『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

セッションにおける〈 時間 〉について

2018-09-04 | 2018年
ようやくウェブサイトの更新もできた。
こちら
ここ数年、あまりウェブサイトを丁寧に読み込む人というのは少なくなったように感じる。
そういうこともあって、内容をどうするかサーチしたり検討したりしていて、結局「なるべくシンプルに、でも伝わるように」を念頭において作ることにした。
実際は、書きたいことはヤマほどあっても、医師でもない私には書けるものでもなかったりする。
術前術後みたいな写真や広告も規制されている昨今、たとえ相談者様の感想でも、掲載には気を遣う。
事実をそのまま語らずに事実を伝えるには…という妙なテクニックがいるんだな、これからは。


さて、
『Tamuratic.』でたまにある問い合わせの内容の一つに「時間の長さ」がある。

「何分くらいかかりますか?」「長くやってもらえるんですか?」「すぐ終わりますか?」…など、ご自分の整体を受けた経験や、初めての場合はマッサージなどの「〇〇分〇〇円」というイメージから聞かれることもあるようだ。

こういうところにも、いいとか悪いとかでなく、人それぞれの思考のクセみたいなものが出るなと、感じる。
この場合では、

・「マッサージ」「指圧」といった業態と「整体」などは同じグループ
・他でそうなのだから、ここでもそうだろうという先入観
・「時間を長くやってもらう」ことが希望、あるいは「短くサッと終わらせてもらう」ことが希望
・いづれの場合も、「時間」が、一つのキーワードになっている

というように。

「時間」を、価値の一つとして考えている方は多い。
それはそれで価値の持ち方であり、人によってちがうのは当然といえば当然。
ただ、『Tamuratic.』のセッションに関しては、「時間」の長短というのはあまり意味を持たないので、その点は明記しておく。
短ければ数分、長ければ一時間を超える場合もある。
それは、「時間」が基準でなく相手の方の「度」が基準になるからだ。

整体には、「機・度・間」という概念がある。
「時間」は、その全てに関連があるが、特にといえば「度=度合」というカテゴリーに分類されるだろう。

少し引用すると、

「操法の技術もとより処を得て押さえ放す事なり。その処に指がピッタリ当たっているか、その指が型によって用いられあるや見定めること必要なるもただ格好のみ見て度のこと見究むるに非ざれば、実際に操法を用うる人見出だせざるなり。
度とは強弱也長短也遅速也多少也。時間長く操法しておれば丁寧なつもりの人あるも時をただ多く費やしているは度を知らぬ也。度のこと知らず自分の満足のために時間多く費やしていても之丁寧なるに非ず。当てずっぽーなる也。度を知りて長き時間を費やさねば不安なるは技鈍き也。一秒間の長さが瞬く間に過ぎ去る人也。一秒を活かして捉え得ねば十分間も一時間も活かし得ぬ也。時を活かし得ぬ人二時間三時間操法を繰り返してもお互いに疲れるだけのこと也。
度を過すことを怖れて弱く長く操法している人あるも同じこと也。度の適を得ねば効無き也。
操法ということ長ければ親切と思い弱ければ丁寧と思い短ければ鮮やか思い強ければ自信あると思う人あるも度の適を得ざれば長くも短くも強くも弱くもまた中位なるも不可也…続く」
(「整体操法 中伝」より引用)

言葉使いも古いので少し読みにくいとは思うが、なんとなく言いたいことはつかめるだろうか?
ちなみに、文中「処」というのは、たとえば「急処」というような使い方をする。
わかりやすくいえば整体版の「ツボ」で、「ツボ」と同じ場所の場合もあるがそうでない処もある。

また、私事で恐縮だが、最近、病院で身内が亡くなった。
その時に、同じ野口先生のこの文章を思い出した。

「治療術というと何かすることだと思っている人が多いが、治療術ということは何かすることだけではなくて、何もしないことも治療術なのである。そしてその何もしないことの方が大切な治療術なのである。何もしないということが最高の治療術であることを知っている人もいるもいるが、何もしないということを治療術とする技術があることを判っている人はまことに少ない。何もしないということと、何もしないということを治療術とすることとは違うのである。この違いが判らねば何もしないということを治療術として活かすことはできない」(「治療の書」野口晴哉)

「手を尽くす」ということが、何か履き違えられている。
そう思わざるを得なかった。
とはいえ、

「今は世の中の全体が何かすることの方に偏っている。それは人間の生きているはたらきを故意に無視することから治療ということが考えられている為であろう」(「治療の書」)

この傾向は、この書が書かれた昭和26年より、何も変わらない。
というより、もはや意識できないほどに偏った、ともいえるかもしれない。。。







コメント   この記事についてブログを書く
« 2018.9.9〜10 『神社おそうじ... | トップ | 北海道出張、ありがとうござ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

2018年」カテゴリの最新記事