探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

1月・2月の調査①

2010-03-01 23:48:47 | 会員の調査報告
会員のカネコです。
1月から2月にかけての調査です。

1月31日(日)芝安養院調査

芝にある増上寺の塔頭安養院で海援隊士長岡謙吉の墓を調査しました(写真)。



墓地に入り左側奥の塀際にあり、正面には右から[長岡徳之助 長岡謙吉夫妻之墓 長岡謙次郎]と刻まれています。

2月7日(日)染井霊園・谷中霊園・雑司ヶ谷霊園調査

この日は会員のクロサカさんと調査に出掛けました。
染井霊園に隣接する岩崎家墓地が岩崎弥太郎の命日で公開されるという一部情報があり、真偽を確かめるべく向かいました。
結論としては門が閉ざされていて見ることができませんでした。

その代わりに染井霊園の未調査のエリアを調査しました。
1種イ12号エリアで自由民権運動家の奥宮健之、日本画家の狩野友信、地下の伊吹家、化学技術者の下瀬雅充等の墓を調査しました。
その他に早稲田大学総長高田早苗、クロサカさんが探していた映画監督の実相寺昭雄等の墓を調査しました。

その後、谷中霊園で懸案になっている野村素介男爵の墓調査をしました。今回は天王寺の方にも聞いてみましたが、お寺側でも分からず、ローラーで探しましたが見つかりませんでした。
その代わりに雅楽の上家、吉田東洋の子吉田正春、旗本の京極家等を調査しました。
吉田正春の墓碑は[等正院明堂静海大居士]という戒名と夫人の戒名が刻まれています。

さらに、その後雑司ヶ谷霊園へ行きました。
雅楽の多家、民法学者の元田直、日本画家の山名貫義、斯波男爵家の分家で実業家の斯波孝四郎、国学者の渡辺重石丸、海軍中将の斉藤孝至等の墓を調査しました。

2月11日(木)青山霊園調査

会員のクロサカさんよりご教示頂いた、外国奉行野々山兼寛の墓と外務大臣石井菊次郎子爵と推定される墓の確認のため青山霊園に行きました。
野々山兼寛は広い道に面した所ですぐ確認ができました。
島津家と同じ「丸に十の字」の家紋でしたが島津家との関係性に関しては分かりません。
石井菊次郎男爵の墓と推定される墓には[石井家之墓]としか刻まれていませんでしたが、塔婆に書かれてある名前がご子孫の名前と一致しました。石井・ランシング協定で知られる人物ですが、昭和20年5月の東京大空襲で行方知れずになっています。養父の石井邦猷夫婦の墓も別墓域にあります。
この日は他に尊王攘夷活動家の内藤昌健、英彦山高千穂家執事で尊王家の橋本有幸、地下の高木家、実業家の金子堅次郎等の墓を調査しました。

2月14日(日)高徳寺・青山霊園調査

この日も会員のクロサカさんよりご教示頂いた青山高徳寺の出雲母里藩主松平家の墓を調査しました(写真)。



河内山宗俊の墓があることで知られるお寺ですが、墓地に入ってすぐの所に松平家の子女墓がありました。

その後、青山霊園で貴族院議員の渡辺千代三郎、海軍軍楽隊楽長の中村祐庸、女官の山口兼子、松室富久子、吉見徳子、吉井伯爵家分家吉井仲助、靖国神社宮司の賀茂水穂等を調査しました。
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