江藤淳著「閉ざされた言語空間」について、語られる場面に度々出会うが、本物を読む機会はこれまでなかった。特に有名なのは、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information Program)で、太平洋戦争終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、以下GHQと略記)による日本占領政策の一環として行われた「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」である。このプログラムで江藤は、その嚆矢である太平洋戦争史という宣伝文書を「日本の「軍国主義者」と「国民」とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている」と分析。また、「もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI&Eの「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。つまり、そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいない」とも指摘している。以上はウキペディアの解説であるが、江藤はもう少しそもそも論に目を向けている。
昭和54年、江藤は国際交流基金の派遣研究員としてウイルソン研究所に9カ月間赴き、米占領軍が日本で実施した検閲に関わる文書の検索と通読に没頭。この検閲の全貌を、一次史料によって跡づけようと試みた研究は、江藤の知見の及ぶ限り今日まで一つも発表されていなかった。江藤が寄稿した論文を、合衆国内では事実上全く知られていない検閲システムについての実証的研究と評価されている。江藤はいう。米占領軍が戦後日本で実施した隠微な検閲の苛烈さは、いわゆる言論の自由について深刻に反省する材料を、少なからず米国の読者にも提供するに違いない、と。日本の読者に対して江藤が望むことは、人が言葉によって考えるほかない以上、人は自らの思惟を拘束し、条件付けている言語空間の真の性質を知ることなしに、到底自由にものを考えることが出来ない、という原則である。つまり今(江藤の言う昭和50年代)の言語空間は占領軍の検閲の中から形成された、その性質をよく理解しておくことが重要だ、ということである。
通説によれば、日本は敗戦・占領と同時に連合軍から「言論の自由」を与えられたことになっている。しかし実際には昭和20年9月14日、同盟通信社が24時間の業務停止を命じられた。業務再開を許されたとき、同社の通信は日本のみに限られ、社内に駐在する米軍によって100%の検閲を受けることになった。9月20日、朝日新聞は48時間の発行停止処分を受けた。英字新聞ニッポン・タイムズも24時間の発行停止処分、東洋経済新報の9月29日号が回収断裁処分を受けた。この時期を境にして、占領下の日本の新聞、雑誌等の論調に一大転換が行われた。この時日本人の心の内外に何が起ったのか、江藤は能う限り正確に知りたいと思った。その当時起こったことが現在も尚起こり続けている、という不可思議な感覚を、どうしても拭い去ることが出来なかった、と。江藤は当時文芸時評を書いていたが、自分たちがその中で呼吸している筈の言語空間が、奇妙に閉ざされ、かつ奇妙に拘束されているというもどかしさを感じた。いわば作家たちは、虚構の中でもう一つの虚構をつくることに専念していた。江藤はいう。
GHQは、米国の統合参謀本部の命令(1944年(昭和19年)11月12日付)により、日本において検閲を準備し、実行した。実行にあたっては、「日本における太平洋陸軍民間検閲基本計画」が立てられた。これによると、民間通信(すなわち、郵便、無電、ラジオ、電信電話、旅行者携帯文書、及びその他一切)の検閲管理、秘密情報の取得などを使命とし、国体の破壊、再軍備の阻止、政治組織の探索、海外との通信阻止などを主眼とし、後に新聞、あらゆる形態の出版物、放送、通信社経由のニュース、映画なども民間検閲の所管としてこれに加えられた。
実行には民間検閲支隊があたり、検閲は隠蔽された。日本の戦時特別統制下では法律により検閲が定められていて、それは国民一般に広く知れ渡っていた。しかし、GHQが行った検閲は、そのことに言及したり、また、伏字で埋めたり塗り潰すなどの痕跡を残してはならず、秘匿を徹底させられたため、言論統制された情報であることを国民は認識できなかった。検閲は峻厳を極めた。違反したと判断された場合、発行停止の処分や回収裁断などがなされた。さらにGHQは、マスメディアひいては日本の言論を完全なる掌握下に置くために指令を発し、政府による検閲を停止させ、通信社を解体に追い込んだ。
民間検閲支隊(CCD)の組織は、太平洋戦争勃発後設置され戦争終結とともに解散した米国政府機関、合衆国検閲局に準拠しているとされる。昭和22年3月時点のCCDの構成員は、将校88人、下士官80人、軍属370人、連合国籍民間人554人、日本人5076人、総員6168人であった。そのうち新聞雑誌等の検閲に日本人は1500人以上従事していたと推定された。日本人で検閲官に応募してCCD入りした人々の動機は経済的なものであったに違いない、滞米経験者、英語教師、大学教授、外交官の古手、英語に自信のある男女の学生にも高級を支給した。この報酬約5000人の要員にATIS勤務の日本人を併せれば、その数は10,000人以上にのぼると思われ、後に革新自治体の首長、大会社の役員、国際弁護士、著名なジャーナリスト、学術雑誌の編集長、大学教授等々になった人々も含まれているが、そのうち誰も経歴にCCD勤務の事実を記載した人はいない、と江藤淳。
検閲は私信にも及び、CCDの検閲の手が、個人のもっとも内密な部分から発せられた言葉に及んでいた証拠をまの当たりにして、思わず身震いしたという。江藤が発見した哀切な恋文は、CCD郵便部が取り扱っていた月平均2000万通にのぼる郵便のほんの僅かな一滴にすぎない。CCDはそのうち400万通の私信を開封し、詳細に検討していた。電話についても毎月350万通の電信について、25000件に達する電話の会話を盗聴していた。そこにこそ、日本人の本音が隠されている筈だから。昭和21年12月、抽出さるべき私信の数を各地域に割り振り、一カ月で33万通の多きに達した。その結果から、いかなる世論調査機関も果たし得ない、精密極まる日本の世論動向を把握するに至った。同じ時期日本を訪れた米国人ジャーナリストの目には、「実際、米国人の信条や慣習に関するコメントは、一般にあまりに好意的で、ほとんど阿諛追従に域に近づいている」と。この頃までに、日本のジャーナリズムは、ほぼ完全にCCD製のジャーナリズムと化していたと言わねばならない、と江藤。しかしほとんど阿諛追従の域に近づいていた新聞論調とは裏腹に、日本人の本音が依然としてある種の誇りを維持し続けていることを、CCD当局は正確に認識していた。
日本の世論動向の把握に努めていたCCD当局が、特に注目し続けていたのは、戦犯容疑者と戦犯裁判委対する国民感情の動きであった。極東軍事裁判批判は、削除または掲載発行禁止に相当する事項の第三番目に挙げられていたが、江藤がとくに特筆するのは、CCDの提供する確度の高い情報に基いて、CI&E(民間情報教育局)が、ウォーギルトインフォメーションプログラムを数次にわたって強力に展開していた事実であった。新聞:週三回の記者会見、新聞社幹部と記者の教化、活動の大部分は民主化を強調するプログラムに充てられる。日本のあらゆる新聞は、全国的にはCI&Eを、府県別には軍政部を通じて、毎日占領政策の達成を周知徹底させられている。東京裁判が開廷されるに先立ち、CI&Eは国際検事局のために二回の記者会見、弁護団のためには一回の記者会見を開催した。裁判に関する一切の情報を日本の新聞に取得させるため、とりわけ検察側の論点と検察側証人の証言については、細大漏らさず伝えられた。新聞や雑誌の幹部に対し、公式の席上や日常の記者会見の席上で、戦前戦中の日本の報道機関の腐敗ぶりを指摘する試みが、繰り返し行われた。日本の侵略と軍国主義政府のお先棒を担いだ新聞の役割との関係は、動かしがたいものだと力説することにしていた。戦前の日本の新聞が政治上の議論に影響力を行使していたならば、東條とその一味徒党は、日本を今日のような悲惨な状況に陥し入れようとせず、またしようとしてもできなかったであろうとも新聞課長は述べている。
江藤はCCD(占領軍民間検閲支隊)の言論検閲が、いかに戦後日本の言論空間を拘束し続けて来たかについて、ここでは詳細に記述することは出来なかったが、屢述してきた。そしてこの構造が日本の言論機関と教育体制に定着され維持されるようになれば、占領が終了しても、日本人のアイデンティティと歴史への信頼は、いつまでも内部崩壊を続け、同時に国際的検閲の脅威に曝される、と。この脅威は、現に日本国内において、しかも報道機関それ自体の手によって、歴然たる検閲が行われているという実情を体験し、入手することができた。それは皇室と日本文化の根源に関わっている、と。
言語として、国語をして、ただ自然のままにあらしめよ。今日の日本に、平和もあり、民主主義も国民主権もある。しかし今日の日本に、自由は依然としてない。言語をして、国語をして、ただ自然のままにあらしめよ、息づかしめよ、このことが実現できない言語空間に、自由はあり得ないからである、江藤はこう結ぶ。