田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

矢内原忠雄 東京レトロの旅(2013/5/26-28)

2013-05-29 00:31:09 | 先生・友人
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
3日程、東京・横浜の長男・長女宅に妻と押しかけて、孫見物に出かけました。

(渋谷)
長男宅で、宴会、いい気分で酔っぱらって翌日、銀座に行こうか、渋谷に行こうかと迷ったが、最近駅がリニューアルしたという渋谷をブラブラすることに。
 東京で45年前学生生活を送ったとき、渋谷はなじみの街で、忠犬八公の銅像を捜す。
45年前の場所から少し移動していたようで、売店のおばさんに聞いて、たどり着く。
 昔ながらに落ち合わせ場所に利用されている。パチリ。(冒頭)

(柏蔭舎跡)
渋谷から電車で2駅のところにある、T大学の構内にこれも45年振りに足を延ばす。
当時の建物はかなり残っているが、4棟?あった関東大震災の後、建てられた頑丈な学生寮は取り壊され、近代的な学生会館に。
 この寮の間に、小さい茶室があり、柏蔭舎とよばれ、茶道部の練習場になっていたがこれも跡形も無い。
この茶室を時々借りて、西村秀夫、杉山好といった無教会のクリスチャンの優秀な先生が学生に聖書講義をしており、四国今治の田舎から出てきた私もおっかなびっくり参加していたことがある。
ここに首を突っ込んていたおかげで、同志会という寮に入り、九州のT社に入社したりリストラされたり、釣りや畑に興じたりの45年間の面白い生活が続くことになった。
この思い出の場所でパチリ。

(九州に戻り、ネットで調べると、この茶室、同じ構内で場所を移動、立派に再建されていました)

(矢内原門)
 続いて、この大学の戦後最初の教養学部長になった矢内原忠雄を記念した矢内原公園に。
公園とその名前はまだ残っており、45年前と同様、あまり整備されていないどちらかと言うと荒れた公園。
ここに人一人しか通れない、外に通じる小さい門があり、矢内原門と呼ばれて、学生に親しまれていた。
矢内原忠雄は、戦後の日本の民主主義の精神的リーダーの1人で当時を良く知る先生の話では、大変見識のあった方。
当時、駅の正面には大学の門が無く、遠回りで不便だったので、門を作れと言った所、昔からの正門に愛着のある面々が、嫌がってイヤイヤ作ったのがこの小さい門。
しかし、電車を降りた学生の大半はこの門を使っていたとのこと。
45年前当時は、駅そのものが正門前に移動して、この矢内原門は便利なお勝手口のような門に
なっていたもの。
しかし、今回、敷地が拡張され、当時の塀も門もなくなっており、オヤオヤと思っていたら、妻がトーチャンあったと、「矢内原門跡」の石碑を見つける。これもパチリ。


(昭和風の児童公園)
昨日は横浜の娘宅に一泊、今日は、孫と近くの日吉本町にある、児童公園に。
たき火、砂遊び、木登りなんでもありの、昭和30年代風の公園で、猪突猛進型の孫には丁度良い。

横浜素晴らしいと今回も思ったことでした。

 羽田空港に着き、時間つぶしにレストランで黒ビールをチビチビやりながら、滑走路のむこうの国際線の空港をパチリ。

国際線は便数が増え、ホテルの工事中で活気。
 梅雨入りした九州に夜戻り、明日からまた田舎生活。
妻はあと10日程、娘宅で孫の子守。
コメント (2)
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