会員のカトケンです。
秋の水戸は、緑が青々として紅葉にはまだ早く、夕方の風がすでに突き刺すような寒さになっていました。
我々、探墓巡礼顕彰会会員が『歴史研究』に連載する「掃苔行脚」⑦で小弟が取り上げました「立原翠軒」の嫡男、立原杏所が描いた絵を中心とした展示が、水戸市にある茨城県立歴史館にて開催されているため、足を運んできました。
御三卿田安家お抱えの画家 谷文晁の画塾に客分として出入りし、渡辺華山や椿椿山と交友。華山が蛮社の獄で捕われたときには対応を協議するなど、一方ならぬ交流を見ることができました。
杏所が絵を描き、父翠軒が賛を書くという作品が随分あり、交友も含めて絵や書をはじめ唐文字まで習った多才な父翠軒の影響が大きかったことがうかがえます。
また、翠軒の作品のほか、杏所の長女杏沙や天狗党の乱に殉じた次男朴二郎の作品にまで触れることができたことは、望外の喜びでした。
杏所は鳥が好きだったようで、鳥が群れをなして飛んでいる姿や翼を広げた姿を事細かに描写するなど、その観察眼には目を見張りました。
墓については、翠軒・杏所父子のものが水戸市六反田の六地蔵寺と東京都文京区向丘の海蔵寺の2ヶ所にある旨を拙稿に書きました。当ブログでは会員のカネコさんが写真つきで紹介されています。
1月・2月の調査②
今回の特別展で、立原家の家系もはっきりしました。水戸初代立原達朝-蘭溪-翠軒-杏所-春沙・朴二郎という順で、前出六地蔵寺に全員の墓があります。
翠軒婦人鶴見氏の墓などもあって葵の紋を持つこの寺は、まだまだ奥深いものがあります。
最後に、写真はいずれも茨城県立歴史館の敷地内にある小堀寅吉の墓と記念碑で、なぜここにあるのか、どのような人物なのか今後深く掘り下げていく所存です。撮影は昨年(平成21年)6月。まずは紹介まで。
○茨城県立歴史館(茨城県水戸市緑町2-1-15)@最寄バス停は歴史館前のほか大工町三丁目からでも5分程度。
秋の水戸は、緑が青々として紅葉にはまだ早く、夕方の風がすでに突き刺すような寒さになっていました。
我々、探墓巡礼顕彰会会員が『歴史研究』に連載する「掃苔行脚」⑦で小弟が取り上げました「立原翠軒」の嫡男、立原杏所が描いた絵を中心とした展示が、水戸市にある茨城県立歴史館にて開催されているため、足を運んできました。
御三卿田安家お抱えの画家 谷文晁の画塾に客分として出入りし、渡辺華山や椿椿山と交友。華山が蛮社の獄で捕われたときには対応を協議するなど、一方ならぬ交流を見ることができました。
杏所が絵を描き、父翠軒が賛を書くという作品が随分あり、交友も含めて絵や書をはじめ唐文字まで習った多才な父翠軒の影響が大きかったことがうかがえます。
また、翠軒の作品のほか、杏所の長女杏沙や天狗党の乱に殉じた次男朴二郎の作品にまで触れることができたことは、望外の喜びでした。
杏所は鳥が好きだったようで、鳥が群れをなして飛んでいる姿や翼を広げた姿を事細かに描写するなど、その観察眼には目を見張りました。
墓については、翠軒・杏所父子のものが水戸市六反田の六地蔵寺と東京都文京区向丘の海蔵寺の2ヶ所にある旨を拙稿に書きました。当ブログでは会員のカネコさんが写真つきで紹介されています。
1月・2月の調査②
今回の特別展で、立原家の家系もはっきりしました。水戸初代立原達朝-蘭溪-翠軒-杏所-春沙・朴二郎という順で、前出六地蔵寺に全員の墓があります。
翠軒婦人鶴見氏の墓などもあって葵の紋を持つこの寺は、まだまだ奥深いものがあります。
最後に、写真はいずれも茨城県立歴史館の敷地内にある小堀寅吉の墓と記念碑で、なぜここにあるのか、どのような人物なのか今後深く掘り下げていく所存です。撮影は昨年(平成21年)6月。まずは紹介まで。
○茨城県立歴史館(茨城県水戸市緑町2-1-15)@最寄バス停は歴史館前のほか大工町三丁目からでも5分程度。
ここにお墓がある経緯は判りませんが、大発見に変わりはないです。