狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

聖火リレーの裏で蠢く中国の深謀

2007-04-30 05:37:55 | 県知事選

【産経抄】
 昭和39年8月、ギリシャのオリンピアで採火された東京五輪の聖火は一路東へ向かった。トルコ、イランからインド、タイなどアジアの諸国を経て香港、台北経由で沖縄に着いた。各都市では空港から都心まで現地の若者たちが聖火をリレーした。

 ▼アジアで開かれる初めてのオリンピックだった。しかし当時の日本は、米国との安全保障条約を強化する一方、経済大国に成長しつつあった。アジア諸国は当然、警戒の目を向ける。アジア横断の聖火リレーはそれを和らげるための「祭りのおすそわけ」であった。

 ▼五輪が政治に利用されるのは今や常識である。だから東京のマネをしたというのではないだろうが、北京五輪の聖火リレーはスケールが大きい。世界5大陸の22カ国・地域を回る。しかも地球最高峰のエベレスト(チョモランマ)の山頂にも運ばれる予定だという。

 ▼中国も今、経済成長と軍事力増大で世界から警戒されている。特にアフリカ諸国への接近には欧米が神経をとがらせている。5大陸リレーはそうした「氷」をとかす一方、中国の大国ぶりを示す狙いがありそうだ。五輪組織委は「調和の旅」と胸を張っていた。

 ▼しかしその聖火戦略も発表直後に冷や水を浴びせられた。コースに組み入れられた台湾が拒否したのだ。ベトナムから台湾に入るのはいい。だがそこからすぐ香港に運ばれるのは「台湾は中国の一部」という中国の主張に沿った聖火リレーになるというのだ。

 ▼そこまで突っ張らなくともという声もある。だが長年、中国の脅威にさらされ、正体を見てきた台湾にとって「ほほ笑み外交」など信用できるかということだろう。その厳しさ、温家宝首相来日でコロリと参った日本の政治家たちとは雲泥の差である。

(2007/04/28 07:00)

                                              ◇

【論説】聖火リレールートを巡る衝突の原因は中国のルール違反

       [台北 中西 功青森李登輝友の会事務局長]

日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」より転載

 

 3月26日、来年開催される北京オリンピックの聖火リレールートが決定しましたが、このルートに対し、台湾が抗議・拒否をしています。なぜそのような事態になってしまったのでしょうか。

聖火リレールート
http://torchrelay.beijing2008.cn/upload/torchrelaymap/map.pdf

 元々台湾は、聖火リレールートに台湾が含まれることがわかった時点で、ルートが「中国~台湾~その他の国」、「その他の国~台湾~中国」、「その他の国~台湾~その他の国」のいずれかでなければならないと主張していました。

 もし「中国~台湾~中国」のようなルートだと、世界の国々に台湾が中国の一部であると誤解されるため、台湾は「台湾の国際的立場を低くする、いかなるルート選定も認めない」と申し出たのです。

 さて、正式に発表されたルートを見てみると、「~タイ~マレーシア~インドネシア~オーストラリア~日本~韓国~北朝鮮~ベトナム~台湾~香港~マカオ~海南島~広州~」となっています。そうです、中国は台湾の申し出を受け入れ、「ベトナム~台湾~香港」というルートを選定しました。それではごり押ししているのは台湾なのでしょうか?

 いいえ、確かに台湾側にも狡猾な中国の策略を読みきれなかった非はありますが、明らかに中国の台湾いじめです。

台湾は、(1)中国が「台北、香港、マカオについては、『国際路線』ではなく『境外路線』であることをはっきりと認識してほしい」と、台湾を中国の一部として発表したこと。(2)中国が意図的に終始『中華台北』を『中国台北』と呼称していること。

 の2点により、このルート選定は台湾の国際的立場を低くするものであり、絶対に容認できないとしているのです。

 さて(1)の『境外』はどのように解釈すればいいのか、「はっきりと認識してほしい」と言われても私には全くわからなかったので、台湾人の友人に聞いてみましたが、それでも「ある一定の境界の外」ということ以外、やはりはっきりしません。台湾でも外国の株式を扱っているファンドを『境外ファンド』というらしいのですが、それなら『境外』=『国外』ですから、意味が通じません。どうやら中国は自国の主権が及ぶ範囲を『境内』、及ばない範囲を『境外』としているようです。そこで、「台湾、香港、マカオは(中国国内の)境外」と言われたのですから、台湾が容認できるはずがありません。

 次に(2)ですが、この『中華台北』という呼称は、1989年に台湾と中国の2国間で協議・決定した正式な中国語名称です(英語名称のChinese Taipeiは1981年に決定済)これを中国が一方的に無視して『中国台北』と呼称するなど許されることではありません。

 このような国際ルールを無視した中国の態度は絶対に許されるものではありません。
しかも中国は、自分がこのようにオリンピックを政治に利用しているにもかかわらず、台湾に対して「政治とスポーツは別物」などと、二重人格としか思えない発言をしています。

 また、自国台湾の地位が貶められているにもかかわらず、「聖火が来れば台北の国際的立場があがる」と、現台北市長([赤におおざと]龍斌/カクリュウヒン)は手放しで歓迎の意を表明しています。

 台北が『中国の台北』であることが世界中で認識されることを喜ぶ中国のスポークスマン。

 台湾政府は中国と自国の両方を相手に、これから難しい交渉を始めることになりました。しかし、台湾が1国で声高に叫んだところで、見直される可能性は低いでしょう。
例え北京オリンピックをボイコットしたとしても、1国だけのボイコットでは国際世論に与える影響は微々たるものです。さらには、台湾が頑なに正式決定した聖火リレールートを拒否し続ければ、最悪IOC会員資格の剥奪といったIOCによる制裁処置もあ
るかもしれません。願わくはIOCの良識に期待したいものです。

 今後、この問題がどのように進展するかはまだわからないものの、あの中国が簡単に引き下がることは決してありえません。来年のオリンピックはどうやらビール片手に浮かれている場合ではなさそうです。

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■参考 『中華台北』の経緯(台湾:国家政策研究基金会HPより)
 意訳ですので、原文は下記HPでご確認ください。
 (中国語:http://www.npf.org.tw/PUBLICATION/EC/090/EC-R-090-017.htm

1952年 第15回ヘルシンキ大会開催
    中国の圧力によりIOCは台湾に大会参加を認めない旨通知する。台湾側の交渉により『中国』名義での参加は認められないが、『台湾』名義での参加が認められる。

1954年 中国がIOCに加盟
    これにより中国、台湾の両国がIOC加盟国となる。

1956年 第16回メルボルン大開開催
    台湾に中国の国旗を使用するよう中国が画策するも不調    に終わる。これに怒った中国は大会をボイコット。

1958年 中国は台湾がIOC加盟国であることへの反対を重ねて表明中国がIOCからの脱会を宣言。IOCが中国のIOC脱会および再加盟の禁止を決定(その後も中国は台湾妨害活動を継続)。

1959年 第55回ミュンヘンIOC総会開催
    IOCは台湾に今後『中国オリンピック委員会』の名称使用禁止を通知
(名称変更によりIOC加盟は継続可能)。

1960年 第58回ローマIOC総会開催
    『中華民国オリンピック委員会』としてIOC加盟資格を回復(英語名称:Republic of China Olympic Committee)。しかしオリンピック参加名称
については未解決のまま。しばらく『台湾』としてオリンピックに参加。

1968年 第68回メキシコIOC総会開催
    台湾の『中華民国』名でのオリンピック参加を承認さる。

1971年 中国が国際連合へ加盟、台湾が脱退

1975年 中国が再度IOCへ加盟申請と台湾のIOC加盟資格剥奪を申請両案ともに却下。

1978年 スウェーデンIOC総会開催
    中東・アフリカ・東欧・アジア等35カ国が台湾のIOC加盟資格剥奪を提議する(認められない場合、1980年モスクワ五輪へのボイコットを表明)。

1979年 第81回モンテビネオIOC理事会開催
    中国のIOC加盟資格が回復(名称:Chinese Olympic Committee,Peking)
    台湾のIOC加盟資格も継続(名称ChineseOlympicCommittee,Taipei)
    これを不服とした中国は同年、プエルトリコ、サンファン、名古屋で開催されたIOC理事会で、以下を提案し採用される。
    (1)中国は『中国オリンピック委員会』の名称を使用する(英語名:ChineseOlympic Committee)。
    (2)中国はオリンピックにおいて中華人民共和国の国旗、国家を使用する。
    (3)台湾は『中華台北オリンピック委員会』の名称を使用する(英語名:Chinese Taipei Olympic Committee)。
    (4)台湾がオリンピックで使用する旗、歌は別に用意しIOCの承認を受ける。
    台湾は本決定がオリンピック憲章に抵触するとして、IOCを相手に訴訟、勝訴。

1980年 IOCがオリンピック憲章を改正
    この改正により前決定が憲章違反でなくなる。

1981年 台湾が正式に前決定を受け入れ、以下のとおりとなる。
    (1)台湾は『中華台北オリンピック委員会』の名称を使用する(英語名:Chinese Taipei Olympic Committee)。
    (2)台湾がオリンピックで使用する旗、マークは梅花と五輪のものとする。
    (3)オリンピック入場の序列は、中国はC(China)台湾はT(Taiwan)とする。

1989年 北京でアジア青年体操選手権が開催
    『Chinese Taipei Olympic Committee』の中国語標記について、台湾と中国間で協議を実施し、以下のとおり定めて署名。
    「台湾のスポーツ団体・組織が中国で試合・会議・その他活動に参加する場合、中国が使用する台湾の呼称はすべて(プログラム・ネームプレート・広告等)IOC規則に基づき『中華台北』を使用する

 


 

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