二・一ゼネストについて、山川日本戦後史は、「マッカーサーがストの前日に中止命令を出した。大きな高まりをみせながらも、GHQの指令一本でストは中止となった。ストは中止されたものの、これは戦後労働運動の発展の画期となった」と記述する。 一方、ウキペディアは、「共産党と左翼勢力によって1947年(昭和22年)2月1日の実施を計画されたゼネラル・ストライキ。吉田茂政権を打倒し、共産党と労働組合の幹部による民主人民政府の樹立を目指した。2.1ストとも言う。決行直前に連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーの指令によって中止となり、戦後日本の労働運動の方向を大きく左右した」 尚、この記事は検証可能な参考文献か出典が全く示されていないか、不十分です。脚注には江崎道朗『朝鮮戦争と日本・台湾「侵略」工作』PHP新書2019年からとあり、江崎氏がアカデミック出身ではないので、不十分というウキペディア自身の注が併記されている。 では、ブリタニカ国際大百科事典はどう解説するか。「同年1月 15日全国労働組合共同闘争委員会が結成され,全日本産業別労働組合会議 (産別組合) ,日本労働組合総同盟 (総同盟) ,官公庁労働組合の共同闘争体制 (30組合,400万名) ができあがり,47年1月 18日にゼネスト宣言を発した。さらに日本社会党,日本共産党などを含めた倒閣実行委員会も発足し,吉田内閣打倒,民主人民政府樹立の政治要求も掲げられた。しかしこの計画も1月 31日午後2時半連合国最高指令官 D.マッカーサーの禁止命令によって中止された。連合国総司令部 GHQが労働運動に正面から介入した初めての事例で,初期占領政策の転換を示した」 ブリタニカもウキペディアの趣旨に近いが、ストの目的を労働組合の要求レベルにとどめている。 このブログでは児島襄氏の著書によって、その事実関係を追いかけたい。
1月29日、全官公庁伊井議長は中労委を訪問し、前日の調停案に対する拒否回答を行った。全官公庁は徹夜で協議をかさねすえ拒否を決定した、交渉期限ぎりぎりまで、スト回避のため、政府との交渉に全力を注ぐ、と。政府側は調停案の応諾と1月1日からの実施を回答した。だが、全官公庁は全力態度を変えず、「もはや一大ゼネストをもってこの亡国政府を打倒し、民主政府を樹立する、と声明した。もはや政変の決意表明となる。では、占領軍の中止命令はないのか。共産党員である産別組織部次長斉藤一郎によれば、共産党グループ会議でもその点が問題となったが、指導者野坂参三は占領軍の介入はない、と判決した。①第二十四軍団長ホッジ中将の南朝鮮における労働運動弾圧が国際的批判を受けている、②南朝鮮以外の占領地でスト弾圧はない、③南朝鮮に関して米本国でマッカーサー元帥批判が高まっている。元帥は自らの首をしめるような日本での労働運動弾圧はしない、というものであり、政治局員長谷川浩も占領軍は絶対に手を引くと言明した。当時の共産党には占領軍を解放軍と見做し、当然に解放党である共産党を支持しているとの確信がうかがわれるが、占領軍は反共に立場をとる米国の軍隊である。すでに総司令部経済科学局は繰り返し中止を勧告し介入をほのめかしていた事情は野坂参三らの耳にも入っている。その意味で、共産党指導陣の判断は希望的観測であったが、第八軍司令官アイケルバーガー中将は、「共産主義者が支配する組合に鉄道その他の連絡手段を確保させるほど、占領を崩壊させる容易な方法はない。われわれが日本に上陸した際に発出した労働組合助長の指令は、民主主義を逆行させるものでしかなかった。敗戦国の権力を無責任なグループに集中させることは弱点である」と。
1月30日、政府はゼネスト回避の手を打った。労組側が倒閣を目標にする政治ストを決心している以上、経済的要求を丸呑みしても収まるとは思えない。総辞職が政治スト回避の方策として賛成する閣僚も多かったが、吉田首相は内閣改造による押し切りを主張した。むしろストに節度を求める逓信省、今一度慎重さを求める運輸省、官吏服務規程違反として処分を伝える内務省、各種刑罰法令にふれることとなると、警告を発する検事総長と、説得と警告を試みた。しかし、相手方を納得させられるものではなかった。そして、政府はそれ以上の打つ手がなかった。 同日、経済科学局長マーカット少将は、全官公庁の伊井議長ら代表を招き、1月22日の勧告を総司令部の正式命令として発出する、6時間以内にゼネスト中止指令を各組合に出して、その写しを持参せよ、と。伊井議長は組合側からは中止指令は出せない、中止させるのならマッカーサー元帥の直接命令が必要だ、と主張。命令だ、中止指令を持参せよ、ゼネスト中止指令に反抗するする者は、労働組合運動を裏切る者だ、と少将は席を立った。 総司令部参謀長ミューラー少将はアイケルバーガー中将にこう言った。①マッカーサー元帥は、総司令部の権威と面子のために経済科学局にゼネストを中止させようとしている。②しかし、同時に元帥はマーカット少将の無能も承知しているので、翌朝の少将の工作失敗にも備えている。 この夜、首相官邸には蔵相石橋湛山、逓信相一松定吉、運輸相平塚常次郎、厚相河合良成、文相田中耕太郎が交渉のため待機した。全官公庁は側は、マーカット少将の期限付き通告について各組合の中央闘争委員会で協議を行い、全逓は58対16、国鉄総連合は24対12、また全教協もゼネスト突入を決定した。
1月31日、全官公庁、伊井議長は共同闘争委員会の議決を求め、24時間後のゼネスト開始が確認された。首相官邸では待機する5閣僚のうち3人は引き揚げ、石橋蔵相と河合厚相は残った。経済科学局のコピー持参刻限であるが、スト中止は出来ぬ旨を同局に通告した。首相官邸に共産党書記長徳田球一があらわれ、「日本民族の権威のために組合は断固ゼネスト突入を決めた。頼もしいのは労働者だ」と石橋蔵相に告げた。官邸には中労委の末広会長代理がいたが、全官公庁代表は、政府案を拒否する、ゼネスト突入は確定した、と通告した。午前八時、予定計画にしたがい、第八軍は警戒態勢に入った。第八軍の警戒態勢実施のニュースは日本側にも伝わった。中労委事務局賀来第一部長が、占領軍がゼネスト弾圧に踏み切ったのではないかと、共産党書記長徳田球一に述べると、「いや、とんでもない。あれは、われわれ共産党がクーデターをおきなうとき保護するためにやっているんだ」と。占領軍はゼネスト、共産革命を支持すると確信していた。午前10時過ぎ、アイケルバーガー中将に参謀長ミューラー少将から電話があり、経済科学局の工作が失敗に終わったので、本日午後、マッカーサー元帥がゼネスト中止命令を発出することになった、と。午後2時半、総司令部はマッカーサー声明を発表した。『連合国最高司令官として私に託された権限に基づき、ゼネストを実行せんとする労働組合の指導者に対し、現下のごとく窮乏にあえぎ衰弱している日本の実状において、このような致命的な社会的武器に訴えることを許さない旨を通告し、このような行動をとらざるよう指令した。日本の都市は焦土化し、産業は停止状態にあり、国民はようやく飢餓をまぬかれようとしている。このような状況での輸送と通信を不具にするゼネストは、食糧と石炭の移動を困難にし、日本国民の大多数を事実上の飢餓状態に陥れ、日本国民の家庭に恐るべき結果をもたらすであろう。ゼネストの関係者は、日本国民の中の極く少数者である。日本は最近、少数者により大多数が戦争の惨禍をこうむる体験をしたばかりだが、いままた少数者が大多数に災いしようとしている。その結果は、どうなるのか。日本国民が少数者によって乱暴に押し付けられた運命に身をゆだねるか、あるいは連合国が日本国民に必要な食料その他の物資を無限に供給せねばならなくなる。連合国側は、すでにその乏しい食料の中から対日援助を行っている。私がこれ以上の負担を連合国民に要求することは、ほとんど不可能である。ゆえに、内外の公共の福祉のためにゼネストを中止させる』と。
午後4時53分、マッカーサー声明がラジオ放送された直後、米兵二人が全官公庁を訪ね、伊井議長にマーカット少将の出頭命令を伝達、各単産の委員長も同伴した。司令部に入ると、マーカット少将は憎悪に燃える視線を伊井議長に向け、直ちにスト中止をラジオで放送せよと命令し、マッカーサー声明文を突きつけた。外界では事態がスト中止の方向に急転回していた。共産党が声明を発表した。「総司令部の声明はゼネスト中止を通告したのであって、合法的な目的貫徹のための行動の自由を制限したのではない。組合は自己の当然の要求を掲げて、政府または資本家に対して闘争を続けるであろう」と。午後9時16分伊井議長はマイクの前に立った。「声がかれていてよく聞こえないかもしれませんが、緊急しかも重要ですからよく聞いてください。私はいま、マッカーサー連合国最高司令官の命により、ラジオをもって親愛なる全国の官吏、公吏、教員の皆様に明日のゼネスト中止をお伝えしますが、実に、断腸の想いで組合員諸君に語ることをご諒解願います。敗戦後の日本は連合国から多くの物的援助を受けていますことは、日本の労働者として感謝しています。命令では、遺憾ながらやむを得ません」なお生活改善のために政府と交渉を続けると言い、最後に「日本の労働者および農民万歳、われわれは団結せねばならない」と。ときに嗚咽に途切れる切々とした伊井議長の放送は、聞く者の胸を打ったが、同時に疑問も誘った。労働者を救い亡国内閣を打倒するゼネストだと言っていた、では進駐軍は最初は全官公庁を指示していたのか、最後の労働者側を裏切ったのか、あるいは全官公庁側の一方的な誤算だったのか。アイケルバーガー中将はこう感想を手記している、「彼らは新憲法が施行されて日本が民主国家になる前に、日本を共産国家にしようとしてゼネストを計画したのかもしれぬ。そんなことは今後も出来ぬ」
革命到来とさえ、国内を興奮させたぜネストは、中止されてみると、まるで突風が吹き抜けただけのように、世間の興奮も意想外にあっさりと消え失せた。その意味では、政治スト、倒閣ストの性格を持ったゼネスト乗り切りは、政局の安定をもたらす筈であるが、事情は相違した。政府が自力でゼネスト騒ぎを収拾できなかった不手際は海外からも指摘された。「現政府より進歩的な政府が出現すれば、日本の経済状態を改善することができる」とシカゴ・デイリー・ニューズが論評すれば、他の米国紙の多くも同様の批評記事を並べた。国内のマスコミも、改めて吉田内閣の反動性を非難したが、与党・自民党内からも不満の声が噴出した。対象は1月31日に実施した内閣改造人事であった。元厚相芦田均は、これで政党内閣か、官僚内閣だ。外からの不評と与党の不満できっと潰れ、と。マッカーサー元帥は危機を感得した。元帥は二年後の講和を予期している。そのためには、日本の政府と政局が安定して、新憲法が定着することが前提になる。内閣がぐらつき政情不安が続けば、日本に講和は早すぎる、占領の長期化が必要ともなりかねない。元帥は吉田首相に書簡を送った。「私の信ずるところによれば、総選挙の時期に到ったと思う」 この一年間に日本の社会は非常な変化をとげたので、諸問題についてあらためて国民に自由なる意思を問う必要がある、新憲法の実施に伴う新立法が施行されるようにするため、現在の議会閉会後なるべく速やかに総選挙は行われるべきである、と。新憲法施行日の5月3日の前に議会を解散して総選挙を行ない、新議会で新憲法に臨め、との命令にほかならなかった。