探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

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我が青春の中島三郎助

2020-01-09 23:11:52 | 会員の調査報告
会員のカトケンです。
『探墓巡礼ー谷中編』を購入してくださった方から参考文献にないと『中島三郎助文書』(=写真)を進呈していただいた。



今ではなかなか手に入らない、中島家に代々受け継がれてきた遺稿を翻刻した貴重な書籍である。

そもそも中島三郎助に興味を持ったのは昭和63戊辰の年の、年末時代劇スペシャル『五稜郭』を観てからだ。父子ともに壮絶な死を遂げ、函館に町名として残っていることもあって、大学卒業前の夏気仙沼の親戚の家から箱館戦争の旅に出で、宮古湾ー青森・弘前にある降伏後の寺院ー鷲ノ木(森町)ー函館市街ー江差ー松前を回ったのが懐かしい。

開陽丸が復元されていると知っていてもたってもいられない気持ちになった。昼間はもちろん夜もホテルからライトアップ姿の開陽丸の写真を撮りに行ったものだ。

そんな箱館の戦で鮮烈な印象を残した中島三郎助にさらに興味を持ったのは、島田紳助が司会をする番組で取り上げられ、静岡市に住むご子孫がインタビューを受けていたからだった。

その中島さんが住まわれていた洋館が印象的で、その建物がどこにあるのか分かったのは、今のご当主恒英さんに東軍慰霊祭をきっかけとして知り合いになり聞いてからのことだった。

当時出演されたのは、その恒英さんの叔父で三郎助の孫に当たる清さんだと知った。葵区東草深で産婦人科を営まれていたという。

先祖のことをことさら話したがらない、押し殺したような印象が記憶に残っている。

30を前にして横浜に住みはじめて中島三郎助文書の入った図書館に通い、『開国史研究』を読むなどして三郎助の勉強を重ねてきたが、真逆今になってこの書が手に入るとは思わなかったし、箱館戦争に関わるガイドブックを自ら出すことになるとは思わなんだ。

恒英さんから時折話を伺っていると、三郎助がペリー来航前に軍艦製造に情熱を傾けた姿が重ね合わされる。新しい時代に対応するためにもがく技術者のときめきが伝わってくるからだ。

ご定年されるまで格別三郎助を意識して来られなかった恒英さんもがむしゃらに三郎助と同様、必死に時代を切り開こうとしてきたのだと思う。

学生の時分に歴史に興味を持って以来、いろんな機会に触発されてその足跡を追い求めてきた人物の最も詳しい資料を前にしばし次なる探究に思いを馳せたーー今月25日(土)新たに誕生祭となった中島三郎助祭りに顔を出す。どんな方々にお目にかかれるか今から楽しみにしているーー
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