総督府は1940年から半年間の期間を設けて、朝鮮人たちの「氏」を届けさせました。
この時、同時に改名も認めたのです。
もともと「創氏改名」は、多くの朝鮮人が日本名に改名したいという要望が多かったため為されたという側面もあります。
その結果、届け出した朝鮮人の八割が「氏」として日本名を登録しました。
現代の韓国人は、このことを、改名を強制されたと勘違いしているようです。
しかし、その事実はありません。
八割の朝鮮人が「氏」を日本名にしたということは、二割の人がそのまま朝鮮名で届けたということです。
もし日本名への強制があったなら、二割の朝鮮名は許されないはずです。
それに届け出の期間は半年間で、それを過ぎると自動的に家族の姓(ほとんどが男性の姓)を「氏」に充当ということになっていました。
つまり朝鮮名がそのまま氏になるということで、日本名への改名はされていません。
唖然とするのは、届け出を出した朝鮮人の八割が日本名を「氏」に選んだということです。
戦後、在日韓国・朝鮮人のほぼ100パーセント、日本名(通名)を名乗っていました。
たしかに日本では圧倒的少数派の在日の人たちは日本人のふりをしたほうが様々な点で有利でしょう。
しかし朝鮮半島で、しかも住民のほとんどが朝鮮人であるにもかかわらず、八割の人が日本名を名乗るということに、驚きを禁じ得ません。
その昔、朝鮮の人々の苗字は現代とはまったく違うものでした。
ところがモンゴル人が高麗を征服すると、彼らはこぞってモンゴル人風の名前に改名し、文字もモンゴル文字を使いました。
そして明帝国がモンゴル人を追い払って、朝鮮半島の新しい盟主となると、朝鮮人たちは名前を中国風に変え(一文字姓)、漢字を使用しました。
どうやら朝鮮人は伝統的に、強大な国の文化に靡くという面があるようです。