にばらついてしまう。日本側の単一為替設定対策審議会の試算では、一ドル400円では輸出の40%が採算不能になり、一ドル350円なら80%が生き残れる。総司令部の主務者J・ドッジは一ドル330円を決意しワシントンに承認を求めた。だが、米国の「国際金融問題に関する国家諮問委員会」は360円を総司令部に勧告してきた。理由は、①330円は円の過大評価、②世界経済はリセッションを迎え、ポンドの大幅切り上げが見込まれる、③330円では内外の変動に対する余裕が乏しい。 総司令部は勧告を受諾、一ドル=360円の単一為替レート設定に踏み切った。
 総司令部は正午為替レートの設定を発表した。付け加えて、単一為替レートの設定は、経済九原則にの実施のための主要な措置であり、日本の民間、政府とも熱心に待望していたものである、新為替レートは、日本の外国貿易をより正常化し、日本産業の合理化をもたらすものと期待される、と。ドッジ顧問も渡辺部長に、合理的な企業を利益あらしめ、不合理経営の企業を忍耐せしめることが望ましい、と告げた。 これが、吉田の言う国際経済に結び付き、企業の競争力を引き出す、自由経済化の扉になるということだろう。

 5月12日、ドイツと日本に喜びの声が上がった。ドイツの場合は、ベルリン封鎖の解除の祝声だった。東京ではAP通信電が各界を沸き立たせた。「米政府は、日本経済の自立化に資するため、さきに中間賠償に指定された工場施設(暫定賠償決定額の30%)の今後における取立を中止するようマッカーサー元帥に命令した旨発表するとともに、今後いかなる賠償施設をも日本から撤去することに反対する態度を明らかにした」と。具体的には、米代表F・マコイが極東委員会に通告した。①極東委員会が対日賠償問題を解決できないでいるため、日本の経済自立が著しく遅れている。②米国は委員会加盟国に対し対日中間賠償の取立の中止を勧告し、対日賠償支払いの復活を求めても反対する。その理由は、・日本の対米依存度を軽減するためには手持ちの資源の全ての活用を必要としている。 ・日本は既に中国、オランダ、フィリピン、英国に23百万ドル以上の機械、施設を送り出したほか、海外資産の押収により約30億ドルの実質的賠償を支払っている。ソ連は満州占領で最も多額を得ている。 ・米国は日本の平和産業を制限すべきではない。  米国の日本占領の目的は、軍国主義日本の復活の防止である。そしてこの米国の占領政策は着実に実行され、日本は急速に民主国家に変身した。対日講和条約締結の時期が到来したと見られたが、東西冷戦の激化は講和への足並みを乱し、米国はヨーロッパに重点配備をするために対日占領政策の変更をはかった。保護と管理をゆるめ、日本を自活させ、西側の一員にしようとした。オリンピックを含む国際組織への参加、経済九原則、単一為替レートの設定などは新政策のあらわれである。
 しかし経済自立には、賠償問題という根本的な障害が付きまとっていた。経済自立は経済復興にほかならず、耐乏生活だけでなく、生産増強が必須だが、主要生産工場の多くが賠償指定を受けて操業が停止させれれていた。賠償指定845工場のほとんどは鉄鋼、造船、化学、航空機、機械、電力といった基幹産業のもので、これではいくら為替レートの設定がされ貿易振興が叫ばれても、肝心の輸出するものが産出できない。指定工場のうち470は、総司令部に平和産業への転換が認められて操業していたが、賠償の対象になっていることに変わりはなく、前年度は17軍工所約十万トンが撤去された。今年度は50万トンの賠償撤去が予定されていたが、軍工所の残りは約二十万トンなので、不足分は民間工場に食い込まざるを得ず、このままでは機械、施設は減る一方ではないか、と産業界の不安が高まっていた。その意味で、米国の賠償打切りは朗報だった。今回の措置は米国の対日政策の画期的な前進であると朝日新聞が歓迎の意を表明すれば、株式市場も反応して重工業株は一斉に高騰した。

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トランプエレメント (サステナブル)
2021-08-27 23:11:42
ダイセルリサーチセンターの久保田邦親博士(工学)の材料物理数学再武装は人工知能と品質工学のあいのこみたいで面白いよ。最近学術問題なんかでネット分断が社会問題視されていますよね。これは人類文明の構造的な欠陥で、それは国富論で有名な経済学者アダムスミスまでさかのぼるという。エンジニア、ものづくりの専門家はよくトレードオフを全体最適化するといいますが、その手法が眠っているのがブラックボックスの人工知能の中だけ。そのエッセンスが関数接合論だとして実際アダムスミスの神の見えざる手をエクセルで計算している。なかなか興味深い。

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