会員のカネコです。
先日は青山霊園で改葬危機となっている墓所について書きましたが、谷中霊園でも改葬危機となっている墓所が複数あります。
3月に谷中霊園へ行った際に立札が建てられていた墓所3ヶ所について紹介します。
まず、乙3号6側にある依田薫(子威・聖里)の墓です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/ff/8281a8adefac23fef8a538953e21c00e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/9a/8463a9e01c1f54eb5175d9c0e9332ff3.jpg)
撰文によると但馬出石の出身で、江戸で河田貫堂に学び、維新後は太政官権少史、大主記、左院大掌記、五等議官、七等判事などを歴任しています。
撰文は出石藩主仙石政固によるものです。
この墓碑は佐倉藩士依田学海の墓に隣接しており、同じ依田姓ですので、以前より何か関係があるのではと思っていましたが、撰文を見る限りは関係性は見られません。
撰文によると、依田薫は東叡山下旧林光院塋域に葬るとありましたので、この墓碑は後年、この場所に移動したものと思われますので、偶然依田学海の隣になったか、もしくは同姓の縁によって何らかの関係がありこの場所に移されたものかと思います。
ただ、この墓碑は依田学海の墓に背を向けて建てられていますので、偶然なのかなとも思います。
次に乙4号1側にある遠山規方の墓です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/70/31c39ed1fcadcd63aa7b2d22a6d0bc88.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/e6/b096e50a44a9299c474ccd5e7d93da40.jpg)
秋田藩の出身で、戊辰戦争は西軍方として戦い「秋田遊撃隊戦記稿」を著しています。維新後は西南戦争、日清・日露戦争に出征しています。
もう一つはこの遠山規方の近くにある高橋家の墓で、どのような家であるか不明ですが、側面に祖先式部、二代左衛門次郎にはじまり十一代までの名が刻まれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/d3/62fae4c4171ed5d9f4fbf56d11301815.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/ac/4f024af7b74de62ac841edefb0d74fcd.jpg)
式部という名からはもともと武家であった家のように思われます。
十一代の金四郎という人物は、明治から大正期の出版関係者に高橋金四郎という同姓同名の人物がおり、その人物であるかも知れません。
隣には笠付きの江戸期の墓碑もあり、由緒のある家のように思われました。
この日は谷中霊園の一部しか見ておりませんので、他にも立札が建っている墓所があるかも知れません。
これは何度も書いていますが、これらの無縁墓所はご縁者が現れない限り改葬される可能性が高く、我々は推移を見守る他ありません。
ただ、青山霊園の伊丹男爵家や多磨霊園の高橋是清家(個人墓ではない方)のように立札が建てられた後、立札が無くなり、現存している墓所もありますので、これらの無縁改葬告知された墓所が残されることを願っています。
*******************************************************************
★ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』のご注文は下記フォームよりお申込みください。
『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』購入申込みフォーム
★5月11日(土)・12日(日)「ひの新選組まつり」『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の販売を行います
「ひの新選組まつり」にて『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の販売を行います
★Twitterにて当会の最新情報を更新しています。是非フォローください。
twitter
******************************************************************
先日は青山霊園で改葬危機となっている墓所について書きましたが、谷中霊園でも改葬危機となっている墓所が複数あります。
3月に谷中霊園へ行った際に立札が建てられていた墓所3ヶ所について紹介します。
まず、乙3号6側にある依田薫(子威・聖里)の墓です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/ff/8281a8adefac23fef8a538953e21c00e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/9a/8463a9e01c1f54eb5175d9c0e9332ff3.jpg)
撰文によると但馬出石の出身で、江戸で河田貫堂に学び、維新後は太政官権少史、大主記、左院大掌記、五等議官、七等判事などを歴任しています。
撰文は出石藩主仙石政固によるものです。
この墓碑は佐倉藩士依田学海の墓に隣接しており、同じ依田姓ですので、以前より何か関係があるのではと思っていましたが、撰文を見る限りは関係性は見られません。
撰文によると、依田薫は東叡山下旧林光院塋域に葬るとありましたので、この墓碑は後年、この場所に移動したものと思われますので、偶然依田学海の隣になったか、もしくは同姓の縁によって何らかの関係がありこの場所に移されたものかと思います。
ただ、この墓碑は依田学海の墓に背を向けて建てられていますので、偶然なのかなとも思います。
次に乙4号1側にある遠山規方の墓です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/70/31c39ed1fcadcd63aa7b2d22a6d0bc88.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/e6/b096e50a44a9299c474ccd5e7d93da40.jpg)
秋田藩の出身で、戊辰戦争は西軍方として戦い「秋田遊撃隊戦記稿」を著しています。維新後は西南戦争、日清・日露戦争に出征しています。
もう一つはこの遠山規方の近くにある高橋家の墓で、どのような家であるか不明ですが、側面に祖先式部、二代左衛門次郎にはじまり十一代までの名が刻まれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/d3/62fae4c4171ed5d9f4fbf56d11301815.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/ac/4f024af7b74de62ac841edefb0d74fcd.jpg)
式部という名からはもともと武家であった家のように思われます。
十一代の金四郎という人物は、明治から大正期の出版関係者に高橋金四郎という同姓同名の人物がおり、その人物であるかも知れません。
隣には笠付きの江戸期の墓碑もあり、由緒のある家のように思われました。
この日は谷中霊園の一部しか見ておりませんので、他にも立札が建っている墓所があるかも知れません。
これは何度も書いていますが、これらの無縁墓所はご縁者が現れない限り改葬される可能性が高く、我々は推移を見守る他ありません。
ただ、青山霊園の伊丹男爵家や多磨霊園の高橋是清家(個人墓ではない方)のように立札が建てられた後、立札が無くなり、現存している墓所もありますので、これらの無縁改葬告知された墓所が残されることを願っています。
*******************************************************************
★ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』のご注文は下記フォームよりお申込みください。
『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』購入申込みフォーム
★5月11日(土)・12日(日)「ひの新選組まつり」『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の販売を行います
「ひの新選組まつり」にて『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の販売を行います
★Twitterにて当会の最新情報を更新しています。是非フォローください。
******************************************************************
堀子爵家でなく奥田子爵家です。
貴重な情報をありがとうございます。依田薫のお墓の現状は是非ともご子孫ご縁者の方に知って頂きたい所です。立派な撰文が刻まれた墓碑ですので、残して欲しいと思っております。
ご質問の五輪塔ですが、私も長年気にはなっていたのですが、該当するような大名・大身旗本が見当たらず、解明に至っておりません。当会のクロサカさんともこの墓碑のことは話したことがありますが、その時も皆目見当がつかない状態でした。
昨年だったと思いますが、無くなってしまったのは大変残念に思いました。
寺院墓地に移されているということであれば、ご子孫がいるということかと思いますが、昨今はどこの霊園事務所も個人情報が厳しくなり、ご子孫や移転先の情報等に関しては教えて頂けくなっています。
お役に立てず残念です。
吉盛様の『但馬の殿様』は刊行間もない頃に購入し、ご子孫の行方、菩提寺・墓所の詳細な調査をされており、大変感銘を受けました。
またご教示頂けますと幸いに存じます。
吉盛様は河原先生とご交流があったのですね。私は河原先生の本から入門したような者ですから、神様のような存在です。貴重な時間をお過ごしになられたのですね。
『但馬の殿様』、是非とも続編や改訂版を期待しております。今後ますますのご活躍を願っております。
当会は3名の幹事で活動していますが、みな勤め人のため、合間合間で活動しております。また何か情報を発信できればと思っております。
またいろいろとご教示頂けますと嬉しく思います。
私にとって探墓巡礼顕彰会様は神様のような存在です。今後とも御活動が発展されること念じ上げております。コロナで上京断念する中、臨場感あるブログを拝読させて頂きどんなにか慰みになっていることか、心から御礼を申し上げます。
『但馬の殿様』を初めて読んだ時は東京にあるお墓を郷土史の中でこれだけ活用できるのかと大変感服いたしました。
私も田舎の福島県の郷土史に力を入れているのですが、こういうアプローチがあるのか!と思い、将来の理想像としています。
ご著者である吉盛様に当ブログを見て頂いけることは光栄に思っております。大変励みになりました。
コロナが落ち着きましたら東京にお越しください。その際は是非お声かけください。