「経済難局に処するの道」 高橋是清(昭和10年1月)

2016年05月02日 | 歴史を尋ねる
 手元に、高橋是清口述、聞き書き上塚司、「高橋是清 随想録」がある。この本は昭和11年3月29日発行、発行所・千倉書房の復刻版である(1999年発行、本の森社)。高橋が2・26事件で倒れた約一月後、上塚(高橋是清秘書官、衆議院議員)の手で出版された。口述時期の不明なものもあるが、当時を知る一級の史料であるので、詳細に亙るが、昭和10年1月に高橋(岡田啓介首相の下で大蔵大臣)はどう考えていたのか、松元氏見解との関連もあるので、引用しておきたい。

 ここ数年間世界各国は未曾有の経済的大不況に襲われ、一歩誤れば経済組織の根本から覆される程の難局に逢着した。各国ともこの経済不況打開についてはあらゆる手段を講じ努力を払って来たため幸いに、最近一年位に至ってやや安定しかけて来たように見受けられるが、なお根本的立て直しまでには前途幾多の難関が横たわり、その打開の容易ならざるを思わしむる。かくの如く、今回の世界経済界の大不況は深刻なものであったが、我が国もその例に洩れず非常なる難局に遭遇した。幸いにして我が国は朝野の努力によって各国に比し、早くこの難局から脱出して経済再建の途に上り得たのは邦家のため誠に慶賀に堪えない。
 周知の如く我が国が各国に比し早く経済難局から脱出し得たのは、輸出貿易の躍進と、通貨の適正なる供給ということに負う所が多い。即ち我が輸出貿易の活況は昭和6年12月の金輸出再禁止以後のことに属するが、金輸出再禁止政策が目指す所は右の如く、一は輸出貿易の進展に機会を与えること、同時に二には国内に適正量の通貨を供給し生産と消費との間の失われた均衡を回復せしめ、もって両者の連絡、調節を円滑ならしめんとすることにあった。

 今回の経済不況は人類の生活に必要なる物質の欠乏に基づくものではないことは明らかであって、むしろ供給過剰のため物価が暴落し生産設備は大部分休止するという所にあった。換言すれば生産と消費との間に均衡を失した所にその原因があったのである。故にその対策としては両者の均衡を得せしむることで、これは適正量の通貨供給に俟つほかはなかった。金輸出再禁止は当時の為替事情から当然執るべき政策であったが一面右の如き国内政策を執る上にも是非決行せざるを得なかった。(高橋是清が日銀副総裁時代、井上準之助と懇意になり、前途に多大の望みを嘱した。横浜正金銀行頭取、日銀総裁にしたのも高橋だった。その時分まで井上との意見の相違はなかったので、議論もしたことがなかった。その後、浜口内閣が成立する二日前に高橋の所にやって来て、「浜口君と話し合って見ると、現在の財界を匡正するためには緊縮政策によりいじめつけて金解禁をしなければならぬという事に意見が一致したので、大蔵大臣を引き受ける事になった」と言ってきた。高橋は別れるとき「国家の前途を考えて自分の信念を貫くためには、君も万難を排して進むつもりであろうが、正しい真直ぐな道を歩く事を忘れてはならない」と言っておいたと随想録に収録されている。井上準之助の後の大蔵大臣が高橋であることも、日本の歴史の不思議なところでもある) 金輸出再禁止以後のわが国の財政経済状態に触れることは、善悪ともに私の執り来たった政策を語ることになるので、好ましくないが、とにかく一言しよう。

 金輸出再禁止以来の国内的経済工作は如何にして支障なく適正量の通貨供給を行うかということに力を注いだ。種々の工作が必要であったが、まず低金利政策を執ることが基礎的工作であった。これは産業振興の見地から当然執るべき処置であったが、すでに金の輸出を禁止し、国内正貨保有量を遥かに超えて多量の通貨を供給せんとする方策をたてた以上、わが対外為替の下落は当然のことであった。従って資本の海外逃避の風が見え、さらに低金利を徹底せしめんとすれば、資本逃避の傾向がますます助長されるのは経済法則上免れ難いところであった。そこでまずその防止方法として資本逃避防止法や為替管理法を制定し、十分この方面の工作を行い、然る後低金利政策を進めることとした。(中略)欧州大戦以前の経済現象では、多くの金利の高低によって経済界の不況は支配されたが、現在の如き複雑にして、しかも通商の自由が失われた時代は、その経済的病根を除去せんとするにも、幾多の手段を必要とする。しかし尚低金利政策の不況対策症法としては最も有効なる手段である。
 即ちこれによって事業経営者の負担を減じ、やがては経済界を回復に導く原因となるが、さらにこの純経済役割的以外に、社会的に重大なる意義を有するものと信じている。資本が経済発展の上に必要欠くべからざることは言うまでもないが、この資本も労力と相まって初めてその力を発揮するもので、生産界に必要なる順位からいえば、むしろ労力が第一で、資本は第二位にあるべきはずのものである。故に、労力に対する報酬は、資本に対する分配額よりも有利の地位において然るべきものだと確信する。『人の働きの値打ち』を上げることが経済政策の根本主義だと思っている。またこれを経済法則に照らして見ると、物の値打ちだとか、資本の値打ちのみを上げて『人の働きの値打ち』をそのままに置いては、購買力は減退し不景気を誘発する結果にもなる。
 今度の世界不況の原因も、多分に、そういう所から発足していることは否み難い。また直接産業に従事している人々の報酬と、過去における蓄積に対する報酬とは、同様に見ることは出来ない。直接生産に従事する人々の報酬を厚くすることは、人の労務を重しとする所以であって、座して衣食するより働く如かずという観念を、社会人心に扶植することが肝要で、この社会通念が濃厚になって初めて労使の協調が達せられる。

 この風潮を促進せしむるためにとるべき経済政策こそ低金利政策である。故に私は低金利政策の遂行は、ひとり事業経営者の負担を軽減して、不況時に際し経済界を回復に導く方策のみならず、実に労使の円満なる和合を促進せしむるものと信じている。この意味からも、なお低金利政策を進めたいと思っている。しかし、これは経済界の実情、金融界の事情等を検討して、実際に適応する様に遂行すべきことが主で為政者はこの点に常に留意すべきことは言うまでもない、と。 ひやー、すごい。まだまだあるが、いったんここで中休みしたい。
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