探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

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谷中霊園の改葬危機の墓所

2019-05-08 23:10:33 | 会員の調査報告
会員のカネコです。
先日は青山霊園で改葬危機となっている墓所について書きましたが、谷中霊園でも改葬危機となっている墓所が複数あります。
3月に谷中霊園へ行った際に立札が建てられていた墓所3ヶ所について紹介します。

まず、乙3号6側にある依田薫(子威・聖里)の墓です。





撰文によると但馬出石の出身で、江戸で河田貫堂に学び、維新後は太政官権少史、大主記、左院大掌記、五等議官、七等判事などを歴任しています。
撰文は出石藩主仙石政固によるものです。
この墓碑は佐倉藩士依田学海の墓に隣接しており、同じ依田姓ですので、以前より何か関係があるのではと思っていましたが、撰文を見る限りは関係性は見られません。
撰文によると、依田薫は東叡山下旧林光院塋域に葬るとありましたので、この墓碑は後年、この場所に移動したものと思われますので、偶然依田学海の隣になったか、もしくは同姓の縁によって何らかの関係がありこの場所に移されたものかと思います。
ただ、この墓碑は依田学海の墓に背を向けて建てられていますので、偶然なのかなとも思います。

次に乙4号1側にある遠山規方の墓です。





秋田藩の出身で、戊辰戦争は西軍方として戦い「秋田遊撃隊戦記稿」を著しています。維新後は西南戦争、日清・日露戦争に出征しています。

もう一つはこの遠山規方の近くにある高橋家の墓で、どのような家であるか不明ですが、側面に祖先式部、二代左衛門次郎にはじまり十一代までの名が刻まれています。





式部という名からはもともと武家であった家のように思われます。
十一代の金四郎という人物は、明治から大正期の出版関係者に高橋金四郎という同姓同名の人物がおり、その人物であるかも知れません。
隣には笠付きの江戸期の墓碑もあり、由緒のある家のように思われました。

この日は谷中霊園の一部しか見ておりませんので、他にも立札が建っている墓所があるかも知れません。
これは何度も書いていますが、これらの無縁墓所はご縁者が現れない限り改葬される可能性が高く、我々は推移を見守る他ありません。
ただ、青山霊園の伊丹男爵家や多磨霊園の高橋是清家(個人墓ではない方)のように立札が建てられた後、立札が無くなり、現存している墓所もありますので、これらの無縁改葬告知された墓所が残されることを願っています。
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8 コメント

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Unknown (吉盛と申します)
2020-09-13 08:04:30
いつも楽しく興味深く拝読させて頂いています。依田氏の墓石について初めて知りました。確か出石に子孫か縁者が居るはずです。谷中墓地、天王寺側の入口堀子爵家の墓があり同じ並びに清岸院殿とある巨大な五輪塔が姿を消しました。霊園事務所で聞くと都内寺院墓地に移ったと言われました。院殿大居士の法名から大名か高位の旗本だと思いますが詳細についてご存知有りませんでしょうか、ご教示賜れましたら幸甚であります。消えた巨大な五輪塔と背中合わせの墓石は旧旗本川勝丹波守家です。
返信する
Unknown (吉盛と申します)
2020-09-16 12:54:33
訂正
堀子爵家でなく奥田子爵家です。
返信する
Re: (カネコ)
2020-09-17 01:14:22
ご覧頂きありがとうございます。
貴重な情報をありがとうございます。依田薫のお墓の現状は是非ともご子孫ご縁者の方に知って頂きたい所です。立派な撰文が刻まれた墓碑ですので、残して欲しいと思っております。
ご質問の五輪塔ですが、私も長年気にはなっていたのですが、該当するような大名・大身旗本が見当たらず、解明に至っておりません。当会のクロサカさんともこの墓碑のことは話したことがありますが、その時も皆目見当がつかない状態でした。
昨年だったと思いますが、無くなってしまったのは大変残念に思いました。
寺院墓地に移されているということであれば、ご子孫がいるということかと思いますが、昨今はどこの霊園事務所も個人情報が厳しくなり、ご子孫や移転先の情報等に関しては教えて頂けくなっています。
お役に立てず残念です。
吉盛様の『但馬の殿様』は刊行間もない頃に購入し、ご子孫の行方、菩提寺・墓所の詳細な調査をされており、大変感銘を受けました。
またご教示頂けますと幸いに存じます。
返信する
Unknown (吉盛と申します)
2020-09-17 07:24:33
ご返信ありがとうございます。清岸院殿は河原芳嗣さん(故人、何度も探墓を御一緒しました。)によると旗本であると申されておりました。もっとお伺いしておればと悔やまれます。事務所では都内寺院に移転とのみ回答頂きました。いつかまた巡り会えると思いたいです。但馬の殿様お買い上げありがとうございます。校訂漏れや後からいろいろ重大な事が判明したりして後悔の塊のような本です。大名、旗本(但馬の殿様以外の方も)の後子孫とは今も交流があります。大変お世話になりました。みんないい人達でした。そして本当に楽しかったです。人との繋がりが大切であると今もしみじみ思います。黒坂様には旗本越智家墓所移転先をご教示頂きました。流石は尊敬する探墓巡礼顕彰会の方であります。どうか宜しくお伝え願います。皆々様の一層のご発展をお祈り申し上げます。
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Unknown (吉盛と申します)
2020-09-17 10:44:59
先ほど出石の歴史研究グループの方へ依田薫墓所について連絡を入れ依田氏縁者へ申し伝えて頂くように致しました。立派な墓石なので撤去はあまりにももったいないですね。
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Unknown (カネコ)
2020-09-17 23:48:08
依田薫のお墓の件、お骨折り頂きありがとうございます。良い結果になることを願っております。
吉盛様は河原先生とご交流があったのですね。私は河原先生の本から入門したような者ですから、神様のような存在です。貴重な時間をお過ごしになられたのですね。
『但馬の殿様』、是非とも続編や改訂版を期待しております。今後ますますのご活躍を願っております。
当会は3名の幹事で活動していますが、みな勤め人のため、合間合間で活動しております。また何か情報を発信できればと思っております。
またいろいろとご教示頂けますと嬉しく思います。
返信する
Unknown (吉盛と申します)
2020-09-18 10:20:58
ありがとうございます。但馬の殿様の続編は旗本当主が家臣と別れ単独で鳥羽伏見に参戦、幕末嫁入り行列を襲撃され娘を拉致された者、等々いろんな付け加えたいエピソードや追加したい家そして何よりは殿様子孫の方々から是非続編を懇望され、もう一発やってやろうかとも思っています。河原様には良くして頂き上京の折りは必ず連絡をしろと言われておりました。90過ぎられても元気に杖もなしで墓地の中を歩き回られておられました。
私にとって探墓巡礼顕彰会様は神様のような存在です。今後とも御活動が発展されること念じ上げております。コロナで上京断念する中、臨場感あるブログを拝読させて頂きどんなにか慰みになっていることか、心から御礼を申し上げます。
返信する
Re: (カネコ)
2020-09-18 21:03:25
『但馬の殿様』はその後随分と情報が増えたのですね。これは是非とも続編を拝見したいです。
『但馬の殿様』を初めて読んだ時は東京にあるお墓を郷土史の中でこれだけ活用できるのかと大変感服いたしました。
私も田舎の福島県の郷土史に力を入れているのですが、こういうアプローチがあるのか!と思い、将来の理想像としています。
ご著者である吉盛様に当ブログを見て頂いけることは光栄に思っております。大変励みになりました。
コロナが落ち着きましたら東京にお越しください。その際は是非お声かけください。
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