社会人コーチ

コーチ&スーパーバイザーが
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人との対話で扱ったことを考え
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昭和の日の回顧

2007-04-30 10:04:59 | Weblog
「みどりの日」が「昭和の日」になった
ということは
「昭和」を記念しよう
即ち念に刻もうということ

なぜ?
「明治の日」とか「大正の日」はない。
「明治維新の日」すらないのに。

突っ込みはこれくらいにして
僕の「昭和の回顧」を
やってみましょう。

恐ろしかったこと
昭和28年だと思うけど
夜、真っ暗な中を
胸の丈まである海水の中を
逃げ惑ったとき

びっくりしたこと
オイルショック
一時帰休制度ってのができて
新入社員のうちを訪問して
「休んでいてね」と挨拶して廻った

たのしかったこと
うれしかったこと
たくさんあって書けない

子ども夫婦と2ペアで
北海道に遊んだこと

学んだこと
これもありすぎる

こう考えると
個人にとって
「昭和」だけを浮き彫りにするのは
ほとんど意味がない

ということは
「国家」にとっても意味はない

「学んだこと」は時代を区切らなくても
身についているのだから。

ここまで来て
「やはりおかしい」

一人ひとりは流されないようにしましょう。

信頼関係はどのようにして作るか

2007-04-28 19:52:40 | Weblog
経営者と話しました。

「任せるに足りる人がいない」
というお話。

多く聞く話ではあります。

自分より優れた人を採用してきていない。
或いは採用していたけれども
何かの理由で辞めてしまわれた。

どっちでしょうか?

両方があるのでしょうね。

では、原因分析ではなく
問題解決志向で行きましょう。

任せるに足りる人を採用しましょう。

採用が実現する要件は何でしょうか?

優秀な人材に数多く会う
ことがまず必要でしょうね。
優秀ってどうして判るか?

自分より優秀な人は判定できません。
これは実感です。
判るのは自分より優秀でない人。

それで、その人を採用しようとします。

そして
人に任せてくれる人であるかどうかを
相手は見抜こうとしますから

「任せます」と宣言することでしょうね。

信頼関係は
「任せる」が最初でしょうね。

どう思いますか?



目標つくりをするとき実績が持つ意味は?

2007-04-25 18:07:07 | Weblog
新しい年度が始まって25日が過ぎました。
今年の目標も4月始まりの人は
おおよその人ができているのでは?

23、24日連日ある会社の会議に出ていました。
そこで出た話を
ご一緒に考えてみようと
思います。

昨年の実績があります。
そして、今年の計画目標を設定します。

営業マンAくんとマネージャーの話

「Aくん 前期は自己新だね。おめでとう。
 ところで今年の計画を見せてもらったよ。
 目標値は去年の実績より低くなっていたね。
 あれ、どうしてなんだろう?」

「去年の実績には山田商店さまのスポットが入っているんですよ。
 ですから実績からその分、引いた金額で目標にしました。」

「Aくん、実績値って君にとってどんな意味があるのかなあ?」

「意味って何ですか?実績には何か意味があるのですか?」

「あの実績は何を表しているか?ということだよ」

そんなやり取りを聞いています。

「実績は発揮した力の結果」ですよね。
スポットであろうとなんであろうと
発揮した力の結果です。
それだけの能力が身についている
可能性があるということ。

であれば、同じかそれ以上の目標を設定し
挑戦してみないと
本当の力かどうかわからない。
つまり成長は確認できない。

実績以上の目標をどのようにして達成するか
思考して、考える力は身に着く。

成長の感じられない仕事は燃えないですからね。

但し、目標はエコロジカルであること
これも大切だと思う。

組織を傷つけたり
仲間を傷つけたり
家族を傷つけたり
地球を傷つけたり
してはいけないんだよね、本当は。

最後の1行はとっても難しいけどね。

ともあれ「実績」は「自分の力の一つの指標」だから
大事に扱わなければ人生の醍醐味は味わえない
このことだけは確かなように思います。

どうでしょうか?

先週のシンクロニシティ

2007-04-22 11:23:14 | Weblog
先週体験したシンクロニシティを書きます。

血圧の薬をもらいにお医者さんへ行きました。
診察待ちの間に週刊誌を手にしました。
「サンデー毎日85周年記念号」

「未来へのメッセージ」85歳の「8賢人」
という特集記事

社会学者の作田啓一さんの
「人間の非合理性を扱う新しい学問、思想が要求されている」
に目が行きました。

「実証性ばかりを重視すると、

その時代の常識から外れたものを

考察できなくなってしまいます。

そこを超えるには、

観念的な考え方がやはり必要です。」

僕の関心は
「何故学問は必要なのか」
です。

「ああしたからこうなった」
「こうすればこうなる」
このようなことばかりに終始していると
その延長線上のことしか起こらないと
思うようになる。

だから、その延長線上にないことが
起きると
判らない、といって片付けるか
問題だ、問題だと大騒ぎする

冷静に問題を解明する
それには学問が要る

という話なのだろうと解釈したのです。

その週刊誌、
お医者さんの待合室から持ち出すことはできません
よね。

ネットで調べるともう3週間も前のもの
本屋さんに聞いたら
「週刊誌は新しいものしかない」と。

毎日新聞に電話をしたら
「おいでくだされば販売します」と。

土曜日に梅田へ行こうと心決めして
隣を机をみたら
書類の間に挟まって、
なんとその週刊誌があるのです。
ぼくんちの社長さん「毎週買ってますよ」と。
すご過ぎ!!

早速コピーさせてもらいました。

そして翌日、
前の法政大学総長清成教授の講義を聞きました。
先生が話されたことを僕の言葉に代えて書くと
「セブンイレブンのPOS
何が売れていて、何が売れていないかはわかるが
売れているものが何故売れているかは判らない。
こうすれば売れる、という法則がわかっているわけではない。
売れるものと売れないものを分けているだけだ。
何故売れるか?学問が必要になる点である」

自分の身の回りで起こる、
「学問の必要性」に関して起こる
シンクロニシティ。
身震いがしました。

ということで
皆さん勉強しましょう。

絆が生む動機

2007-04-19 18:30:27 | Weblog
今月のお客様への定期DMの内容を
ちょっと加筆してご紹介します。



NHKの番組「プロフェッショナル・仕事の流儀」に、
東京都足立区の中学校教員鹿嶋真弓先生が紹介されました。

先生は4度目の転任校で
「うざいよ、ばばあ」
「消えろよ」
という言葉を生徒たちにもらう体験を持たれます。

教師を辞めるか、人間を止めるか
という境地に追い込まれたといいます。

ご友人の励ましを受け、
再び生徒たちに立ち向かわれるのですが、
その時、生徒の心の扉を開けるための策を使われます。

それは「エンカウンター」という心理学が生み出した手法です。

生徒たちはいろいろな組み合わせのチームを作り、
話し合いの場を持ちます。

相手の価値観を知り、
それがどのような生活から生まれてきたのかを
聞く機会を持ちます。

この経験は人と自分の違いを知ることを通して
自分を知ることになります。

クラス中の一人ひとりとそのような関係を創ると、
そこに生徒同士のネットワークが
張り巡らされたクラスが出来上がります。

生徒一人ひとりの絆ができたクラスです。

絆は互いの心に暖かな感情を作り、
互いのために貢献する心を作り出すようです。

そしてその心情がいろいろなことへの取り組みを
積極的なものにしてゆきます。

即ち強い動機を作り出すというわけです。

このような実践は生徒を信頼し、
生徒たちが主体的に動き出すことを強く期待する
教員の姿勢が生むのでしょうか。

心理学の研究者は既に明らかにしていることです。
が現場では、なかなか実現しません。

その原因は何か?
教える権利を持っていると思っている
「無知」さではないかと思いますが
どうでしょうか?

三国志演義にあり「志在千里」

2007-04-16 16:29:02 | Weblog
「出会いは必然である」という言葉を聴いたことがあります。

14日(土)、大阪西梅田にある
大和ハウス工業さんの本社ビルに伺いました。
ロビーに創業者であられる故石橋信夫さんの胸像があり
その碑に「志在千里」に書かれていました。

一緒にいた中国出身の友人がそれを見つけて
解説をしてくれました。

これは『三国志演義』の中にある曹操の詩から来ていること
曹操の「歩出夏門行」という詩に
「老驥櫪伏すとも志千里に在り」とあり、
そこから「老驥千里を思う」と転用するとのこと。

漢和辞典で調べますと
「ロウキ レキフスともココロザシ センリをおもう」
と読むのでしょうか?
どなたか正しい読み方を教えていただくと助かります。

「ロウキ」は「老いた優れた馬」でしょうか。
「レキ」は馬屋

優秀な馬は老いて厩に伏していても、
なお、
志は千里先にある

推察を広げると
「優れている者は 老いても志が高い」
「老いても志を高く持っているものが優れた者といえる」

ここからが学びでした。

「きみは自分を老いたと思っているかもしれないが
 よりよき人物を目指すならもっと志を高く持ちなさい」


必然にして出会った言葉が
「志千里にあり」

座右の銘の一つにします。

出会いって
ほんとうに「すごい」ことですよね。

ハンカチ王子と職業訓練

2007-04-15 08:23:46 | Weblog
斎藤投手
初戦先発そして勝利
素晴らしいですね。

こうして自信をつけ
技術を習得して
更に素晴らしいスポーツ選手に
育ってゆくのですよね

これが「訓練」ですよね

ところで、
昨日のコーチの勉強会で
中国で今、TWIが盛んに行われようとしている
という話が出て、
「それって何?」という話が出て、
久しぶりにその説明をしてみました。


TWIは
Training Within Industry

これは製造現場のスーパーバイザー(日本流にいうと監督者)を
短期間に創る『定型訓練』(標準化された訓練プログラム)

第2次世界大戦
製造工場のスーパーバイザーが次々と徴兵されてゆく
スーパーバイザーがいないと生産性が落ちる

そこでアメリカ中の教育関連学者が集められ
訓練プログラムが作られた
と聞きました。

昭和25年
この年は朝鮮戦争が起きた年です

日本で製造業を振興するために
TWIが日本へ導入されます

この導入で日本に多くの製造現場の監督者が生まれます
そして、
日本経済の急成長につながってゆくのですね。

TWIには3つのものがありました。
(過去形です)
それは
JI(仕事の教え方) イントロダクション
JR(人の扱い方)  リレイション
JM(改善の仕方)  メソド
です。

僕はJMのインストラクターの資格を持っていました
今は使わないので過去形。

ところで中国では
TWIを日本人のベテラン技術者が
勉強しているのだそうです。

これは驚きですね。

「訓練」は人間の成長願望に基づいたもの
そんなことがわかるような気がしますね。


目標の自己管理

2007-04-14 22:46:14 | Weblog
月例のDMの記事を恒例によって掲載します


バブル崩壊後、多くの企業がアメリカ型の管理方式を導入しました。

その一つが「成果主義」です。

そしてこの制度は問題だという意見が多く出るようになりました。

成果主義が互助精神を無くした、全体のモチベーションを下げてしまった、という批判です。

そして、使われる「目標管理制度」も問題だという人まで出てきています。

少し細かな考察が必要です。

2つあります。

1つは「短期的な成果主義」だけを追いかける制度を作ると問題が起きるということ。

そしてそれだけで報酬が決まることが問題を引き起こしていることがわかってきています。

これにどう対応するのか。
長期的な成果を問うのです。

それは「体質つくり」を意味します。
今年の長期成果目標は「~の制度を作る」などの設定をすることでしょうか。

2つ目は「自己決定感」が得られる目標管理制度になっているかが問題です。

ドラッガーは「Management by objectives & self-control」といっています。

自律性をはずした制度はモチベーションを下げることが既にわかっています。
自律性を伴った目標管理制度は意欲を高め、組織の体質を変え、
組織に属する人達一人ひとりの能力開発には有効な方式だと考えられます。

こんな文章をつくってみました。
感想をお寄せください。

起業を考える(2)

2007-04-13 16:37:53 | Weblog
友達から

「起業」を志す人に向けたメルマガを
発行しようとしているんだ

という話を聞きました。

昨日、その友達とその周辺の話を
いろいろしてきました。

どちらかというと
僕の一方的な話だったかなあとは思いますが。

会社を起こして何を手に入れるのか?
という考えを持つのです。

僕の場合は「仕事をする機会を作る」でした。

ということは

仕事をして収入を確保する
仕事をして能力の開発に努める
仕事をして人間関係を増やす
仕事をして感動する局面に出会う

どれだったか?
忘れました。

「夢を共有する仲間を増やす」
「自分の存在意義を確認する」
「金儲けをする」

他にもいろいろありますよね、きっと。

で、「それが実現したら何が手に入るのさ?」

ここまで考えちゃダメだよね。
行き詰まるから。

でもね、
「一度だけの人生、やりたいなあと思うことやっても
いいんじゃない!!」
だけではダメなように思うよね。

経営コンサルタントやってるからそう思うのか知らないけど
事業って人のためにまずやるものだよね
そうでないとお金はもらえない。

やっぱり、マーケット・インでしょう。?

そして、自分の「得意技を磨く機会つくり」
でありたいと思いますよね。

そうでなければ生きている甲斐がないですから。

死ぬとき
こんな人たちに
こんな貢献をしたことが
僕の人生を愉快なものにしたんだなあ
と思えるようになるために

起業できればいいなあと思います、デス。

僕は今から
お金にはならないかも知れないけれど
人の役に、うんとなること
を発見したいと思っています。


起業するこころ

2007-04-11 08:01:02 | Weblog
昨日、起業を考えておいでの方々の
お話を聴きました。
今日は「起業」について考えてみます。

ちなみに写真は
信州 森の杏畑です。


さてさて、「起業」

僕が学校を出て就職した会社

親会社は先の再生機構の手で
上場を果たした会社

その創業者は素晴らしい方だったようです
僕は面識がありませんが残されたもので
それがしのばれます。

その一つが「社是」です。
「お客様のため、従業員のため・・・」
とあって、最後に
「創業者等のため」
とあります。
仕事はこのような人たちのためにしよう
という呼びかけの最後に
「創業者等のため」

「俺のために働け?」
そう思いますよね。
それが違うのです。

「創業」というのは「仕事に工夫を凝らし」
「昨日と違うことをはじめたらそれは創業」

「一人ひとりの創業が明日の仕事を創る」
そういう人に感謝しながら自分も仕事に取り組もう
というメッセージだと教えてもらいました

起業もそのようなものだと考えていいかもしれません

今、日本の経済社会はサービスの社会です

サービスは個別対応の業です。

個別対応は大企業では困難でしょう
個人事業がこれからのトレンドではないでしょうか

と考えたとき
起業が多くならないと
国全体の経済振興もないのではないでしょうか?

一人ひとりが創業をする
小さな工夫を凝らして小さな業を起こす
そして創業を繰り返して
価値のより高い事業に育ててゆく

そういう考え、取り組みが大事ではないかと
そう思います。

どうでしょうか?