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ウクライナ革命と内戦

2014-07-02 01:53:59 | ウクライナ

                 <内戦の開始>

4月25日の大統領選選挙前の3日前、ドネツク州南部で政府軍の検問所が攻撃され、14名の政府軍兵士が死亡し、30名が負傷した。キエフ政府軍が東部の武装集団に対する掃討作戦を開始してか以来、最大の犠牲となった。

これまで政府軍は威嚇を基本として、検問所・政府庁舎・警察署の奪回をしてきたので、双方の死者は比較的少なかった。この日の攻撃は今までと全く違っていた。そして、政府軍と東部分離派との間で、本格的な戦闘が開始された日となった。

 

5月22日の未明、ドネツク市南方の町バルノバーカ付近の検問所に銀行の輸送車がやって来た。検問所の兵士は、何も疑わず通過を許可したが、突然中から銃を持った男たちが現れ、至近距離で検問所の兵を撃った。続いて、近くで野営していた兵士たちをも乱射した。撃たれた兵士たちは、不意をつかれて、応戦もできなかったようである。

他に焼かれた装甲車が3台残されていたが、政府は迫撃砲によるものと発表している。

 政府軍の少佐が、生き残った兵士から事情聴取したが、その結果彼は次のように確信した。「このような攻撃をしたのは、ドネツクの分離主義者たちではない。外国人傭兵部隊だ。」殺害そのものを目的とした残虐な殺し方は、地元の人間によるものではない、と彼は判断した。

 内戦を開始したのは、武器を取ったドネツクの住民ではなく、外国人傭兵部隊である、ということになる。政府軍兵士と地元の武装集団は、両者とも、互いに殺しあう事を望んでいなかった。

 

      <新大統領が東部に対し戦宣布告>

 

新大統領ポロシェンコは、「東部の武装集団は対話の相手ではなく、ならず者であり、断固として鎮圧する」と宣言した。その言葉どおり、彼は、すぐさま本格的な掃討作戦を開始した。政府軍の戦車が列をなして進んでいく光景は、まさに戦争である。戦車と戦闘機・戦闘ヘリによる攻撃で、親ロシア武装集団は多くの戦死者を出し、住民にも死者が出た。

 スラビャンスクでは、6月3日の戦闘で、今までにない多くの戦死者が出た。「我々は、仲間の300人が死傷した。」と武装集団側の報道官が語った。正確な数字かどうかはわからないが、東部は内戦状態になっているので、「一日で300人の死傷者」というのは、誇張とも思えない。

 

   < ドネツク州の軍事拠点であるスラビャンスク市>

                          BBCより

     <ドネツク州とルハンスク州>

(説明)                                        BBC より

① 濃い茶色の部分が東部三州である。北西にハルキフ州、北東にルハンスク州がある。南部に位置し、アゾフ海に接しているのがドネツク州である。海に面して貿易港マリウポルがある。マリウポルは鉄鋼と穀物の輸出港である。

② マリウポルから北上する州都ドネツクに至る。途中に冒頭で述べた町バルノバーカがある。

③ ドネツク市から北上すると、軍事物資集積所があるスラビャンスク市に至る。スラビャンスク市はドネツク州の北端に位置している。

④ スラビャンスク市の北西にハルキフ州があり、北東にルハンスク州がある。分離主義武装集団の勢力が強いのはドネツク州とルハンスク州であり、ハルキフ州では、やや弱い。

 

      <国境で待機する4万のロシア軍>

 

そこで問題になるのは、ウクライナとの国境に集結している4万のロシア軍である。

大統領となったポロシェンコは、ロシアの軍事侵攻を恐れ、「ロシアの侵攻が始まれば、どんな経済制裁も助けにならない」と語り、米国の軍事支援を求めたという。

 ロシア外務省は、2月末、ウクライナ東部について、「ロシア人同胞の権利が侵害されれば、決然と、非妥協的な態度で守る」と断言している。 

プーチン大統領も「多くのロシア人が殺害される事態にになれば、国境で待機している部隊を出動させる」と語っている。

現在、東ウクライナはそのような事態になりつつある。プーチンは軍隊の出動を決断するだろうか。

プーチンは「軍の出動は最後の最後」と考えており、これまで慎重だった。そして現在、新たに「敢えて今軍を出さずとも」という状況が生まれており彼は「とりあえずは」軍を出動させない。

 

          <不安定な暫定政府>

 それは、ヤツェニュクの政府が国民の支持を失い、弱体政権になっているからである。

IMFの資金援助によって財政破綻はかろうじて回避できた。しかし、IMFが要求する緊縮財政に国民は反発している。これからますます経済は悪化する。追い打ちをかけるように、ロシアは天然ガスの値段を上げた。しかも、前払いが条件である。

さらにロシアはウクライナからの輸入を削減する予定である。ウクライナの輸出の30%はロシア向けであり、ロシアは最大の輸出相手国である。輸出相手国2位はトルコで、輸出の6%にすぎない。

ロシアは、ポロシェンコに対して経済制裁を既に行い、彼が経営する菓子会社からの輸入を禁止した。

 

また現政府は政権としての基盤が弱い。革命広場に集まった大衆が最も支持している政党は「ウダル」党である。「ウダル」とは「一撃」という意味である。「ウダル」党は、ヤツェニュクの政府に閣僚を一人も出していない。

 

       <ヤツェニュクとクリチコの不和>

 「ウダル」の党首クリチコは、常に広場の民衆に接しており、彼らのの要望をよく理解している。「広場」はウクライナ語で「マイダン」であり、キエフの「独立広場」のことである。この広場で、2月20日、デモの闘士60名近くが治安部隊によって殺害された。

クリチコは、「広場」の民衆の希望に沿った改革を実現しようとしている。その彼は、しばしばヤツェニュク首相と対立し、両者は犬猿の仲である。

 クリチコに会いたがらないヤツェニュクについて、「それでは駄目です。週に4回はクリチコと会って、意見を交換しないといけません。」と、ヌーランド米国務次官補はウクライナ駐在大使との電話で述べている。この電話は、1月のことで、まだヤツェニュクは首相になっていない。この時点で、米国は彼を首相にすることを既に考えていた。

 

         <頼りにならない軍>

 また暫定政府には信頼できる軍隊がない。兵たちは東部の同国人を攻撃する気になれない。東部の武装勢力を排除するために、暫定政権はしかたなく、過激な極右分子を正式な軍に組み入れた。この極右分子はもともといくつかのグループに分かれていたもので、現在主導権争いが始まっているという。彼らは正式な軍の部隊なので、新しく編成された軍が分裂して、争っているということである。

従来の軍も分裂する可能性がある。まず、大きく親ロシア派と親欧米派の二つに分裂する。親欧米派は新編成軍の内部抗争に巻き込まれ、さらに分裂するだろう。

 

        <実権のない新大統領>                          

新しく大統領にえらばれたポロシェンコは、現在の状況を変えることはできない、という。現在、軍は彼の指揮下にない。軍を指揮しているのは、秘密警察であり、秘密警察はCIAに指導されている。内務省には、CIAが常駐している。軍幹部の全員がこのことを従容(しょうよう)と受け入れるだろうか。

また内務大臣アバコフはティモシェンコの影響下にあり、大統領選に負けても、彼女は相変わらず政権内の実力者である。

 選挙前、ポロシェンコは、東部問題の政治的解決を強調したが、当選すると、「武装勢力と話し合いをする政府など世界に一つもない」と強硬な姿勢に一変した。「NATOに加盟することはよくない」と言っていた彼が、現在は米国に軍事支援を求めている。

 このことは、政治と軍事の現実は、新大統領と無関係に、これまで通り動いていることを示している。

国民は新大統領に事態の収拾を期待しているが、新大統領は国民の期待に答えられそうもない。ヤツェニュク首相はすでに国民の信頼を失っており、新大統領への期待が失望に変わったとき、国民の不満が表面化する。さらに、上述したように、政府にも軍にも分裂要因がある。

 

         <プーチンの読み>

 プーチンが恐れるのは、キエフの政府が安定し、そのうえでウクライナがユーロに加盟し、NATOに加盟することである。

現在の混乱が続けば、「東部の親ロシア派との妥協なしに、ウクライナ国家に安定なし」ということに、国民と指導者が気づくかもしれない。

そう考え、プーチンは、今は下手に動かず、事態を注視している。

 プーチンに「今は動かず」の姿勢を取らせている別の理由は、EUの中心国であるドイツが、「ウクライナの変革」にそれほど熱心ではないからである。ドイツは、ウクライナがEUに加盟することを望んでいない。ウクライナ問題でロシアとの間に摩擦を起こし、戦争にまで発展するなど、無意味だと思っている。

ドイツが望んでいないことをEUが決定するのは簡単ではない。ドイツ国民は、「EUは貧しい国を抱えすぎたと」考えており、ギリシャをEUから追放することを主張したくらいである。ギリシャだけでなく、EUを拡大してギリシャ同様の国々を抱え込んだのは、失敗だったと考えている。

ドイツはウクライナ・モルドバ・グルジアがEUに加盟することを望んでいない。この三国のEU加盟に熱心なのは、なぜか米国である。 

 

          <米国が仕掛けた政変>

ウクライナがロシアにとって軍事と経済の両面においていかに重要かということは、事情を知る者の間では、常識である。それを百も承知で、米国とポーランドが、特別の目的を持って、ウクラナ政変を仕掛けてきた、とプーチンは察知した。

 流血の2月20日、デモの先端分子のうち、60名が死亡したが、そのほとんどは狙撃されて死んだ。注目すべきことは、デモの側にも、治安部隊に向かってライフルやピストルを撃っている者がいたことである。彼ら極右過激派は、バルト諸国とポーランドで訓練を受けたという。

 18日~20日の3日間で、警官13名が死亡した。また342人の警察官が銃撃を受けて、負傷した。信じられないような話である。

同じ三3日間、デモの側の死者は77~80名と言われている。18日に18名死亡し、20日に60名死亡した。

 

プーチンは、「ウクライナ政変は仕掛けられた」と受け止め、即座に部隊の動員をした。またクリミア併合という過剰に見える反応をした。

しかし、仕掛け人の計画通りには進まない現実がいくつかあるので、プーチンはとりあえず静観するのである。

 

       <革命が押し上げた2つの政党>

 ウダル党の党首クリチコについて触れたが、今回のキエフ革命で重要な役割を果たした政党の動きについて、述べたい。

  

       最高議会 2012年選挙結果

        (政党名)      (議席数)

         地域党        186

         祖国          104

         UDAR                 40

         自由(スヴォボダ)   37

        共産党           32

 

ヤヌコビッチ大統領時代、「地域党」が与党であり、野党第一党は、ティモシェンコの「祖国」であった。野党第二党に「ウダル」と「スヴォボダ」が、並んでいた。

「ウダル」は40議席、「スヴォボダ」は37議席である。「スヴォボダ」はウクライナ民族主義を掲げる極右政党でありながら、「ウダル」と肩を並べる主要政党といえる。「スボヴォボダ」は「スヴァボーダ」とも表記され、「自由」という意味である。党首はチャフニボクである。

 おそらく米国の意向により、党首のチャフニボクは暫定政府に入閣しなかった。しかし、彼の党は4人の閣僚に加え、検事総長も出している。閣僚のうち一人は副首相、もう一人は、国防相という重要ポストを占めている。

 今回のマイダン(=広場)革命で、野党第二党の「ウダル」と「スヴォボダ」が成長した。民衆革命を代弁する政党として、「ウダル」と「スヴォボダ」は「祖国」と対等になった感がある。

 

<ヌーランド国務次官補と野党指導者 2月7日撮影>

 

 (説明)                       KyivPost より

①  手前の女性: ヌーランド米国務次官補

②  後方左:    スヴォボダ党首チャフニボク

③  後方中央:  ウダル党首クリチコ

④  後方右     「祖国」臨時総裁ヤツェニュク(党首ティモ

              シェンコ が獄中にあるため代理を務め       

              る。)

 

         <全権を得た三党>

 今回のマイダン(=広場)革命の最終局面で、議会がクーデターを起こし、大統領を解任し、全権を掌握した。

 それは、「祖国」と「ウダル」と「スヴォボダ」の三党がクーデターを決心したからである。三党を決心させたのは、広場の民衆の圧力である。民衆は、ヤヌコビッチ大統領の即時解任を要求した。

 

流血の2月20日の翌日、ヤヌコビッチ大統領は大きく譲歩した。彼と野党三党の間で合意が生まれた。

「大統領の権限を縮小する」ことと、「来年4月の大統領選挙を早めて今年12月までにおこなう」ことが決められた。これは正式な文書となり、大統領と三党の代表が署名した。仲介役としてドイツ・フランス・ポーランドの外相が署名した。もう一人の仲介人であるロシアの代表は署名を拒否した。ロシアは話し合いに途中から参加させられたことに不満であり、ヤヌコビッチが譲歩しすぎた、と考えたからである。

 

広場の民衆はヤヌコビッチの大幅な譲歩にも、満足しなかった。彼らは、野党三党は民衆を裏切り、ヤヌコビッチと取引した、と考えた。その結果この合意は、署名の翌日、くつがえされた。合意を覆したのは広場の民衆である。民衆は、ヤヌコビッチの「即刻」退陣を要求した。

 マイダン(=広場)の民衆は、仲間を射殺したヤヌコビッチの特殊部隊を許さなかった。死んだ仲間を代弁して極右のリーダーが演説したが、彼の熱弁が聴衆の心をとらえた、という。これが、革命の決定的瞬間となった。

 

民衆の意向をうけて、三党は「ヤヌコビッチとの妥協」ではなく、「ヤヌコビッチの追放」を選択した。

 

プーチンはこうした動きの裏に、米国の「謀略」があると判断した。デモという手段を用いた「政権転覆」は、独立国に対する戦争に等しい、と彼は考えている。

 

この時以降、三党の事前協議の場が、国の最高意思の決定の場となった。ヤヌコビッチ大統領の解任を決定したのも、ヤツェニュク首相とトゥルチノフ最高会議議長兼大統領代理を決めたのも、この三党による協議である。

 三党は対等の立場なので、三党の意見が分かれた場合、決定がおくれる。重要な問題ほど意見がわかれ、なかなか決まらない。首相がヤツェニュクに決まるまで、数日かかった。

 

       <親ユーロ・改革派ポロシェンコ>

              

                     ウイキペディアより                                                                                                                          

大統領選に勝利したポロシェンコは、戦うデモ隊と警官隊の間に割って入り、両者に自制を求めたという。

国民は、現在の内戦を初期の段階で取り鎮める、「火消し」の仕事を、ポロシェンコに託した。

彼は、オレンジ革命の大統領ユーシェンコの右腕であり、彼のもとで国家安全保障・国防評議会書記、国立銀行総裁、外務大臣を歴任した。

彼は根っからの親ユーロ派であり、外相時代には、「NATO加盟」を主張した。

「NATO加盟」はウクライナ国民が決めることであり、他国の許可を必要とするものではない、と強い姿勢を示しながらも、「NATO加盟はそれ自体が目標ではない」とも述べ、最終目標について次のように語った。

「我々のゴールは改革の実行と生活水準の向上である。」

この時の彼は4年後の今も変わっていない。「ユーロと関係を深めることは経済発展の道であり、またそれを契機に、国内を改革する道である」という彼の信念は、変っていない。

プーチンはウクライナの「NATO加盟」は絶対に認めない。彼は「ユーロ加盟」も認めない。

「ユーロ加盟」の一歩手前の「連合協定」なら、プーチンは認めるかもしれない。

ポロシェンコが、「ユーロ加盟」をあきらめ、「連合協定」をプーチンに認めさせることができれば、両者の間に妥協が成立するかもしれない。

 

しかし、このことは、かなり難しい。プーチンは、ウクライナがEUと「連合協定」を結ばずに、「ユーラシア関税同盟」に加盟してほしいのである。「ユーラシア関税同盟」を構成するベラルーシとカザフスタンは小国であり、ウクライナは大国である。ウクライナは同盟にとって心臓であり、プーチンはウクライナとベラルーシとカザフとの同盟を新生ロシアの核にしたいのである。

 

2009年、「NATO加盟」はウクライナ国民が決める事である、とポロシェンコ外務大臣は語ったが、この時国民の80%がNATO加盟に反対した。

 

2012年2月、ポロシェンコはヤヌコビッチ大統領のもとで、経済発展・貿易大臣に任命された。

政治的な経歴から見ても、彼は大統領候補として十分に経験を積んでいる。一方で彼は実業家である。彼は「チョコレート王」と呼ばれるが、菓子だけでなく、メディア・自動車・造船業を率いる財閥である。彼は、ユーシェンコの「われらのウクライナ」党出身であるが、大統領選は無党派で立候補した。

 

    <大統領選における祖国とウダル>

 

革命広場の大衆が支持する元ボクシング世界チャンピオン・クリチコは大統領選に出馬せず、彼と彼の政党「ウダル」はポロシェンコの支持にまわった。

 暫定政府の首相ヤツェニュクが所属する「祖国」党からは、党首ティモシェンコが立候補したが、大差で敗れた。大統領選は、事実上、ポロシェンコとティモシェンコの一騎打ちだった。他は泡沫(ほうまつ)候補だった。

 


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