冷戦下の日米関係の模索・構築 「ダレス・吉田会談 再軍備問題」

2021年09月30日 | 歴史を尋ねる

・12月16日、トルーマン大統領の国家非常事態宣言に恐れをなすことなく、中共はさっそく反発した。国連に出席中の中共代表伍修権は緊急記者会見を行い、声明文を読み上げた。①朝鮮問題の唯一の平和的解決手段は、朝鮮から外国軍隊を撤退させること、②中共政府は中共義勇軍が朝鮮人民軍の味方をして侵略軍に抵抗することを終結させる用意がある、③当面の諸問題を平和的に解決するためには、中共の国際社会参加を承認する以外に道はない、④朝鮮における停戦案は単なる落とし穴にすぎない。⑤中共政府は、戦争の地域が局地化され平和的に解決されることを絶えず希望してきた。⑥国連安全保障理事会が米英の圧力によって、朝鮮および台湾からの米軍の撤退を要求した中共政府の提案を拒否したのは遺憾である。
・中共代表団は握手しに来たと思ったら、差し出した手を払いのけた。外交筋は対日講和の締結は望ましいが。目下のところはソ連および中共の軍、政両面の出方に対処するのが先決だ。しかしダレス顧問は任務を放棄しておらず、マッカーサー元帥と本問題を協議するために近く訪日する予定であった。
・総司令部情報部長ウィロビー少将は朝鮮の現状について統合参謀本部に報告した。 中共軍は撤退する第八軍の追尾に失敗した。これは敵の機動力の不足と作戦のバランスの欠如をしめす。中共軍主力の位置は謎だが、北朝鮮軍の背後で再編中だと思われる。
・ウィロビー少将の推測は当たらなかった。中共・北朝鮮軍は北緯38度線を突破して新たな攻勢を開始した。戦法は北朝鮮軍第十師団で、厳重な隠密行動を指示された。行動は雪山の夜行に限られ、敵側に通報されるのを防ぐため村落での物資調達は禁止され、食糧は各自が背負った分だけに頼り、足跡を残さぬために一般道路の通行は避け、敵機に発見されぬよう一切の火気は厳禁された。寒さ、飢え、病気に対する救護手段もなく、生き残れるものだけが進む環境を強制された。こうして米軍の偵察の眼をかわした。第八軍情報部の戦況報告は、戦線に異状がないと繰り返していた。
・12月23日、第八軍司令官ウォーカー中将が自動車事故で急死した。折から敵の新攻勢がようやく探知された。それだけに最高司令官の死は米韓軍将校にショックを与えた。後任には陸軍参謀次長リッジウェイ中将。
・12月24日、マッカーサー元帥は国連軍将兵に対するクリスマス・メッセージを発表した。この日駐日韓国公使金龍周が官房長官岡崎勝男を往訪し、米軍が日本に引き揚げて反撃を準備する可能性がある、その際韓国人を最低百万人日本に移動させたい、北九州に収容する用地を貸与していただきたい、と。朝鮮戦争は在日朝鮮人社会にも深刻な影響を及ぼしていた。南北二派に分裂して紛争と抗争を繰り返していた。先に肥柄杓を振りかざしたり棍棒を握りしめるのは北朝鮮系だが、韓国側から百万人が移住してくると、事態は逆の展開になるかもしれない。日本の警察力では国内の治安も維持できない。長官が首を横に振ると、ことは首相レベルの問題だ、日本が韓国に贖罪する好機だ、と。結局は幻に終わった。
・芦田元総理は総司令部民政局から時局に対する意見を求められた。その意見書が12月28日朝日新聞一面に発表された。その内容は、朝鮮事件を通じて共産主義国の侵略的意図は明瞭で、日本もその脅威にさらされている。政府は日本が危機に立つこと、自らの手で国を守る心構えが必要、自民党も社会党も国連への協力を標榜しているが、積極的な努力は何一つしていない。はたして米英の信頼を繋ぎ得るだろうか。日本の世論は眠っている。日本は防衛を国連に依存するというが、かつて自衛せぬ民族を他民族が血の犠牲で守り抜く例はなく、他民族に国防を依頼するのはその民族の屈辱である、と。自衛再軍備論であった。
・すかさず社会党が反発し、書記長浅沼稲次郎が声明した。芦田氏は憲法制定の際、この憲法こそ世界人類の在り方を示すものだと訴えた。その芦田氏が平和憲法に違反する意見書を発表するとは遺憾であり、国民に動揺を与える。
・吉田首相もこの日の記者会見で、国際情勢の見通しとして、戦争より神経戦になるということを考えねばならず、冷静に事態を判断しないと事を誤る。とくに新聞が冷静になることを希望する。芦田君がいろいろ言うのは自由である。しかし私の見方は違う。再軍備については、容易に口にすべからざるもの、憲法の規定に反する問題を取り上げるのはよくない。過去において日本は過大な軍備を持ったがため、その結果、大東亜戦争という無謀な戦争に入ったのであるから、国民も軽々しく再軍備をいうべきではない。もし軽々しく取り上げれば隣国に過去を思い出させることになり、結局、講和に影響する、と。
・12月28日、米政府はソ連国連代表マリクに米国の対日講和方針を伝えた。日本は戦後すでに五年以上にわたって忠実に降伏条件を履行しており、講和条件を結ぶ資格を持っている。対日戦に参加したすべての国が対日講和条約の締結に参加することを希望する。ある一国が命令する条件でなければ対日講和は成立しないというソ連の主張は承認できない。国連憲章による信託統治領を領土拡張とみなすことは不当であり、琉球、小笠原諸島は自動的に対日講和条約から除外すべきだというソ連の主張は了解できない。講和条約締結と同時に日本の軍事占領は終結するというのが米政府の見解である。しかし平和が世界に確立されず、軍国主義が世界から駆逐されていない事実は、日本が国連憲章に基づいて自衛のための個別的または集団的取り決めに参加することの根拠になる。

・昭和26年元旦、マッカーサー元帥の年頭の辞:日本は政治的、経済的、社会的に国家の安定という目標に向かってめざましい進歩を続けてきた。国際関係の緊張が高まっているにもかかわらず、日本は平穏と進歩のオアシスになっている。憲法の戦争放棄の理念は、最高の一つの理念であり、文明が維持される限りすべての人々がいずれは信奉しなければならないものである。しかし世界では国際的無法状態が引き続き平和を脅かし、人々の生活を支配しようとするならば、自己保存の法則に道を譲らねばならなくなることは当然である。国連の枠内でパワーを撃退するパワーを用いることが諸君の義務となるであろう。今年は二つが達成されることを信じている。一つは講和条約を通じて完全な政治的自由の恩恵を受けること、もう一つは政治的道義、経済的自由を兼備し、社会正義の理念に根を下ろした日本国民が、今後のアジアの運命に大きな影響をあたえること。  児島襄氏は元帥の言葉から、今年は講和の年、国連協力のための再軍備の年になることを覚悟せよ、と解釈する。戦争放棄の憲法を作ったマッカーサーが再軍備を言い出しているのだから、矛盾を抱えた憲法だということをマッカーサー自身も認めていることになる。「やむを得ざる自己保存の法則」と言っている。
・吉田首相の新年のことば:講和が近づいているとき、われわれは静かに再興日本の将来に想いを致すべきである。朝鮮動乱で日本は今にも戦禍に巻き込まれると周章するには軽率である。民主、共産の両主義は相いれることはできず、対立の結果は冷酷な神経戦が展開され、なお長期にわたる。世間に流布されている妄説は神経戦に毒されている証拠である。国民は動揺せず、愛国独立の精神をもって毅然として国際関係に対処すべきである、と。
・最高裁判所長官田中耕太郎の言葉:平和は真理と正義を内容とする場合にのみ真に望ましいものとなる。独裁的権力者の暴力で実現したものは死の平和である。われわれが対立する二つの世界のいづれに所属すべきかは明白である。懐疑主義、日和見主義、近視眼的打算は新憲法の精神を裏切るものであり、策としても愚の極みである。自由は力を意味しなければならぬ、去勢された自由主義こそ悪と不正の温床である、と。
・苫米地民主党委員長の言葉:できるだけ早く自主独立を回復し、これに自主的自衛権の裏打ちをすることが必要である。この考えに国民を結集したい。
・自由党幹事長佐藤栄作:日本の安全保障を確保するには自主、自立、自衛の確立が不可欠だが、直ちに再軍備を意味するものではない。国際的条約、国連軍による保護、民主主義国家との提携その他いろいろな方法がある。
・社会党書記長浅沼稲次郎:憲法で平和非武装を宣言し、戦争放棄を規定した。マッカーサー元帥はこの理念を守り切れぬ万一の場合もあるというが、われわれはその万一に事態が到来しないことを念願するのみである。  ふーむ、祈る思いか?
・同じ元旦の朝日新聞に、ダレスのインタビュー記事が掲載された。対日講和問題はゆっくり進めようと思う。朝鮮の戦況が中共軍の介入によって事態が一転し、極東が変化した。日本と講和条約を結ぶには、日本の政府、政財界、国民の考えと希望、率直な意見を知らねばならない。訪日して確かめたい。日本では米国の対日講和七原則に対するソ連の反対意見のほうが歓迎されているとのことだが、それは発表文の字面だけを見て背後に潜む本質を見落としているからだろう。例えば、ソ連が言うように日本が無防備のままにこの極東情勢の中に放り出されたら、どうなると思うか。他国の侵略に任せたいというなら、日本はそうすればよい。日本ではスイスのように中立国になりたいという意見もあると聞くが、スイスが軍備を持ち侵略に対して全国民が戦う態勢にあることが、その議論には織り込まれているのだろうか。ここが見落とされているのであれば、不適切かつゴマカシの議論と言わざるを得ない。米国は西ドイツと日本を再軍備させて自分のために使おうとしているという見方があるようだが、米国にはそんな考えは絶対にない。
・フーム、当時の日本の文化人あるいは有識者の中で、ソ連の言う全面講和論が幅を利かせていたという。朝日新聞の主張もそうだった。しかしこのインタビュー記事を載せたということは、当時はまだ朝日の度量があったのだろう。ダレスの当時の日本情報は主に新聞情報だろう、当時から偏っていた(背後に潜む本質を見落としていた)、だから自ら訪日して確かめたいと言っているのだろう。講和は朝鮮の戦況の行方と日本の自衛の決意と態勢を見極めてからのことになる、と。

・昭和26年1月2日、朝鮮の戦況は悪化した。第八軍司令官リッジウェイ中将は各師団を歴訪し意見を求めたが、抵抗力は失われたが、一致した回答だった。退却の時である、もう一度ソウルを敵に渡す決心をした。中将はソウル撤退作戦を発令した。最重要事は漢江にかかる日本の橋の確保であった。橋の確保と通行の整理のために必要な命令を発出した。李承晩大統領も今回は素直に従った。
・米統合参謀本部はダレスの訪日に関心を寄せ、ダレス使節団の訪日はソ連の無防備の北海道に対する反動的行動を誘発する恐れがあるとして、マッカーサー元帥に意見を求めた。マッカーサーは北海道がソ連からの作戦に極めて脆弱な状態にあることは言うまでもない、しかしソ連の北海道に対する意図は、日本より世界的情報の検討が可能なワシントンのほうが、判断は容易である。われわれが入手した限りでは、ソ連が北海道攻撃のための特別の準備をしているという現地情報はない。北海道攻撃は世界戦争を必至にする。日本におけるダレス使節団の存在が、ソ連のそのような重大決意を誘発するほどの影響力を持つとは考えられない。朝鮮の現状は重大である。兵力の一部を引き抜いても国連軍の指揮系統を危険に陥れる。在朝鮮兵力の転用は論外である。
・戦況は依然国連軍にとって不利な状況が続き、リッジウェイ中将は不審と不安の想いにおそわれた。不信とは中共軍の動静であった。中将は1月4日ソウルを撤退していらい、中共軍の追尾を予想したが第一線からは異常なし、敵影みえずの報告だった。判断材料がなく、推理のどれも確定することができない。不安は韓国軍の士気であった。韓国軍が敗北主義にむしばまれているとすれば、どのような戦略、作戦を用意しても、われわれには中朝軍の攻勢を阻止することが不可能だ。マッカーサー元帥に電報して、韓国軍将兵の憂鬱を吹き飛ばす声明を発表していただきたい、と。
・マッカーサー元帥はリッジウェイ中将の電文を添えて、統合参謀本部に転送した。現在の国連軍の劣勢を優勢に変える政策に裏打ちされた声明でなければ、韓国軍将兵の萎えた士気を回生させられない。元帥は現在の持久戦略から自説の勝利戦略への転換、すなわち満州を含む中国領攻撃、国府軍投入、中国沿岸封鎖、国府軍の中国本土反抗の四戦略の採用を要求していた。
・1月9日、統合参謀本部はマッカーサー元帥に打電した。内容は、元帥の四戦策のうち国府軍使用を拒否し、沿岸封鎖は英国の反対を理由に拒否し、中国領攻撃も朝鮮半島以外で中共軍に攻撃されぬ限りは禁止し、日本防衛を第一義的に考慮して、敵に可能な限りの打撃を与えつつ、朝鮮防衛を継続すべき。持久せよとの指示であった。
・1月10日、マッカーサー元帥は統合参謀本部に返電した。現在のように指揮権に制限が加えられ、明確な政策が存在しない状態では、朝鮮におけるわれわれの地位はいずれ維持不能になる。明確な政策がないのであれば、戦術的に可能な時期に速やかに撤退すべきと進言する、と。
・同じ日、シカゴ・ディリー・ニュースがマッカーサー元帥の即時撤退論を進言したという東京電を報道した。国防総省は元帥の進言を否定し。米国は朝鮮を放棄しないと言明した。①国連軍は侵略者を撃退するために朝鮮に派遣された。②われわれがそうした気配を示したら、国連の決意の信頼感が失われる。③国連軍が朝鮮で戦闘を続けているために、中共軍がここに縛られている。④国連軍が朝鮮にとどまることは、日本のための前進防衛線を構成している。⑤中共軍が朝鮮で多大の損害を受ければ、中共軍もひきさがる可能性がある。以上は政府の確固たる政策であり、この方針は今後も揺るぎない、と。
・1月13日、トルーマン大統領はマッカーサー元帥に私信電報を発進した。朝鮮における侵略に対する抵抗継続の国家ならびに国際的目的について、私の考えを貴職に知らせたい。①朝鮮における抵抗が成功すれば、侵略を許さないことを実証できる、中共の政治的軍事的威信を低下させる、韓国民に対する約束が果たせる、講和後の日本の安全に貢献する、共産主義を恐れ屈伏しなくてもよい、ソ連または中共の攻撃をかわせる、国連の力を結集して自由世界連合の威力を発揮できるなどの重要目的が達成できる。②朝鮮で正当視され有効視される行動も、日本及び西欧を全面戦争に巻き込むものは望ましくない。③朝鮮の戦いについて、制限された兵力で中共の大軍に対する軍事的抵抗の継続が不可能かもしれないことは承知している。最悪の場合、もしわれわれが朝鮮から撤退するとすれば、その方針は純軍事的理由によるものであり、侵略が矯正されるまでは政治的にも軍事的にもその結果を是認しない旨、世界に宣明できる。④朝鮮に関する最後の決断を下すにあたって大統領が考慮せねばならないのは、ソ連の脅威とわが軍の増強である。⑤大統領は、自由諸国は団結しており、これからもわれわれと共に進むものと確信している。
・マッカーサー元帥は大統領電を読了すると、側近者を呼び、「諸君、これで問題は解決した。撤退はない。前進だ」

・1月17日、朝鮮大邱から羽田に帰着した陸軍参謀総長コリンズ大将は、統合参謀本部議長ブラドレー大将に電報した。①第八軍は良好な状態にあり、リッジウェイ中将の統率によって日毎に改善されつつある。士気は高い。②国連軍の脆弱部分は韓国軍である。同部隊は北朝鮮軍に対処する能力は持っているが、中国軍を本能的に恐れている。戦況が深刻化すれば急速に崩壊する可能性がある。③中共軍については、補給不足と士気低下が認められる。
・前年12月に設置された国連の三人委員会が休戦提案を委員会に提出、1月13日に議決されたが、中共首相兼外相周恩来が声明を発表、国連政治委員会提案を一蹴した。そして逆提案した。①いっさいの外国軍隊の撤退と朝鮮内政は朝鮮人民に委ねることを基礎にして協議を行い、戦争の終結をはかる。②右協議には、米軍の台湾および台湾海峡からの撤退その他極東に関係ある諸問題が討議の対象になる。③協議参加国はソ連、米、英、仏、インド、エジプト七か国とし、この会議で中共の国連における合法的地位が確立されるものとする。④会議は中共国内で開催する。
・米政府は中共の姿勢を尊大と見做して反発し、国務長官アチソンが声明した。①中共の回答は平和の要望を軽視している。②国連案を真っ向から拒否している。③北京政府は平和的解決に興味を持っていない。④中共が米国に挑戦する意図を放棄しない事実を認めねばならない。
・マッカーサー元帥は自身の出番の到来を感じた。それには中共に対する国際的恐怖心を打破し、朝鮮で戦果を挙げて中共の軍事力に対する信仰を捨てさせればよい、リッジウェイ中将に第八軍は敵の主抵抗線に接触するまで前進せよ、と北進作戦「サンダーボルト」を下命した。

・1月25日、ダレス使節団先発者の国務省北東アジア課長フィーリーは元終戦連絡中央事務局次長白州次郎の来訪を受けた。白州次長からは対日講和に関する日本側の意見をアチソン長官に伝達するよう要請があった。①吉田首相は日本再軍備について、連合国の占領政策に沿う政策以外日本の首相として不適当、豪、ニュージーランド、フィリピンの反対が顕著、日本政府はまだ米国の日本の将来の安全保障に関する計画と意向を直接知らされていないので、消極的立場を保持せざるを得ない。②再軍備によって、かっての軍の影響力が復活することを心配している。③再軍備のための憲法条項修正は困難である。④米国は自由世界の需要に応えるために日本の産業能力を活用することが出来る。⑤主要政党の支持を集める仕事は吉田首相に一任し、ダレス大使が野党指導者と直接交渉を行うべきでない。⑥日本政府の経済専門家は一般に無能である。大使は民間財界人指導者から日本経済に関する正確な知識を入手すべきであり、白州が斡旋する。⑦琉球、小笠原を日本から切り離すのは重大な誤りであり、講和条約の効果を大幅に減少させる。日本は同地域について、必要な期間はいつまでも米国に軍事的権利を提供する用意がある。
・その日の午後八時、ダレス使節団が羽田空港に到着した。声明を発表し、①日本は相談すべき相手で、戦勝国に支配されるべき被征服国ではない。②目的は、日本に主権を回復させ、新しい時代を開かせる道を見出すこと。③そのためには、日本全国民が自己の運命のために責任をとることが必要。④険悪な情勢下で重大問題について決断が必要。⑤これらの問題すべてが、われわれと日本の指導者たちとの間の課題である。
・1月29日午後4時、吉田首相は総司令部を訪れ特使ダレスと第一回会談を行った。ダレス「三年前に講和が成立していたら、今日に比べ日本にとってよほど悪条件のものになっていただろう。われわれは勝者の敗者に対するものではなく、友邦としての講和条約を考えている」 吉田「われわれの念願は講和条約によって独立を回復し民主日本を確立し、自立できる国になることである。かような国になってはじめて日本は自由世界の強化に協力できるし、日本にとって最も肝要な日米友好関係の樹立も可能となる」「日本人の処遇についてその自尊心に配慮する必要がある。その点に関し、占領関係の指令のいくつかを講和条約締結前に変更または廃止しておくべきだ。たとえば日本人の家族制度のように日本人に重大な意義があるものについて無視されている。そのような指令が廃止ないし撤回されるならば、感謝するとともに国民の間に講和条約締結のための好ましい雰囲気が作り出せる。」 続いて経済問題に言及し、講和後の日本にとって漁業海域の拡大、造船業の拡大、米国の日本産業への投資の増大が必要であり、さらに日本国民の生存のためには中国との長期的貿易が不可欠、長期的には中共が戦争は戦争、商売は商売という考え方をとり、妥当な規模の日中交易が可能になると信じる。 ダレス:日本の将来の経済問題の解決は、連合諸国の中に日本の経済活動を制限する意見があるだけに解決は容易でない。首相は講和条約について米国が思いのままに処理でき、条約が比較的容易に締結できるものと考えているようにうかがえるが、対日講和は極めて困難な問題であり、日本人にそれを受け入れさせればよいというものではない。日本側の受諾についても、日本のいろいろな立場の人々の意見をまとめるという困難な問題を解決しなくてはならない。講和に関して野党はどのような立場をとっているのか、首相自身「七原則」に表示される米国の対日講和一般方針を受け入れるのか。 吉田:講和条約がどのようなものであっても国会の承認を得るための現実的困難はない。自由党と民主党との間には秘密の合意が出来ている。 ダレス:首相は国家の危機についてどう考えているか。現在、世界の自由諸国は国連を通じて集団安全保障体制を作ろうと努力しており、その組織から利益を得ることを望むすべての国は、それぞれの手段と能力に応じた貢献を要求される。現時点で日本に大規模は貢献を求めないが、少なくとも象徴的な貢献と集団安全保障の一般原則への参加くらいは日本にも求められる。 吉田「日本も応分の貢献をすることになるだろう」 ダレス「首相は日本の安全保障問題をどのように処理したいと考えているのか」 吉田:質問は再軍備問題のことと思う。日本の再軍備は二つの障害があるので、極めてゆっくり取り組むべきだ。第一の障害は、地下に潜伏している軍国主義者を復活させ、日本を再び軍部に支配させる恐れがある。第二の障害は、講和によって財政的自立を目指す段階で再軍備を行えば、深刻な経済的負担を余儀なくされ、国民の生活水準の低下さえ招来する。経済的基盤が確立されなければ不可能であり、そのために時間がかかる。
 首相は井口貞夫が外務次官に就任し、使節団との交渉にあたると告げ、会談を終了した。
・そのあと特使と首相は総司令部マッカーサー元帥を訪問し、首相は元帥に訴えた、特使は私を苦しめる、と。元帥は特使をなだめ、「日本は軍事力で貢献できない、しかし軍事生産力も労働力もあるから資材を提供して自由世界の力を増強させるべきだ」と。特使は失望して、会談は風に漂うタンポポの綿毛を追い回すように、掴まえ所のないものだった、と。
・1月30日、会談で約束した講和問題に対する日本側の立場を外務省の講和関係主務者たちが吉田首相の下に集まって英文の覚書を作成、特使ダレスと総司令部マッカーサーに届けられた。 領土問題:琉球、小笠原諸島が信託統治下におかれることになったが、信託の必要性がなくなった場合、速やかな日本への返還を。 安全保障問題:敗戦国日本には独力で国家を自衛することが出来ない、国連の協力ならびに米軍の駐留といった方法による米国の協力が望ましい。米国との協力について、講和条約とは別に、日米が平等なパートナーとして相互に安全保障の協力を目指す協定を結ぶことが適切であり、われわれはそれを希望する。 再軍備問題:現時点においては、日本にとって再軍備は不可能、再軍備支持者がいる、近代軍備に必要な基本的資源を欠いている、再軍備の負担はたちまち日本経済を破壊する、逆に日本の安全を内部から危機に陥らせる、今日日本の安全保障は軍備より国民生活の安定に依存している、隣接国家が日本の侵略の再発を恐れている、国際的平和は直接に各国の平和と秩序に結びついている、その意味でわれわれは国内の平和を保持せねばならず、われわれ自身でその全責任を負うことを決意している、そのために警察と海上保安隊の人員と装備の増強を必要とする。われわれは自由世界の共同防衛問題の討議に参加することを希望する、本件について積極的役割を果たしたいから。 人権問題:無条件に世界人権宣言を支持する。同宣言の原則は新憲法に取り入れられている。 文化交流問題:日米両国の友好の基本課題である両国の文化交流を積極的に推進、協力する。  国際的福祉問題:日本が戦前に参加した各種協定を誠実に尊重し、また戦時中あるいは戦後に成立した世界保健機構その他に参加する用意がある。
・外交局長シーボルトは言う。「吉田覚書は日本の最小限の希望を述べた妥当なものだ。しかし、それは日本側の正論にとどまる。われわれに対する完璧な説得力を持つとは感じられなかった」

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冷戦下の日米関係の模索・構築 「講和条約案に対する各国の反応と朝鮮戦争での米国の苦悩」

2021年09月21日 | 歴史を尋ねる

・11月15日、対日講和問題主務者の国務長官顧問ダレスは、極東委員会諸国の反応を伝えて、マッカーサー元帥の意見を求めた。ダレスは国連総会を利用して各国と対日講和に関する非公式会談を行った。①豪、ニュージーランド、フィリピン、ビルマは、日本の軍備を制限する条項がないことに不満と反対を表明した。しかし豪、ニュージーランド両国は、米国の保証が得られれば満足する。 ②フィリピン、中華民国、ビルマ、豪は対日賠償を要求した。しかし、要求が現実的に不可能であることを理解している。 ③英国はとくに意見を述べなかった。しかし関心は講和後の日本の商業競争にあることは明らかである。 ④ソ連国連安保理代表マリクは、ソ連の南樺太および千島の領有権ならびに中国(中共)の台湾領有に疑いを持たせるような講和条約条項には断固反対する。また、米国の琉球列島に対する信託権設置に反対する。 ⑤ソ連が対日講和について米国と話合いを続けるかどうか不明だが、情報収集のため連絡を保ち、招待されれば対日講和会議にも参加するかもしれない。しかし、われわれが望む対日講和条約に同意することにはならないだろう。 ⑥講和の手続きに関するわれわれの構想はまだ決定されていない。全体会議は主要議題の分裂、中共と国府の参加問題の対立、ソ連の各国離間工作などが見込まれ不適当、関係国との二国間交渉の積み上げ方式が良い。 ⑦本職(ダレス)は至急東京でマッカーサー元帥と協議することが緊要だと考えている。新たな朝鮮と中共の情勢について、日本の政治指導者たちが超党派でこの講和条約案を受け入れ、日本の安全保障に関する日米協定を歓迎する意向が確認できれば、ソ連、中共を除く他の関係諸国を同調させることが出来る。 
・マッカーサー元帥が北朝鮮軍を一掃した後も朝鮮半島の平和確立のための重荷を負うことを理解している、本国政府の支援を期待してよい、と述べたあと、われわれは対日講和または他の問題について貴職が寄せられる如何なる意見も歓迎する、と。
 児島襄氏はダレスの電文を解説する、要は、米政府はソ連、中共抜きの早期対日講和を実現させる、元帥としては日本側の受入れ態勢の促進と第三次世界大戦をまねかない方法で朝鮮戦争の早期終結をはかって貰いたい、と。
・11月16日、記者団は大統領に記者会見を要求、朝鮮戦争の見通しと第三次世界大戦に発展する可能性について質問した。大統領は声明した。私は米国が国連の朝鮮政策を支持し、かつ国連の政策の範囲内で行動していること、そして戦闘行為を中国に押し進める意図など抱いたこともない。米国は世界平和に貢献しているからであり、中国国民と長い友好関係を保っている。米国は戦闘行為の拡大を阻止するためにあらゆる措置を取るであろう。さらに対日講和にも触れて、ダレス顧問は対日講和に関する関係諸国との会談を完了した、本問題についてここ二、三週間内にさらに交渉が行われると思う、と。

・朝鮮では11月24日、米韓軍の総攻撃が計画された。第十軍団長アーモンド少将は総攻撃前の威力偵察を命令し、微弱な北朝鮮軍の抵抗を排除しながら、先発隊は鴨緑江がみえるところまで進出した。総司令部の情報部長ウィロビー少将もこの日北朝鮮軍八万三千人、中共軍四万ないし7万人と見積もる報告をワシントンに報告した。アーモンド少将は東部戦線で捕らえた中共兵2人が自分たちは第七九師に属し10日前に鴨緑江を渡ったと告白した。第七九師は中共軍第三野戦軍で、これまでに判明している第四野戦軍の外に第三野戦軍も投入されたことになる。しかし少将は捕虜の供述を虚言と判定した。各部隊が派出した斥候の報告も、航空偵察も、いずれも前方に見えるのは敵ではなく氷雪だと報告しており、威力偵察隊も無抵抗のまま鴨緑江岸に到着していた。少将にとっても司令官ウォーカー中将にとっても、マッカーサー元帥、統合参謀本部にとっても、米韓軍の全面の雪山に約60万人の中共軍が潜伏して待ち受けているとは夢想外だった。
・11月24日、総攻撃が開始された。事前の砲爆撃もなく、各部隊は中隊または大隊単位で第一線からこぼれ出るように前進した。マッカーサー元帥は総攻撃に立ち会うため第八軍司令部に飛来していた。そして用意した声明を発表させた。元帥はそのあと第一線司令部を訪問した後、専用機で鴨緑江南岸沿いに飛行した。このような荒涼たる冷酷な雪原に中共軍といえども大部隊を活躍させ得るものか、40分間の偵察に満足して東京に帰還した。
・この時期、韓国軍参謀本部戦略情報部員金材英中尉は、前線から送られてきた中共軍捕虜を訊問、中共軍は三年以内の短期戦をもくろみ、そのための戦術も確立しているという。さらに訊問すると、孫子が越国の名将范蠡を撃破した携李大捷戦で採用した戦法だ。それなら知っている、陽動と迂回を活用して主力を正面に投入する、人海戦術だ。中共軍の戦術にこの呼称を与えたのはこの捕虜が最初だった。
・11月27日、第八軍司令官ウォーカー中将はマッカーサー元帥に電報した。中共軍の大兵力がわれわれを攻撃中である、と。第八軍は前夜のうちに右翼の韓国軍第二軍団が崩壊し、全線にわたって中共軍に浸食され総攻撃計画はズタズタに断切された。もはや総攻撃態勢にはなく、逆に中共軍の総攻撃をうけて足が止まっている。ただ、中共軍の補給路を最強の米軍部隊・第一海兵師団が進撃中、中将はこれに期待した。しかしこれも米軍側の情報が中共軍側に筒抜けになって、待ち伏せされた。
・11月28日、ウォーカー中将はマッカーサー元帥に打電した。敵の攻撃兵力は約二十万人、その全員が中国人である。中共軍が全面攻撃を開始したことは、もはや疑いがない、と。
・第十軍団長アーモンド少将は海兵師団長に前進中止と防御態勢への転移を下命、ウォーカー司令官も前進の中止と後退線までの後退を各軍団に命令、中将と少将は専用機で東京に向かった。元帥は特別声明を発表、国連軍総攻撃作戦に当たり敵が展開した反撃から見て、中国大陸の中共軍二十万人以上の兵力が北朝鮮地区の国連軍の正面に布陣していることが明白になった、全く新しい戦争に直面している、と。
・二人の指揮官(ウォーカーとアーモンド)は全軍を朝鮮半島の腰、平壌と元山を結ぶ線に後退することを献策した。元帥は黙思したが、極秘を条件に承認した。国連軍総退却の決定である。

・トルーマン大統領は怒った。その対象はマッカーサー元帥であり、その新戦争到来声明だった。「ウェーキ島会談で彼は私に真剣に中共軍の大量介入の危険はないと言った。実際に中共軍が侵入して来ても容易に撃破できるといった。もし中共軍が平壌奪回を試みるならば大量殺戮をまねくことになるだろうと言った」 元帥はその後中共軍の侵入を報告しているが、容易に撃破したとの報告はない、と。
・当ブログ筆者はここで1949年8月5日に発表した米国務省の「中国白書」を思い出した。白書では「米国の武器が不足して国民党軍が破れたことは一度もない。彼らが敗北したのは、大衆の支持と軍隊の熱意が失われたためである。中共軍は狂信的熱狂さで戦ったが、国民党軍が分裂しなければ対処できたはずだ。結果は蒋介石総統以下の首脳部の責任で、中華民国政府は敗けたのではなく自壊したのである」と判決していた。この段階で中共軍の戦い方について、米国はほとんど情報を持ち合わせていなかった、それが朝鮮戦争の退却につながったとしか思えない。中国白書はそういう意味ではトルーマン政権の弁明の書だったのかもしれない。
・戦場で何が起こるか分からない、判断ミス、敵の奇襲によって損害を受けることは珍しくない。アイゼンハワーも予期せぬドイツ側の反撃を受けて大損害を記録している。問題は作戦の失敗に対する指揮官の態度である。マッカーサー元帥は自分のミスとその立場を粉食し責任を回避しようとする。大統領は後の回顧録で、直ちにマッカーサーを解任すべきであった、と述べている。
・大統領はホワイトハウスに国家安全保障会議を招集した。出席者は二十人、会議は統合参謀本部議長ブラドレー大将の報告から始まった。陸海空軍三長官の意見の後国防長官マーシャル大将は、今後二週間、われわれは国連に中共説得を働きかけ、朝鮮におけるわれわれの地位の確保に努めるべき、対中共戦回避がワシントンの方針であるが、現地でのマッカーサー元帥の作戦に干渉するのは好ましくない、と。大統領のマッカーサー元帥批判の後、ブラドレー大将は、マッカーサーは中共軍が右翼の山岳地帯に集結しているとは知らず、終結できるとも想像しなかった。マーシャル元帥もマッカーサー元帥の作戦を信じていた、しかし中共軍は姿をくらます技術に長けていた、と。本件の処理を副大統領バークレーに任せると、副大統領は朝鮮問題の政治的解決策を訪ねた。国務長官アチソンは、われわれはマッカーサーがどこに防御線を設定するかを確かめて速やかに国連に報告すべきであり、その防御線をそれ以北には推進せず、できるだけ早く韓国軍に移譲するのが良い、と。マーシャル長官は発言した。マッカーサー攻勢は失敗したが無意味ではない。中共の意図を探るためには必要であり、おかげでそれを知ることが出来た。副大統領が質問した、問題はその中共の意図だ。彼らが平和的解決を望んでいる兆候はあるのか、との問いに、アチソン国務長官は応えた。「その種の気配は全くない。ゆえに現段階でわれわれが一方的に朝鮮から引き揚げるのは危険である」と。

・朝鮮、平壌では、北朝鮮人市民の米韓軍に対する不満と反感が日増しに高まっていた。その主因の一つは、市の行政体制に由来した。平壌が解放されると、韓国政府は金聖柱を知事にして執務を開始した。だが国連朝鮮委員会は第八軍のモンキー大佐を平壌軍政部長に任命、副市長を兼務した。韓国陸軍は金宋元大佐を平壌憲兵隊長に起用した。おかげで、三頭政治で運営される形となり、市民は戸惑い、市政は混乱した。わけても市民の不満になったのは、南からやって来た「謀利輩」の存在だった。彼らは米韓軍に追尾して勝者の威を借り、階級章をつけぬ軍服を着て手あたり次第接収と書いた紙片を民家、倉庫に張り付けては米、衣服、家財を運び出した。中には日本の敗戦後、北朝鮮から韓国に移住した地主が平壌に戻ってきて、五年分の小作料を要求した例もあった。
・通貨事情も市民を苦しめた。平壌が陥落すると、韓国政府は一対一で北朝鮮紙幣と韓国紙幣を交換させた。しかし実勢は韓国ウォンは北朝鮮ウォンの十分の一でしかなかった。平壌はたちまちインフレに襲われ物資不足と併せて、市民は米韓軍の開放をのろう心境になった。さらに北朝鮮側が埋めて隠匿した金、白金などの貴金属を発掘し釜山に運ばせた。金の逃避は経済と生活の危機を意味する。真っ先に「謀利輩」が平壌を脱出し、市民たちも南をめざす者が現れた。
・12月3日マッカーサー元帥は統合参謀本部に電報した。ウォーカー司令官は平壌の確保は困難でありソウル地区に後退せざるを得ぬと言っている。本職も同意見である。中共軍は約26個師団を投入し、満州には二十万以上の予備兵力が控えている、と。つまり、38度線への総退却の承認の要請であった。そして元帥は退却命令を発した電報を付記した。
・12月4日、第一回米英首脳会談が始まった。ブラドレー大将とスリム元帥の問答の後、大統領はアトリー首相の見解を質した。中共は国連に加入していないから国連に拘束されない。中共は本土での政治的成功を背景に、朝鮮介入は自衛権の行使だと考えているかもしれない。従って交渉となれば、彼らは完全な立場を要求し、台湾については強硬な権利を主張し、香港についても同様だろう。しかし中共がソ連の手中に置くことを望んでいない。そこで中共との交渉を可能にする方策の一つは、朝鮮において交戦状態のままで停戦することだと判断する。中共が北朝鮮政府を通じての全朝鮮支配を望んでいるかどうかは不明であり、別の解決策を用意しているかも分からない。ともかく停戦すれば事態の進展が見込まれるだろう、と。まだ説明があったが、つまりは、米国が朝鮮の始末をしてほしい、英国は深入りするつもりはない、と英首相はいうのであった。アチソン国務長官は意見を表明した。米国は中共と交渉するか戦うかを選択する立場になく、現に中共と戦争をしている。どのような行動をとるにしても、それが生み出す成果を考えておかねばならない。たとえば停戦はわれわれに有利になると思うが、ということは中共には不利となるのだから、停戦を承知しないのではないか。ソ連がわれわれが中共との全面戦争に巻き込まれることを望んでいるのは明白、中共との交渉については、全極東を考察の対象にしなければならない。われわれが譲歩すれば中共が平和的になる保証はない。台湾を手渡せば、中共はわれわれが日本とフィリピンも守り切れぬと判断し、ますます侵略的になるに違いない。その影響は日本に及び、日本人はわれわれの譲歩を見て自分たちの運命も終わりだと考え、その結果はわれわれは軍事的に深刻な打撃を受けることになりかけない。アチソンは朝鮮での軍事的敗北の回避が先決だと主張した。
・大統領は戦争はしたくないが状況は暗いと見解を述べると、英首相が「日本人はどのような反応を示すと思うか」と質問した。アチソンはわれわれが諦めれば、ソ連と中共が極東になだれ込む、アジア諸国は日本も含めて両国と出来るだけ有利な取引に心がけるだろう、と。続いてマーシャルは、日本人は恐るべき挫折の教訓を学んでいる、脅威が迫れば強者の側につく、と。
・大統領は停戦問題を取り上げた。「この時点でも、朝鮮では米国人と英国人の血が流れている。そして、中共も中国人の流血事情を知っている筈だ。早い停戦は双方の利益になる」 英首相も同意して「時間をかけてはならない。遅れれば停戦のアイデアそのものが吹き飛びかねない」 トルーマン大統領は停戦に関する米政府の考えを朗読した。停戦は朝鮮情勢の安定をもたらすものでなければならない。国連軍撤退の事態が発生した場合、国連は中共を侵略者と規定するとともに、政治的、経済的手段で侵略を容認しない決意を行動で明らかにする。ほかに米英両国は反共アジア強化のため、日本に対して次の措置を取る。①大幅な自治の回復、②対日講和の促進、③自衛力の強化、④産業の拡大、⑤国際機関への加入。これらの措置に関する英国側の躊躇は、新たな緊急事態が発生した事情に鑑み、放棄されるべきである、と。ふーむ、朝鮮戦争の英米の苦悩は、日本に国際社会への船出を積極的に後押ししてくれている。対日講和に対する英国の躊躇もここで帳消しされた。当時から、地政学上の位置づけ以上に、日本は重要な位置づけをされていたのだ、両首脳の言葉から。
・12月5日、第二回米英首脳会談が開催された。冒頭、アチソン国務長官は、今日の会談で、国連総会に対する六か国決議案ならびに停戦決議案を提出することに合意を成立させたい、と。決議案の表題は「中華人民共和国中央政府の朝鮮介入にたいする非難決議」に改める。停戦決議案はインドから提出してもらう。停戦決議案が可決された後われわれは何をするか、とアトリー首相。大統領は、われわれは可能な限り朝鮮の戦線を保持しなければならない。軍事助言者たちは現有兵力では確保しきれないというが、だが、われわれは後退することはともかく、自ら朝鮮から引き揚げるつもりは毛頭ない、停戦が実現すれば前線維持も可能となる。もしわれわれが南朝鮮を放棄すれば、全南朝鮮人は虐殺されるだろう。このような事態は到底容認できない。われわれは最後まで戦う。これは当初からの不動の決意である。米国は困難な時に友人を見捨てることは決してしない。英国も同様であることを確信する、と。
・英首相は中共を次のように観察している。彼らはマルクス主義者であるが、まだスターリンに平伏していない、共産主義者だがソ連の衛星国にならないユーゴのチトーを見習う可能性が大きい、中国人は強い愛国心の持ち主で、旧体制が腐敗によって崩壊したことを確認している、要するに、中国人は共産主義を旧腐敗体制の代案だと信じた。中国人の愛国心を刺激し支援すれば中国帝国主義をソ連帝国主義に対抗させることが出来る。英国は中ソ間にクサビを打ち込む努力をして来たが、それが出来れば中国は独立した大国になれる。英国はかって、中国人は未発達な群衆だと見做した、だが今や彼らは全極東の支配的民族である。しかも、リーダーシップを延伸するための武力を保有している、中ソの合体はそれだけで世界の脅威であり、英国が両国の分断を図る所以である、と。ふーむ、さすがに先を見る力は確かだ。現在でも通用する政治力学だ。ということは歴史的変遷があって、表面的には違う形に見えるが、底流には冷戦構造が残されている、と見るべきだろう。アトリー首相は「中国帝国主義とソ連帝国主義」という言葉を使用している。日本での使い方と逆なところが面白い。政治は観念論ではなくリアリステックなものだという証だろう。筆者の疑問は、共産主義国はなぜ膨張主義国で軍国主義国となるのか、ということである。アトリー首相は当然のこととして、さらりと言ってのけている。或いは、中華思想の中国は、歴史に復讐をしようとしているのか、最近の習近平の言動は。
・会談はなおもつづいた。会議に、国連安全保障理事会米国代表ロスの覚書がアチソン国務長官に届けられた。アジア諸国は中共及び北朝鮮にたいして北緯三十八度線を越えないよう要求する決議案の提出を考えている、インド国連代表がこの提案に対する米英の賛否を知りたがっている、と。大統領の首相も賛成した。アチソンが遮った。どんな決議でも、それだけで行動が伴わなければ何の成果も生まれない、停戦が実現されなければ戦い続けなければならない。
・12月7日、米英実務者会議が開かれた。朝鮮に於いてとるべき二つのコース、①早期かつ無条件停戦、②敵対行動の継続、アチソンの結論はどんなことがあっても侵略者・中共に屈服してはならない、その覚悟で英国も米国に同調してほしい。意見の対立が際立った。米国側は中共は侵略者で世界の公敵である、台湾、国連加盟などの譲歩は中共に侵略の賞与を与えることで、中共の侵略政策を激励することだ、政治的軍事的経済的制裁を強化して国際社会から締め出すべきだと主張。英国側は中共を敵視して悪人扱いするのは却って中共を侵略者にするだけだ、国連に入れて行動を規制した方が有益だと強調。国務次官補ラスクはいう。意見の相違は中国人観の相違に由来する、英国人は中国人を恐れている、対中国関係で苦い体験を重ねている。米国人は中国人を恐れない、中国人を移民として受け入れてきた、中国を制圧した日本にも勝った。
・その日、ホワイトハウスで第五回米英首脳会談が行われた。アトリー首相は①中共との全面戦争を回避する、②撤退を余儀なくされるまで朝鮮で戦い続ける、以上2点が合意できた、その合意を政策にするには無意味である、その解決策は中共の国連加盟である、とその理由を述べた。結局この点は合意できなかった。
・この日、大統領に、陸軍参謀総長コリンズ大将の極東視察旅行の報告があった。大将は元帥の総合的情勢判断を求めた。元帥は次の2点を強調、①いまや国連軍の総力を動員してアジアの共産主義の脅威に対処すべき、②朝鮮での敗北は許されない、世界の未来の平和のために朝鮮半島の勝利が必要である、と。そして今後の朝鮮で三つの事態を想定し、北朝鮮軍が三十八度線を越えない条件が実現すれば停戦すべきだが、軍事作戦が継続されるならば、戦術上の制約を撤廃してほしい、原爆使用も含めて自由な作戦権を与えて貰いたい、と。トルーマン大統領は元帥の意見にショックを受けた。大統領はこれまでその浅慮を指摘して訂正を指示してきた。然しなおも持説をくり返し、大統領に対する反攻姿勢をあらわにする。
・ギャラップ社の世論調査は次の通り。①米国は実際に第三次世界大戦に入っているか:第三次世界大戦に入っている59%、大戦にならないで済むと思う31%。 ②朝鮮の戦乱はあとどのくらい続くと思うか:一カ月ないし六か月28%、六か月18%、六か月以上一年19%、一年以上14%。 ③中共と戦争になった場合、原爆を使用すべきか:使用すべき45%、使用すべきでない38%、最後の手段として使用すべし7%。  1962年ケネディ大統領時代、キューバ危機での世界戦争勃発の脅威にさらされたが、さらに12年前、それに匹敵する戦争の不安に襲われていたことを告げていた。
・12月8日、第六回米英首脳会談が開かれ、米英首脳の共同声明が発表された。両国の意見の一致、国連の使命の遂行、平和解決の努力、意見の対立点、軍事力の強化、原爆の使用であった。 米英首脳会談の評価は分かれた。英紙ザ・タイムスは共同声明の満足していると論評した。米紙ニューヨーク・タイムスも成功だと見做した。しかし両紙の論調は少数派で、首脳会談を失敗とする見方が一般的だった。世界が期待したのは西側を優位に導く妙手を打ち出してくれることだった。しかし内容は抽象的原則論で明確な方向を示す具体的政策は見当たらない。

・12月9日、「朝鮮半島を北から南に吹きまくっている嵐は、日本を目指して進んでいるようだ」ニューヨークタイムズしの社説は先ずこう述べた。10月末ダレス顧問はソ連国連次席代表で外務次官マリクに米国の対日講和条約の腹案の概要を提示した。日本の軍事占領が五年間に及び、対日講和が遅れ過ぎているので促進するためのものであり、内容は琉球及び小笠原諸島の米国信託、日本の旧海外領土の処理のための西太平洋諸国会議開催の提案が含まれていた。これに対しソ連は米国の事前の了解なしに一方的に公表、カイロ宣言により台湾、澎湖島は中共に帰属すべき、ヤルタ協定により樺太、千島はソ連領になる、ポツダム宣言によって琉球、小笠原諸島は日本に返還すべき。周恩来外相は、中共は対日講和の起草と調印に参加する用意がある、米軍は日本から撤退すべきだ、と声明している。ソ連と中共は、米国が日本を再武装させ、朝鮮で日本人部隊を使用している、と非難している。このような断片を一つにまとめる時、不気味な像が浮かび上がる。日本はアジアで唯一の工業国であり高度に熟練した労働力を持つ唯一の国である。ソ連にとって日本は西のルール地方と同じく東における最大の目標である。赤い手が朝鮮半島を渡って日本に伸びようとしている。それを切り捨てなければ対日講和もあり得ない。さらに言えば対日講和のためにも朝鮮での軍事的勝利が必要である、と。
・この時期の国連軍のテーマは、中共軍に対する攻撃または反撃ではなく、その包囲からの脱出であり、とくに注目を集めたのは
・第一海兵師団の脱出だった。精強を誇る海兵が殲滅されれば、それは米軍そのものの壊滅を意味する。12月11日、第一海兵師団の最後尾が真興里に到着した。マッカーサー元帥は喜び、専用機で急行、第十軍団長アーモンド少将を抱擁し祝賀した。第一海兵師団は10月26日の元山上陸以来の地上戦闘において中共軍に与えた損害は死者一万五千人、負傷者七千五百人、空爆の戦果は死者一万人、負傷者五千人と発表、計三万七千五百人。一方師団の損害は戦死604人、戦傷死114人、行方不明192人、負傷3508人、ほかに凍傷など戦闘外傷病者7313人、計11,731人。しかし海兵側の損害は師団兵力の約40%にあたった。
・元帥は声明の末尾で、ワシントンの作戦権に対する制約と交渉による解決の動きが朝鮮での勝利を阻んだとの表明であったが、米政府も国連による事態解決に熱意を燃やし、インドを通じての働き掛けに期待した。アジア、中東13か国の共同決議案を作成した。決議案は国連総会政治委員会に提出されたが、ソ連代表マリクは開会前に記者会見し、すべての外国軍隊が朝鮮から引き揚げるならば、中共軍も朝鮮から立っていするであろう、と。ソ連が中共軍の動静について正式にふれたのは、この発言が初めてだった。
・政治委員会が開かれて13か国決議案が上程されると、マリクは真っ向から反対した。米英両国は新たな攻撃を準備するため停戦を利用しようとしているに過ぎない、全国連軍が朝鮮から撤退するまでは、朝鮮に平和は存在しない、と。
・12月13日、北京放送で中共側の回答がもたらされた。①中共政府はいかなる犠牲を払っても朝鮮で戦い続けることを決定した。②わが軍百万は、国連軍を海中に突き落とすまで朝鮮で戦闘を継続するであろう。③英国は米帝国主義に同調しており、朝鮮、台湾における米国の侵略に対して共同の責任を負わねばならない。
・12月14日、UP通信は対日講和について観測を伝えた。極東委員会12か国に対して条約案の反応を求めている、ダレス国務長官顧問は朝鮮動乱によって送らせてはならないと強調している、もし遅延するならば、米国は先ず対日戦争状態終結宣言を発し、他の連合国にも働きかける、と。だが、AP通信は①極東情勢の悪化は、日本国民の好意と支持をますます必要としている、②その支持を得るためには日本を被占領国ではなく主権国家にする方が有効である、③ただし日本を無防備にしてはならず、米国は個別協定によって米軍を日本防衛軍として残すとともに、究極的には日本の再軍備を考慮しなければならない、と。
・トルーマン大統領は15日午後十時「国家非常事態宣言」を公布する旨放送し、翌16日午前十時宣言署名した。
 「朝鮮その他における最近の事態は世界平和に重大な脅威を与え・・・世界に放たれた侵略軍の目標は、共産主義的帝国主義による世界支配である・・・ゆえに、私合衆国大統領トルーマンはここに国家非常事態を宣言する。この非常事態は、われわれがわが国に対するいかなる、またあらゆる脅威を撃退するために、この国の陸、海、空軍及び民間防衛組織を出来るだけ早く強化することを要求している」
 宣言の公布に伴って、178億ドルの追加軍事費の可決、陸軍兵力を300万人に増勢する計画、戦略物資貯蔵計画、核兵器生産工場の新設計画などが矢継ぎ早に発表された。さらにNATO軍の創設と総司令官アイゼンハワー元帥の指名も内定した。
 明らかに世界規模の戦争計画であり、第三次大戦準備陣形成のための措置であった。米国の力による平和の決意の表明であり、それは朝鮮の戦乱の拡大とヨーロッパび発生する恐れのある危機を抑止する政治的効果があるものと期待された。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冷戦下の日米関係の模索・構築 「日本人と朝鮮戦争」

2021年09月14日 | 歴史を尋ねる

 米軍は奇襲、不意打ちを受ける弱点がある、主因は味方の油断であるが、その油断は自軍の優越感に基づく希望的観測による誤判断に由来すると、児島襄氏はいう。過誤例として、日本軍による真珠湾攻撃とドイツ軍によるルントシュテット反撃で、いずれも敵側の信号が感知されたのに反応せず打撃を受けた結果だった。朝鮮戦争の中共軍介入についても類似の事情がみられた、と。中共政府は米軍が38度線以北に進撃すれば軍事介入する、という政治的信号を発していた。現実に中共軍の存在を告げる信号を感知したが、その意義と意味をそのまま容認せず過ごした。その情況は10月25日以降に目立った。
・10月25日、米韓軍は鴨緑江に向かう総追撃戦を開始した。米第八軍第一軍団が左翼、韓国軍第二軍団が中央、韓国軍第一軍団が右翼に位置して進撃。一方、中共軍第十三集団は、第38軍指揮下の三個師を韓国軍第一軍団第三師団を迎え待つ。第40軍三個師は韓国軍第二軍団の進撃を阻止すべく布陣。第39軍は40軍の右翼に位置し、米第一軍団韓国軍第一師団を待ち伏せた。この事情を知らず、総司令部情報部長ウィロビー少将はマッカーサー元帥に「本職は10月14日付判断を訂正する根拠は発見されない。中共軍の参戦の時期は過ぎ去った」と敵情判断を提出した。
・韓国軍第一師団第十五連隊は、一人の老人から前日までたくさんの中国兵がいたが夜明けにいなくなったと述べた。これは北朝鮮側が流した逆情報と見做して前進、十キロ進んだところで銃砲撃を受け、応戦して捕虜を得た。分厚い綿服を着て、朝鮮語も日本語も理解しない、中国語で中共軍一万人がいる、さらに別方面に一万人がいると答えた。報告を受けた連隊長は失笑した、見え透いたデマだ、と。米軍は連日、鴨緑江付近まで入念な航空偵察を行っている、諜者網もはりめぐされている、二万人もの大軍の移動が空陸の情報網にキャッチされぬはずがない、と。
・韓国軍第二軍団第六師団第二連隊は捕獲した北朝鮮軍無線機を操作して十七キロの北鎮に中共軍指揮本部があるらしいと判断し連隊長は連隊主力を北鎮に進んだ。隘路に差し掛かった時、前方と左右から銃砲弾が飛来した。遮蔽物のない狭い谷間で包囲された。呼笛が騒々しく鳴ると両側高地から手榴弾をぶら下げた突進兵が湧きだし一斉に殺到、射弾も絶え間なく、第二連隊長はジープで脱出、第三大隊750人は装備を捨てて四散、うち400人が逃げ戻った。異変を知って駆け付けた第二大隊指揮の大尉が左右の高地に双眼鏡を向けると稜線を移動する敵影が見え、派遣した斥候が敵兵を捕まえてきた。中国語で尋問すると、われわれは大軍だ、中国から来た、10月17日から北鎮一帯の山中で待っていた、と。大尉はホラを吹くなと一喝し前進を命じたが、同じ服装の負傷兵も発見し、八方に斥候を派出、斥候はたちまち絶叫を挙げて帰ってきた。前後左右にてきがいる、と。第二大隊も装備を放棄して退却、深夜になると闇の中から異様な笛の音(チャルメラ)が響き渡った。続いて第二連隊に手榴弾が雨注し、将兵はわれがちに山中に逃げた。
・25日から27日までに現出した中共軍介入の信号に真っ先に明確な反応を示したのは韓国軍第一師団長白善燁准将だった。准将は満州軍中尉として、日本軍の熱河作戦に参加し、中共軍の戦法を熟知していた。チャルメラ笛を合図にした攻撃方法、多数で少数を襲う人海戦術は、中共軍のお家芸であった。准将は米第一軍団長ミルバーン少将に自身の判断を告げたが、准将の判断は米国側に共有されなかった。少将は前線からの中共兵捕虜の陳述を検討しマッカーサー元帥にに報告した、「これら捕虜の供述は確認できない。ゆえに信頼できないものである」 だが、こういう後方での否定論とは裏腹に、第一線では中共軍の影が色濃くなるばかりだった。

・11月1日、米第十軍団長アーモンド少将は韓国軍第一軍司令部を訪問、中共兵6人の訊問と第一線の中共兵の戦死体を視察、襟や袖口に赤い縁取りがある上着着用者が中共軍将校だと説明されたが、階級章はない、しかし兵器は旧日本軍の小銃か、かって米国が中国軍に供与した自動小銃、機銃、追撃砲にとどまる。中共軍正規軍は出動していないのではないか、少将は告げた。しかし実際には、階級章がないのが当時の中共軍の特色であり、中共軍はあえて大型火砲を持参しなかった。搬送が容易で曲射出来る追撃砲の方が山岳戦には有利であったから。
・だがワシントンでは中共軍介入が認定された。この日、CIA長官スミスは中共の朝鮮介入と題する覚書をトルーマン大統領に提出した。第一線の見積もりでは、一万五千人ないし二万人の中共軍が北朝鮮で作戦中であり、中共軍主力はなお満州に所在する。ソ連ジェット機が確認されたが、ソ連が中共の満州国境の航空防衛を支援している。水豊発電所地域の防衛のため義勇軍が組織され、同発電所が満州の産業に重要であること、中共軍が同発電所の満州側に集結している。中共は世界戦争の危険をおかしても北朝鮮に対する指示と支援の強化を決意したことを示唆している。
・中共軍は総攻撃態勢の完成を急いでいた。米第八軍主力を包囲殲滅しようと、総攻撃は11月1日夜に予定され、日中は軽戦に留めていた。
・米第一軍団長ミルバーン少将は側背攻撃を受ける危険回避のため、快進撃を続ける第二十四師団に停止を命じ、第一騎兵師団長に防備強化を指示、正午過ぎ、偵察機が雲山の北東と南西に敵の大縦隊を発見、さらに馬を発見、山岳戦の場合、人員と兵器の輸送には馬の方が有効、馬と人海並みの大部隊が襲来するとなれば、山岳戦は有利で、予想外のスピードも見込まれる。韓国第一師団長白善燁准将も軍団の兵力を整頓して中共軍にそなえなばならぬと少将に献策、全山ことごとく中国人だと叫んだ。ミルバーン少将もその意味を理解し、准将にうなずくと、第八軍司令官ウォーカー中将に電話して、後退して防御態勢をとりたい、と。敵が来る前に退却したいとは、およそ軍人にあるまじき弱気の発言、米陸軍の常勝の歴史を汚す、しかし前線からの報告は、将兵が一様に中共軍に対して理由不明の不気味な恐怖感を抱き、その存在を知るとひたすら潰走する、少将も同じ恐怖感を共有しているらしい、指揮官が戦意を失っては軍隊は戦えない、オーケー、退却しよう、と。
・午後八時、ミルバーン少将は三人の師団長を呼集して退却命令を伝えた。この少将の指示は中共軍の動静に適合していた。
・この夜中共軍は雲山地区に進出した。雲山から安州に展開する米第一軍団を包囲せん滅するか、それが出来なくとも清川江の南に追放しようとする態勢だった。
・11月2日、午前零時過ぎ、後退実施する連隊に敵の縦隊と交差、激戦が続き、将兵も小グループごとに退散する状況、第八軍司令部は雲山の事情を知ってヒステリー状態となり軍団の清川江南岸への後退を催促する指示が飛び交った。
・11月3日、米第一軍団は戦線を整理した。中共軍によって清川江の南に追放された。
・ワシントンの統合参謀本部は眉をひそめた。いずれも東京の総司令部情報部長ウィロビー少将からの報告だった。①中共軍は満州に83万3千人の兵力を保有し、うち北朝鮮に進出しているのは3万4千人、そのうち交戦兵力は1万6千5百人である。②11月1日の北京放送は、朝鮮戦争は中国の安全に対する直接の脅威である、中国人民は抗美援朝に最大限の努力を傾注すると宣言した。
・統合参謀本部の疑惑は、中共が北朝鮮に最大限の軍事援助を行うというのに、なぜ北朝鮮に3万4千人の兵力しか派遣しないのか、マッカーサー元帥に見解を求めた。
・実は米軍側は中共軍側によって兵力の過小評価を強制されていた。中共軍は軍に連隊を指す呼称を与え、それに応じて師団、連隊なども大隊、中隊と二等級下げて呼んでいた。米軍側はこのトリックに引っかかり、その呼称の推算結果の進出兵力だった。

・米国務省は、朝鮮問題の解決のためには第三次世界戦争の危険をおかしても中ソ国境まで作戦を拡大する必要があるか、と国防総省に質問し、国防総省は見解を伝えた。鴨緑江まで進撃して北朝鮮軍の息の根をとめる、しかし中ソ領には進まない、第三次世界大戦の心配はない、と。
・だが実際には、軍は深刻な事態を招きかねない解決手段も考慮していた。陸軍は朝鮮における劣勢を挽回するために原爆の戦術的使用を計画している、しかし広島、長崎に対するような戦略的使用ではないので非戦闘員への被害はない、しかし同時に第三次世界大戦の覚悟も必要だ、と。
・11月4日、米韓軍はますます不利になった。中共軍は、米韓軍が防衛の焦点としている飛龍山と清川江北岸に風雪の中を殺到してきた。
・11月5日、日没を迎えると、清川江北岸はけたたましい呼笛とチャルメラ笛の音に蔽われ、中共軍が攻撃してきた。また、布靴の音を忍ばせて近寄り、スリーピング・バックにもぐって仮眠している米兵を音もなく殺傷するその夜襲ぶりは米兵をおののかせ、中隊は四散した。
・11月6日、もうダメだと思い夜が明けると、見渡す谷地を続々、延々と中共軍が遠ざかっていく。中共軍は再び後方に潜伏して好機を待つ。東京の総司令部はマッカーサー元帥の声明を発表した。国連軍部隊は現在中共軍と戦闘状態に入っている、と。第八軍司令官ウォーカー中将に電話して、新攻勢では必ず鴨緑江まで行って北朝鮮全域を管制せねばならぬ、そのためには朝満ルートを封鎖する必要がある、と告げた。
・米極東空軍司令官ストラトメイヤー中将は鴨緑江三橋爆破の意向を伝えられると、即座に不可能です、と答えた。一橋は米国、二橋は日本の企業が建設したもので、当時の最高水準の技術が投入され、抜群の強度を誇る設計であった。元帥は敵戦闘機が上昇できない高高度を飛ぶB29爆撃を下命した。中将はワシントンに連絡する承認を得た。
・爆撃隊発進一時間前のマッカーサー元帥の急電に、朝満国境5マイル以内の爆撃は別命あるまで延期し、貴職の状況判断の速やかな提出が要求されると統合参謀本部は指摘した。
・元帥から統合参謀本部あての至急電:満州から鴨緑江の橋を渡って大量に人と物が朝鮮に流れ込んでいる。この流れを阻止するには空襲による鴨緑江の橋とその付近の施設を破壊する以外に方法がない。空襲が遅れれば多くの米国民及び諸国民の血を流すことになる。本作戦は戦争の原則に即したもので、断じて中国に対して挑戦的な行動ではない。貴指令は必ずや本職が責任を負えぬ大災厄をもたらすからである、と。
・ブラドレー参謀本部議長はマーシャル国防長官と協議しトルーマン大統領に報告、大統領は渋々ゴーの許可を出した。統合参謀本部議長の返電は鴨緑江橋の朝鮮側部分を攻撃する許可だった。マッカーサーはB29爆撃機を90機発進させると、統合参謀本部に二通の電報を発進した。第一電は鴨緑江橋の爆撃が中共軍の北朝鮮への流入と全面戦争に対する抑止効果を持つ、第二電は、それだけでは不十分だから禍根を断つため満州攻撃が不可欠だ、と。軍事的観点からすれば元帥の要請は当然である、だが満州を攻撃された場合の中共の出方である。統合参謀本部は自分たちの権限外の事態だと判断し、トルーマン大統領に判断を求めた。大統領は、全力を挙げて中国に対抗する軍事行動を避けねばならない、ではどのような対策があるのか、大統領は統合参謀本部、国防総省、国務省、CIAに諮問した。 統合参謀本部:政治的解決が優先するが、その達成は軍事的解決を基礎にする。世界戦争の覚悟の下に満州攻撃を実施して勝利を確定しておくべきだ。 国防総省:現時点では満州に対する軍事行動はとるべきでない、しかし安全な聖域から国連軍を攻撃する軍隊にどのような大問題が起こっているか、全世界が理解してほしい。国連軍に甚大な損害を与えている。満州は攻撃しなければならない、国務省が外交手段で国際的支持を取り付けてほしい、と。  国務省:選択肢は四つ、①朝鮮からの米軍の撤退、②守勢への転移、③政治的解決のための交渉開始、④満州及び中国本土に対する進攻。ラスク次官補は対策を列挙しながらどれも有効でないと告白している、政策企画部の単なる作文だ、と。中国課の覚書は軍事独走を抑制して、朝鮮戦争を政治的に解決できる可能性を強調しているが、依然作文性の印象を受ける。
・11月8日、前日につづいて米極東空軍は鴨緑江の新義州橋の爆撃を実施した。前日の爆撃は無効果と判定された。司令官はB29、B29爆撃機、戦闘機等600機を投入した。だが爆撃はまたしても失敗だった。航空写真で比較すると新義州市街の60%を破壊したが、肝心の橋は無傷だった。鴨緑江橋の爆撃は米国が中国を攻撃しないという政策を維持する限り、一方的に不利で中途半端な攻撃を強制される、ストラトメイヤー中将が嘆く所以だった。

・11月8日、大統領トルーマンは国務省から原爆問題に関する極東局顧問エマーソンの判断を受理した後、CIA長官スミスから、翌日の国家安全保障会議に提出する情勢判断を受け取った。とくに中共の北朝鮮介入の意図と能力に焦点をおいて、①北朝鮮に進出している中共軍兵力は3万人から4万人とすいていされ、国連軍と交戦中である。②満州に70万人の中共軍がひかえ、うち20万人が正規軍部隊と見込まれる。その能力は国連軍をこれ以上の北進を阻止できる、総攻撃により国連軍を南方の防御地点に押し戻すことが出来る。③中共介入の目的が、北朝鮮における国連軍の進撃を阻止して朝鮮に共産政権を保持することにある。④中共はわれわれの報復と世界戦争の危険を受け入れている。ゆえに撤退要求の最後通告も拒否するであろうし、中国領を攻撃されれば全兵力を朝鮮に投入してくる。⑤中共と共にソ連も世界戦争の危険を受け入れている。情勢は世界戦争を強制する方向を示している。  トルーマンは沈思した。ここで朝鮮から徹底すれば、米国が世界平和維持機構として作った国連の存在意義が失われ、米国の立場も無くなる。翌日の国家安全保障会議はどのような結論を出すのか。
・11月9日、米国家安全保障会議:先ず統合参謀本部議長ブラドレー大将が口火を切った。中共の参戦意図について、①鴨緑江沿いの発電施設の確保、②ソ連が世界戦争を決意し、中国に米軍を消耗戦に引き込むことを狙っている、③中国は米軍を朝鮮半島から駆逐しようとしている。 すかさずスミスCIA長官は、ソ連は参戦せずに米軍を朝鮮半島に拘束するつもりだ、と。鴨緑江橋の爆破で中共軍の朝鮮流入を阻止できるのか、とスミス長官がが質問すると、ブラドレー大将はそれは楽観的過ぎる、長官はもうすぐ凍結する、橋がなくとも中国人は渡ってこれる、と。アチソン国務長官が鴨緑江の両側に非武装・無人地帯を設ける案を出すと、スミス長官は即座に反対、共産主義者に一歩を譲歩すると百歩の要求をさそうだけだ、われわれが鴨緑江の手前で止まれば、必ずや彼らは朝鮮からの全外国軍隊の撤退を要求し、その交渉の間にも共産勢力の拡大を図る、と。アチソン国務長官は提案を撤回するというと、ブラドレー大将はマッカーサー電を読み上げ、この際元帥の手足を縛るのは米国の敗北になる、世界戦争も戦えなくなる、と主張。アチソン国務長官は結論として、マッカーサー元帥のに対する指令を変更する必要はなく、元帥は満州攻撃を除くあらゆる軍事行動の自由を保有する。国務省は中共との交渉について可能な方法研究する、と。
・報告を聞いた大統領は結論を承認したが、次のように記述していた、「中共の侵略は朝鮮だけのものだと見るべきでない。それは西洋人の世界に対する挑戦とみなすべきである」

・この頃、日本国民の関心は、朝鮮戦争が日本に及ぼす影響、とくに生活、対日講和、朝鮮戦争そのものがどのようになるのか、に集中していた。朝日新聞は全国2641人に国際問題世論調査を試み、その結果を発表した。①暮らし向き:悪くなった52%、変わらない25%、良くなった19%。 ②日本の経済事情は一年後どうなるか:よくなる31%、悪くなる16%、変わらない14%。 回答者のうち若者に楽観的見通しを持つ者が多かった、楽観の基礎は特需景気にあり、デパートなどは前年より3~8割増をきたいしている、と。 ③国連とはどういうものか知っているか:知っている54%。 ④現在の国連を支持するか:強く支持する40%、ある程度支持する40%。 ⑤朝鮮戦争が起こってから国連に対する考え方が変わったか:変わらない69%、変わった26%。 ⑥朝鮮事変について国連に協力すべきか:協力すべき57%、協力すべきでない9%。 ⑦朝鮮事変は日本の講和条約の締結を早めると思うか:早める46%、遅くする15%。 ⑧日本の講和についてソ連を含む全面講和または米国側陣営との単独講和のどちらに賛成するか:単独講和46%、全面講和21%。 ⑧講和条約締結後に米国が日本に軍事基地を持つことに賛成か、反対か:反対38%、賛成30%。 反対理由の多くは戦争に巻き込まれる、日本が攻撃される。賛成理由は日本防衛に必要。 ⑨日本が軍隊をつくることに賛成か反対か、ただしこの軍隊は日本を外国の侵略から守るもの:賛成54%、反対28%。 ⑩この軍隊は国外にも派遣すべきか:専守防衛74%、国外にも派遣19%。 ⑪日本国民にとって一番重大な問題は何か:講和23%、国民生活15%、税金問題8%、経済問題7%、社会問題4%、朝鮮動乱3%、戦争回避と平和問題3%、思想問題2%。
・このアンケートから浮上する国民の関心事は、生活の向上と安定、一日も早い講和による独立、朝鮮戦争の戦火の波及の回避といった国民の願いだ、と児島襄氏はコメントする。 でも現在から見ると、朝鮮戦争より講和がはるかに関心事になっている。極東の冷戦真っただ中にあって、その動揺は窺われず、安定した国民の暮らしが垣間見える。その重要な要件として、政治経済情勢が安定していた、ということだろう。米国の占領下にあって、それ程の不平不満がこのアンケートからうかがえない。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日9月8日は、サンフランシスコ講和条約調印から70年

2021年09月08日 | 歴史を尋ねる

 産経新聞によると、調印50周年の平成13年9月8日、当時の田中真紀子外相は講和会議の会場・オペラハウスを訪れて記念式典を開催した。60周年だった平成23年も在サンフランシスコの日本総領事館で日本政府主催の式典が開かれた。70周年の今年は新型コロナウイルス禍もあって、特に行事は予定されていない、という。日本が独立を回復した4月28日については、平成24年の衆院選で自民党が「主権回復の日」として式典を開催すると公約した。大勝した自民党は政権に復帰し、平成25年4月28日、「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を開催したが、その後行われたことはない、独立の価値は忘れ去られようとしている、と佐々木美恵・酒井充記者は記事にしている。8月15日は各社競って歴史を振り返るが、そこに関連した9月8日、4月28日は新聞各社ほとんど記事にしていない。
 日本の戦後史を語る上で、不思議で、その分貴重な現象である。日本に主権がなかったことなどすっかり忘れたのか、あるいは振り返りたくないのか、或いはまだ歴史の審判が下されてない、ということか。70年経ても歴史の審判が下らないというのは、いかがなものか、少なくとも現段階でも、それなりの歴史的判断をしておく必要がある、そうでなければ前にも進めない。当時の大きな争点は、全面講和か単独講和か。当時の識者は、東大総長の南原繁、政治学者の丸山真男らいわゆる進歩的文化人による平和問題談話会も全面講和を主張する声明を発表した。単独講和を「日本及び世界の破壊に力を藉すもの」と論難し、「如何なる国に対しても軍事基地を与えることには、絶対に反対する」とも訴えた。これは当時のソ連に沿った内容だった、という。しかし、世論の多くは単独講和を進める吉田を支持した。朝日新聞が昭和25年9月に実施した世論調査で、全面講和支持が21%、単独講和支持が46%と圧倒したた。国民世論の方が、その後の歴史を照らして、はるかに賢明な判断をしていた。単独講和といっても米英など48か国、全面とはソ連や中国を加えるかどうかだった。それは真に当ブログが、児島襄著「講和条約」で事実関係を追いかけているところだ。

 当事者である外務省は現在どう扱っているのか、HPを開いてみると、茂木外務大臣の記者会見に、毎日新聞の記者が質問している。
【毎日新聞 宮島記者】サンフランシスコ講和条約についてお伺いします。明日、日本が国際社会への復帰を果たしたサンフランシスコ講和条約の署名から70年を迎えます。早期講和、軽武装、経済優先路線は、戦後日本の繁栄の土台になったかと思いますけれども、足元では、米中新冷戦と呼ばれる時代になってきました。迂遠な話で恐縮なんですけれども、講和条約締結の意義と、今後の日本のあるべき姿について、ご所見をお伺いできますでしょうか。

【茂木外務大臣】丁度明日で締結から70年ということになるわけですね。今日7日だよね? ということは、明日だね。明日9月8日で、丁度70周年を迎えるということで、やはり歴史的な決定だったと、こんなふうに思っているところであります。戦後復興を遂げ、また、国際社会の一員に復帰をすると、こういった意味で大きな条約の締結だったと、このように考えております。
 日本は、サンフランシスコ平和条約を受諾することによりまして、主権を回復して国際社会に復帰したわけであります。そして、この条約は今日に至るまで、戦後秩序の基本的な枠組を提供しているものと理解いたしておりまして、戦後の日本は、この枠組の中で平和と繁栄を実現してきたと、これは間違いない事実だと思います。
 ただ、当時と比較して、今日、国際情勢、これも大きく変わっていると、当時はちょうど、冷戦構造が始まると、こういう状況でありましたが、違った形で違う構造で、日本を取り巻きます安全保障環境、今、厳しさを増しているところであります。国際社会、予見をしていた以上のスピードで、歴史的変動期にまた入っておりまして、安全保障、先端技術、デジタル、様々な分野で、パワーバランスの流動化というのが見られるわけでありまして、一方で、新型コロナ対応とか気候変動、こういうことでは、国際社会が一致して、協力して対応しなくてはならない、こういう課題も大きく浮かび上がってきているのは事実だと思っております。
 日本として、こういった様々な動きと、これを先取りしながら、私(大臣)が申し上げている、「包容力と力強さを兼ね備えた外交」を、幅広く戦略的に展開をしていきたいと、そのように考えております。
 サンフランシスコ講和条約をはじめとします、国際的な法的な枠組みを遵守をすると、我々が確立してきた共通の価値観に基づきます様々なルール、こういったものを遵守すると同時に、新たな時代の流れ、これに対応した今後の世界的なルール作り、こういうものを日本として、更に主導していきたい、こんなふうに考えております。

 外務大臣はサンフランシスコ平和条約の受諾について、その歴史的意義について語っている。この大臣の発言について多くの人が納得するものである。茂木大臣の問題発言と記事にならないことで分かる。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする