探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

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港区天徳寺と新宿区浄運寺

2017-05-25 23:44:44 | 会員の調査報告
会員のカトケンです。

金曜に休みをもらい、3連休3日目となった5/21(日)、ようやく念願の桑名帰りの収穫確認と将軍生母の実家追跡の再調査に出た。

まずは都内港区芝にある天徳寺。この愛宕近辺は小弟が13年前に上京した折、働いていた場所である。

愛着のある場所で、昼に散歩しても入ったことのない寺院であったが、まず入って六角堂にお参りし、葵の御紋の灯籠が目に入る。

小さな墓域には所狭しと墓碑が並ぶ。目的の江間啓之助政發(桑名藩士)の墓は無かったが、どうやら関東大震災で灰燼に帰したらしく、明治に没した者の墓が無くても致し方ない。

だが、1つ1つ見ていくと、大給と刻まれた墓(=写真)があった。側面に「松平求馬介」と刻む。ひょっとしてと思ってあとで調べてみると、14日の巡墓会で取り上げた矢部駿河守定謙(江戸南町奉行)の養子鶴松の実家の墓碑だった。



矢部は言わずと知れた天保改革の疑獄にあって桑名に流罪となり、その生涯を閉じた人物。

目的は違えど、桑名へ調査に行ったおかげで巡り合えた縁であろうと思う。

墓が見つからなかった江間政發なる人物は、徳川慶喜の回想録『昔夢会筆記』を作るにあたり、前将軍に鋭い質問を投げ掛けた人物である。松平定信の研究や長州問責使として現地で殺された中根一之丞について講演した実績でも知られる。

桑名では伝馬町十念寺でも萱町顕本寺でも江間という苗字の墓碑はあったが、政發の家かどうか確証は得られなかった。引き続き、調査を続けていこうと思う。政發の法名は「修述院寛誉些亭居士」と伝わる。

さて、虎ノ門で銀座線に乗り、赤坂見附で丸ノ内線に乗り換え、四谷三丁目で降りる。ここも慣れ親しんだ場所だがそれはさておき、愛住町に浄運寺という浄土宗のお寺がある。

ここに京都見廻役 岩田通徳の墓があることは知っていたが、今回の訪問の目的は、12代将軍家慶の生母の実家押田家の墓があるかどうか。

墓域の奥に岩田家の立派な墓群に感心し、奥まで来るのに通らなかったエリアに足を踏み入れると、「従五位下朝散大夫」の文字が目に飛び込んでくる。

おう、これはと確かめるとありましたありましたーー将軍家慶生母お楽の方の実兄、押田丹波守勝長墓(=写真左)。将軍の伯父の墓がこのように残っているのは実に感慨深いものがある。



しかも、この押田勝長の娘はおひさの方といって従兄弟家慶の側室となり、一橋初之丞慶昌を生んだ。この初之丞君は勝海舟が幼いころご学友となっているが、夭逝する。

ここには勝長の息近江守勝延など確認できたものは全6基で状態も良好だった。ただ、押田家の現代墓がないことから、子孫がいるかどうか分からなかった。この寺院の古い墓は倒れていたり、かなり磨耗が激しかったりして、押田家がかろうじて残っていたと言えるのかもしれない。

ともかく、一度中断していたこの調査でようやく成果が出たのは嬉しい。
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8 コメント

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Unknown (HTD40?)
2017-06-25 17:47:50
こちらの記事を参考に、浄運寺を訪問させて頂きました、非常に参考になりました
ありがとうございます
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コメントありがとうございます (カトケン)
2017-06-27 07:10:23
アップした記事がお役に立てたようで何よりです。こちらも少しでも参考になる記事が書ければと思います。またよろしくお願いいたします。
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Unknown (掃苔人)
2019-07-30 21:06:11
2年前の記事にコメントをして申し訳ありませんが、江間政発の墓は青山霊園の玉窓寺にあります。
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Unknown (カトケン)
2019-08-09 06:37:58
掃苔人様
ご教示ありがとうございました。大変驚いております。確認してみます。
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Unknown (吉盛と申します)
2020-12-09 09:47:58
いつも楽しく拝読させて頂きありがとうございます。天徳寺に葬られたという川越藩主松平(松井)康英様の墓石の行方をご存知無いでしょうか
谷中に葬られたともいい、川越に移葬されたともいいますが不確かです。遣欧使節として多くの写真を残し幕末の俊才でありながら墓石が行方不明なのが残念でなりません。
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Unknown (クロサカ)
2020-12-09 13:35:17
吉盛様
いつもお世話になっております。
さてお尋ねの松平康英ですが、現在は川越市小仙波にある光西寺に移転しています。
ご存知だと思いますが江戸期の菩提寺は天徳寺です。しかし明治以降は谷中墓地に埋葬されていました。
その後昭和期に入ってから光西寺に改葬され、現在は合祀墓となり、残念ながら当人の個人墓は残っていません。
墓誌が無いのが残念ですが。
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Unknown (吉盛と申します)
2020-12-09 23:32:36
ご教示ありがとうございます。合葬墓とはいえ康英さんのお墓があって良かったと胸を撫で下ろしております。
幕末外国人による天徳寺墓地の写真があります。巨大な墓碑が林立する様は圧巻です。同じ港区の大養寺といい。あの変貌ぶりはどうしたことかと考えさせられます。
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Unknown (クロサカ)
2020-12-10 13:49:28
大養寺も開発が行われる前に行きましたが、金網に囲まれて古い宝篋印塔?の残欠なども見かけました。
昨日その周辺に行きましたが、もう面影は皆無でしたね。天徳寺も以前港区郷土資料館の企画展「江戸大名の菩提寺」展でも写真が展示されてましたね。
往時の姿を生で見られたらいいな...と思ってます。
光西寺の松井松平家の墓は墓地左奥に灯篭を拝した広い墓域なのですぐに分かると思います。
関東にいらした時はぜひお参りください。
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