『菅原伝授手習鑑 加茂堤』の後半、逢い引きがバレてしまった斎世親王と苅屋姫がいずかたへと落ち延びてしまいますが、それを追いかける三好清行が、手にした笏が倒れた方向でどっちへ行ったかを占うくだりがございます。
そのときの台詞が
『てんげんこうりてんげんこうり 西か東か うしゃどっち』
というもので、これは上演台本通りなのですけれど、「てんげんこうり」ってなんだ? とかねがね思ってまして、今回調べてみました。
古代中国の占いの大典『易経』の「乾の伝」のはじまりに、「乾 元亨利貞」とありまして、これは「“乾(けん)”は元(おお)いに亨(とお)りて貞(ただ)しきに利(よ)ろし」と読み下すのだそうです。天の働きに従い正しい行いをすれば、多いに望みはかなう…みたいな意味になるとかや。
そして易占を行う者は、まずこの言葉を唱えるのがならわしになっているそうで、それは日本でも同様。しかしながら、時が下るにつれ易占がその形を変えながら庶民生活に浸透してゆくうちに、元々の意味合いと関係なく、一種の“おまじない”みたいなものにもなり、それにつれて語句そのものも「けんげんこうり」とか「けんげんこうりこうり」とかいうふうに変わったかたちになるもの(貞はどこへいった?)もあった。
廓界隈を流す辻占売りから買った神籤を開けるときにもこの言葉を唱えたみたいですから、庶民にもなじみのフレーズだったのだと思います。なるほど、落人の行方を占う清行がこの言葉を口にしてもおかしくはありませんね。
とは申せ、台本でも実際の舞台も「“てん”げんこうり」。これは近年の上演ではいつもそうでございます。
お芝居では、長い歴史のなかで言い回しが変わること、“歌舞伎訛り”になることはままございます。これもそういうことなのかもしれず、あるいは、今回は見つけられませんでしたが、世間で実際こういうふうに言っていた事例があるのかもしれませんね(辞書を引いても出てこないハズですな)。
今回、もとの意味がわかってスッキリいたしましたが、“けん”から“てん”への変遷の真相をお知りの方は、ぜひぜひお知らせくださいませ!