1月26日、マッカーサー元帥の誕生日であるが、総司令部が位置する第一生命ビルには、おりから日比谷公園で開催された共産党指導者野坂参三の帰国歓迎大会に集まった三万人の聴衆の歓声が響いたが、民政局次長ケーディス大佐はそれを皮肉な事象とは感じなかった。民政局の関心は、憲法改正問題に集中していた。日本の民主化を憲法で固定すべきだというのが、マッカーサー元帥はじめ総司令部の意向なのだが、日本政府、外務省、新聞或いは個人ルートを通じて承知する限りでは、日本側の憲法改正作業の動きは鈍い。「憲法改正については、日本側と我々との間には、思想よりセンスの差がある。センスの相違は理論では訂正できない」 総司令部は介入するほかない、という。日本の憲法は日本のものである。日本人が民主的憲法を自身でつくることが望ましい。だが、日本側にそれが出来ないとなれば話は別だ。「ジェネラル(元帥)に日本の憲法を改正する権限があるという覚書が作成できるか」「直ちに用意します」 ケーディス民政局次長はホイットニー局長の部屋で、民政局の憲法改正作業の分担を至急に決める、と述べた。
その夜、松本国務相は総司令部にも知人のいる高木東京帝国大学教授の来訪を受け、「最小限の改革では問題か解決しそうにない。総司令部側の意向もご聴取になる方がいい」と勧告を受けたが、松本は「憲法改正はあくまで自主的にやるべきものと思う。日本にまかすとポツダム宣言も言っているのだから、どう決めてもいい。そのままでもいいくらいのもので、アメリカの意向を問い、打診する必要はないでしょう」と。
1月30日、極東諮問委員会代表団が総司令部を訪れ、マッカーサー元帥と会見した。団長マコイ米陸軍少将は「総司令部が日本の憲法改正をどのように考え、どのような態度をとるのか伺いたい」と質問した。総司令部は全能機関で、日本の真の政府は占領当局であると考えたからであった。日本政府の法案は、①総司令部への事前提示➾②議場での米軍将校の審議監視➾③通過後の総司令部の承認➾④天皇の裁可➾⑤公布。その総司令部が国家の基本法である憲法に無関心である筈がない、と。そして日本の憲法改正問題は、極東委員会の権限事項であるから。一同が注視する中、元帥は「憲法改正問題は、極東委員会の設置を決めた1945年12月モスクワ協定によって、自分の手を離れた。しかし、憲法改正については、なにが行われるにせよ、出来上がった文書は日本人の製作だと日本人に考えさせる方策をとるべきだ」 銃剣で強制された憲法は銃剣が引かれた瞬間に破棄されるだろう。こういう元帥の言明は、憲法改正作業の中止ではなく、その開始を含意していた。
2月1日、毎日新聞が、「憲法改正調査会の試案」を報道した。試案は憲法問題調査委員会の主流をなすもので、政府案の全貌が窺がわれ、とくに重大なる意義がある、と。内容は大幅改正の甲案に近く、捨てられた草稿であった。機密漏洩であった。松本烝治国務相は記者会見し、報道された試案は審議過程で作成された一案に似ているが、政府案ではないし、漏洩について内閣に責任はない、と。記者団から、政府は憲法第一~第四条を変更しない方針と聞くがそうなのか、と質問が飛ぶと、その通りと松本は即答、記者の間から、保守的だ、非民主的でないか、という声が湧き起った。統治権の主体を人民にせよと、このところ各新聞に掲載されている共産党その他の主張と同じ流行論であった。国務相の観察では、憲法に人民主権などと規定するのは、政体と共に天皇制という国体も変更できることになり、日本の将来を脅かす暴挙に他ならない、と。
午後五時過ぎ、民政局統治課長ハッシー海軍中佐は、楢崎渡書記官長に電話、すぐに政府案を見せてもらいたい、と。結局、甲案の概要である「憲法改正の趣旨」と「政府起草の憲法改正に関する一般的説明」の英文資料を総司令部に届けた。通読したケーディス民政局次長は、とっさに日本側の保守性を指摘、天皇は神聖でなくなるだけで、天皇制は現憲法のまま残す、人権・言論の自由なども議会の立法の対象になっていて、憲法上の権利にはされていない。ケーディス民政局次長は、このような時代錯誤の改正案が総司令部の意向にそわないことを、日本側は理解出来ないでいるのだろうか、と首をひねった。ホイットニー局長は、日本側は改めてポツダム宣言に忠実でより純粋な改正案を作り直すのか、それともわれわれの憲法案を受諾するのか、いずれかを選ばざるを得なくなった、と。日本側に純粋憲法をつくる意思も能力もないのは明白だ、と。
2月2日、外相吉田茂はホイットニー准将に電話した。外相官邸で総司令部側との憲法改正につての会談の申し込みで、ホイットニーからは期日を延期して2月12日にしようとの返事。総司令部憲法法案の策定日程方針を見ての期日指定であった。
この日憲法問題調査委員会は総会を開き、午前中は松本私案を中心とした説明と解説、午後は質疑応答だった。午後は憲法の天皇条規に議論が集中した。軍事大権(第十一、第十二条)については、廃止の意見が続出した。すでに陸海軍は解体し、連合国側の日本非武装化の方針も明らかであるのに、なぜ軍事大権を残す必要があるのか、日本は再軍備を志向し、これまで通りの天皇政治を維持するつもりだ、民主化を拒否するのだといったあらぬ疑いを招くだけではないか。書記官長は、陸軍の元軍務局長吉積正雄中将その他の有力者の見解を伝えた。「第十一条は削る方がいい。残しておくと天皇制も吹っ飛んでしまう。平和国家一本鎗で行きたい、とのことです」 松本国務相は、憤然と弁論した。自分が考える今後の日本軍は、海賊予防や内乱鎮圧のための最小限度の国防力で、従来の外征能力を持つ陸海軍ではない。ただし、軍隊であるので、憲法に規定する必要があるだけのことである。天皇大権も議会の協賛によることになるのだから、軍隊も民主的軍隊になる。マッカーサーと交渉してダメだというなら、削らざるを得ない。しかし、交渉もせずに最初から削って立案することは、出来ない。軍なき国というものは、存在し得ない。列国に伍す能わずという事態を、あえて自ら作るなど、この松本には出来ぬ、と。
宮沢俊義東大教授は発言した。置く置かないというのではなく、向こうの意向に関わらず、日本が生きるためには、平和国家という大方針を掲げる以外に道はない。軍隊の規定は残しておいても、どうせ形式的で、つつかれるだけだから、残して置かない方がいい、と。松本は憮然とし、寂しくもあった。宮沢教授の所論は矛盾している。自主性を強調しながら、総司令部に逆らうなと言っている。結局、向こうの意向の尊重ではないか。ポツダム宣言は、日本を滅亡させるつもりはないと明言している。他国の属領にするとも併合するとも言っていない。いずれ日本は独立国として国際社会に復帰するのである。占領と総司令部の支配も一時的なものにすぎない。憲法改正は、その独立復帰に備えるためのものである。独立国日本の最も重要な要件は、国体すなわち天皇制を維持するかどうかだが、国民の国体維持の信念に揺るぎはない筈だ。独立国である以上、自国の安全は自力で守られねばならない。すなわち、軍隊が不可欠になる。
美濃部達吉東大名誉教授は、国務相の説はもっともだと、発声した。憲法を改正するには、日本が独立国たることを前提とすべきで、現在の状態のみに即することは出来ない。独立国を前提とする以上、軍の規定を置くことは当然である。これを削ることは、いつでも滅ばしてくれということを表明するに等しい、と。長老格の美濃部博士の掩護射撃で、一座のそれ以上の論議は封止され、委員会は終了した。
2月3日は日曜日。松本委員会は休んだが、総司令部は休業せず、マッカーサー元帥も登庁した。准将は大佐に黄色い草稿用紙を手渡した。大佐は憲法改正についてガイドラインを要請していた、その回答だった。このガイドラインはマッカーサー・ノートと呼ばれ、憲法改正に関する「四原則」であった。
その夜、松本国務相は総司令部にも知人のいる高木東京帝国大学教授の来訪を受け、「最小限の改革では問題か解決しそうにない。総司令部側の意向もご聴取になる方がいい」と勧告を受けたが、松本は「憲法改正はあくまで自主的にやるべきものと思う。日本にまかすとポツダム宣言も言っているのだから、どう決めてもいい。そのままでもいいくらいのもので、アメリカの意向を問い、打診する必要はないでしょう」と。
1月30日、極東諮問委員会代表団が総司令部を訪れ、マッカーサー元帥と会見した。団長マコイ米陸軍少将は「総司令部が日本の憲法改正をどのように考え、どのような態度をとるのか伺いたい」と質問した。総司令部は全能機関で、日本の真の政府は占領当局であると考えたからであった。日本政府の法案は、①総司令部への事前提示➾②議場での米軍将校の審議監視➾③通過後の総司令部の承認➾④天皇の裁可➾⑤公布。その総司令部が国家の基本法である憲法に無関心である筈がない、と。そして日本の憲法改正問題は、極東委員会の権限事項であるから。一同が注視する中、元帥は「憲法改正問題は、極東委員会の設置を決めた1945年12月モスクワ協定によって、自分の手を離れた。しかし、憲法改正については、なにが行われるにせよ、出来上がった文書は日本人の製作だと日本人に考えさせる方策をとるべきだ」 銃剣で強制された憲法は銃剣が引かれた瞬間に破棄されるだろう。こういう元帥の言明は、憲法改正作業の中止ではなく、その開始を含意していた。
2月1日、毎日新聞が、「憲法改正調査会の試案」を報道した。試案は憲法問題調査委員会の主流をなすもので、政府案の全貌が窺がわれ、とくに重大なる意義がある、と。内容は大幅改正の甲案に近く、捨てられた草稿であった。機密漏洩であった。松本烝治国務相は記者会見し、報道された試案は審議過程で作成された一案に似ているが、政府案ではないし、漏洩について内閣に責任はない、と。記者団から、政府は憲法第一~第四条を変更しない方針と聞くがそうなのか、と質問が飛ぶと、その通りと松本は即答、記者の間から、保守的だ、非民主的でないか、という声が湧き起った。統治権の主体を人民にせよと、このところ各新聞に掲載されている共産党その他の主張と同じ流行論であった。国務相の観察では、憲法に人民主権などと規定するのは、政体と共に天皇制という国体も変更できることになり、日本の将来を脅かす暴挙に他ならない、と。
午後五時過ぎ、民政局統治課長ハッシー海軍中佐は、楢崎渡書記官長に電話、すぐに政府案を見せてもらいたい、と。結局、甲案の概要である「憲法改正の趣旨」と「政府起草の憲法改正に関する一般的説明」の英文資料を総司令部に届けた。通読したケーディス民政局次長は、とっさに日本側の保守性を指摘、天皇は神聖でなくなるだけで、天皇制は現憲法のまま残す、人権・言論の自由なども議会の立法の対象になっていて、憲法上の権利にはされていない。ケーディス民政局次長は、このような時代錯誤の改正案が総司令部の意向にそわないことを、日本側は理解出来ないでいるのだろうか、と首をひねった。ホイットニー局長は、日本側は改めてポツダム宣言に忠実でより純粋な改正案を作り直すのか、それともわれわれの憲法案を受諾するのか、いずれかを選ばざるを得なくなった、と。日本側に純粋憲法をつくる意思も能力もないのは明白だ、と。
2月2日、外相吉田茂はホイットニー准将に電話した。外相官邸で総司令部側との憲法改正につての会談の申し込みで、ホイットニーからは期日を延期して2月12日にしようとの返事。総司令部憲法法案の策定日程方針を見ての期日指定であった。
この日憲法問題調査委員会は総会を開き、午前中は松本私案を中心とした説明と解説、午後は質疑応答だった。午後は憲法の天皇条規に議論が集中した。軍事大権(第十一、第十二条)については、廃止の意見が続出した。すでに陸海軍は解体し、連合国側の日本非武装化の方針も明らかであるのに、なぜ軍事大権を残す必要があるのか、日本は再軍備を志向し、これまで通りの天皇政治を維持するつもりだ、民主化を拒否するのだといったあらぬ疑いを招くだけではないか。書記官長は、陸軍の元軍務局長吉積正雄中将その他の有力者の見解を伝えた。「第十一条は削る方がいい。残しておくと天皇制も吹っ飛んでしまう。平和国家一本鎗で行きたい、とのことです」 松本国務相は、憤然と弁論した。自分が考える今後の日本軍は、海賊予防や内乱鎮圧のための最小限度の国防力で、従来の外征能力を持つ陸海軍ではない。ただし、軍隊であるので、憲法に規定する必要があるだけのことである。天皇大権も議会の協賛によることになるのだから、軍隊も民主的軍隊になる。マッカーサーと交渉してダメだというなら、削らざるを得ない。しかし、交渉もせずに最初から削って立案することは、出来ない。軍なき国というものは、存在し得ない。列国に伍す能わずという事態を、あえて自ら作るなど、この松本には出来ぬ、と。
宮沢俊義東大教授は発言した。置く置かないというのではなく、向こうの意向に関わらず、日本が生きるためには、平和国家という大方針を掲げる以外に道はない。軍隊の規定は残しておいても、どうせ形式的で、つつかれるだけだから、残して置かない方がいい、と。松本は憮然とし、寂しくもあった。宮沢教授の所論は矛盾している。自主性を強調しながら、総司令部に逆らうなと言っている。結局、向こうの意向の尊重ではないか。ポツダム宣言は、日本を滅亡させるつもりはないと明言している。他国の属領にするとも併合するとも言っていない。いずれ日本は独立国として国際社会に復帰するのである。占領と総司令部の支配も一時的なものにすぎない。憲法改正は、その独立復帰に備えるためのものである。独立国日本の最も重要な要件は、国体すなわち天皇制を維持するかどうかだが、国民の国体維持の信念に揺るぎはない筈だ。独立国である以上、自国の安全は自力で守られねばならない。すなわち、軍隊が不可欠になる。
美濃部達吉東大名誉教授は、国務相の説はもっともだと、発声した。憲法を改正するには、日本が独立国たることを前提とすべきで、現在の状態のみに即することは出来ない。独立国を前提とする以上、軍の規定を置くことは当然である。これを削ることは、いつでも滅ばしてくれということを表明するに等しい、と。長老格の美濃部博士の掩護射撃で、一座のそれ以上の論議は封止され、委員会は終了した。
2月3日は日曜日。松本委員会は休んだが、総司令部は休業せず、マッカーサー元帥も登庁した。准将は大佐に黄色い草稿用紙を手渡した。大佐は憲法改正についてガイドラインを要請していた、その回答だった。このガイドラインはマッカーサー・ノートと呼ばれ、憲法改正に関する「四原則」であった。