探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

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佐藤尚中実父の墓

2012-02-06 21:57:07 | 会員の調査報告
会員のカネコです。
11月に開催された谷中霊園巡墓会(後篇)では私が東京順天堂の創設者佐藤尚中の解説をさせて頂きました。5月の前篇の時には尚中の養父で佐倉順天堂の創設者佐藤泰然の解説もしました。佐藤一族には松本良順、林菫、林研海、榎本武揚など魅力的な人物が大勢います。

私がこの佐藤一族に興味を持ったのは88年に放送された日本テレビ年末時代劇スペシャル『五稜郭』を見てからです。主人公は榎本武揚(里見浩太郎)なのですが、妻の祖父である佐藤泰然(森繁久弥)など佐藤家の人達が大勢出て、物語の重要な部分を担います。最後の方では佐藤泰然が木戸孝允に榎本達の助命嘆願を直談判しに行くというオマケもありました。

年末時代劇スペシャル「五稜郭」番宣


尚中は何故か出てきませんでしたが、それ以来、私は都内近郊の佐藤家の人々の墓所を訪ねて廻りましたが、昨年の春に訪れた佐倉順天堂記念館で、学芸員の方に紹介された『順天堂史』の中に尚中の実父山口甫僊の墓所の所在が記されているのを見つけて、谷中霊園巡墓会(後篇)の前の10月22日に訪れることにしました。

尚中の実父山口甫僊は下総小見川藩の藩医であり、墓所は千葉県小見川の善光寺にあります。
小見川へは私の住んでいた川崎から電車で3時間程かかります。
この日は午前10時前に家を出ました。その直前まで大雨が降っていましたが、午後は晴れるという予報でしたので、そんなに気にせずに成田まで着きました。しかしそこで大雨の影響で銚子線が50分遅れているというアナウンスが入りました。銚子線は昼間の時間帯は1時間に1本程度のローカル線です。仕方なく50分待つことにして、その間に数年ぶりに成田山新勝寺を参詣しました。
結局1時間遅れで電車が発車し、小見川に着いたのは午後3時前でした。家を出て5時間経っていましいた。
気を取り直して、まずは本願寺で小見川藩主内田正学夫人の墓を見ました。

そして、甫僊の墓がある善光寺近くにある佐藤尚中生誕の地へ行きました。
この地は甫僊の屋敷があった所で現在は公園になっています。
公園内には[大學大丞大博士 大典醫贈従五位 佐藤尚中先生誕生地]と刻まれた石碑と産湯の井戸がありました。



そして善光寺へ。
本堂の左側の墓地には歌舞伎役者松本幸四郎の墓があり、山口家の墓所は本堂の左前側の墓域にあります。
山口家歴代の墓が並ぶ墓域の真ん中に甫僊の墓がありました。



正面には[廣濟院行江醫隠老機居士 淑陽院□練松巖妙遊清大姉]と甫僊夫婦の法名が刻まれ、右側面には次のような撰文が刻まれていました。

先生諱絅字尚絅號?江漁長稱甫僊常
陸北城東平君長子出□下総山口氏以
醫為業兼善書法吟詩嘉永三年庚戊正
月十六日病終享年六十二

甫僊は元々潮来の北城家の出身です。
佐倉順天堂記念館の学芸員の方にご教示頂いたのですが、尚中以降も佐藤家は養子によって継承されて行きますが、実際はこの北城家の縁者との姻戚関係によって繋がっているとのことでした。記念館より頂いた系図を基に様々資料から佐藤家の系図を作ると泰然の血筋は松本家・林家に受け継がれ、佐藤本家は尚中を中心に実家の山口・北城家の縁者によって形成されていることが分かりました。この系図は巡墓会にて配布いたしました。

機会があれば潮来の北城家の墓所、京都にある尚中実子百太郎の墓所、泰然の父藤佐の出身地である山形の遊佐升川町へも行って見たいと思っています。
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2 コメント

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幻のお爺様を見つけた (綿谷泰幸)
2012-12-10 11:32:43
佐藤尚中を検索していたところカネコ様のブログを拝見いたしました。 私は旧姓佐藤といいまして尚中実子百太郎の長女佐和子の孫になります。 佐藤家の事は幼少より祖母からよく聞かされておりました。 この祖母が若い頃大恋愛をし、そのお相手がホンジョ子爵のご子息でした。二人の間には男の子(私の父)と女の子が誕生しましたが結局、家のために別れました。 このホンジョさんが北城さんで「北城のゆかり」という家系図が伝わる所以と初めて知りました。  百太郎の人生も波乱万丈でなかなか興味深いですよ。ぜひご研究ください。
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Re: (カネコ)
2012-12-16 01:34:25
綿谷様

初めまして。佐藤家のご子孫の方にご覧頂きとても嬉しく思います。とても貴重なお話を有り難うございました。
医学の道へ進まず、実業界で進んだ百太郎の人生についてはとても関心があります。
私は東京近辺に散在する佐藤一族の墓を訪ね、詳細な家系図を作成しています。佐藤家は養子の方が多いのですが、実は山口家や北城家など女系で繋がっていたりして、系図で一覧にするとその関係性が良く分かります。
佐藤家についてはまた記事を書きたいと思っていますので、今後もご教示頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
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