関東大震災をテーマとしているが、朝鮮人殺傷問題について、思わず深入りしてしまった。今回はこのテーマの纏め編としたい。工藤氏も何度も著書で述べているが、無辜の朝鮮人が命からがらの目にあわざるを得なかった例が少なくなかった。後で検討するように、相当の人数にのぼるだろう。しかし、恐怖心をはらむ状況が自警団側にもあった。過剰といわれても、町内と家族の身の安全を考えて怪しき振舞いの朝鮮人を難詰し、相手が反抗したり逃げたりすれば、暴力沙汰になってこれを抑え込む、いくら独立運動とはいえ、無差別の攻撃(たとえが放火、毒薬、爆発物など)であれば、その反撃はやむを得ない。ここでは、被害者がどの程度だったか、工藤氏の検証結果を知っておきたい。それから当時の調査報告書も見ておきたい。
まず震災直後に東京及びその近郊にいた朝鮮人の総人口は約9,800人。そのうち習志野の陸軍廠舎や各警察署などに保護された朝鮮人は6,797人。保護収容したのは、神経過敏になっていた自警団から朝鮮人を隔離保護して、炊出しして握り飯を配給し、毛布を配り、傷を負っていた被災者には赤十字と軍医による看護を施した。朝鮮人はテントで雨露をしのげたが、被災した日本人の大多数は逆に野宿したり、仮小屋生活で食料の不足を辛うじて助け合い、便所もない生活を強いられていたことも忘れてはならないと、工藤氏。一方、戒厳令司令部は自警団による過剰防衛容疑の日本人367人を起訴した。この調査報告に基づいて、無辜の朝鮮人が殺害された人数は233人であると公表した。同時に朝鮮人と間違えられて殺害された日本人の数が57人、中国人4人も発表された。相当異常な状況に陥っていたことが分かる報告だ。9,800-6,798-233ー1,960(地震による直接の被害者:工藤氏推定)=810人がテロリストと見做されて殺害された大凡の人数。これが工藤氏の検証した結果の推定人数。うーむ、それにしても相当の人数にのぼる。英国秘密情報部による義烈団の活動メンバー50人としても、はるかに超えた人数である。
政府による事件調査として「関東大震災と朝鮮人」(現代史資料)には、14編が掲載されている。その中で朝鮮総督官房外事課の調査報告書「関東地方震災時に於ける朝鮮人問題」がこのテーマを詳細に調べているので、見ておきたい。目次は以下の通り。1、震災の概況、2、朝鮮人殺傷の動機、3、各種の誤解に関する疎明、4、鮮人罹災者救済状況、5、震災当時の被殺鮮人の数、6、鮮人殺害の朝鮮に及ぼしたる影響。
まず、第4項目の被殺鮮人の数の欄を見ておきたい。「自警団に殺害された鮮人の数は混乱の際であり死体は一般の死体と共に火葬に伏せられたから死因も弁別せず従って的確なる数を得ること困難であるが、朝鮮地方官憲で精密に調査した結果によれば圧死者焼死者被殺者及び行方不明者となった鮮人は総隊で832名である。鮮人の居住場所と焼死者の多かった事実に徴し自警団に殺害された者はその2~3割を超過することはあるまいと推定せられるのである。」
続いて、第二項目の朝鮮人殺傷の動機欄に移りたい。「今回の大惨事で驚心駭目殆ど為す所を知らざる時にあたり端なくも過激主義者と不逞鮮人の兇行が伝えられ人心頓に興奮し之に対抗して防衛と膺懲の為に立ちたる自衛団の行動が往々冷静の態度を失いたるものあり。更にこの事が海外に報道され常に排日的偏見を抱く徒は奇貨措くべしと為し事実を誇張して針小棒大に宣伝し或は見聞を虚構して浮説中傷を欲しい侭にし所謂一犬虚を吠え万犬実を伝えるが如き状態である。之が為穏健中庸の人士も又頗る判断に迷い我が国民性に疑惑を抱かせ、内鮮融和の上にも少なからざる影響を及ぼしている。」 当時から今日と似たような嘆きがあるものだ、大震災という大変な自然災害に遭遇した中で。従って事件の真相を明らかにし、その迷妄を一掃した、これがこの調査の目的であった。「まずもって一言言っておきたいことは、震災以前、内地人の脳裏に朝鮮人に対し迫害して快とする様な何等の反感も又憎悪の念もなかった。内地人の心理に通じない一部の外人や鮮人の間に今回の出来事を以て根深い根底があるものと考え、胸中に鬱勃たる民族的悪感情の暴発したるものの如くに論ずるものあるが、これは全く事実に立脚せざる誤った観察である。」「然らば何が故に昨秋の震災に際して変事が突発したか、何れの方面から研究しても一に彼の戦慄すべき流言蜚語の齎した結果に他ならない」「流言蜚語は主として朝鮮人の暴行という事柄であるが、その内容は既に世間周知の事であるが、凡そ吾人の最も嫌忌する種々の罪悪を好機乗ずべしとして不逞鮮人が敢行しつつあるということである。予て機会を窺っていた不逞鮮人等は震災の混乱に乗じ或は爆薬その他の材料を以て家屋に放火し或は井水に毒薬を投じ或は暴行脅迫を加え財物を略奪し婦人を凌辱し行人を殺傷し又多数集団して兇器を携えて襲撃を加えつつあるという情報が頻々として罹災者の耳に入り、惨禍に直面して呆然自失せる彼等をして名状すべからざる衝動を感ぜしめた彼等は殆ど絶体絶命の感をいだき天災と闘い人禍に抗すべく渾身の勇気を奮って起ち、自衛団を組織し婦女老幼を安全な場所に取り纏め、天人共に許さざる非人道的罪悪に対して飽くまでこれを膺懲し防遏すべしと期した。」これは報告書であるが、調査人は調査内容から想像の限りを尽くして、リアルに人心も含めて当時を描こうとしている。そして殺傷動機についてこう結んでいる。「直接の動機と認むべきものは一には流言蜚語の根元たるべき凶行が実際一部少数の鮮人に依ってなされたこと、二には一時警察力と一切の通信機関及び報道機関が停止し秩序の維持についても妖言の真否についても全く依るべき所が無かった、三には人心極度の亢奮である」
「一部の鮮人が兇器を持ち掠奪その他の暴行を演じ婦人を凌辱し爆薬その他の材料を携行し放火を図りその他怪しむべき行動のあったことは被害者目撃者の斉しく認るところである混乱無秩序の間に行われたるが故に之を逮捕して正式に法廷に訴えることが出来ず、巧みに姿を画して免れ或は自警団の手に依りて捕えられ或は即座に処分せられ又証拠の如きも震災のために消滅したので大部分は之を検挙でき無かった。法廷における正式裁判の少なきを以て凶行の事実を否認せんとするの論は机上の空論である」
報告書は鮮人罹災者救済状況も詳細に記録している。1、官吏の派遣、2、鮮人傷病者の救護、3、朝鮮人学生の救護、4、労働者の救護、5、救護打切り後の措置、6、帰還朝鮮人の救護、7、安否通報、8、罹災鮮人遺族に対する慰藉(830名に200円/一人の弔慰金)。最後に、各地官民及び朝鮮総督府の周到な救護と同情とにより鮮内鮮人の昂奮せる感情も漸次緩和せられ、「不祥事の真相が略了解せられ一般に彼の場合何としても致し方なし已むを得ぬ事態であったということが判り鮮内は平穏無事に経過したことを祝福したい」と結んでいる。
まず震災直後に東京及びその近郊にいた朝鮮人の総人口は約9,800人。そのうち習志野の陸軍廠舎や各警察署などに保護された朝鮮人は6,797人。保護収容したのは、神経過敏になっていた自警団から朝鮮人を隔離保護して、炊出しして握り飯を配給し、毛布を配り、傷を負っていた被災者には赤十字と軍医による看護を施した。朝鮮人はテントで雨露をしのげたが、被災した日本人の大多数は逆に野宿したり、仮小屋生活で食料の不足を辛うじて助け合い、便所もない生活を強いられていたことも忘れてはならないと、工藤氏。一方、戒厳令司令部は自警団による過剰防衛容疑の日本人367人を起訴した。この調査報告に基づいて、無辜の朝鮮人が殺害された人数は233人であると公表した。同時に朝鮮人と間違えられて殺害された日本人の数が57人、中国人4人も発表された。相当異常な状況に陥っていたことが分かる報告だ。9,800-6,798-233ー1,960(地震による直接の被害者:工藤氏推定)=810人がテロリストと見做されて殺害された大凡の人数。これが工藤氏の検証した結果の推定人数。うーむ、それにしても相当の人数にのぼる。英国秘密情報部による義烈団の活動メンバー50人としても、はるかに超えた人数である。
政府による事件調査として「関東大震災と朝鮮人」(現代史資料)には、14編が掲載されている。その中で朝鮮総督官房外事課の調査報告書「関東地方震災時に於ける朝鮮人問題」がこのテーマを詳細に調べているので、見ておきたい。目次は以下の通り。1、震災の概況、2、朝鮮人殺傷の動機、3、各種の誤解に関する疎明、4、鮮人罹災者救済状況、5、震災当時の被殺鮮人の数、6、鮮人殺害の朝鮮に及ぼしたる影響。
まず、第4項目の被殺鮮人の数の欄を見ておきたい。「自警団に殺害された鮮人の数は混乱の際であり死体は一般の死体と共に火葬に伏せられたから死因も弁別せず従って的確なる数を得ること困難であるが、朝鮮地方官憲で精密に調査した結果によれば圧死者焼死者被殺者及び行方不明者となった鮮人は総隊で832名である。鮮人の居住場所と焼死者の多かった事実に徴し自警団に殺害された者はその2~3割を超過することはあるまいと推定せられるのである。」
続いて、第二項目の朝鮮人殺傷の動機欄に移りたい。「今回の大惨事で驚心駭目殆ど為す所を知らざる時にあたり端なくも過激主義者と不逞鮮人の兇行が伝えられ人心頓に興奮し之に対抗して防衛と膺懲の為に立ちたる自衛団の行動が往々冷静の態度を失いたるものあり。更にこの事が海外に報道され常に排日的偏見を抱く徒は奇貨措くべしと為し事実を誇張して針小棒大に宣伝し或は見聞を虚構して浮説中傷を欲しい侭にし所謂一犬虚を吠え万犬実を伝えるが如き状態である。之が為穏健中庸の人士も又頗る判断に迷い我が国民性に疑惑を抱かせ、内鮮融和の上にも少なからざる影響を及ぼしている。」 当時から今日と似たような嘆きがあるものだ、大震災という大変な自然災害に遭遇した中で。従って事件の真相を明らかにし、その迷妄を一掃した、これがこの調査の目的であった。「まずもって一言言っておきたいことは、震災以前、内地人の脳裏に朝鮮人に対し迫害して快とする様な何等の反感も又憎悪の念もなかった。内地人の心理に通じない一部の外人や鮮人の間に今回の出来事を以て根深い根底があるものと考え、胸中に鬱勃たる民族的悪感情の暴発したるものの如くに論ずるものあるが、これは全く事実に立脚せざる誤った観察である。」「然らば何が故に昨秋の震災に際して変事が突発したか、何れの方面から研究しても一に彼の戦慄すべき流言蜚語の齎した結果に他ならない」「流言蜚語は主として朝鮮人の暴行という事柄であるが、その内容は既に世間周知の事であるが、凡そ吾人の最も嫌忌する種々の罪悪を好機乗ずべしとして不逞鮮人が敢行しつつあるということである。予て機会を窺っていた不逞鮮人等は震災の混乱に乗じ或は爆薬その他の材料を以て家屋に放火し或は井水に毒薬を投じ或は暴行脅迫を加え財物を略奪し婦人を凌辱し行人を殺傷し又多数集団して兇器を携えて襲撃を加えつつあるという情報が頻々として罹災者の耳に入り、惨禍に直面して呆然自失せる彼等をして名状すべからざる衝動を感ぜしめた彼等は殆ど絶体絶命の感をいだき天災と闘い人禍に抗すべく渾身の勇気を奮って起ち、自衛団を組織し婦女老幼を安全な場所に取り纏め、天人共に許さざる非人道的罪悪に対して飽くまでこれを膺懲し防遏すべしと期した。」これは報告書であるが、調査人は調査内容から想像の限りを尽くして、リアルに人心も含めて当時を描こうとしている。そして殺傷動機についてこう結んでいる。「直接の動機と認むべきものは一には流言蜚語の根元たるべき凶行が実際一部少数の鮮人に依ってなされたこと、二には一時警察力と一切の通信機関及び報道機関が停止し秩序の維持についても妖言の真否についても全く依るべき所が無かった、三には人心極度の亢奮である」
「一部の鮮人が兇器を持ち掠奪その他の暴行を演じ婦人を凌辱し爆薬その他の材料を携行し放火を図りその他怪しむべき行動のあったことは被害者目撃者の斉しく認るところである混乱無秩序の間に行われたるが故に之を逮捕して正式に法廷に訴えることが出来ず、巧みに姿を画して免れ或は自警団の手に依りて捕えられ或は即座に処分せられ又証拠の如きも震災のために消滅したので大部分は之を検挙でき無かった。法廷における正式裁判の少なきを以て凶行の事実を否認せんとするの論は机上の空論である」
報告書は鮮人罹災者救済状況も詳細に記録している。1、官吏の派遣、2、鮮人傷病者の救護、3、朝鮮人学生の救護、4、労働者の救護、5、救護打切り後の措置、6、帰還朝鮮人の救護、7、安否通報、8、罹災鮮人遺族に対する慰藉(830名に200円/一人の弔慰金)。最後に、各地官民及び朝鮮総督府の周到な救護と同情とにより鮮内鮮人の昂奮せる感情も漸次緩和せられ、「不祥事の真相が略了解せられ一般に彼の場合何としても致し方なし已むを得ぬ事態であったということが判り鮮内は平穏無事に経過したことを祝福したい」と結んでいる。