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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

誰かこの嘘つきバーさんを止めて!

2007-04-30 18:23:54 | 従軍慰安婦

79歳元慰安婦、ハーバード大学で涙の訴え

 「強姦しようとする日本兵に抵抗すると、足をメッタ切りにされました。血まみれになってもその痛さにも気づかず必死に“助けて”としがみつきました。しかし容赦ない日本兵は電気による拷問までしました。恐ろしさのあまり叫んだ“お母さん”という声は、今も耳に残っています」

 28日午後、米ハーバード大学ケネディー・スクール(行政大学院)の講義室。さまざまな人種の聴衆約100人が見守る中、時には感情を抑えきれず絶叫に近い声を上げる高齢の韓国人女性の話に耳を傾けた。16歳の時に強制連行された後2年間、日本兵の「慰安婦」をさせられたイ・ヨンスさん(79)は、ハーバード大の学生の前で同日、当時の「地獄の日々」について証言した。1944年に強制連行された後、繰り返し受けた無差別な暴行・強姦・拷問の悪夢を60年以上経った今でも忘れることのできないイさんの叫びに、聴衆は嘆き、目頭を熱くした。

 だが、イさんは堂々としていた。イさんは「性的奴隷の役割を強制した日本が私を“慰安婦”と呼んでも、私の名前は両親がつけてくれたイ・ヨンスです」と言った。そして「日本政府は生きている証人である私が死ぬことをひたすら望んでいるが、日本の正式な謝罪と法的賠償なくしてはこの問題は決して解決しない」と語ると、聴衆は一斉に起立し拍手を送った。

 イさんの証言が終わると、参加者たちは日本の無責任な態度を非難した。マリア・サンチェスさん(ハーバード大学大特別研究員)は「これほど残酷だったとは知らなかった。胸が張り裂けそうな自身の過去を語ってまで、真実を明らかにしようとするイさんの勇気に対し、日本は恥を知るべき」と語った。エイミー・ボンドさん(ケネディー・スクール)は「日本政府は真実を認め、今からでも犠牲者らに対し正式に謝罪しなければならない」と言った。ケイティー・フリードマンさん(ケンブリッジ在住)は「同じ第2次世界大戦の敗戦国であるドイツと日本だが、過去の過ちの反省にはあまりにも違いがありすぎる。厳然たる証拠があり、イさんのような方たちの証言があるにもかかわらず“強制連行はなかった”と否定する日本の態度は先進国らしくない」とも語った。韓国系米国人の1.5世でボストン市議のサム・ユン氏は「この問題は普遍的な人権と道徳の次元から解決すべき」と述べた。

 この日会場には在米韓国人や韓国系米国人の中高生ら十数人も来ていた。教科書では学べない生きた歴史を学ぶためだ。中高生は会場前に展示された当時の残酷な状況を示す写真や資料に驚きを隠せない様子だった。両親と一緒に来た女子高生、デボラ・リーさん(9年生)は「何の非もない女性を日本が強制連行し、ひどい仕打ちをしたことはフェアでない。多くの資料に慰安婦が強制連行された証拠が残っているにもかかわらず、日本政府が否定するのはあってはならないことで、とんでもないこと」と感想を述べた。

 イ・ヨンスさんは今月26日、安倍晋三首相の訪米に合わせワシントンD.C.のホワイトハウス前でデモを行ったのに続き、29日にはボストン市でも人権団体と共にデモを繰り広げた。米下院に提出された「日本政府による従軍慰安婦問題の公式謝罪要求決議案」の通過を訴えるためだ。

ケンブリッジ(マサチューセッツ州)=ユン・ジョンホ記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS(2007年4月30日)
 
                   

誰かこのウソつき婆ーさんをとめて!

 

元慰安婦イ・ヨンス(文玉珠)のウソhttp://karutosouka1.hp.infoseek.co.jp/ianhu.htm

 

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テレ朝「スーパーモーニング」 又現れた漫画家のアホ

2007-04-30 09:59:35 | 県知事選

「スーパーモーニング」で石原慎太郎の独占インタビューを見た。

テレビ朝日のことだから東国原知事との「田舎者バトル」を煽るつもりかと思ったが、さにあらず、石原氏原作・総指揮の新作映画についてだった。

VTRで、インタビュアーの赤江アナウンサーの突っ込み。
(発言は記憶によるので必ずしも正確ではない。大意を概略した。)

赤江アナ:<何で特攻隊を美化する映画を・・・>

石原慎太郎:「この映画を観て特攻隊美化だと思いますか? 若い頃主人公の鳥浜トメさんの話を聴き、なるべく脚色なしでトメさんの話をそのまま伝えたいと思っていた」

赤江アナ:<石原さんの「太陽の季節」の若者には腹が立った>

石原;「あれも同じ日本の若者の青春の一つ。 特攻隊の若者の青春がなければ太陽の季節の若者の青春もなかった」

VTRからスタジオに戻って出席ゲストのコメント。

橋元弁護士;「特攻隊と言うと反射的に美化と言うが、感謝の気持ちを持つ必要はある。」

特攻隊、石原慎太郎のキーワードに脊髄反応した漫画家江川氏が橋元弁護士に対して声を裏返して噛み付いた。

江川達也(漫画家)「この手の映画を作る人は特攻隊の死のみを描くが、何故戦争をしなければいけなかったかを描いていない。 責任逃れなんだ!」。

橋元:「原因究明は別の機会でやれば良い。 歴史学術上の問題だ。 特攻隊を送る側の視点の映画があってもいい。 何よりトメさんは若者を喜んで送り出してはいなかった筈だ。」

二人のバトルがあったが省略。

何時もなら特攻隊や石原慎太郎には漫画家と同じ反応を示すと思われる吉永みち子氏が橋元弁護士に援護発言をした。

よっぽど窪塚洋介の「観ないで批判するヤツはアホ」が効いていたのか、もう一人のゲスト山口一臣(あの週刊朝日編集長?)までもが石原映画の擁護発言をしていた。

恐るべし窪塚洋介のアホ効果。

井筒監督はやはりアホだった! もう一人のアホ有田良生

 

<三アホ誕生>

ここでめでたくアホの井筒監督、アホの有田良生、そしてアホの江川達也と・・・めでたく「三バカトリオ」ならぬ「三アホトリオ」の誕生となった。

そこで実際映画も観てインタビューをした赤江アナのまとめ。

赤江アナ:「実際に観て特攻隊美化映画とは思いませんでした。 冒頭でバック音楽もなく只淡々と特攻隊が出撃し散っていくシーンを映し若者が次々死に行く虚しさを感じさせられた。」

最後に一人だけ浮きっぱなしのアホの漫画家が捨てゼリフを残した。

江川:「石原慎太郎は若い頃『太陽の季節』のようなクダラン作品を書いていながら、歳をとると特攻隊の映画なんか作るんだよな」。

「ああは成りたくないものだ」。

そこで思わずテレビに向かって突っ込みを入れた。

「心配しなさんな、漫画家さん。 なろうと思ってもなれませんヨ」。

芥川賞作家に国会議員、大臣、そして東京都知事にして現役作家。

江川さん! 無理ですよ。

 

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「広義の強制連行」は吉見中大教授の造語です

2007-04-30 05:45:16 | 従軍慰安婦

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日米会談「戦後レジーム脱却」へ成果 慰安婦「謝罪」不毛の恐

 【ワシントン=古森義久】27日の日米首脳会談は、日米同盟の強化と深化を安倍晋三首相の主唱する「日本の戦後レジームからの脱却」という方向で進める基本にブッシュ大統領が明確に合意した点で、戦後の日米関係でも特筆できる軌跡を刻んだといえる。だが、会談に奇形な影を投げた慰安婦問題では安倍首相はこれまでの立場に矛盾する「謝罪」を強調して誤算を露呈し、期せずして対米関係の現実の運営の難しさをもみせつけた。

 日本側の発表によると、同首脳会談では最大の成果として「かけがえのない日米同盟の重要性を確認し、その強化が合意された」。合計6時間に及ぶ両首脳の話し合いではおたがいの政治信条が語られ、安倍首相の念願の「戦後レジームからの脱却」を日米同盟の強化や深化の中で実現していくことが合意された。その内容について、首相は「日本をめぐる安全保障環境が変化した時代に適合する安保の法的機構の改変」と評し、憲法の改正から
集団的自衛権への新たな取り組みを示したという。

 ブッシュ大統領はこの基本への同意を表明し、「日米同盟はグローバルな同盟で自由と民主主義という共通の価値観に根ざす」と述べた。こうした基本同意は日本が安全保障面での戦後の自縛を解いて「普通の民主主義国」へと向かうことへの米側の正面からの了承を示し、日米関係の新時代の幕開けをも意味しうる。

 日本側の発表では、同首脳会談でさらにアジアや中東での課題に日米両国と他の主要民主主義国である
インドオーストラリアとが協力を強めてあたることや、東アジア安全保障での抑止力の重要性、在日米軍の再編の意義、日米共同ミサイル防衛の深化、などを認めることが確認された。この方向づけは従来の「日本の役割はソフトパワー」というような日本特殊論からの脱却だといえる。

 しかし、安倍首相は
慰安婦問題への対応では誤算を重ねる格好となった。記者会見での「(慰安婦たちに)心から同情するとともに、申し訳ないという気持ちでいっぱい」という釈明は英語でははっきり「謝罪」と訳され、首脳会談でも同趣旨を表明したことが明らかにされた

 首相は、
慰安婦問題が首脳会談での論題になることを防ぐため事前にブッシュ大統領に電話をして、同問題について説明したと伝えられていたが、結局、首脳会談だけでなく米側議員団との会談、同大統領との共同記者会見、さらに米側メディアとの会見でいずれも自ら話題にする結果となった

 しかも
首相は当初、下院に出た日本糾弾の謝罪要求決議案に対し「事実に基づいてない」とか「採決されても謝罪しない」と言明していた。だが訪米では「事の発端」である同決議案に言及することなしに、ただ過去の慰安婦の存在への「謝罪」を繰り返した。この姿勢は米側議員団の中で毅然と同決議案への批判と反対を表明したダニエル・イノウエ上院議員とは対照を描く皮肉な結果となった。

 同決議案を押すマイク・ホンダ議員らは安倍首相の「謝罪」をすでに不十分だとして、決議案の可決を目指す構えをみせており、首相の「謝罪」がまったくの不毛に終わる可能性も浮上している。(2007年4月29日)

 

産経新聞

                    ◇

安倍首相は「河野談話」を受け継ぐと言いながら「狭義の強制」「広義の強制」と弁明したツケを今回の訪米で払わされる結果となった。

「河野談話」を破棄しないままの弁明は何を言ってもブーメランとなって本人に降りかかってくる。

だがここで一つだけ明らかにしておかなければならない事がある。

そもそも「狭義」とか「広義」とかいう言葉は安倍首相が初めて言い出した概念ではない。

安倍首相が批判された「広義の強制連行」というフレーズは「強制連行存在派」のカリスマ吉見中大教授が苦し紛れの造りだした概念であった。

安倍首相はこれを論破すべく「狭義の強制」と言う言葉を使ったが、この説明では国内ではともかく外国のメディアの説得には大きな誤算であった。

相手の土俵に乗ってしまい吉見教授が造った「広義」、「狭義」という奇妙な概念のツケを安倍首相が払わされる羽目になってしまった。

禍根を残す「安倍談話」 慰安婦問題で「責任」明言

                   *

<クルクル変る論点>

 

吉見義明中央大学教授の慰安婦に関する発言の推移を見ていると見ると、学者としての良心より政治的プロパガンダーの執念を感じてしまう。

彼の言動は「悪辣非道な日本軍は必ず性奴隷狩りをしている」と言う信念の元に動いているとしか思えない。

学者というより政治的プロパガンダーのそれだ。

一方学者として資料を検証すればするほど自分の信念とは逆の資料が出てくるばかり。

吉見教授の希望に反して、慰安婦を強制連行したという証拠は何一つ出てこなかった。

そもそも「慰安婦問題」は日本軍による強制連行の有無」だけが問題だった。

そこで吉見教授、急遽作戦を変更する。

奴隷狩りのような強制連行だけではなく、詐欺や甘言で騙して連れて行った場合も強制連行だと言い出した。

1992年、『従軍慰安婦資料集』(大月書店)で、

問題は広義の強制連行」と論点変更をした。

論点変更というか、すり替えをして「日本軍の悪辣非道」を捜し求めたが、

やはり日本軍による「広義の強制連行」の証拠も出てこない。

それどころか吉見教授が新発見した資料は日本軍が詐欺、甘言で騙して連れて行くのを防止していた資料だった。

これを大々的に記事にした朝日も大恥をかく自爆資料だった。

副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒案

支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ故ラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或イハ従軍記者慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ(略)関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋ヲ密ニシ以テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス

陸支密七四五号  昭和十三年三月四日


本文の現代語訳
副官より、北支方面軍及び中支派遣軍参謀長宛 通達案

支那事変地に慰安所を設置するために、内地において従業婦(慰安婦)を募集するにあたり、

ことさらに軍部了解などの名目を利用しその結果、軍の威信を傷つけると同時に一般民の誤解を招く、おそれがあること
従軍記者や慰問者などを介して統制なく募集し(その結果)社会問題を引き起こす、おそれがあること
募集の職務に任じる者の人選に適切さを欠くために、募集の方法が誘拐紛いで警察当局の検挙・取調べを受けたこと
(そのような事柄)がある等、注意を要することが少なくない。したがって、将来、これら(慰安婦)を募集するときには、

(慰安婦の募集を)派遣軍において統制すること
これ(慰安婦の募集)に任じる人物の選定を周到適切にすること
その(慰安婦の募集)実施にあたっては、関係地方の憲兵及び警察当局との連携を密にすること
そのようにして、軍の威信保持並びに社会問題の面で手落ちがないように配慮して頂きたい依命通達する。

陸支密七四五号  昭和十三年三月四日

 

このような資料では慰安婦業者やブローカーの責任しか問えない。

そこで吉見先生、再度作戦変更を図り論点ズラシを始める。

1995年、岩波新書『従軍慰安婦』でとんでもない意見を編み出してきた。

その女性の前に労働者、専門職、自営業など自由な職業選択の道が開かれているとすれば、慰安婦となる道を選ぶ女性がいるはずはない・・・たとえ本人が、自由意思でその道を選んだように見えるときでも、実は、植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果なのだ。」引用元)「従軍慰安婦」 吉見義明 岩波新書 1995/4 103頁

あー!ビックリした!

吉見先生は遂に、戦地の慰安婦のみならず、内地の公娼も、それどころか現在のフーゾク嬢もエンコー娘も、すべて「何らかの強制の結果」の「性的奴隷」という驚くべきことを言い出したのだ。

強制性についての論点は更に変わる。

「問題の本質は慰安所の中であったことである」

こんな稚拙な理論では行きたくない会社に行くのも、学校に行くのも「広義の強制」であり、

「問題の本質は職場の中で会ったことである」なんて言い出したら世の中は強制連行だらけになってしまう。

学者ともあろう人物がこのような幼稚な論理で自分の主張の誤謬を誤魔化すとは仰天ものだが、

これを金科玉条のように信じ込む岩波読者やこの屁理屈を撒き散らした朝日新聞の理解力のお粗末さは「存在派」の特徴でもある。

「強制性」をここまで広義に解釈すれば、現代の風俗関係の女性たちにも、国家が謝罪と補償をすべきだ、ということになる。

さすがにこのような暴論では、常識ある国民の理解を得られるはずはない。

国内の「従軍慰安婦論争」にも決着が付き教科書からも削除された。

吉見教授も朝日新聞も得意のダンマリ戦術を取っていたのだが、今年になってからホンダ議員による米下院の「対日謝罪要求法案」提以来、急に元気をを取り戻して来た。

そして今までの経緯には頬被りして

強制連行があったのか、なかったのかにいくらこだわってみても・・」(朝日新聞)

と言うのだからあいた口が塞がらない。

今まで強制性にこだわってきて日本を貶めようとし、その証拠がないと分るや「広義の強制性」なんて奇妙な概念まで作り出したのは、日本誹謗に執念を燃やし続けてきたのは、

吉見義明先生自身ではないのですか。

「風俗関係女性」にも国家賠償を! by吉見義明・中大教


 
◆【追記】7:21

「新ゴーマニズム宣言」の<従軍慰安婦資料集>が「Let's Blow! 毒吐き@てっく」さんでアップされていますの勝手にリンクさせてもらいました。
<従軍慰安婦資料集1>  http://tech.heteml.jp/2007/03/post_916.html

 

◆「池田信夫 blog」<河野談話は見直すべき>http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/9e5aa6186ca7720af0d
709d304c6fb9c

                  ◇

【産経抄】

 春の褒章受章者のなかに、つかこうへいさん(59)の名前を見つけて、30年前に『熱海殺人事件』を見たときの衝撃が蘇(よみがえ)った。登場人物は、たたみかけるようなセリフで互いをいたぶり、いたぶられていた。大笑いしているうちに、いつのまにか自分の心の中にある差別意識に気づかされたものだ。

 ▼風間杜夫、平田満から最近では黒木メイサまで、多くの役者を世に送り出した。装置がほとんどいらないこともあって作品は、今でもアマチュア、学生劇団の間でさかんに上演される。常に若い演劇人を支える姿勢も評価されたのだろう。

 ▼在日韓国人2世で、本名は金峰雄(キムボンウン)。筆名をひらがなにしたのは、漢字が読めない母親のためだ。平成2年に刊行した『娘に語る祖国』では、一人娘に「祖国」への思いをつづり話題になった。

 ▼続編となる『「満州駅伝」-従軍慰安婦編』の取材で、将校に恋をしてお金を貢いだり、休日に一緒に映画に行ったりする人間的な付き合いもあったことを知る。といっても、かつて韓国の女性が味わったつらい現実から目をそらしたわけではない。

 ▼「慰安婦の200人中199人が違っても、1人にでも強制性があれば、言い訳できない」と小紙の取材に語っている。慰安婦と日本兵の愛情物語に仕立てたのは、「歴史は優しいまなざしで振り返るもの」という作家の使命感からだという。抗議は覚悟の上だった。

 ▼文学賞は受けても、国からの賞は拒否する作家がいる。人それぞれの考えがあっていいのだが、つかさんは、それが権力と戦い続ける文化人の“正しい”あり方だとする風潮には、背を向けるタイプだ。だから「人の好意は素直に受けるべきだ」と受章を快諾したのは、いかにもつかさんらしい。

(2007/04/30 05:00)

 

 

 

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聖火リレーの裏で蠢く中国の深謀

2007-04-30 05:37:55 | 県知事選

【産経抄】
 昭和39年8月、ギリシャのオリンピアで採火された東京五輪の聖火は一路東へ向かった。トルコ、イランからインド、タイなどアジアの諸国を経て香港、台北経由で沖縄に着いた。各都市では空港から都心まで現地の若者たちが聖火をリレーした。

 ▼アジアで開かれる初めてのオリンピックだった。しかし当時の日本は、米国との安全保障条約を強化する一方、経済大国に成長しつつあった。アジア諸国は当然、警戒の目を向ける。アジア横断の聖火リレーはそれを和らげるための「祭りのおすそわけ」であった。

 ▼五輪が政治に利用されるのは今や常識である。だから東京のマネをしたというのではないだろうが、北京五輪の聖火リレーはスケールが大きい。世界5大陸の22カ国・地域を回る。しかも地球最高峰のエベレスト(チョモランマ)の山頂にも運ばれる予定だという。

 ▼中国も今、経済成長と軍事力増大で世界から警戒されている。特にアフリカ諸国への接近には欧米が神経をとがらせている。5大陸リレーはそうした「氷」をとかす一方、中国の大国ぶりを示す狙いがありそうだ。五輪組織委は「調和の旅」と胸を張っていた。

 ▼しかしその聖火戦略も発表直後に冷や水を浴びせられた。コースに組み入れられた台湾が拒否したのだ。ベトナムから台湾に入るのはいい。だがそこからすぐ香港に運ばれるのは「台湾は中国の一部」という中国の主張に沿った聖火リレーになるというのだ。

 ▼そこまで突っ張らなくともという声もある。だが長年、中国の脅威にさらされ、正体を見てきた台湾にとって「ほほ笑み外交」など信用できるかということだろう。その厳しさ、温家宝首相来日でコロリと参った日本の政治家たちとは雲泥の差である。

(2007/04/28 07:00)

                                              ◇

【論説】聖火リレールートを巡る衝突の原因は中国のルール違反

       [台北 中西 功青森李登輝友の会事務局長]

日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」より転載

 

 3月26日、来年開催される北京オリンピックの聖火リレールートが決定しましたが、このルートに対し、台湾が抗議・拒否をしています。なぜそのような事態になってしまったのでしょうか。

聖火リレールート
http://torchrelay.beijing2008.cn/upload/torchrelaymap/map.pdf

 元々台湾は、聖火リレールートに台湾が含まれることがわかった時点で、ルートが「中国~台湾~その他の国」、「その他の国~台湾~中国」、「その他の国~台湾~その他の国」のいずれかでなければならないと主張していました。

 もし「中国~台湾~中国」のようなルートだと、世界の国々に台湾が中国の一部であると誤解されるため、台湾は「台湾の国際的立場を低くする、いかなるルート選定も認めない」と申し出たのです。

 さて、正式に発表されたルートを見てみると、「~タイ~マレーシア~インドネシア~オーストラリア~日本~韓国~北朝鮮~ベトナム~台湾~香港~マカオ~海南島~広州~」となっています。そうです、中国は台湾の申し出を受け入れ、「ベトナム~台湾~香港」というルートを選定しました。それではごり押ししているのは台湾なのでしょうか?

 いいえ、確かに台湾側にも狡猾な中国の策略を読みきれなかった非はありますが、明らかに中国の台湾いじめです。

台湾は、(1)中国が「台北、香港、マカオについては、『国際路線』ではなく『境外路線』であることをはっきりと認識してほしい」と、台湾を中国の一部として発表したこと。(2)中国が意図的に終始『中華台北』を『中国台北』と呼称していること。

 の2点により、このルート選定は台湾の国際的立場を低くするものであり、絶対に容認できないとしているのです。

 さて(1)の『境外』はどのように解釈すればいいのか、「はっきりと認識してほしい」と言われても私には全くわからなかったので、台湾人の友人に聞いてみましたが、それでも「ある一定の境界の外」ということ以外、やはりはっきりしません。台湾でも外国の株式を扱っているファンドを『境外ファンド』というらしいのですが、それなら『境外』=『国外』ですから、意味が通じません。どうやら中国は自国の主権が及ぶ範囲を『境内』、及ばない範囲を『境外』としているようです。そこで、「台湾、香港、マカオは(中国国内の)境外」と言われたのですから、台湾が容認できるはずがありません。

 次に(2)ですが、この『中華台北』という呼称は、1989年に台湾と中国の2国間で協議・決定した正式な中国語名称です(英語名称のChinese Taipeiは1981年に決定済)これを中国が一方的に無視して『中国台北』と呼称するなど許されることではありません。

 このような国際ルールを無視した中国の態度は絶対に許されるものではありません。
しかも中国は、自分がこのようにオリンピックを政治に利用しているにもかかわらず、台湾に対して「政治とスポーツは別物」などと、二重人格としか思えない発言をしています。

 また、自国台湾の地位が貶められているにもかかわらず、「聖火が来れば台北の国際的立場があがる」と、現台北市長([赤におおざと]龍斌/カクリュウヒン)は手放しで歓迎の意を表明しています。

 台北が『中国の台北』であることが世界中で認識されることを喜ぶ中国のスポークスマン。

 台湾政府は中国と自国の両方を相手に、これから難しい交渉を始めることになりました。しかし、台湾が1国で声高に叫んだところで、見直される可能性は低いでしょう。
例え北京オリンピックをボイコットしたとしても、1国だけのボイコットでは国際世論に与える影響は微々たるものです。さらには、台湾が頑なに正式決定した聖火リレールートを拒否し続ければ、最悪IOC会員資格の剥奪といったIOCによる制裁処置もあ
るかもしれません。願わくはIOCの良識に期待したいものです。

 今後、この問題がどのように進展するかはまだわからないものの、あの中国が簡単に引き下がることは決してありえません。来年のオリンピックはどうやらビール片手に浮かれている場合ではなさそうです。

--------------------------------------------------
■参考 『中華台北』の経緯(台湾:国家政策研究基金会HPより)
 意訳ですので、原文は下記HPでご確認ください。
 (中国語:http://www.npf.org.tw/PUBLICATION/EC/090/EC-R-090-017.htm

1952年 第15回ヘルシンキ大会開催
    中国の圧力によりIOCは台湾に大会参加を認めない旨通知する。台湾側の交渉により『中国』名義での参加は認められないが、『台湾』名義での参加が認められる。

1954年 中国がIOCに加盟
    これにより中国、台湾の両国がIOC加盟国となる。

1956年 第16回メルボルン大開開催
    台湾に中国の国旗を使用するよう中国が画策するも不調    に終わる。これに怒った中国は大会をボイコット。

1958年 中国は台湾がIOC加盟国であることへの反対を重ねて表明中国がIOCからの脱会を宣言。IOCが中国のIOC脱会および再加盟の禁止を決定(その後も中国は台湾妨害活動を継続)。

1959年 第55回ミュンヘンIOC総会開催
    IOCは台湾に今後『中国オリンピック委員会』の名称使用禁止を通知
(名称変更によりIOC加盟は継続可能)。

1960年 第58回ローマIOC総会開催
    『中華民国オリンピック委員会』としてIOC加盟資格を回復(英語名称:Republic of China Olympic Committee)。しかしオリンピック参加名称
については未解決のまま。しばらく『台湾』としてオリンピックに参加。

1968年 第68回メキシコIOC総会開催
    台湾の『中華民国』名でのオリンピック参加を承認さる。

1971年 中国が国際連合へ加盟、台湾が脱退

1975年 中国が再度IOCへ加盟申請と台湾のIOC加盟資格剥奪を申請両案ともに却下。

1978年 スウェーデンIOC総会開催
    中東・アフリカ・東欧・アジア等35カ国が台湾のIOC加盟資格剥奪を提議する(認められない場合、1980年モスクワ五輪へのボイコットを表明)。

1979年 第81回モンテビネオIOC理事会開催
    中国のIOC加盟資格が回復(名称:Chinese Olympic Committee,Peking)
    台湾のIOC加盟資格も継続(名称ChineseOlympicCommittee,Taipei)
    これを不服とした中国は同年、プエルトリコ、サンファン、名古屋で開催されたIOC理事会で、以下を提案し採用される。
    (1)中国は『中国オリンピック委員会』の名称を使用する(英語名:ChineseOlympic Committee)。
    (2)中国はオリンピックにおいて中華人民共和国の国旗、国家を使用する。
    (3)台湾は『中華台北オリンピック委員会』の名称を使用する(英語名:Chinese Taipei Olympic Committee)。
    (4)台湾がオリンピックで使用する旗、歌は別に用意しIOCの承認を受ける。
    台湾は本決定がオリンピック憲章に抵触するとして、IOCを相手に訴訟、勝訴。

1980年 IOCがオリンピック憲章を改正
    この改正により前決定が憲章違反でなくなる。

1981年 台湾が正式に前決定を受け入れ、以下のとおりとなる。
    (1)台湾は『中華台北オリンピック委員会』の名称を使用する(英語名:Chinese Taipei Olympic Committee)。
    (2)台湾がオリンピックで使用する旗、マークは梅花と五輪のものとする。
    (3)オリンピック入場の序列は、中国はC(China)台湾はT(Taiwan)とする。

1989年 北京でアジア青年体操選手権が開催
    『Chinese Taipei Olympic Committee』の中国語標記について、台湾と中国間で協議を実施し、以下のとおり定めて署名。
    「台湾のスポーツ団体・組織が中国で試合・会議・その他活動に参加する場合、中国が使用する台湾の呼称はすべて(プログラム・ネームプレート・広告等)IOC規則に基づき『中華台北』を使用する

 


 

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