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コバニの自由シリア軍 10月9日 2014年

2016-01-09 21:29:15 | シリア内戦

 

ペシュメルガは10月31日にコバニに入った。その2日前に自由シリア軍がコバニに入っている。自由シリア軍がコバニに入るのは、これが最初ではない。9月13日のコバニ戦の開始とほぼ同時に、別の自由シリア軍がコバニに入っている。最初の自由シリア軍について、「NOW」というメディアが取材している。NOWの記者が「ラッカ革命旅団」の指導者にインタビューした。インタビューを紹介する前に、ラッカの自由シリア軍について、ふり返ってみたい。

自由シリア軍がYPGの援軍となることは、変な話である。これまでクルドの敵だった自由シリア軍が、コバニに入ると聞けば、誰しも「それどういうこと?」と思う。ラッカ革命旅団の「戦歴」をたどってみる。

2012年と2013年、ハサカ県とラッカ県北部のクルド地域で、自由シリア軍はYPGと戦ってきた。特にセレカニエでは2か月間の激戦となった。

テルアビヤドで、ラッカ革命旅団は反政府軍の一翼としてYPGと闘ったと思われる。ラッカ革命旅団にとって、本拠地ラッカの北方は勢力範囲であり、クルドと衝突する地域である。

      

この地図において、セレカニエがクルドの支配地となっているのは、2013年の2月にYPGが自由シリア軍に勝利したからである。しかし、クルド支配地の中にありながら、テルアビヤドだけは反政府軍の支配地となっている。

2013年3月5日、反政府軍はラッカのアサド政府軍に勝利し、ラッカの支配者となった。反乱軍は次の諸グループである。

①自由シリア軍 ②ヌスラ戦線 ③アフラール・シャム ④フサヤ・ビン・ヤマン旅団

①の自由シリア軍とは、今話題にしているラッカ革命旅団のことである。

この時点でISISはシリアに登場していない。ISISはこの直後の4月に、シリアでの活動を宣言する。ヌスラの友軍という立場で、反政府軍に参加する。しかしISISが反政府軍に協力した期間は短く、反政府軍の支配地を徐々に横取りしてゆく。

翌年の2014年1月9日、ISISはラッカの反政府軍を攻撃した。ラッカ革命旅団はラッカから撤退した。1月13日、ISISはヌスラとアフラール・シャムをラッカから追い出し、ラッカに単独支配を確立した。この時、ISISに対し最後まで抗戦したのはヌスラだった。

5か月後の2014年6月、ISISはモスルで勝利し、その勢いに乗って、デリゾール県とラッカ県の支配を固めた。

     

ラッカを追われた「ラッカ革命旅団」は行き場がなくなる。ラッカの北方に撤退したが、ISISに囲まれており、危険である。北端のコバニには別の敵であるクルドがいる。生き残るためには、2つの敵のうちの、ましな方と和解するしかない。ましなのはクルドである。しかしYPGに直接話を持ちかけることは、いまさらできない。両者の仲介をしたのは、アフラール・シャム(シリアの自由人)である。

1200人の部隊が窮地に陥っても、自由シリア軍の指導部は頼りにならず、ラッカ革命旅団は独自の判断で、YPGと和平した。

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NOW: コバニに来たラッカ革命旅団は何人でしたか。

アブ・サイフ:我々は、1250人だったが、今は300人だ。

NOW:どうして減ってしまったのですか。

アブ・サイフ:ラッカを撤退したときは1250人だっったが、こちらに来てから全員に食料を配れなくなり、去らせた。弾も尽きていた。彼らは、職を求めてトルコに行った。

NOW:あなた達のグループがコバニで戦っていることを、誰も知りもせんよ。

アブ・サイフ: ラッカ革命旅団の宣伝活動が不足しているからだ。重要なのは宣伝ではなく、戦うことだ。我々はコバニで、クルドを助けるためにだけ戦っているのではない。ここコバニに住んでいるのが誰であれ、コバニはシリアの土地だ。その土地をISISが攻撃しているのだから、防衛するのが義務だ。

ISISと比べ、我々は時代遅れの作戦をしてきたかもしれない。メディアの重要性に気づかなかった。今ではISIS以外のグループも、広報をビジネスにしている。戦闘をする際には必ず撮影し、ユーチューブに投稿する。それによって援助を得る。我々もそうしたことを少しはしたが、彼らの専門的なやり方には及ばない。

 

NOW: 以前には、自由シリア軍はYPGと戦っていました。その頃自由シリア軍はしばしばISISを同盟者としていました。現在コバニでYPGを助けているのは、一時的な方便ですか。それとも長期的な目標として、YPGに協力するつもりですか。

アブ・サイフ: ISISがラッカに来るまで、われわれははYPGと戦っていた。しかし、ISISがラッカに来た時、YPGとの戦闘をやめ、ISISと戦うようになった。結局我々は、ISISによってラッカから追い出された。我々はラッカ市内から撤退して、北方の郊外に移った。コバニに近いところだ。

この段階で、我々はYPGと停戦した。我々は行くところがなかった。ISISに囲まれ、少し北にはYPGがいた。アラブのことわざに、「敵の敵は味方だ」とある。

アフラール・シャム(シリアの自由人)が停戦を仲介した。それで我々は停戦を決意した。停戦期間は6か月だ。我々はクルドに近づき、友人になった。それで、さらに北に移動し、コバニに入った。YPGとISISの戦いが始まっていたので、我々はYPGの同盟者として戦うことになった。     (後半に続く)

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ラッカ革命旅団の1250人の半数がトルコに去り、600人が残ったが、現在は300人になってしまった。戦死者の数を述べていないのが、残念である。

YPGは敗北に近づいており、食料と弾薬が不足し、援軍を活用することさえできない。情けない状態である。YPG(人民防衛隊)は戦い続けようとしているが、政治部門のPYD(民主統一党)はもはやあきらめているようである。インタビューの後半では、クルドとラッカ革命旅団が共に追いつめられた状況が語られる。

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NOW: 米国とトルコが望んでいることですが、YPGは自由シリア軍の一員になるでしょうか。

アブ・サイフ: PYD(民主統一党)が自らのアイデンティティーを捨て、自由シリア軍の仲間になることはないと思う。しかし、コバニに来てから、PYDが自由シリア軍に参加すると申し入れてきた。自由シリア軍の旗の下で戦うというのだ。そうなれば、トルコ軍がコバニの救援にくる条件が整う。この話はまだ交渉の段階で、決定されたわけではない。

NOW: コバニ市内の現在の状況を教えてください。ISISはどの地区を占領していますか。

アブ・サイフ:現在の状況はみじめだ。残念ながら、我々の戦闘員の半分が撤退せざるをえなかった。数か月前ラエの郊外でISISと戦っていた時から、状況は非常に悪い。対戦車用の武器を我々に与えてくれる者はいない。我々は、RPGを持っているが、ISISの装甲車には通用しない。ISISは、モスルで手に入れた頑丈な装甲車で攻めてくる。

ISISがコバニの攻撃を開始すると、状況はさらに悪くなった。我々は援助を求めたが、誰も何一つ提供してくれなかった。

戦車を攻撃する武器がなかった。ISISが防衛線を突破し、コバニの市内に侵入してから、道路を隔てて争う市街戦になった。戦闘員の命を救うため、半数を撤退させた。

一作日、ISISは市の半分を制圧していた。しかし我々(YPGと我々の旅団)は、撤退する前に、自動車爆弾と爆弾を仕掛けた。爆弾は家の中にも仕掛けた。それで、ISISが支配する地区でいくつもの爆発が起きた。ISISはうろたえ、我々は市のはずれまで彼らを押し戻した。彼らは今市の境界付近にいる。

NOW:トルコがPYDに武器を与えないのは当然だが、なぜ君たちに与えないのでしょう?

アブ・サイフ:我々が武器を手にすれば、結局PYDを利するからだろう。トルコはそれが嫌なんだ。

ラッカにいた時、我々は、トルコの援助を得ていた。今はトルコの援助が受けられなくなったが、我々は信義のために戦っている。クルド人はシリア人だ。突きつめて考えるなら、彼らは自分たちの土地と女性・子供のために戦っている。

我々は正当な理由で戦っている。国際社会は我々を援助してほしい。

(原文)  FSA fighting alongside Kobane Kurds

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