タカ長が若いころ一番多く登ったのは広島の山です。
広島には山らしい山はなくて、、、、、と、当時は思っていて、、、、
一番近い、山らしい山といえば伯耆大山でした。その大山には四季を通じて何度も登っています。
そのころは広島の藪山を心のどこかでは軽蔑、、、、というか、、、低く見ていて、、、
心はアルプスの高峰に傾いていました。しかし、そのころ信州の山に登るのは時間的にも経済的にも難しくて、、、
穂高に小屋泊まりやテント持参で行ったり、南アルプスの北部をテント持参で登ったり、、、
信州の高原めぐりをしたりした程度で、それほど多くの山には登っていません。
山歩きの主流はあくまで広島の藪山でした。

広島の藪山にも登山道はありますが、マイナールートを歩くとハッキリしないところもあります。
そのような時の私たちの自慢は、、、、、このようなルートを歩かせたら中央の山屋には負けない、、、というものでした。
ハッキリ言えば負け惜しみです。
高さもない、これといった岩峰もない、全国的に見たらマイナーな山をフィールドにしている者のひがみを言っても良いのかも分かりません。

今の登山界では山での遭難事故が大きな問題になっています。
タカ長も関心を持っていて、関係する本や雑誌をかなり多く読んでいます。
先日も古い雑誌(ワンダーフォーゲル、2014年10月号)読みながら考えました。
その山岳遭難の原因でトップクラスなのが道迷い。
その道迷いをする人には一つの傾向があって、初心者で単独の60~70代男性がほとんど(金 邦夫・青梅署山岳救助隊元副隊長)だそうです。
道迷い遭難を防ぐ方法をレクチャーするのが本稿の目的ではないので、この件に関しては何も書きませんが、、、
この種の記事を読むにつけいつも感じることがあるのです。

そのような登山者は不勉強なのだと断罪しても大方の支持は得られるでしょうが、、、、
以下はタカ長の独断と偏見です。
タカ長に言わせると、そのような登山者は著しく感性に欠けていると思うのです。
登山に感性とかセンスとかいうものがあるのかどうか知りません。登山の本を読んでも「感性を磨け」と書かれているのを見た記憶はありません。
しかし、何をするにも感性は必要で、その感性は人から教わって身につくものではないようにも思えます。
自分で勉強するにしても、60歳とか70歳になってからでは大変なのでは???
そのような状態で、独りで山を歩くのですから、登山道のチョットした変化も見落とし、それが道迷いにつながっているのではないかと愚考するのです。

地方のマイナーな山を歩いていると、、、、このように道がハッキリしないところに出くわすことは多々あります。
自慢たらしく聞こえそうでチョッと書きにくいのですが、、、
経験を積んでくるとこのようなところでも径が見えてきます。その径がどのように続いているのか、ある程度先を予測することもできます。
しかし、初心者には何も見えないはずです。だから、このようなルートを歩くときは「経験者同伴」が勧められるのです。
そのような感覚は山を歩く感性だと思うのですが、、、、
その感性に欠けるととんでもないところ、、、というか、、、何でもないところでルートを失い、道に迷うのだと思うのです。
その感性を磨くためには問題意識をもって山を歩く必要がありますが、、、
本当はそれだけでは足りなくて、昨日紹介したような山の本を多く読むことも必要だと思うのです。
というようなことがタカ長の独断と偏見ですが、、、、
大きく間違ってはいないと思うのですが、、、、、いかがでしょうか?
広島には山らしい山はなくて、、、、、と、当時は思っていて、、、、
一番近い、山らしい山といえば伯耆大山でした。その大山には四季を通じて何度も登っています。
そのころは広島の藪山を心のどこかでは軽蔑、、、、というか、、、低く見ていて、、、
心はアルプスの高峰に傾いていました。しかし、そのころ信州の山に登るのは時間的にも経済的にも難しくて、、、
穂高に小屋泊まりやテント持参で行ったり、南アルプスの北部をテント持参で登ったり、、、
信州の高原めぐりをしたりした程度で、それほど多くの山には登っていません。
山歩きの主流はあくまで広島の藪山でした。

広島の藪山にも登山道はありますが、マイナールートを歩くとハッキリしないところもあります。
そのような時の私たちの自慢は、、、、、このようなルートを歩かせたら中央の山屋には負けない、、、というものでした。
ハッキリ言えば負け惜しみです。
高さもない、これといった岩峰もない、全国的に見たらマイナーな山をフィールドにしている者のひがみを言っても良いのかも分かりません。

今の登山界では山での遭難事故が大きな問題になっています。
タカ長も関心を持っていて、関係する本や雑誌をかなり多く読んでいます。
先日も古い雑誌(ワンダーフォーゲル、2014年10月号)読みながら考えました。
その山岳遭難の原因でトップクラスなのが道迷い。
その道迷いをする人には一つの傾向があって、初心者で単独の60~70代男性がほとんど(金 邦夫・青梅署山岳救助隊元副隊長)だそうです。
道迷い遭難を防ぐ方法をレクチャーするのが本稿の目的ではないので、この件に関しては何も書きませんが、、、
この種の記事を読むにつけいつも感じることがあるのです。

そのような登山者は不勉強なのだと断罪しても大方の支持は得られるでしょうが、、、、
以下はタカ長の独断と偏見です。
タカ長に言わせると、そのような登山者は著しく感性に欠けていると思うのです。
登山に感性とかセンスとかいうものがあるのかどうか知りません。登山の本を読んでも「感性を磨け」と書かれているのを見た記憶はありません。
しかし、何をするにも感性は必要で、その感性は人から教わって身につくものではないようにも思えます。
自分で勉強するにしても、60歳とか70歳になってからでは大変なのでは???
そのような状態で、独りで山を歩くのですから、登山道のチョットした変化も見落とし、それが道迷いにつながっているのではないかと愚考するのです。

地方のマイナーな山を歩いていると、、、、このように道がハッキリしないところに出くわすことは多々あります。
自慢たらしく聞こえそうでチョッと書きにくいのですが、、、
経験を積んでくるとこのようなところでも径が見えてきます。その径がどのように続いているのか、ある程度先を予測することもできます。
しかし、初心者には何も見えないはずです。だから、このようなルートを歩くときは「経験者同伴」が勧められるのです。
そのような感覚は山を歩く感性だと思うのですが、、、、
その感性に欠けるととんでもないところ、、、というか、、、何でもないところでルートを失い、道に迷うのだと思うのです。
その感性を磨くためには問題意識をもって山を歩く必要がありますが、、、
本当はそれだけでは足りなくて、昨日紹介したような山の本を多く読むことも必要だと思うのです。
というようなことがタカ長の独断と偏見ですが、、、、
大きく間違ってはいないと思うのですが、、、、、いかがでしょうか?