会員のカネコです。
2月11日(金・祝)、当会会員のカトケンさんこと加藤健太郎さんが第34回江戸史談会にて講演されました。
「静岡に移住した幕臣達の墓を読む」というテーマで行われた今回の江戸史談会。旗本加藤筑後守の子孫で幕臣や土佐・水戸藩士の研究をしている加藤さんが、地元静岡で訪ねた幕臣達の墓を厳選し、その碑文を読むという内容で行われました。
釣洋一先生の酒房春廼舎さんにて15:30より開始されました。この日は雪ともあって15人程度のアットホームな感じでした。
この日取り上げられたのは以下4ヶ所の墓碑。
・蓮永寺の勝海舟両親
・沓谷霊園の梅澤孫太郎
・臨済寺の永峰弥吉
・宝台院別院の戊辰戦争旧幕府歩兵隊戦没者慰霊碑
勝海舟両親の墓は海舟の父小吉(夢酔)と母信の墓です。小吉は江戸で没し、江戸の清隆寺に葬られましたが、母信が家族と共に維新後静岡に移住し、その地で没したためその墓に小吉の名も刻まれています。勝家が静岡にあった時にはこの墓を両親の墓として参拝していたのでしょう。ちなみに清隆寺の墓は後に青山霊園に改葬されましたが、『勝海舟のすべて』の中に釣先生による清隆寺勝家の過去帳の全文が掲載されています。
梅澤孫太郎は徳川慶喜の側近で、後期水戸学の巨人、藤田東湖、会沢正志斎に学びながらも、後にその水戸学の影響を受け挙兵した天狗党を鎮圧する立場になるなど、苦難の人生を歩んだ人です。晩年は引退した慶喜の家令として穏やかに過ごしました。先頃時代劇チャンネルで再放送された大河ドラマ『徳川慶喜』にも登場しています。
永峰弥吉も地味な人物ですが、この墓碑は正面の墓碑銘を榎本武揚が書いており、側面の撰文を勝海舟、書を大鳥圭介が書いており、さながら幕臣オールスターズの様相を呈しています。
そして久能山東照宮の麓に宝台院別院の戊辰戦争旧幕府歩兵隊戦没者慰霊碑はあまり知られていませんが、大鳥圭介に率いられた伝習隊士達の名が数多く刻まれており、116名の幕府軍戦死者の名が刻まれています。その中に新選組隊士矢田賢之助の名も刻まれています。これは新選組研究家である釣先生も碑の存在自体は知っていたものの見落としていたもので、今回の加藤さんにより発見されたものです。この戊辰戦争旧幕府歩兵隊戦没者慰霊碑に関しては建立者、建立経緯等不明な事が多く、今後の加藤さんの研究が期待されます。
まだまだ幕末維新期の人物研究の可能性があることを感じられた講演でした。
加藤さんの地道な研究方法には学ぶことが多いです。このような仲間が近くにいるのは本当に恵まれている事だと思いました。
お疲れ様でした!
私もぜひ、拝聴したかったです。
次にお会いしたときも、いろいろと
お聞かせください!