本タイトルは2002年に日経ビジネス人文庫から発行された本の名前である。著者は現在東京都水道局職員部労務課長である鈴木浩三氏で、1995年に刊行された「江戸の経済システム」を加筆修正したものである。「江戸時代から現代まで、日本人は過酷な市場原理に支配された社会で生きてきた。江戸時代には、通貨の変動相場、為替取引、信用取引や投機、市場金利など、基本的には現代と変わらない市場取引の機能が高度かつ全国的に繰り広げられていた。まだアメリカが植民地であった時代から、我が国には固有の先進的な市場経済システムが存在していた。日本人のDNAには過去400年以上にわたる市場経済システムの経験が、しっかり組み込まれている」 多少センセーショナルな書き方であるが、江戸時代の個々の事象を見ていくと、頷かされることが多々ある。
カネは天下の回りものー貨幣経済の勃興。判りやすい、確かにこの言葉は落語にも良く出てくる江戸時代の江戸っ子のせりふだ。庶民まで行き渡っているお金の様子が目に浮かぶ。幕府、諸大名を問わず武家階級の主な収入は領地からの年貢米、これを換金・銀して得た貨幣で領国と江戸の経費、家臣への給料のすべてをまかなった。これが米本位経済とも言われ幕藩体制の基盤だった。大名や旗本の現金収入は大阪の米市場で換銀されたほか、旗本の役職手当と御家人層の給与は、浅草米蔵で現米で受け取ったものが、蔵前の札差の手を経て現金化された。一方、家康江戸入府から70年、江戸は天下普請に伴う大需要が発生し、商工業が大きく発達した。さらに参勤交代や大名の江戸在府制度など、たえず有効需要を発生させた。これらの取引に伴う貨幣需要も旺盛であった。天下の台所といわれた大阪や長崎などの幕府直轄都市、各大名の城下町も事情は同様、さらには農村部にも浸透していった。武士階級の収入は米であったが、消費生活は貨幣で支払う構造が出来上がった。
もうひとつ特徴的なのは、江戸時代のはじめから金・銀・銭の三貨制による貨幣経済が成り立っていた。同じ財貨でも場所によって金建ての取引もあれば、銀建てになることもあった。その上金遣い経済圏の江戸でも、財貨の種類によって支払い手段の貨幣の種類が異なる場合もあったし、階層によっても異なる貨幣を使った。つまり、一物多価現象が成立していたのが江戸の経済構造の特徴であった。そして幕府は頻繁に金・銀・銭の交換比率を一定に保つよう公定するが、すぐに時々の相場で変動するのが常であった。
江戸時代の政治・経済史の中で享保・寛政・天保の三大改革が有名で、無条件で肯定的な評価をする場合が多い。この改革の共通点は農村の活力を高めて年貢を増加させる農政重視と貨幣経済発達の原動力だった商品流通や経済活動に対する引き締めであった。したがって、三大改革の経済政策は幕藩体制維持のためであり、米以外の商品作物の生産や都市の商工業の発達を通じて成長を続ける貨幣経済に対する保守派の巻き返しともいえる。