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連日、「識者」関連のエントリーが続いて恐縮だが、昨日の分類で書き洩れた「大学教授」は職業の一種だと思うのだが、実際は「識者」と同じような意味でマスコミはこれを多用して読者の扇動を謀っている。
大学教授って「学者」?
それとも「教育者」?
少なくとも沖縄の大学教授が、「正しい判断力」がある人の代表とは思えないがね。
それとも、学長ともなると「正しい判断力」が何処からともなく湧いてくるのだろうか。
【動画】⇒集団自決教科書検定に抗議する沖縄5大学学長
【記事】⇒ 5私大学長 撤回要求
戦後平和主義を問い直す(2008.8.17)
文部科学省は、沖縄戦・集団自決について検定意見をつけた際、軍の強制や命令の存在を否定する理由の一つとして、学説の動向を挙げていた。
そのとき意図的に(!)誤用されたのが『沖縄戦と民衆』という書物であった。本書はその著者、林博史教授の新刊書である。
講演を基にまとめられた本書は、大変読みやすく、また、このテーマを考える際に理解しておくべき重要な議論が盛り込まれている。ここでは本書の特徴を2点記したい。
第1に、本書の基本的なスタンスである。
「戦後日本の平和主義が獲得した成果」を積極的に評価すべきとしつつも、それを「批判的に検証しながら、さらに創造的に新たな生命力を吹き込んでいきたい」という願いがある。
例えば、戦後の平和主義は「責任なき平和主義」ではなかったか、否定されるべきは戦争そのものだと述べることで、個人の加害責任を不問にしてきたのではないか、という問いを突きつける。その上で、自分の責任を自覚することによってこそ「平和を担う主体」が生まれてくると指摘する。
第2に、本書のテーマ設定と構成である。
戦犯裁判、憲法9条、過去の克服を題材とし、それらを「過去」と「現在」、「日本」と「アジア」という2つの軸を中心に編成がなされている。
戦争をなくす、仮に戦争が起きたとしても被害をできるだけ減らす、という現在の問題を考えるために、戦犯裁判という過去を顧みる。憲法9条という日本の問題を考える際に、東アジア地域での安全保障や民衆の連帯の可能性を論じる。
このような議論を進めるために、史実を巡る一般的な言説を、歴史を基に客観的に検証していく。
自分への視座転換と歴史へのまなざし。この2つの視点は、平和主義の思想やそれを推し進める市民運動を強くする上で必要なものであろう。
沖縄の基地問題について考える場合にも、重要な示唆がこの書物には多く含まれている。
(高作正博・関西大学教授)
◇
本の出版というものは、読んでもらう読者がいて初めてナンボのもので、
読者のいない本など論議にも値ない。
その意味では読者はお客様であり、「お客様は神様だ」という言葉もある面では正しい。
一方、読者はいても、読者が理解した意味が、本来意図した意味とは違う、と著者が強弁する本がある。
しかもそれが偶然にも三冊も並んだ。
その一冊は、ノーベル賞作家が、自ら法廷で解説しなければ裁判長も誤読するという『沖縄ノート』
次は、実体験者の母の手記を基に非体験者の娘が書いた本だが、自分のイデオローギーに合わすためには、母の残した手記とは違った結論に書き換えてしまった『母の残したもの』(新・旧版)
そして、そして自己のイデオロギーの為には誤訳もいとわない左翼学者が著した上記記事の『沖縄戦と民衆』。
「集団自決三点セット本」である。
いずれにも共通することは、まともな人が読めば容易に出る結論も著者の解説によって誤読だと決め付けられることである。
これは料理を食べた客が「塩辛い」と言っても、「私はこの辛さは塩辛いと意図して造ったのではないから、塩辛いと感じるのは誤った賞味である」と後で屁理屈をこねる料理人に似ている。(こんな料理人はいないと怒られそうだが)
中にはその料理人を信奉し、賛同する人はいるもので、塩辛い味にもムリして慣れて、
「これを辛いという人は味を知らない」と言い張る信者がいたりするが。
ノーベル賞作家先生の『沖縄ノート』に関する「読解力講座」はさておき、林教授と宮城晴美氏の同一性を過去エントリーより以下再掲します。
◇
「軍命あり派」の首魁・林博史国学院大学教授の「軍命あり論」と、
「集団自決裁判」の被告側証人・宮城晴美氏の証言は奇妙に二重写しになる。
両者とも「軍命あり派」のリーダーであるから、その論旨が似てくるのは当然としても、
自著の記述がこともあろうか反対論者の証拠となるとこまで似ているとなるとは驚きだ。
林教授の「軍命みなし論」は安仁屋沖国大教授の「合囲地境論」の二番煎じだと述べたが、宮城晴美氏は沖国大時代の安仁屋教授の教え子だというから言っていることが金太郎飴のように似てくるのも肯ける。
両者とも自著で「戦隊長の命令はなかった」と書いているが、その弁解にまで同一性があるとは。
◆林教授:
「『自決しろ』という命令がなかったからといって、強制があったということを否定する理由にはならない」。
◆宮城氏:
「母が言及している時間帯における梅澤隊長の命令が無かったとしても、以外の時間で梅澤さんの命令があったかも知れず、梅澤さんの責任はあると思うし、そもそも軍としての命令はあったと思う」
両者の弁明はいずれも非論理的でこれで納得する人がいるとは思えない代物である。
2006年教科書検定において、文科省は沖縄の「集団自決」での軍命について、林教授の著書『沖縄戦と民衆』での「・・・なお赤松隊長から自決せよという自決命令は出されていないと考えられる」という1行の記述を軍命がなかった事の根拠の一つに採用したといわれている。
しかし林教授は、渡嘉敷島の集団自決についても軍命はなくとも、「本の結論では、集団自決は日本軍の強制と誘導によっておこったんだと何度も強調しているのに、それを無視してある一文だけを取り上げるのは、まさに詐欺としか言いようがない」と主張している。
一方、宮城晴美氏も同じように自著『母の遺したもの』が誤解されていると主張している。
宮城晴美さん講演<自著「誤解されている」>
「集団自決」軍命 訴え継続を強調
宮城さんは「役場職員をしていた母は、助役、学校長、収入役、伝令と五人で梅沢隊長のところへ行った。 助役が『これから住民を玉砕させるので爆弾を下さい』と言ったら(隊長は)しばらく考えて『一応帰ってくれ』と言った。 母の目の前では帰ってくれ言ったけど、実際に助役は家族の所に行って『隊長から命令がきた、これから死ぬよ』と述べた。(略)(琉球新報 2007年6月24日)
両者共に自著では「軍命はなかった」と記述しておきながらそれでも軍の強制だったと強弁している。
これは当初は『鉄の暴風』を鵜呑みにした「軍命あり派」が、その後の検証により「軍命令の存在」を確認出来ないとわかり、
「軍命はあった」⇒「軍命の有無は問題で無い」⇒「軍の存在が問題だ」⇒「軍命令がなくとも強制はあった」。
・・・と「軍命みなし論」に変化して行った典型的な例である。
◇
林教授の『沖縄戦と民衆』に関する強弁は、下記エントリー詳しく反論してあります。
⇒語るに落ちた左翼の首魁
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