田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
年に一回の四国今治の両親の墓参りに2泊3日で行ってきました。
尾道まで新幹線、その後レンタカーで、しまなみ海道を妻運転のドライブ。
今治一泊、小豆島一泊。
(ビオトープ)
墓参りの後、私より一回り年上の叔父のビオトープを訪ねる。
移転した軍手工場の跡地に、井戸水をくみ上げて池を作り、自然に任せた楽しいビオトープを作り、3年前から、茅葺家の建設にあたっていたので、その後の茅葺家の様子を見物に。
屋根もほぼ出来上がり、床も板張り、最近は、同年輩の仲間が、ヨガ教室を開いているとか。
私はハードを作ったので、利用の仕方は、皆さんで考えてくれと言っているそうでその第一弾が易しいヨガ教室とか。
叔父の有言実行振りには恐れ入る。
(ドンドビの我が家跡)
宿泊のホテルの最上階の喫茶店にコーヒーを飲みに行き、窓から街並みを眺めると、ドンドビ(ドンド樋)と言われていた繁華街でメリヤス店を営んでいた我が家の跡は伊予銀行の敷地の一部に。(冒頭)
両親が商売をたたんで、銀行に敷地を買ってもらってからもう、25年がたつ。
(誤審)
先日、今治から久住高原のドライブに見えて、七里田温泉まで仲間入りしたwさんの仲間と、宴会。
囲炉裏を囲むバーベキューで、盛り上がりました。
宴会の始まる前、wさんの車で、波方町の美しい海岸線をドライブのメニューも。
私の今治西時代の同学年だったHG氏と泡盛を飲み交わしていると、HG氏が言うには、高校3年のクラスマッチでバスケットの準決勝まで進み、逆転のゴールを試合終了直前に決めたら、ファールの笛を吹いたひどい審判が居たが、「あいつだ」七里田で別れた後、思い出したとのこと。
私も思い出して、キゃリングだと思って笛を吹いたが、試合を見ていた全員、そんな馬鹿なという顔をしていたので、あれは、誤審だと思っていると白状。
近眼が進んでいたのにメガネはかけてなかったし・・・。
ゴメン、悪かったと言うと、いいよ、いいよと、許してくれました。
私が所属していたチームは、その時、優勝で、ますます後ろめたい。
宴会では、鯛を焼いて、日本酒を注いで飲んだり、今治特産の鶏のカラ揚げセンザンキのタレのレシピを教えてもらってり(肉は骨つき、・醤油・擦ったニンニク・生姜・赤唐辛子・酒・みりん・砂糖(隠し味)・塩コショウ、漬けこんで一晩か二晩冷蔵庫に)で気が付くと夜中の12時でした。
(小豆島の醤油屋)
あくる日は、高松までドライブ、小豆島に渡り、翌日の今日は、ガイドブックにあった醤油工場(やまろく醤油)に足を延ばし、蔵を見学。
100年以上たった樽や200年は経っているかもという、年季のはいった建物に感心。
小豆島になぜ、醤油屋が多いのかと聞くと、堺への交易船は小豆島に最後の寄港をして、その時、原料の大豆は九州から、小麦は愛媛から運んでくるので、小豆島特産の塩を使って味噌を作り始めたとのこと。
じっくり2年~4年仕込む醤油は味わいがあり、何本か購入。
(耶馬渓と並ぶ奇岩の寒霞渓<かんかけい>)
これもガイドブックで見つけた、寒霞渓に。
耶馬渓とよく似た、奇岩が連なっており、今は、アジアプレートの上に押しやられて、火山活動は
終了という点も良く似ている。
耶馬渓は、よく温泉に入りに行くので、寒霞渓親しみが湧きました。
岡山周りのフェリーから、小豆島の島影に別れを告げ、
一路九州の我が家に着いたのは晩の9時。
にぎやかで、面白い旅でした。
年に一回の四国今治の両親の墓参りに2泊3日で行ってきました。
尾道まで新幹線、その後レンタカーで、しまなみ海道を妻運転のドライブ。
今治一泊、小豆島一泊。
(ビオトープ)
墓参りの後、私より一回り年上の叔父のビオトープを訪ねる。
移転した軍手工場の跡地に、井戸水をくみ上げて池を作り、自然に任せた楽しいビオトープを作り、3年前から、茅葺家の建設にあたっていたので、その後の茅葺家の様子を見物に。
屋根もほぼ出来上がり、床も板張り、最近は、同年輩の仲間が、ヨガ教室を開いているとか。
私はハードを作ったので、利用の仕方は、皆さんで考えてくれと言っているそうでその第一弾が易しいヨガ教室とか。
叔父の有言実行振りには恐れ入る。
(ドンドビの我が家跡)
宿泊のホテルの最上階の喫茶店にコーヒーを飲みに行き、窓から街並みを眺めると、ドンドビ(ドンド樋)と言われていた繁華街でメリヤス店を営んでいた我が家の跡は伊予銀行の敷地の一部に。(冒頭)
両親が商売をたたんで、銀行に敷地を買ってもらってからもう、25年がたつ。
(誤審)
先日、今治から久住高原のドライブに見えて、七里田温泉まで仲間入りしたwさんの仲間と、宴会。
囲炉裏を囲むバーベキューで、盛り上がりました。
宴会の始まる前、wさんの車で、波方町の美しい海岸線をドライブのメニューも。
私の今治西時代の同学年だったHG氏と泡盛を飲み交わしていると、HG氏が言うには、高校3年のクラスマッチでバスケットの準決勝まで進み、逆転のゴールを試合終了直前に決めたら、ファールの笛を吹いたひどい審判が居たが、「あいつだ」七里田で別れた後、思い出したとのこと。
私も思い出して、キゃリングだと思って笛を吹いたが、試合を見ていた全員、そんな馬鹿なという顔をしていたので、あれは、誤審だと思っていると白状。
近眼が進んでいたのにメガネはかけてなかったし・・・。
ゴメン、悪かったと言うと、いいよ、いいよと、許してくれました。
私が所属していたチームは、その時、優勝で、ますます後ろめたい。
宴会では、鯛を焼いて、日本酒を注いで飲んだり、今治特産の鶏のカラ揚げセンザンキのタレのレシピを教えてもらってり(肉は骨つき、・醤油・擦ったニンニク・生姜・赤唐辛子・酒・みりん・砂糖(隠し味)・塩コショウ、漬けこんで一晩か二晩冷蔵庫に)で気が付くと夜中の12時でした。
(小豆島の醤油屋)
あくる日は、高松までドライブ、小豆島に渡り、翌日の今日は、ガイドブックにあった醤油工場(やまろく醤油)に足を延ばし、蔵を見学。
100年以上たった樽や200年は経っているかもという、年季のはいった建物に感心。
小豆島になぜ、醤油屋が多いのかと聞くと、堺への交易船は小豆島に最後の寄港をして、その時、原料の大豆は九州から、小麦は愛媛から運んでくるので、小豆島特産の塩を使って味噌を作り始めたとのこと。
じっくり2年~4年仕込む醤油は味わいがあり、何本か購入。
(耶馬渓と並ぶ奇岩の寒霞渓<かんかけい>)
これもガイドブックで見つけた、寒霞渓に。
耶馬渓とよく似た、奇岩が連なっており、今は、アジアプレートの上に押しやられて、火山活動は
終了という点も良く似ている。
耶馬渓は、よく温泉に入りに行くので、寒霞渓親しみが湧きました。
岡山周りのフェリーから、小豆島の島影に別れを告げ、
一路九州の我が家に着いたのは晩の9時。
にぎやかで、面白い旅でした。