「経済難局に処するの道」 高橋是清(昭和10年1月)2

2016年05月03日 | 歴史を尋ねる
 最近の輸出貿易は誠に目覚ましき躍進を示し、このためわが国が各国に比し、早く世界的不況から脱出し得た大きな原因となっている。国際的に通商に自由が失われ、欧米諸国の貿易が連年縮小の一路を辿っている際、わが商品のみが独り目覚ましき躍進を示していることに対しては、諸外国中には、その競争に耐えかねて種々の防止策を講じ、不当なる圧迫手段をさえ加えんとするものも決して少なくない。これはわが国の経済的実力に対する誤解から発足するもので、近年のわが輸出貿易の異常なる発展が、単に為替安や労銀安のみに基づくものでないことは、少しくわが経済化の実情を検討すれば直ちに諒解し得るところである(1932年英連邦オタワ会議による自由貿易政策の廃棄、1933年太平洋調査会での日貨排撃に対する論戦)。(中略)
 翻って世界各国の経済状態を見るに、失われた通商の自由は容易に回復されそうにもない。否、各国は各自国の経済を守るため、自給自足政策によって国をたてて行こうとしている。外国品が良質廉価であるからといって、無暗に輸入してはその国は購買力以上に金を費やすことになる。これが続けて、その国の失業者も増え、国家衰亡の原因となるのである。そこで高率関税政策をとるとか、割当制度をとって、外国品を排斥することになるのである。各国の政治家は決してこれを喜んでやっているのではあるまいが、かような手段をとらなければ自国が立ち行かなくなるから、止むを得ずそういう自衛手段をとっているのである。こうして世界各国は相互に他国品を排斥し合う結果、ここにブロック的経済封鎖主義が経済政策の基礎をなす様になって来た。今日は正にその時代で、人類の福祉増進の上からも、世界平和の上からも、これは誠に遺憾なる現象といわねばならぬが、この事実はどうすることも出来ない。
 故にわが国としても今日輸出貿易が盛んだからといって、決して楽観は許されぬ。またこれに過重に依頼して、経済政策の基調をここにのみ置く訳には行かぬのであった。もとより各国と協力して現状打破に務むべきであるが、同時に、いつでもこの国際的変調時代に備えるだけの準備を怠ってはならぬ。すなわち現在のように世界的に経済封鎖政策がとられる場合においては、一国の経済を立ち行かしめ、さらにその繁栄策を図ろうとすれば、何よりも国内の購買力を涵養して行くことが肝要である。この点については、私は機会ある毎に私見を述べているが、どうしても農村振興策をとり、農村の購買力の増進を計らねばならぬと信じている。

 わが国は英国などと違い、農村人には全人口の半数を占めているので、農家経済の消長が国民経済に及ぼす影響は極めて大である。かくの如き事情にあるので、農村経済の行き詰まりは所詮我が国民経済の行き詰まりとなる。ところが不幸にして近年農村経済は、一時経済界大不況の影響と農村経済の特殊事情とによって非常に窮迫し、特に昨年春繭暴落と各地災害の頻発によって、非常な大打撃を受けたのである。これがため、政府は臨時議会を開会してその救済策を講じ、農村経済復興の一助たらしめた。また先年斎藤内閣時代に着手した時局匡救事業も、米価の公定価格制定もこの趣旨にほかならない。もとより現時の経済的非常難局に処していくにはこれだけで足りるものではない。日満両国が緊張なる経済協調を保ち、さらに時代に適応するように、各般にわたる病根を検討して根本的な経済建設策を考究していくが刻下の急務なることは言うまでもない、と。高橋是清の言説は、今の時代から見ても、適切で、むしろこの時代にここまでの情勢判断と経済的分析を適格にしていた人がいたことに驚く。筆者はこの人がなぜ2・26事件で殺されたのか、その疑問にぶつかっている。そこまで情報を閉ざされた青年将校がいたとは。青年将校は社会を憂えていた筈だが。引続き、高橋の言説。

 つらつら世界の現状を見るに、各国が現在の如き封鎖主義的な経済政策に没頭し、国際的な通商自由が失われていては、結局は各国とも経済的繁栄を招来することは困難であって、いつまでもその桎梏の中に苦しまざるを得ないのである。世界経済不況の原因は種々あろうが、その根源を正せば、欧州大戦当時に生じた戦債問題に帰する所が極めて多い。即ち欧州各国は米国に対する戦債支払いのため巨額の資金を支払わねばならぬが、祖の支払方法としては、物資によるのが最も合理的で且つ容易な手段であった。然るに米国は戦後国内対策のため各国に率先して高率関税を設け、物資の輸入を阻止したので、欧州各国は、ドイツより受け取る賠償金によって辛うじて支払い続けて来た。しかし今日では戦債は不払い状態となり、債権国たる米国も、債務国たる欧州各国もこれに悩んでいる。この間に欧州各国の国際関係は複雑化し、自給自足主義の高調となり、関税戦となって金の争奪が行われ、この金の偏在はさらに経済封鎖主義を助長して、世界は挙げて深刻なる不況の深淵に陥った。戦債問題は世界経済の癌といっていい。
 現下の世界不況を打開し、各国間の排外的経済政策を是正するには、世界経済の指導的地位を占める米国が自発的に戦債問題の合理的解決の乗り出して、初めてその暁光を望みうる。米国政府当局もすでに気づき、ハル国務長官の如きは、自由通商の昔に還さざれば、世界もまた米国も経済的苦境から解放され得ないという意見を持っている。戦債問題の解決は、国際貿易を円満に発達せしめ、関税の障壁を正当に調整し、国際為替相場を安定せしめ、もって世界平和を招来せしめるための先決問題であって、一日も早く関係各国はこれが実現に協調的態度に出ずべきである、と。イヤー、世界を俯瞰した大変な見解である。当時の外務大臣広田弘毅もこの辺からアプローチする方法はなかったのかな、国際連盟を脱退しているからむつかしいか。(中略)

 経済政策はその効果がすぐにでも現れるものではないと事例をもって説明した後、赤字公債の問題を取り上げ、その状況について説明した後、次の説明をして高橋は持論を締めている。
 予算編成にあたって、公債発行を減少させるよう努力はしなくてはいけないが、しかしそれ以上国家に必要なる政策を遂行する場合、単に財政的見地のみに立てこもっている訳には行かない。公債の消化力が非常に減退したとすれば、悪性インフレを誘致し、国民経済上、由々しき問題となる。現在の公債発行政策は政府の発行したものを日銀に全部引き受けしめ、日銀はその買入れ希望者に売るようにしている。この政策は私が始めたことで、責任の重いことと考えている。(中略)今後、その消化力の限度がどの程度あるか、数字をもって明確に示すことは出来ぬが、まだ相当余力があると思う。
 右の諸問題のほか、国防と財政とをいかに調和させるかという大問題がある。これを国策として決定せぬ以上、財政計画も赤字政策も立ち得ない。一昨年秋の斎藤内閣時代における関係五相会議はそれが目的であった。今後もそれらについては十分考えていかなくてはならぬ。これが決まれば自然、国防費の問題も解決し得る。要するに現代は各方面にわたり、誠に多難な時代で、これが打開には堅き決心を持って当たらなければならぬ。経済界のみに限ってみるなあば、我が国は幸いにして経済的再建の途にあるが、いまだ不況克服に数歩を進めたに過ぎず、前途なお幾多の難関が横たわり、真の経済建設は今後のことに属している。しかも国際経済は混沌たる状態にあり、この難局に当たっては真に大国民たる襟度を持し、事に当たって狼狽せず、協心戮力わが国の経済発展に力を尽くすと共に、世界経済の回復に貢献する所がなければならないと信じるものである。

 本の森版には昭和10年1月しか註がない。いついかなるところでの高橋の言説か解説がないのが残念である。今読んでも当時の歴史を見通した立派なものである。安倍首相が自信をもって推し進める現代の経済政策も、こんな裏付けを支えにしているのかもしれない。