社会人コーチ

コーチ&スーパーバイザーが
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人との対話で扱ったことを考え
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選挙の後味

2007-04-09 06:17:06 | Weblog




地元の満開の桜です。

さてさて、統一地方選挙が終わりました。
選挙の後で時々感じることがあります。

堀井学選手が阿寒湖(?不確かな認識)のある街で
道議会議員に立候補し当選されて
TVが取り上げていました。

「今後は阿寒のために」というスピーチが放送されていました。

道議会議員は北海道のことを考えることが第1?

自分の生活を考える
地域のことを考える
町のことを、県のことを考える
国のことを考える
世界のことを考える
宇宙のことを考える

今日のことを考える
明日のことを考える
10年先のことを考える
50年先のことを考える
100年先のことを考える
1000年先のことを考える

どこまで考えるかで
その人の大きさが決まると考えると

自分達のことしか考えない
せいぜい10年ぐらいしか考えない
そういう人たちを議員に選ぶのは
良い事なのか?

疑問に思うのです。

が、問題は自分ですよね。
自分はどんな考えをしているか
それを考えて、是正することが
大事ですよね。

選挙の後味
善い世界が生まれるようになるといいですよね。


千曲川

2007-04-06 18:28:29 | Weblog




この写真は、4日の朝、上山田温泉万葉橋から
眺めた千曲川

遠くに見えるのは戸隠だと思われます

この光景は45年前、
毎日目にしていたものです。
何年かぶりに眺めてきました。

万葉橋のたもとには
五木ひろしさんの「千曲川」の歌碑があって
ボタンを押すと音楽がスピーカーから流れる
そんなものがありました

今日は2日前の信州の写真を披露して
お開き!!!

信州に行ってきました

2007-04-05 17:15:31 | Weblog
4月3日、4日
長野県千曲市
昔流に言うと
戸倉上山田温泉へ行ってきました。

湯治にいったのではなく
かみさんのおふくろさんの誕生祝
91才なのだそうです

極めて健康
91才には見えない元気さに
安心して帰ってきました。

3日京都を10時過ぎに出て
名古屋で篠ノ井西線に乗り換えて
塩尻、松本を経由して
篠ノ井へでます。

直前、冠着山、別名姨捨山から善光寺平を望む光景は
素晴らしいものがあります。

篠ノ井からしなの鉄道に乗り換えて
戸倉駅
そこから車で数分
上山田温泉があります

そこを通って山を少し登ると
かみさんの生家

3日の夜は上山田温泉の小さな、しかし立派な温泉宿で
おふくろさんと兄夫妻と長男(甥ですね)と食事をしました。

翌4日
千曲川のほとりを散策しました。
昔と大きくは変わっていません。
雄大な光景は元気を与えてくれます。

その後、
兄夫妻に杏の里森へ連れて行ってもらいました。
8分咲きでしょうか
素晴らしい杏の花の畑を眺めてきました。

この日は少々寒くて
1時間早めて帰って来ました。

懐かしい人たちの語らいを
横で眺めている
いいものですね。
笑顔の語らいがいいのでしょうね。
得をした気分になります。

さてさて、今日から仕事に復帰
ぼちぼち・・頑張ります。

ジョハリの窓

2007-04-03 06:35:50 | Weblog
ジョハリの窓
心理学で「性格」について
ジョセフ&ハリーが発表した説ですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%81%AE%E7%AA%93

僕はこれを「自分の能力」という捕らえ方に変えて
話をしています。

マトリックス全体が能力の総和
顕在化している能力が
二つに分かれます

自分が自信を持っている能力と
他人が認めてくれている能力

そして、潜在能力

潜在能力を縮小して顕在化すると
能力が拡大する
と考えます

基本的に
仕事は「他者が認めた能力」の
範囲で任命されます

このことが能力開発を考えるときの
ポイントでしょう

ところで
縦軸と横軸を動かすことができれば
潜在能力が顕在化することになります

「期待以上の成果を目標にして頑張る」
このことで他人が認める能力を拡大することが
できます

自信がない分野でも
果敢に挑戦する
自分が自信を持つ能力が拡大します

この話を採用のときに使ってきました
「どんな仕事に就くのが良いか?」
という話です。

「能力よりもちょっと高めの仕事を任せてくれる会社」
が良い会社だよね

「要請された成果より高いレベルの成果を目標にする」
これが良い目標の作りかただよね

こんな話をするのです

ジョハリの窓
興味深い説ですよね

命は誰のものでもない

2007-04-01 06:22:34 | Weblog
「命は誰のものでもない」というメモが
数日前から机の上、目の前にあります。

テレビのドラマをナガラ観をしていて
メモしたのではないかと思います。

さて、「命は誰のもの」なのでしょうか?
「俺の命は俺のもの」なのか?が問題なのでしょう。

「俺」ってだれなのか?
がまず問題ですね。

受胎したときは名はありません。
生まれだしてきて、名前をつけます。

が、生まれたときの細胞は
何度も何度も生まれ変わります。

が、名前は変わりません。生まれ変わっているのに、です。
こう観てみると
僕の命は必ずしも僕の物ではないように思えてくる

命は天然が生み出したもの
それに勝手に名前をつけて
「俺のものだ」と思っているもの

ここまでの考察は昨日の続きでもあります。

さてさて、今日から4月
今日は弟の命日です。
明日、お寺さんへお参りします。