冷戦下の日米関係の模索・構築  「復讐や懲罰よりは、和解と信頼の講和」

2021年10月26日 | 歴史を尋ねる

・昭和26年2月27日、特使ダレスは対日講和交渉のための各国訪問について、国務長官アチソンに報告書を提出した。①米国は講和成立後日本およびその周辺に米陸海軍を駐留させる広範な権限を保持することを示唆し、日本政府は完全に同意した。 ②この同意はまったく日本政府の任意的意思によるもので、ダレスは2点を強調した。 イ、米国は日本に対して何も要求しない。 ロ、現時点において米国は、日本の経済的かつ政治的独立および領土保全についての義務を負わない。 ③日本政府は、日本が経済的かつ政治的に自衛と相互援助の軍事政策を実行できることを証明し得るようになるまでは、日本に対する特別の安全保障問題は起こらないことを認めた。日本が返還を希望している琉球の帰属については将来討議することになった。 ④ダレスはマッカーサー元帥と意見が一致した。 ⑤対日講和条約では、日本の経済的自由に不可欠な造船業、繊維業を制限しない。 ⑥日本にとっての貿易対象である南方地域を防衛する。 ⑦日本の再侵略を懸念する諸国に対しては、効果的な対策を講ずるべきである。 そのあと、ダレスは大統領トルーマンを訪ね、経緯を口頭で説明した。大統領は「今後も貴職に与えられた使命を遂行し、速やかに対日講和を成立させてほしい」と。
・2月28日、特使ダレスは記者会見を行った。対日講和に関する関係諸国の首脳との会談は、日本との戦争状態を解消させるだけでなく、太平洋における新たな戦争と侵略に対する防壁を建設する対日講和について、相互のより良き理解とより緊密な意見の一致をもたらすために非常に役立った。そして特使は日本側文書二通を朗読した。①朝鮮戦乱発生後の情勢に鑑み、日本の安全保障のため講和成立後も米軍の日本駐兵を望む。 ②漁業問題については講和後各国と交渉の用意があるが、日本は現在の漁業に関する国際協定の主旨を遵守する。 ダレスが講和後の一定期間米軍を駐留させる方針だと述べると、すかさず記者団から、その駐兵措置の対象はソ連か、歯舞諸島に軍隊を駐屯させているが、米政府はどう対処するのか、と質問。 ダレス:ソ連が同島に進駐したのはヤルタ協定に基礎をおいたものとは言えない、米政府としてはソ連の同島進駐は違法と見做さざるを得ない。 ①米国の対日講和条約草案は、ソ連をはじめいかなる国も反対しないものだと確信する。 ②ソ連が対日講和に参加するならば、米国は南樺太、千島に関するヤルタ協定を尊重する。ただし歯舞諸島については北海道につづくものであり、千島には属さないものとみなす。 ③米政府は、ソ連および中共が参加しなくとも対日講和条約を締結する。 ④米政府は、講和条約とは別個に、米軍の日本駐留について日米間で双務協定を結ぶ。 ⑤米政府は豪・ニュージーランドが希望する太平洋共同防衛協定について考慮している。 
・歯舞諸島についてのダレスの言明は歓迎すべきものであるが、官房長官岡崎勝男は、「領土問題は連合国の決定に従うのみである」と慎重な姿勢を示した。

・3月27日、出来上がった対日講和条約草案「前文・八章二十条」が総司令部外交局長シーボルトを通じて吉田首相に伝達された。「連合国に対するのと同様に敗戦国にも講和条約案を事前に提示するのは、外交上例のないことであり、米国の日本に対する好意のあらわれである」と述べ、絶対極秘にしてほしいと要望した。だが、米国側の動きはマスコミに探知された。
・3月29日、AP通信は報道した。①国務省は最近起草を完了した対日講和条約草案を関係十五か国に手交し、意見を述べるよう要請した。②国務省は三か月以内に関係諸国の一致した合意による対日講和条約案が出来ることを希望する。③草案はソ連にも交付されたが、国務省はソ連がこれを対日講和条約の基礎案として受諾するとは考えていない。
・ダレスは交付した以上何処からか洩れるのは必定、そこで草案そのものはあくまで秘匿するが、その内容は明らかにして、各国の世論の理解を得るのが各国政府の支持をうながすのに役立つと判断した。
・特使はロスアンゼルス郊外のホイッティア大学創立五十周年記念夕食会に出席して演説し、対日講和条約草案のほぼ全容を明らかにした。 〈対日講和の好機〉戦後日本とドイツは共産勢力が狙う二大目標となった。もしソ連の支配者が日本、ドイツのいずれかの工業および人的資源を手に入れ、これを悪用するようなことになれば、世界平和にとって一大悲劇となる。幸いに日本国民は、新たな侵略の最前線に立つことにソ連との結合を望んでいない。日本国民は軍国主義を憎む気持ちになっており、国連の原則に即した集団安全保障を通じて平和を求める諸国との友好関係を心から希望している。  〈対日講和条約の作成〉対日講和に関しては大統領、国務長官、国防長官が非常な関心と努力をそそぎ、上下両院の外交委員会も最大の協力を惜しまず、よってわれわれは講和条件を具体化する可能性を見出した。講和条件は次の要件を不可欠とする。①米国内の全面的支持、②連合国間の意見の一致、③日本側の受諾。  〈条約本文〉  領土:日本の領土は本州、北海道、四国、九州およびこれに付随する小島に限定される。日本は朝鮮、台湾、澎湖島および南樺太に対する権利・権原・請求権を放棄する。琉球、小笠原諸島は米国を為政権者とする信託統治下に置かれる。南樺太、千島はヤルタ協定によりソ連が領有するが、その権原が講和条約で確認されるためにはソ連の講和参加が必要である。  通商:恒久的な通商関係を講和条約で規定すべきでない。講和締結後の独立国としての日本と友好国との間の交渉にゆだねる。  〈賠償〉 日本は侵略によって他の国に与えた損害をつぐなうべきだととの主張は正しく、米国も同感である。しかし賠償は経済的に実行できるかどうかぼ問題である。米国は戦後日本に20億ドルの援助を与えてきたが、いつまでも援助する用意はない。戦火をうけ、領土を失い、資源に乏しい日本に工場施設の撤去を含む過大な賠償を要求するのは、日本に非人道的な負担を課すことであり、連合国の全般的、長期的目的の達成を困難にする。しかし、米国はこの問題について最終的決定を下していない。被害を受けた諸国と意見を交換中である。  〈漁業〉 太平洋岸諸国からは、講和条約で日本の遠洋漁業参加を制限すべきとの提案がなされた。この提案が実行されれば、講和の成立は不可能になる。漁業問題について各国はそれぞれ独自の課題を抱えているので、その解決方法は色々考えられる。  〈安全保障〉 この問題は国連憲章が定める個別的ならびに集団的自衛措置という考え方にそって全構想を求めるべき。独立後の日本は国連憲章が云う独立国の固有の自衛権を保有する旨を想定する。  〈日本の安全保障〉 日本は完全に非武装化され、法的にも物理的にも軍隊を持つことが出来ないため、暫定的な安全保障措置が必要となる。日本が欲するならば、米国は日本本土およびその周辺に駐留させることを同情的に考慮する。これは日本が講和後に力の真空状態に放置され、隣国韓国のように侵略の好餌になることを防ぐためである。暫定的な安全保障措置は日本政府および国民から歓迎された。  〈太平洋の安全保障〉 日本の安全保障は太平洋の安全保障の一部である。日本は太平洋の安全保障に関して相応の貢献をすべき。集団安全保障は自衛と相互援助を基礎にすべきというヴァンデンバーグ決議、国連が平和のために軍隊、援助を提供することを加盟要件にしている事実に基づく。以上により、二つの原則が強制される。 イ、安全保障について貢献する能力を持つ国の無賃乗車は許されない。 ロ、国連憲章の目的と原則を無視する軍備拡張は認められない。 われわれが求める平和は、日本の隣接諸国および日本国民を軍国主義の悪夢から永久に解放する平和である。いずれ対日講和条約の範囲外の太平洋安全保障に関する取決めが生まれるだろうが、この協定は一方で日本が大陸からの新帝国主義の支配下に追い込まれるのを防ぐためであり、他方で攻撃的脅威になりうる日本の無拘束の再軍備を阻止するものとなろう。  〈和解の講和〉 われわれがめざす対日講和は、日本を独立の主権国にすると共に自由世界の不可欠の一員とする目的のものであることが理解できる。日本は一方で世界の集団安全保障に寄与し、経済的に自立することができ、他方で、国際的に平等の地位を回復して差別的な条件から解放される。われわれが求めるのは和解の講和であり、戦勝国が通常戦敗国に課すようなものではない。  〈信頼の講和〉 対日講和の主目的は、将来日本国民を他の諸国の良き隣人として共存させることである。これは日本に国際的に威厳ある平等の地位を回復させるべきであり、その意味では、対日講和は信頼に講和である。
・3月31日、戦時中から消えていた東京・銀座の街灯が復活した。そこに米国の対日講和案の発表だった。その内容は復讐や懲罰よりは和解と信頼を旨としたものである。社会党委員長鈴木茂三郎はダレス講和に不満を表明した。単独講和になれば、日本の将来は一つの世界とだけの関係になり経済の自主・独立は不安定になる。新憲法の非武装中立の精神は考慮されず、領土についても歯舞、色丹も除外されている。
・社会党委員長鈴木茂三郎の論評は例外であり、日本の各界からは歓迎の合唱が沸き起こった、と児島襄氏はコメントする。目の前の朝鮮動乱を一番身近に見ている日本で、全面講和を主張する考え方は、ダレスの説明を聞くと、素直に不思議な感覚に襲われる。国際情勢を冷静に見ることができないか、あるいは自らの主義主張のための言説なのかもしれない。当時有識者といわれる人々や朝日新聞などメディアには、社会党委員長の考え方が有力だったが、歴史のふるいにかけられると、すっかり忘れられる。
・自由党幹事長佐藤栄作はいう。ダレス特使が日本に対する深い理解と同情をもって講和条約締結の態度なり心構えなどについて明確にされたことは喜ばしい。期限付きにせよ貿易の最恵国待遇、漁業の平等などを認めるということは、明るい希望を持たせる。ダレス特使は、ソ連の態度が明白なのでその参加は講和に不可欠ではないと明言した。日本の安全保障についてダレス特使が国連憲章に基づく個別的、集団的安全保障の方式を重ねて強調したのは、日本の今後の道をはっきり示したものと言えよう。
・財界筋の見解:賠償については、ニワトリを殺して玉子をとるようなやり方を日本に取らないことが必要。フィリピンに対しては、日本が今後通商や開発などの経済的協力を進めて、実質的賠償の形をとることも考えられる。在日外国資産、権利などの返還、承認などはやむを得ないと考えられるが、少なくとも日本の民間人の在外資産については何らかの形で返還されるべき。関係国の中には、日本の造船その他の工業生産の制限を考えているもののあるようだが、われわれはむしろ自由な工業力をもって民主国家群に寄与するのが日本の役割だと考え、ダレス氏がまったく同様な見解を表明されたことに感謝している。

・4月7日、総司令部外交局長シーボルトは熟睡中ダレスの電話に起こされた。「講和草案がすっかり漏れた。日本の新聞に載っているか」 早速西村局長に質問したが、新聞社はワシントンの米国通信社の報道であり電報を受信中との回答。日本側の日守秘義務は守られた。朝になると日本の新聞各紙に記者ヘンスレー著名入りの記事が報道された。
・第一章平和、第二章主権、第三章領土、第四章安全保障、第五条政治的経済的条項、第六章請求権および資産、第七章紛争の解決、第八章最終条項。  日本人の意思が表示される前文には次のようなものだった。
・連合国と日本は、今後平等な主権国として共通の福祉を促進し、国際的な平和と安全保障を維持するため、友好的結びつきの下に協力する関係に入るべきことを決意する、と。日本は以下を宣言する。①国連加盟の意向。 ②あらゆる状況下において国連憲章の原則に従う意思。 ③国連の人権宣言の目的実現のために努力する決意。 ④国際的な福祉と安定のために努力する意向。 ⑤公的および私的な貿易、商業活動における国際的な公正な慣行を遵守する意思。 連合国と日本の将来の関係を安定かつ平和的な基礎の上に置くために、連合国はここに日本と本条約を締結する。
・朝日新聞は外務省有力筋の反応を伝えた。米国案には、敗戦国に対する戦争責任追及の条項はなく、対イタリア講和条約のように無条件降伏という言葉もないし、対日監視機関設置の規定もない。本案は寛大な条約案であり、勝者と敗者の関係を越えた友好条約の締結を目指す米国の意向が明示されている、と。
・シーボルトは安堵した。局長は条約案の暴露は日本内外の反発を招くのではないかと危惧していた。米国構想の焦点は、日本に完全な主権と独立を回復させて平等な一員として国際社会に迎え入れると同時に、日本を世界の安全保障体制の中に組入れることである。
・各国は、この構想は両刃の剣の効果を生む恐れがあると批判した。技術と能力にすぐれた日本に自由な行動を認めるのは日本はアジアの経済的支配者にする道を開くものであり、安全保障の面でコントロールするといってもその国際的貢献の義務を果たせるためには再軍備を認めねばならず、これまた日本を軍事大国として再生させる道を開くものではないか。
・日本側の一部からも不満が表明された。米国構想は日本の将来を米国と国連の管理下に置くものである。とくに軍事権を実質的に取り上げられるのは、日本を属領または信託領にするものではないか。日本はアメリカの日本になるのではないか。
・局長シーボルトは本物の米国案が明らかになった以上は噂段階の不満、反発以上のより強い形で噴出するのではないかと予想したは、事態は局長の予想に反した。局長が接触した高官および政治家たちは口を揃えて、前述の外務省有力筋の見解と同様に米国案歓迎の意向を表明、その一人は「空は晴れ上がった。残る一点の雲は、いつ講和会議が開かれるかの問題だけだ」と。局長は、米国内でかまびすしいマッカーサー元帥問題は気にならぬか、元帥も対日講和の立役者の一人だ、というと、相手は肩をすくめて、「はるかな遠雷を聞く感じだ。われわれの関心は米国の内政問題ではなく、その政策にある」と。ふーむ、この政府高官はなかなか覚めた感覚の持ち主だ。
・4月16日、マッカーサー元帥一家は早朝羽田を離陸したその日の夕方、特使ダレスが来日した。数日前ダレスはホワイトハウスで大統領トルーマンと対坐し、国務長官アチソンが同席した。大統領は「すぐに東京に行って、日本の指導者たちにわれわれの対日講和に関する意図を説明し、本件について新連合国最高司令官リッジウェイ中将ととくと協議して貰いたい。これは自分と政府全体の要望だ。是非頼む」 ダレス「マッカーサー元帥の解任は、民主党政府の政策に一貫性を欠く象徴とも見做される。そこで、自分に与えられる使命が不変であることの保障を得ようとしたのである」 大統領は即座に「私は対日講和に関する政策をいささかも変更するつもりは全くない。私は貴下を百パーセント支持する用意がある」 アチソンも「本職も大統領と同じ決意を持っている」と。
・以降は次回に繋げるとして、ダレスはどんな思いで対日講和を進めているのか、考えてみたい。無条件降伏をした日本に、なぜここまでの心配りをするのか、一つには朝鮮動乱下の自由主義陣営と共産主義陣営が鋭く戦っている最中で、東アジアの橋頭堡として日本を位置付けたいという軍事戦略上の要請があるということは理解できるが、それだけでダレスの行動・考え方を理解することは難しい。復讐や懲罰より和解の講和もどうやら理解可能である。しかし、ダレスは「日本国民を他の諸国の良き隣人として共存させること、日本に国際的に威厳ある平等の地位を回復させるべき」であり、信頼の講和と語っている。佐藤栄作は「日本に対する深い理解と同情をもって講和条約締結の態度なり心構えなどについて明確にされた」とコメントを発している。日米戦争が始まる前のルーズベルト大統領の偏見に満ちた人種差別的な日本人観と比較すると、そこは雲泥の差だ。戦後5年も経過して、日本の実情を客観的に見えるようになって、ダレスには謀略に満ちたあの戦争の本質が見えてきたのではないか。終戦末期1945年4月、スイスで海軍武官の藤村義朗とアメリカOSS欧州本部長アレン・ダレスは極秘の終戦工作を行ったが、戦後もだいぶ経ってから藤村はアレン・ダレスと再会、日本が決めれば大東亜戦争は2,3カ月は早く集結していたとの米側の内情をきかされたという。特使ジョン・ダレスも知らないわけもないだろう。日本を知れば知るほど信頼に足るとダレスは感得したのだろう。その本質をつかんだからこそ、その講和の精神が今以て日米関係を維持発展出来ている所以だと思う。


冷戦下の日米関係の模索・構築  「朝鮮戦争の攻防と停戦のマリク提案」

2021年10月15日 | 歴史を尋ねる

・昭和26年2月12日、ダレス声明と吉田声明に対する各方面の反応を朝日新聞は報道した。 自由党幹事長佐藤栄作:ダレス特使の声明に心から感謝する。わが党は、他党が現実に遊離した考え方を持っているのに対して、ダレス声明をいかに形づけるかということの全力をあげたい。  民主党政調会長千葉三郎:簡単な条件で戦争状態を終結させるダレス提案に、ソ連もそれを阻止する口実は見出せまい。この際暫定的措置として日米間の安全保障協定が必要だということである。  社会党委員長鈴木茂三郎:集団保障とか自衛とかいう美しい名称で事実を曲げるようなことがあってはならない。諸外国ではしきりに地域的な集団保障を言っているが、紛争状態にある大国と関連を持つ諸国との軍事同盟も論議されている。国民は真剣、慎重に考えねばならない。首相声明によれば、吉田首相が仮面を脱ぎ捨てて講和後の再軍備を約束したことが明白となった。外交が秘密裡に行われる戦前と同じ、許せない。  総評議長武藤武雄:駐兵歓迎の首相声明は自由党政府の一見解である。これを国民の世論と捉えるのは心外である。総選挙の結果を国民の世論だと見てほしい。  財界日清紡社長桜田武、経団連専務理事堀越貞三:駐兵、集団安全保障、経済的制限の撤廃などの重要問題について具体的に明示したのは米国の強い決意の表れだ。民主的諸法規は講和後も持続し、逆戻りしないことを国際的に明らかにする必要がある。もし現金賠償などが課せられれば、わが国の経済力では負担に耐えられない。
・児島襄氏は社会党委員長、総評議長の発言について、とくにコメントしていないが、日本の与野党の考え方のすれ違いはこの当時から延々とつながっている。ダレス特使は吉田首相と会談した時、「問題は野党だが、貴職は野党指導者の意見を確かめるために会談する用意があるか」との問いに「自分としてはとくに野党指導者との話合いが必要だとは思えないが、反対するつもりはない。日本にはいろいろと無責任な発言をする政治家がいる。この点は注意願いたい」と。それは米国も同様だとダレスは応え、「自分は首相の背後で画策する気は毛頭ない。自分が野党指導者と会談する時は首相も同席していただきたいものだ」と述べると、「その必要はありますまい」と吉田首相。結局今回の来日では、特使ダレスは民主党指導者たちとの会談だけだった。前回のダレス来日の時は、労組代表4人と会談した後、社会党書記長浅沼稲次郎と会談している。繰り返しになるが浅沼書記長は社会党大会の決定事項(全面講和、非武装中立、新政治体制の確立)を説明、ダレスは「自分は理想主義的な立場をとっているが、理想と現実をどう調整するかが大きな問題だ。米国の野党の一員である自分も政府の要請で外交の重要問題を扱うために来日している。これは米国の超党派努力の真面目な表れであり、日本にも同様なことを希望したい」と述べると、浅沼書記長は首を左右に振って、「自由党は超党派外交を呼びかけている。しかし、単独講和をいう自由党側が突然全面講和を求めるわれわれに超党派外交を言ってくるのは、了解に苦しむところである」と。 素直に解釈すると、日本国民の立場に立った考え方ではなく、自らの主義主張に立った考え方というしかない。総評議長が総選挙の結果が世論だと言っているが、総選挙の結果を受け入れたということは聞いたことがない。その場限りの言葉を弄している、といえる。こうした事実が歴史の審判を受けるということだろう。
・対日講和の推進と朝鮮戦争の経過は密接に関わりながら進行しているのはこれまでの経緯で理解できた。両者を並行して追いかけるとさすがに煩雑となるので、今回は朝鮮戦争に絞ってその後の経過を概観しておきたい。


・1951年(昭和26)1月13日、西欧諸国は国連で即時停戦を提議(朝鮮から外国軍隊を撤退し、台湾問題と中国の国連代表権問題の討議機関を設置)、米国にとって屈辱的な敗北を意味したが、米国は賛成票を投じた。ところが軍事的優勢を確信した中共は、休戦は同意するものの、中共の国連加盟を即時認めるという回答を寄こし、米国は到底認められるものではなかった。ところが戦線では、偵察の結果、中共軍の戦力は著しく低下して防戦に移っていることが明らかになった。この軍事情勢の変化は国連にも敏感に反映し、総会は中共を侵略者と規定、国連軍の作戦目的も、侵略者を韓国から撃退するという当初目的に戻った。
・リッジウェイ中将は、西部戦線の敵情捜索で中朝軍の大部隊は見えず、漢江以南の地域の威力偵察(敵情捜索のため戦闘行動も辞せず)を目的とするサンダーボルト作戦を命じた。
・1月27日、戦況の好転を予感したリッジウェイ中将は漢江南岸の中共軍を一掃するため五個師団を並進させ、防御態勢をとっていた中共軍を激戦の末撃退し、2月10日漢江の線をほぼ回復した。
・2月11日夜、中朝軍は中部戦線の中共軍三個軍を集中して攻勢に転じ、正面押しではなく、横城に徹底的に集中し、国連軍の陣地を突破して深く進出しようとしたものであり、総力を挙げたものであった。積雪寒冷の中東部戦線で両軍の激突は続けられた。中朝軍の人海戦術に国連軍は航空戦力と火力で応じ、反撃によって撃退した。中朝軍は国連軍の火力に叩かれ、寒冷下の補給・医療品などの不足から莫大な死傷者を生じていた。攻勢が始まってから一週間ぐらいすると、中朝軍の勢いはにわかに衰え始め、2月18日になると後退の徴候がみられた。国連軍は中朝軍の立直りの余裕を与えず圧迫を続け、キラー作戦(全戦線にわたって北進開始)を発動、しかし天候の激変で豪雨が40時間も降り続いたため戦場は一変し、中朝軍を撃滅する目的は達せられなかった。
・3月7日、先ず中・東部戦線で攻勢を取って中朝軍の主力を撃破し、ソウルを包囲する態勢を作り上げた後、奪還を図るリッパー作戦が開始された。3月11日、軍団の左翼にいた韓国第一師団は斥候を派遣すると、ソウルには中朝軍はほとんどおらず、捕虜の言から8日には撤退を始めたことが分かった。3月15日、渡河を開始してソウルを収復、国連軍は3月末にはアイダホ・ラインを確保した。
・国連軍の創設以来、マッカーサーと米政府との間に考えの相違があった。国連軍の任務はKoreaに侵入した敵をが期待し、平和と安全を回復することにあったが、このコリアをマッカーサーは朝鮮半島全域、米政府は当初は38度線以南、北進の時は全域、この頃は以前のように38度線以南と考えた。戦争を半島地域に限定してその中で政治的解決を図ろうとする米国政府は、軍事的勝利こそが政治的目的を達成し得ると考えるマッカーサーを危険視し、マッカーサーは様々な制限を加え軍事行動を制約していることに根深い不満があった。トルーマンは38度線を回復した以上、国連軍はその使命を果たした、これ以上の北進は泥沼に陥る危険性が大きく得策でない、目下の政策は中共に軍事的冒険を断念させ、交渉のテーブルに着かせることであると考えた。こうして国務省は、休戦を呼びかける大統領声明を起案した。ところがマッカーサーは3月24日、ワシントンとの事前協議もなしに、国連が国連軍に課している制限事項を撤廃すれば、中共を軍事的に崩壊させ得るという声明を発表した。これは大統領が用意した声明とは全く逆の威嚇的なもので、ここに至ってトルーマンはマッカーサーはを解任する決意を固めた。
・マッカーサーは彼の北進計画に基づき、38度線も北側20キロを連ねるカンサス・ラインへの進出を命じるラギッド作戦を発令した。4月9日、各軍団は北上を開始、その直後の11日、マッカーサー元帥は解任された。後任には第八軍司令官のリッジウェイ中将が任命され、第八軍司令官にはバンフリート中将が任じられた。
・ラギッド作戦はそのまま続けられ、第八軍は北進を続け、カンザス・ラインを越え、4月20日にはユ・ラインを占領、次なるワイオミング・ラインをめざした。ところが、22日夜、中朝軍は四時間に亙る攻撃準備射撃を行った後、全戦線にわたって攻勢を開始した。開戦時に北朝鮮軍が企図したソウル攻略戦の大規模な再現で、得意の山地戦に持ち込み、一気に決着をつけようとした。だが企図と決意に反して、攻撃要領は旧態依然としたもので、戦車も少なく、砲兵火力もほとんどなく、空軍も参加しなかった。夜になると歩兵の突撃をくり返し、夜が明けると後方に後退して国連軍の砲撃を回避する。その繰り返しであった。国連軍は1000機の航空機で地上戦に協力し、砲兵は一門あたり250発の砲弾を浴びせ、中朝軍に莫大な損害を与えつつ、後退を繰り返した。新第八軍司令官バンフリート中将は断固ソウルの死守を命じた。バンフリート中将は400門の砲をソウルに集め、海軍、陸軍にも協力を求め、28日から総攻撃してきた中共軍を火力の壁によって撃滅した。これが中朝軍の4月攻勢の最後となり、ソウルは守られた。
・5月15日、中朝軍の五月攻勢が始まった。中朝軍は30個師団の総力を挙げて太白山脈沿いに攻撃を仕掛けたが、バンフリート中将も最前線に進出して指揮を振るい、逐次部隊を投入して中朝軍の進出を阻止し、やがて反撃に転じた。この頃になると中朝軍の攻勢は目に見えて衰えはじめ、5月末には第八軍はカンサス・ラインを回復した。八軍は更に北進に、6月中旬にはワイオミング・ラインをほぼ占領した。
・中朝軍は五月攻勢の参加総兵力30万人のうち、三分の一近くの死傷者・捕虜が発生した。突撃兵力はほぼ全滅したという計算になる。中朝軍の人的損失は莫大なものであり、中共に衝撃を与えたようであった。もはや軍事的勝利によって戦争目的を達成するのは不可能であり、頼みのソ連は米国との全面対決を恐れて交渉のテーブルにつくよう勧めてきた。
・6月23日、ソ連代表マリクが安全保障理事会で停戦提案を行い、中共も人民日報を通じてこれに同意した。ワシントンはマリク提案がソ連の公式見解であることを確認した後、リッジウェイに「ワイオミング・ラインを越えて行う作戦は、統合参謀本部の承認を必要とする」という訓令を発した。リッジウェイは訓令にもとづき、6月30日、金日成と彭徳懐宛に休戦交渉を提案し、中朝側はこれに同意した。

・1951年7月1日、マリク提案を契機に、国連軍は現地点停止命令を受け、10日から開城で休戦会議が開かれた。交渉は一カ月もあれば妥協すると予想したが、予想に反して、会談は難航に難航を重ねてその後二年間も続き、その交渉の行方に応じて作戦も展開された。双方にとって損害も少なくなかった陣地戦と、いつ果てるとも知れない交渉が延々と続くことになる。それは形を変えた戦争だった。
・国連側はこの会談で現在の軍事情勢を基礎として、具体的な休戦交渉の場と考えていたのに対して、中朝側は軍事行動で取れなかったものは、交渉を通じて獲得すると考えていた。このため議題から難航し、26日ようやく①議題の採択、②非武装地帯の設定と軍事境界線の確定、③停戦と休戦の実現のための具体的取決め、④捕虜に関する取決め、⑤関係各国政府に対する勧告、が合意した。
・議題の採択につづいて、軍事境界線に関する討議に入ったが、たちまち暗礁に乗り上げた。国連側は現在の接触線を基にその北側にすべきと主張したのに対して、中朝側は38度線にすべきと主張、双方一歩も譲らなかった。8月22日、中朝側は国連空軍が開城上空を侵犯したとして交渉の中断を声明し、無期休会となった。
・国連軍による夏季、秋季の攻勢に耐えかねたのか、あるいは戦線整理の時間を稼ぐためか、中朝軍は交渉の再開に同意した。10月25日、会談は板門店に移して再開された。そして紆余曲折の末、11月27日、軍事境界線問題が妥結した。
・51年冬から52年春の間、両軍は対陣したまま越冬したが、その間も、偵察や警戒行動は昼夜の別なく行われ、死傷者が出ない日はなかった。
・朝鮮戦争は前線での正規軍同士の戦いの外に、国連軍の後方地域ではゲリラ部隊との戦いも行われた。これには白少将野戦戦闘部隊を編制し、一万九千人以上のゲリラを捕殺、根絶し、後方の安定化をはかった。
・地上での戦線が手詰まりになると、国連軍は航空阻止作戦を展開、鉄道や操作場、橋梁、道路、車両、補給所、部隊の集結地に対して攻撃が行われた。また、戦略爆撃は港湾、軍事工場、軍事施設などの限定して行われた。しかしこれも交渉の行き詰まりを打開する力とはならなかった。
・51年11月、第二議題が妥結した後も、第三議題と第四議題を巡って紛糾が続いた。やがて交渉は捕虜の送還問題に絞られた。つまり中共や北朝鮮に帰りたくないという捕虜五万人の扱いについて、強制送還を主張する中朝側と任意送還を主張する国連側の主張の違いだった。この捕虜の扱いを巡って、その後一年間も戦いが続き、国連軍側だけでも10万人以上の死傷者が発生した。
・53年1月、米国にアイゼンハワー新大統領が就任し交渉打開を図ったが、中朝軍の強制送還の原則は変わらなかった。ところが3月ソ連のスターリン首相の急死で、共産側の軟化に兆しが現れた。朝鮮戦争の休戦の動きは、国連、米、ソ、中の間で高まっていたが、当事者である金日成と李承晩は休戦に反対であった。金日成と彭徳懐、ラズバエフソ連大使の間で会談が行われ、休戦を主張する彭徳懐にしたがうようラズバエフがたしなめケリがついた。李承晩大統領は休戦になると安全保障を如何にするか悩んでおり、捕虜収容所から2万5千人の反共捕虜を釈放、協議の末、米韓安全保障条約の締結、韓国軍20個師団の増設、戦後復興の援助等を約束して、休戦に反対しないことにした。
・1953年7月27日、板門店で休戦協定が締結された。しかし本会議場で国連軍首席代表と北朝鮮人民軍代表は協定にそれぞれ調印したが、お互いに顔も見ず、握手もせずに退席した。尚韓国代表は署名しなかった。李承晩大統領が、休戦には反対しないが、サインはするな、と。この日夜10時、休戦協定が効力を発生し、全戦線で銃砲声が止んだ。こうして戦闘行動は停止したものの、その後の政治会談は決裂し、休戦は南北の分断・対立を固定化し、継続するという異常な事態の始まりでもあった。
・この項、朝鮮戦争の概観は、田中恒夫著「図説 朝鮮戦争」に依った。お礼を申し上げる。


冷戦下の日米関係の模索・構築  「講和条約案と日本の安全保障計画」

2021年10月07日 | 歴史を尋ねる

 昭和26年2月11日、ダレス特使は使節団と共に羽田を出発したが、飛行機に乗り込む直前に記者団に上機嫌で語った。「私はクエスチョンを携えて日本に来た。いまそのアンサーを持って帰る。この答えは大多数の日本人によって与えられたものであり、われわれは心底から満足している」
 外交交渉でその結論を導き出す、その経緯を児島襄氏は丁寧に跡づけているが、日本側からの問題提起に対して、ダレスが晴れやかに帰国するさまは、直ちには納得し難いところだ。ただ、大局的にはダレスのストーリー通りではあった、ということだろう。結論を先にみて、日本側の要望事項はどう織り込まれたのは、退かれたのか見ておきたい。

・特使ダレスは羽田を飛び立つ前に声明を発表した。われわれが今まで連合国各国と協議してきた対日講和条約の諸原則について、日本政府首脳ならびに各界指導者と討議してきた。諸原則とは①簡単な条件で戦争を正式に終了させる。②日本に完全な主権を回復させる。③日本の主権下に置かれる地理的領域を決定する。④日本の国連加盟を予想する。⑤日本固有の単独ならびに集団的自衛権を承認する。⑥恒久的な通商協定の協議が行われるまで日本と各連合国との間に一時的通商関係を樹立する。⑦各国の要求に対する解決の途を講ずるための講和条約をつくる。⑧日本は条約前文に置いて、日本の戦後の立法および発展を活気づけてきた国内的ならびに国際的行為の立派な原則を守る決意を明らかにする。さらに、講和条約が発効した場合に、日本が非武装で自己防衛も不可能な状態のまま軍事的真空の中に放置されることにならないよう、日本の国内および周辺に米軍を維持する提案を受諾しようというのが、圧倒的な日本国民の希望である。この確信にもとづき、われわれは日米両国間の暫定的安全保障協定について討議した。それはヴァンデンバーグ上院決議に基本政策に従って参加国全員が持続的かつ効果的な自衛および相互援助を行うものであり、日本にも適用されることになる。
 日本の前途に横たわる経済問題を討議した。結論は、日本は講和条約で過酷な経済的または財政的負担を強制されたり主要な商取引を無力化されなければ、自らの努力と才知と勤勉によって、その生活水準を満足かつ向上するものに発展させることが出来る。われわれは日本経済がその健康と活力を回復する道を発見するために引続き日本と協力していくことを約束する。さらに日米間の文化的提携の発展について検討し、日米両国民が互いの知識、文学、芸術の結晶を吸収し合い、両国民を精神的に富ます共同体を求めていく。

・続いて吉田首相の声明も発表された。ただしダレス使節団が作成したもので、米国製であった。①米国が日本と公正な平和条約を結んで国連加盟を支持する考えであることを知り、来るべき平和条約に関する諸問題について意見を交換できたことを喜ぶ。②ダレス特使がわが国の国民感情と国民性について特別の配慮されたことに感謝する。③特使はまた、政党幹部、国会議員、言論界、実業界及び労働関係の代表その他多数の人々に努めて面会し、意見を聴取された。かかる態度は昔日の日米親善関係の再建に資するところ少なからざるものありと信ずる。④ダレス特使は講演で、集団安全保障の諸原則と自由諸国の自衛および相互援助の必要について詳細に論じ、国内に多大の好反響を呼んだ。⑤特使は、朝鮮で共産勢力が公然と仮借ない侵略に出ている現実に直面して、日本本土及びその周辺に米軍を駐屯させ、軍備のない日本を護るため、米国との間に安全保障に関する取決めを締結するよう要請された。政府および国民大多数は、これを心から喜んで迎えるものである。⑥われわれは自らを護り自らの国土防衛のためにできる限りにことをする責務があることを、十分認識している。日本の果たすべき役割の内容と範囲は、日本が独立を回復し自由諸国の社会に対等の一員として仲間入りした暁に、わが経済および産業の回復に応じて決定されるであろう。
・これは使節団が吉田首相に成り代わって、語っている。確かに吉田の主張も織り込まれている。しかし利害が錯綜する冷戦下の国際社会、しかも戦後処理について米国の意向も織り込みながら作成する条約とは、このぐらいの準備建てをしないと成就しないという事例なんだろう。ダレスの構想・推進力にさすがの吉田首相も舌を巻いているだろう。

・では日本側の要望はどう扱われたのか、見てみたい。1月31日、ダレス使節団スタッフ会議が開かれ吉田覚書「わが方の見解」が討議された。 領土問題:特使ダレス 日本は領土の範囲を定めた降伏条件を受諾している。琉球および小笠原諸島の領有に関して、日本側から要求する立場にない。 陸軍長官補佐官マグルーダー少将 琉球を強力な要塞にしなければならない。このためには同島住民を管理しなければならず、住民の生活にも配慮が必要、住民の生活は日本との貿易に依存している、講和後は関税障壁を除去すべき。 特使ダレス これら諸島の帰属は米国だけでなく連合国の問題、本問題の討議に終止符を打つ声明を発表し、吉田首相との会談でも、これら諸島の問題は公式の議題にはならぬ旨を通告する。 安全保障問題:特使ダレス 吉田覚書が平等のパートナーという表現を使っているのは、講和後の米軍の駐留費について割り勘方式への道を開くか。 外交局長シーボルト 日米双方がそれぞれ軍隊の費用を負担すると解釈する。吉田書簡が旧軍国主義者の復活を懸念しているのは、警察予備隊の指揮官の人選に困難がある、従って警察予備隊を軍隊に拡大させた場合、旧軍国主義者の活用が必要だという意味だ。 特使ダレス 反動的軍隊の養成の危険があるなら、われわれが全額負担すべき。

・民主党指導者たちとの会談 苫米地最高委員長 わが党は日本が自由陣営の一員になることを切望している事実を、国民に代わって明言しておきたい。わが党の外交政策の基本だ。日本国民は対等講和を約束したダレス声明を信じているし、対日講和七原則を歓迎している。 三木幹事長 ポツダム宣言を受諾した日本にとって、宣言枠内の講和について発言権がないことは承知している。しかし日本にソ連に対する弱点が残されない講和を希望する。沖縄問題だが、日本は米国が必要とする軍事的権利を提供する用意があるのだから、同島の将来の日本への帰属を約束する協定が結ばれれば極めて有効だろう。日本は米国の安全保障計画にも参加するが、日本が米国に便益を提供するその中身が明らかになっていない。 特使ダレス 世界が危機に直面していること、その危機は集団安全保障体制がなければ克服できないことを認識している。平和維持の責任が米国に課せられているのは事実だが、米国の力は自由世界の国々がそれぞれの責任とリスクを負担することの集約として成り立っている。日本国民はいずれ集団安全保障体制に参加するかどうかの決断を迫られる。ただしその決断は、一時的多数勢力による決断ではなく、全日本国民の意思と判断を反映するものでなければならない。ここに、超党派的支持を期待するし、野党勢力が党利党略本位の行動に出ないことを願う。以上の日本国民の理解が得られて、はじめて日米両国は共同して集団安全保障体制の形成が推進できる。国連憲章第五十一条は個別的および集団的自衛権を認めている。この条項を基礎に北大西洋条約その他の集団安全保障条約が締結されている。日本の場合、国連憲章第四十三条の下で一国または数国との取決めによって確保できる。ここでは便益供与の規定があり、米軍主力の駐留と共に便益の提供を受けることになる。 三木幹事長 その便益には日本が武力の一部を負担することが含まれるのか。 特使ダレス 日米間に日本の安全保障の取決めで成立する場合、日本側からも兵力を提供されるのが望ましい。米国が主要兵力を日本に派出する理由の一つは、日本がまだ適切な陸上兵力を持たないからである。日本は八千万人の人口を持つのだから自衛力を保有する能力がある筈で、その責任を負担すべきである。日本側は琉球の復帰に関心を示すが、米国側の見解も考慮して貰いたい。米国民は日本の降伏の時点から琉球に米軍が駐留するのは米国の安全保障にとって不可欠だと判断している。従って自分としては琉球問題は終わった問題とみなすのが、日米双方の利益になると思う。

・2月2日、特使ダレスは丸の内の工業倶楽部で開かれた日米協会主催の昼食会で演説した。ダレスはこれまでになく明確な形で対日講和の性格を決定する諸原則を宣明すると伝えられ、会場には吉田首相、衆議院議長幣原喜重郎はじめ各界有力者約五百名が参集した。 ①戦後の国際的盗賊行為の大部分は、被害国がその国内の用心を怠ったために発生した。その結果として、一発の弾丸も打たれることなく、多くの国家が、その全域または大部分の地域で自由を奪われ、帝国主義的共産主義に隷属された。 ②国家の主権を回復しようとしている日本は、国家安全の原則、この原則の無視が生む結果を注視することによって、有益な教訓を得ることが出来ると確信する。たとえば、武力行使がなくても間接的侵略といわれる危険に用心する責任を持つ、その国土を犯罪者から合理的に予防する義務がある。 ③日本政府および国民は防御手段をとる責任がある。 ④今日最も有力は防御力は米国の掌中にある。わが国は国連憲章に則り、わが国の力と他国の力を併せ、それにより我が国の防衛力で他国も防衛しようとするものである。日本が間接的侵略に対して自衛の意思を持ち、さらに希望するならば、直接的侵略に対する集団的防衛に参加できる。 ⑤米国は日本にいかなる選択も強制するつもりはない。集団防衛への参加も、強制ではなく招待である。米国は日本が安全保障計画の下での日米両国の団結を示すものとして、米軍を日本とその周辺に保持させるつもりならば、それを好意的に考慮するだろう。 ⑥われわれが立案している安全保障計画は、日本を再び軍国主義国家にするためではなく、また日本を破滅させた日本陸海空軍を再建するものでないことは、いずれ諸君も分かるだろう。日本安全保障計画は国連の理想を体現しようとするものであり、それによってはじめて日本の安全と平和が可能になる。 ⑦現在に日本において、物質的生活のレベルを如何にして向上させるかが関心事であることは当然である。日本人の勤勉、才能、器用さが、世界の他の国々との通商を通じて経済レベルを向上させる可能性を保証している。 ⑧日本国民は特色ある資質を持っている。西欧のわれわれはその成果を分かち合いたいと願っている。 ⑨鉄のカーテンといえども、必然的発展を遅延させることは出来ても停止させることは出来ない。自由国民が自由を尊重し、その意味を行動で示す限り、共産主義的専制主義の没落は必至であり、確実である。 ⑩いかなる条約も約束の文言であったり抑圧の文言であっても、自動的に効力を生じるものではない。 ⑪われわれが関係諸国との会談につづいて、現在日本で行っている下交渉の目的は、単なる条約以上に日米両国と世界の平和を恒久化するための条件を見出すことにある。 ⑫日本に関してわれわれは次の四つの機会を許容する講和を探求している。 ァ、講和によって回復される完全な主権を自らの努力で守る機会、 イ、侵略に対する集団安全保障機構に参加する機会、 ウ、国民生活のレベルを向上する機会、 エ、国際社会の指導的地位に達する機会。 われわれは日本が信頼すべき国家であるという気持ちを反映する講和を成立させたいと考えている。四つの機会を許容する講和条約を目指して努力しているのはそのためである。降伏条件の履行によって、日本に対する国際的信用は高まっている。われわれもまた、信頼と機会の講和を成就させようと決意している。

・AP通信は、「ダレス演説は、米国が日本との間に米軍の日本駐留を規定する防衛協定を結ぶ意向であることを、はじめて公式に表明したものである。ダレス特使は米政府を代表する公式の立場で慎重に熟慮を重ねたうえでこの演説を行った」と東京支局長が打電した。さらに支局長は論評を加え、日本が現下の緊迫した世界情勢の中でとりうる道は、米国と行動を共にするか、武力侵略をまねく危険を侵すか、どちらかの一つしかない、というのであった。「ダレス演説は、日本人にとって重大な意味を持つものであり、米国の外交政策にとっても一つの道標となるものである」と。
・ではどのような安全保障協定を結ぼうとしているのか、日本に再軍備させるのか、軍備放棄を定めた憲法を強制した米国に立場は、懸念するアジア諸国にどう説明するのか。記者たちはいっせいにダレスに取材を申し込んだ。
・ダレスは旧知のNANA通信東京支局長フォークの単独インタビューに応じた。  対日講和条約最終草案が完成された場合、ソ連を除く極東委員会構成諸国が調印に参加すると期待している。日ソ関係は技術的には戦争状態がつづくが、大きな問題は何も発生すまい。ソ連が日本に入ってくるとすれば、薄弱な法理論にもとづかず、大規模な世界戦争計画による筈であり、日本に米軍が駐留する事実が、ソ連の公然行動を抑止する。今日の日本は朝鮮動乱の影響もあると思うが、大多数の日本人は米国人の考え方に近づいてきたようにみえる。日本の完全再武装は考えられない。日本は自国の安全については米国の陸海空軍に依存せざるを得ないであろう。もっとも、共産主義分子の侵入を防止するために日本の沿岸警備隊は少数の航空機と若干の軽軍艦で強化される必要がある。ワシントンでは、日本の安全保障のためには日本が再軍備の決意を持つことが最重要事だと判断している。日本は自らすすんで自国を防衛しなければならず、その自衛精神が肝要である。米国民は、自ら救う気がないものの上に防衛の笠を拡げることには絶対に賛成しない。ワシントンは日本の経済状態を十分認識しており、防衛費が負担になり過ぎて国内不安を起させるのは賢明でない。米国は費用の一部を負担するだろう。日本には、琉球その他の島の領土権を要求する権利はない。降伏条件によって日本はこれらの島を喪失したのであり、自ら著名した誓約を守らねばならない。しかし、これらの島々の返還について強く示された日本人の感情に鑑み、米政府としては、ある場合には再考慮してある程度の譲歩をすることがあるかもしれない。講和条約締結後の日本は完全な主権を回復する。「そして日本に米軍が駐留するだろう。なぜなら日本が米軍の駐留を望むからである」  さらにフォークは憲法との関係について意見を求めた。 「憲法問題はかつては外交問題であったかもしれないが、いまでは日本の国内問題である。日本の将来との関連で憲法をどうするかは、完全に日本側の問題だ」

・2月7日、スタッフ会議を終えた特使ダレスは吉田首相を迎え、第三次吉田・ダレス会談が行われた。開口一番吉田は「日本に参謀本部が組織されねばならないとすれば、旧組織とは完全に相違する性格のものでなければならない」 ダレスは目をむき、書記役の北東アジア課長フィーリーは聞き間違いでないかと思い、外交局長シーボルトは身を乗り出した。吉田は委細構わず、日本は旧参謀本部によって損害を受けた。旧参謀本部はドイツ人将校によってドイツ型に組織された。われわれは米国の制度の沿った民主的な新参謀本部を望んでいる。ゆえに貴国の陸海軍の忠言によって組織す津ことを願っている。 陸軍次官補ジョンソンが述べた。ドイツと米国の統制機構の根本的本質的相違は、われわれは文民である大統領に従属している。大統領が国防長官、陸海空軍の長官ならびに次官、次官補を任命する。従って三軍は文民指導者の直接管轄下に置かれる。 吉田首相は再軍備反対論者であり、マッカーサー元帥にも日本に強制しないよう直訴している。その首相が新参謀本部を言い出す意図がつかめなかった
・特使ダレスは吉田首相に告げた。①前日、使節団が提示した安全保障関係案文に対する日本側の修正要求をすべて応諾する。②戦犯問題は講和条約締結前に完全に解決すると理解している。 日本では開戦責任を問われる指導者を裁く該当者をA級、戦時国際法違反者である該当者をB級、一般市民に対する残虐行為戦犯者をC級と呼ばれた。ただし東京・市ヶ谷の法廷で裁かれたA級被告は戦争犯罪、人道犯罪も問われ、七人が死刑判決を受け昭和23年12月23日執行された。A級裁判はこれで実質的に閉幕し、巣鴨拘置所に収容されていた未起訴被告は釈放され、総司令部国際検察局も昭和24年2月15日閉鎖された。BC級戦犯は連合各国の軍法会議で裁判されたが、米軍は昭和24年10月19日その裁判の終了を宣言した。しかし他の連合国ではまだBC級裁判の終結が公告されていない国もあった。特使ダレスの発言は、講和前にこれら戦犯裁判未終結国に対してその終結をうながす意向の表明だった。 吉田はダレスに質問した。もしソ連の戦犯裁判が講和まで継続されるようならば、ソ連の日本人捕虜並びに戦犯者に関する何らかの条項を設けるべきでないか。 特使ダレスは首をふった、この問題はソ連が対日講和に参加しなければ取り上げられない。ソ連は講和参加の意向を表明していない。従って主権を回復した日本が直接または国際機関を通じて交渉する以外にない、と。
・特使ダレスは会談を締めくくる形で述べた。 米国は日本側に提示した講和条約に基礎構想、集団的自衛協定、行政協定の三つを柱に他の連合国との交渉を進める。ただし、この方針どうり貫徹できるか疑問がある。関係国の中には日本に過度の船舶と造船力を持たすことを危惧する国があり、賠償打切りの同意を得るのに困難な国もある。しかし、対日講和は決して日本経済と日本国民の生活を脅かすものにはならない。今後も総司令部シーボルトはを通じて、首相と連絡を密にして、満足すべき講和の成立に万全を期す、と。
・シーボルトの日誌には、「この会談でダレス使節団の仕事は実質的に終了した。われわれは満足したが、日本側のヨシダ、イグチ(外務次官井口貞夫)、ニシムラ(条約局長西村熊雄)の三人も心から満足しているようにみうけられた」
・2月9日、使節団スタッフ会議で、特使ダレスおよび吉田首相の声明文案が討議された。特使ダレスはマッカーサー元帥を往訪し、夕方吉田首相主催の夕食会に出席した。吉田は天皇陛下が離日前に拝謁するのをお喜び似るご意向と伝えた。ダレスは国務省に連絡して回答を得た。「望ましい」
・2月10日、ダレス夫妻、シーボルト夫妻が天皇に拝謁した。天皇は日本再訪の印象、季節のことなど、非政治的な下問を試みた。頃合いを見計らって局長シーボルトが訪日の成果を申上げたいといって、特使ダレスはこれまでの日米交渉の大筋を説明し、米国が締結しようとしている条約の構想と形式、日本が希望する各種協定の内容、とくに日本の安全保障のための日本は自衛力を保有するまで一時的に米軍が日本およびその周辺に駐留する協定案について天皇に報告した。天皇は繰り返しうなづいて、「衷心より同意する。使節団が日本政府との交渉で示した友好的態度に感謝する」
さらに天皇は付け加えた。私は日本軍が他国で誤った行動をしたことを知っており、そのためアジア諸国民が日本人に対する非友好的な感情を抱いていることも知っている。私は日本がこの体験を生かして、このような悪評を克服して、アジアと日本の国民が手をたずさえて平和な生活を送ることを心から念願している。私は、私に日米戦争を防止する力がなかったことを遺憾に思っている。だが、当時の環境では私に出来ることはほとんど何もなかった。 天皇の率直な言葉を特使ダレスは感動し、帰国したら天皇の親米心を大統領トルーマンに伝えてよいかとたずね、天皇は、そう願う、と述べた。