探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

1月・2月の調査②

2010-03-10 22:54:19 | 会員の調査報告
会員のカネコです。
1月から2月にかけての調査です。

2月21日(日)谷中・向丘・白山の寺院調査

この日は谷中を中心に寺院墓地の調査をしました。
まず鶯谷駅を降りて寛永寺で紀州徳川家、日本船舶振興会会長笹川良一の墓、津梁院で黒石藩主津軽子爵家、弘前藩主分家津軽男爵家、尚昌侯爵、国立博物館初代館長町田久成の墓、一乗寺で漢学者大田錦城、玉林寺で大友宗麟末裔で高家の大友家、旗本河津家、骨董家青山二郎、臨江寺で儒学者・山陵研究家の蒲生君平、久我侯爵家の子女墓を調査しました。

文京区内に入り、向丘の海蔵寺で水戸藩儒者立原翠軒の墓(写真)を調査しました。



先日、会員のカトケンさんが水戸六地蔵寺の立原翠軒墓を調査しましたが、元々の墓はこちらの東京の墓で、平成6年に翠軒の祖父・父の墓がある六地蔵寺に分骨されたようです。
その後、白山本念寺で狂歌師太田南畝、旗本で新田氏の一門横瀬家、向丘栄松院で向山慎吉男爵(写真)、谷中に戻り全生庵で幕臣松岡萬、谷中霊園で陸軍中将東乙彦、国学者で神道家の久保季茲、浪士組隊士池田徳太郎等を調査しました。



2月28日(日)鶴見総持寺調査

会員のクロサカさんと鶴見の総持寺を調査しました。共同調査は普段一人では気付かないことに気付いたりできるもので、とても有意義です。
今回もクロサカさんが以前見つけた毛利重輔男爵、愛宕子爵家、花房子爵家分家、鍋島精次郎家等をご教示して頂きました。

鍋島精次郎家の調査ではでは鍋島精次郎3男で押小路男爵家へ養子へ行った押小路昌信男爵の墓があることが分かりました。華族家の当主が実家に墓を建てるのは珍しいケースだと思いました。

他にこの日調査したのは建築家伊藤忠太(写真)、益田孝男爵、海軍少将近野信夫、海軍大将高橋三吉、久留島子爵家分家で児童文学者の久留島武彦、二本松出身の声楽家関屋敏子、永井荷風の叔父で官僚の大島久満次等の墓です。
大島久満次の墓は正面に向かって倒れていて正面の碑文が読めませんでした。
総持寺には他にも華族家の墓が多くあり、華族家分家もまだまだ存在すると考えられます。

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