・昭和26年2月27日、特使ダレスは対日講和交渉のための各国訪問について、国務長官アチソンに報告書を提出した。①米国は講和成立後日本およびその周辺に米陸海軍を駐留させる広範な権限を保持することを示唆し、日本政府は完全に同意した。 ②この同意はまったく日本政府の任意的意思によるもので、ダレスは2点を強調した。 イ、米国は日本に対して何も要求しない。 ロ、現時点において米国は、日本の経済的かつ政治的独立および領土保全についての義務を負わない。 ③日本政府は、日本が経済的かつ政治的に自衛と相互援助の軍事政策を実行できることを証明し得るようになるまでは、日本に対する特別の安全保障問題は起こらないことを認めた。日本が返還を希望している琉球の帰属については将来討議することになった。 ④ダレスはマッカーサー元帥と意見が一致した。 ⑤対日講和条約では、日本の経済的自由に不可欠な造船業、繊維業を制限しない。 ⑥日本にとっての貿易対象である南方地域を防衛する。 ⑦日本の再侵略を懸念する諸国に対しては、効果的な対策を講ずるべきである。 そのあと、ダレスは大統領トルーマンを訪ね、経緯を口頭で説明した。大統領は「今後も貴職に与えられた使命を遂行し、速やかに対日講和を成立させてほしい」と。
・2月28日、特使ダレスは記者会見を行った。対日講和に関する関係諸国の首脳との会談は、日本との戦争状態を解消させるだけでなく、太平洋における新たな戦争と侵略に対する防壁を建設する対日講和について、相互のより良き理解とより緊密な意見の一致をもたらすために非常に役立った。そして特使は日本側文書二通を朗読した。①朝鮮戦乱発生後の情勢に鑑み、日本の安全保障のため講和成立後も米軍の日本駐兵を望む。 ②漁業問題については講和後各国と交渉の用意があるが、日本は現在の漁業に関する国際協定の主旨を遵守する。 ダレスが講和後の一定期間米軍を駐留させる方針だと述べると、すかさず記者団から、その駐兵措置の対象はソ連か、歯舞諸島に軍隊を駐屯させているが、米政府はどう対処するのか、と質問。 ダレス:ソ連が同島に進駐したのはヤルタ協定に基礎をおいたものとは言えない、米政府としてはソ連の同島進駐は違法と見做さざるを得ない。 ①米国の対日講和条約草案は、ソ連をはじめいかなる国も反対しないものだと確信する。 ②ソ連が対日講和に参加するならば、米国は南樺太、千島に関するヤルタ協定を尊重する。ただし歯舞諸島については北海道につづくものであり、千島には属さないものとみなす。 ③米政府は、ソ連および中共が参加しなくとも対日講和条約を締結する。 ④米政府は、講和条約とは別個に、米軍の日本駐留について日米間で双務協定を結ぶ。 ⑤米政府は豪・ニュージーランドが希望する太平洋共同防衛協定について考慮している。
・歯舞諸島についてのダレスの言明は歓迎すべきものであるが、官房長官岡崎勝男は、「領土問題は連合国の決定に従うのみである」と慎重な姿勢を示した。
・3月27日、出来上がった対日講和条約草案「前文・八章二十条」が総司令部外交局長シーボルトを通じて吉田首相に伝達された。「連合国に対するのと同様に敗戦国にも講和条約案を事前に提示するのは、外交上例のないことであり、米国の日本に対する好意のあらわれである」と述べ、絶対極秘にしてほしいと要望した。だが、米国側の動きはマスコミに探知された。
・3月29日、AP通信は報道した。①国務省は最近起草を完了した対日講和条約草案を関係十五か国に手交し、意見を述べるよう要請した。②国務省は三か月以内に関係諸国の一致した合意による対日講和条約案が出来ることを希望する。③草案はソ連にも交付されたが、国務省はソ連がこれを対日講和条約の基礎案として受諾するとは考えていない。
・ダレスは交付した以上何処からか洩れるのは必定、そこで草案そのものはあくまで秘匿するが、その内容は明らかにして、各国の世論の理解を得るのが各国政府の支持をうながすのに役立つと判断した。
・特使はロスアンゼルス郊外のホイッティア大学創立五十周年記念夕食会に出席して演説し、対日講和条約草案のほぼ全容を明らかにした。 〈対日講和の好機〉戦後日本とドイツは共産勢力が狙う二大目標となった。もしソ連の支配者が日本、ドイツのいずれかの工業および人的資源を手に入れ、これを悪用するようなことになれば、世界平和にとって一大悲劇となる。幸いに日本国民は、新たな侵略の最前線に立つことにソ連との結合を望んでいない。日本国民は軍国主義を憎む気持ちになっており、国連の原則に即した集団安全保障を通じて平和を求める諸国との友好関係を心から希望している。 〈対日講和条約の作成〉対日講和に関しては大統領、国務長官、国防長官が非常な関心と努力をそそぎ、上下両院の外交委員会も最大の協力を惜しまず、よってわれわれは講和条件を具体化する可能性を見出した。講和条件は次の要件を不可欠とする。①米国内の全面的支持、②連合国間の意見の一致、③日本側の受諾。 〈条約本文〉 領土:日本の領土は本州、北海道、四国、九州およびこれに付随する小島に限定される。日本は朝鮮、台湾、澎湖島および南樺太に対する権利・権原・請求権を放棄する。琉球、小笠原諸島は米国を為政権者とする信託統治下に置かれる。南樺太、千島はヤルタ協定によりソ連が領有するが、その権原が講和条約で確認されるためにはソ連の講和参加が必要である。 通商:恒久的な通商関係を講和条約で規定すべきでない。講和締結後の独立国としての日本と友好国との間の交渉にゆだねる。 〈賠償〉 日本は侵略によって他の国に与えた損害をつぐなうべきだととの主張は正しく、米国も同感である。しかし賠償は経済的に実行できるかどうかぼ問題である。米国は戦後日本に20億ドルの援助を与えてきたが、いつまでも援助する用意はない。戦火をうけ、領土を失い、資源に乏しい日本に工場施設の撤去を含む過大な賠償を要求するのは、日本に非人道的な負担を課すことであり、連合国の全般的、長期的目的の達成を困難にする。しかし、米国はこの問題について最終的決定を下していない。被害を受けた諸国と意見を交換中である。 〈漁業〉 太平洋岸諸国からは、講和条約で日本の遠洋漁業参加を制限すべきとの提案がなされた。この提案が実行されれば、講和の成立は不可能になる。漁業問題について各国はそれぞれ独自の課題を抱えているので、その解決方法は色々考えられる。 〈安全保障〉 この問題は国連憲章が定める個別的ならびに集団的自衛措置という考え方にそって全構想を求めるべき。独立後の日本は国連憲章が云う独立国の固有の自衛権を保有する旨を想定する。 〈日本の安全保障〉 日本は完全に非武装化され、法的にも物理的にも軍隊を持つことが出来ないため、暫定的な安全保障措置が必要となる。日本が欲するならば、米国は日本本土およびその周辺に駐留させることを同情的に考慮する。これは日本が講和後に力の真空状態に放置され、隣国韓国のように侵略の好餌になることを防ぐためである。暫定的な安全保障措置は日本政府および国民から歓迎された。 〈太平洋の安全保障〉 日本の安全保障は太平洋の安全保障の一部である。日本は太平洋の安全保障に関して相応の貢献をすべき。集団安全保障は自衛と相互援助を基礎にすべきというヴァンデンバーグ決議、国連が平和のために軍隊、援助を提供することを加盟要件にしている事実に基づく。以上により、二つの原則が強制される。 イ、安全保障について貢献する能力を持つ国の無賃乗車は許されない。 ロ、国連憲章の目的と原則を無視する軍備拡張は認められない。 われわれが求める平和は、日本の隣接諸国および日本国民を軍国主義の悪夢から永久に解放する平和である。いずれ対日講和条約の範囲外の太平洋安全保障に関する取決めが生まれるだろうが、この協定は一方で日本が大陸からの新帝国主義の支配下に追い込まれるのを防ぐためであり、他方で攻撃的脅威になりうる日本の無拘束の再軍備を阻止するものとなろう。 〈和解の講和〉 われわれがめざす対日講和は、日本を独立の主権国にすると共に自由世界の不可欠の一員とする目的のものであることが理解できる。日本は一方で世界の集団安全保障に寄与し、経済的に自立することができ、他方で、国際的に平等の地位を回復して差別的な条件から解放される。われわれが求めるのは和解の講和であり、戦勝国が通常戦敗国に課すようなものではない。 〈信頼の講和〉 対日講和の主目的は、将来日本国民を他の諸国の良き隣人として共存させることである。これは日本に国際的に威厳ある平等の地位を回復させるべきであり、その意味では、対日講和は信頼に講和である。
・3月31日、戦時中から消えていた東京・銀座の街灯が復活した。そこに米国の対日講和案の発表だった。その内容は復讐や懲罰よりは和解と信頼を旨としたものである。社会党委員長鈴木茂三郎はダレス講和に不満を表明した。単独講和になれば、日本の将来は一つの世界とだけの関係になり経済の自主・独立は不安定になる。新憲法の非武装中立の精神は考慮されず、領土についても歯舞、色丹も除外されている。
・社会党委員長鈴木茂三郎の論評は例外であり、日本の各界からは歓迎の合唱が沸き起こった、と児島襄氏はコメントする。目の前の朝鮮動乱を一番身近に見ている日本で、全面講和を主張する考え方は、ダレスの説明を聞くと、素直に不思議な感覚に襲われる。国際情勢を冷静に見ることができないか、あるいは自らの主義主張のための言説なのかもしれない。当時有識者といわれる人々や朝日新聞などメディアには、社会党委員長の考え方が有力だったが、歴史のふるいにかけられると、すっかり忘れられる。
・自由党幹事長佐藤栄作はいう。ダレス特使が日本に対する深い理解と同情をもって講和条約締結の態度なり心構えなどについて明確にされたことは喜ばしい。期限付きにせよ貿易の最恵国待遇、漁業の平等などを認めるということは、明るい希望を持たせる。ダレス特使は、ソ連の態度が明白なのでその参加は講和に不可欠ではないと明言した。日本の安全保障についてダレス特使が国連憲章に基づく個別的、集団的安全保障の方式を重ねて強調したのは、日本の今後の道をはっきり示したものと言えよう。
・財界筋の見解:賠償については、ニワトリを殺して玉子をとるようなやり方を日本に取らないことが必要。フィリピンに対しては、日本が今後通商や開発などの経済的協力を進めて、実質的賠償の形をとることも考えられる。在日外国資産、権利などの返還、承認などはやむを得ないと考えられるが、少なくとも日本の民間人の在外資産については何らかの形で返還されるべき。関係国の中には、日本の造船その他の工業生産の制限を考えているもののあるようだが、われわれはむしろ自由な工業力をもって民主国家群に寄与するのが日本の役割だと考え、ダレス氏がまったく同様な見解を表明されたことに感謝している。
・4月7日、総司令部外交局長シーボルトは熟睡中ダレスの電話に起こされた。「講和草案がすっかり漏れた。日本の新聞に載っているか」 早速西村局長に質問したが、新聞社はワシントンの米国通信社の報道であり電報を受信中との回答。日本側の日守秘義務は守られた。朝になると日本の新聞各紙に記者ヘンスレー著名入りの記事が報道された。
・第一章平和、第二章主権、第三章領土、第四章安全保障、第五条政治的経済的条項、第六章請求権および資産、第七章紛争の解決、第八章最終条項。 日本人の意思が表示される前文には次のようなものだった。
・連合国と日本は、今後平等な主権国として共通の福祉を促進し、国際的な平和と安全保障を維持するため、友好的結びつきの下に協力する関係に入るべきことを決意する、と。日本は以下を宣言する。①国連加盟の意向。 ②あらゆる状況下において国連憲章の原則に従う意思。 ③国連の人権宣言の目的実現のために努力する決意。 ④国際的な福祉と安定のために努力する意向。 ⑤公的および私的な貿易、商業活動における国際的な公正な慣行を遵守する意思。 連合国と日本の将来の関係を安定かつ平和的な基礎の上に置くために、連合国はここに日本と本条約を締結する。
・朝日新聞は外務省有力筋の反応を伝えた。米国案には、敗戦国に対する戦争責任追及の条項はなく、対イタリア講和条約のように無条件降伏という言葉もないし、対日監視機関設置の規定もない。本案は寛大な条約案であり、勝者と敗者の関係を越えた友好条約の締結を目指す米国の意向が明示されている、と。
・シーボルトは安堵した。局長は条約案の暴露は日本内外の反発を招くのではないかと危惧していた。米国構想の焦点は、日本に完全な主権と独立を回復させて平等な一員として国際社会に迎え入れると同時に、日本を世界の安全保障体制の中に組入れることである。
・各国は、この構想は両刃の剣の効果を生む恐れがあると批判した。技術と能力にすぐれた日本に自由な行動を認めるのは日本はアジアの経済的支配者にする道を開くものであり、安全保障の面でコントロールするといってもその国際的貢献の義務を果たせるためには再軍備を認めねばならず、これまた日本を軍事大国として再生させる道を開くものではないか。
・日本側の一部からも不満が表明された。米国構想は日本の将来を米国と国連の管理下に置くものである。とくに軍事権を実質的に取り上げられるのは、日本を属領または信託領にするものではないか。日本はアメリカの日本になるのではないか。
・局長シーボルトは本物の米国案が明らかになった以上は噂段階の不満、反発以上のより強い形で噴出するのではないかと予想したは、事態は局長の予想に反した。局長が接触した高官および政治家たちは口を揃えて、前述の外務省有力筋の見解と同様に米国案歓迎の意向を表明、その一人は「空は晴れ上がった。残る一点の雲は、いつ講和会議が開かれるかの問題だけだ」と。局長は、米国内でかまびすしいマッカーサー元帥問題は気にならぬか、元帥も対日講和の立役者の一人だ、というと、相手は肩をすくめて、「はるかな遠雷を聞く感じだ。われわれの関心は米国の内政問題ではなく、その政策にある」と。ふーむ、この政府高官はなかなか覚めた感覚の持ち主だ。
・4月16日、マッカーサー元帥一家は早朝羽田を離陸したその日の夕方、特使ダレスが来日した。数日前ダレスはホワイトハウスで大統領トルーマンと対坐し、国務長官アチソンが同席した。大統領は「すぐに東京に行って、日本の指導者たちにわれわれの対日講和に関する意図を説明し、本件について新連合国最高司令官リッジウェイ中将ととくと協議して貰いたい。これは自分と政府全体の要望だ。是非頼む」 ダレス「マッカーサー元帥の解任は、民主党政府の政策に一貫性を欠く象徴とも見做される。そこで、自分に与えられる使命が不変であることの保障を得ようとしたのである」 大統領は即座に「私は対日講和に関する政策をいささかも変更するつもりは全くない。私は貴下を百パーセント支持する用意がある」 アチソンも「本職も大統領と同じ決意を持っている」と。
・以降は次回に繋げるとして、ダレスはどんな思いで対日講和を進めているのか、考えてみたい。無条件降伏をした日本に、なぜここまでの心配りをするのか、一つには朝鮮動乱下の自由主義陣営と共産主義陣営が鋭く戦っている最中で、東アジアの橋頭堡として日本を位置付けたいという軍事戦略上の要請があるということは理解できるが、それだけでダレスの行動・考え方を理解することは難しい。復讐や懲罰より和解の講和もどうやら理解可能である。しかし、ダレスは「日本国民を他の諸国の良き隣人として共存させること、日本に国際的に威厳ある平等の地位を回復させるべき」であり、信頼の講和と語っている。佐藤栄作は「日本に対する深い理解と同情をもって講和条約締結の態度なり心構えなどについて明確にされた」とコメントを発している。日米戦争が始まる前のルーズベルト大統領の偏見に満ちた人種差別的な日本人観と比較すると、そこは雲泥の差だ。戦後5年も経過して、日本の実情を客観的に見えるようになって、ダレスには謀略に満ちたあの戦争の本質が見えてきたのではないか。終戦末期1945年4月、スイスで海軍武官の藤村義朗とアメリカOSS欧州本部長アレン・ダレスは極秘の終戦工作を行ったが、戦後もだいぶ経ってから藤村はアレン・ダレスと再会、日本が決めれば大東亜戦争は2,3カ月は早く集結していたとの米側の内情をきかされたという。特使ジョン・ダレスも知らないわけもないだろう。日本を知れば知るほど信頼に足るとダレスは感得したのだろう。その本質をつかんだからこそ、その講和の精神が今以て日米関係を維持発展出来ている所以だと思う。