探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

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1月16日 静岡市② 玄忠寺 宝台院別院

2010-01-29 00:07:49 | 会員の調査報告
わがふるさとにはまだまだ今まで気づかなかった、忘れ去られつつある墓がたくさんあります。

玄忠寺にはいくつか幕臣の墓がある中で、青木昆陽の子孫で幕臣青木栄次郎の墓が本堂左手の墓域の最も上座に位置しています。

菱形の「青木家之墓」と刻まれた墓碑の裏面に「先祖(戒名略)姓青木、名敦書、字厚甫、号昆陽」とあり、代々の法名が刻まれています。また、「明治四十年四月三十日」という没年から6代栄次郎忠恕の戒名は「静心院殿浄誉義道居士」であることがわかります。旧幕時代には講武所奉行支配でした。

碑の前には「青木家先祖各霊位菩提」と刻まれた新しい五輪塔が建てられ、現在もなおご子孫により大切に供養されていることがうかがえます。(=写真)



青木昆陽とは、8代将軍吉宗に命じられ小石川でサツマイモの栽培を行った人物です。昆陽自身の墓は碑面に「武州下目黒村に葬る」とあるように東京は目黒不動(滝泉寺)にあるようですが、いまだ拝見に及ばざるところです。

宗派は浄土宗、山号は寿富山。(葵区大鋸町〔おおがまち〕4-1)

久能山東照宮の麓西側に位置する宝台院別院は、家康の側室西郷局(秀忠母)の墓があることで有名な宝台院(静岡市葵区常磐町)により昭和60年に合併され、元は照久寺といいました。

久能山総門番で幕臣の榊原照久を開基としていることにちなみます。徳川家康股肱の臣、四天王の一人 榊原康政の兄清政の嫡男が照久です。父が久能山の警備を命ぜられ家康が東照大権現となって久能に1年葬られ、日光へ移った後も代々久能山東照宮を守ってきました。

ここには常磐町の宝台院から移された「戊辰戦争旧幕府歩兵隊戦没者慰霊碑」がひっそりと建てられており、碑面はただ単に「明治元戊辰年」と「六月六日 村上求馬」を筆頭に上中下三段にわたり計116名の人物の名が刻まれているに過ぎません。その中の中段右から23番目に「五月六日 矢田賢之助」の名前がありました。

新撰組に在籍し、流山以後永倉新八と行動をともにした人物かあるいはただの同姓同名か--116名の所属とともに考証はこれからです。

同慰霊碑は東照宮に向かって建つ照久の五輪塔墓と同じく本堂の背後に位置する墓域の最も高いところにあります。

一転、海側に眼をやると、駿河湾から伊豆、御前崎のあたりまで静岡の大きさを一度に体験できる素晴らしい場所となっています。

宗派は浄土宗、山号は金 米山。(駿河区安居291)
コメント (1)
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